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ランチデイズ  作者: azami
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「くしゅん」

 くしゃみがでる。寒空の中水浸しで帰ったせいだ。拳が飛んでこないだけマシだとあの時は感じたが、外を歩いているうちにすっかり気分がかわった。たまに僕の何気ない一言が、たまらなく人を苛立たせるらしい。だから、あの時も何か失敗したのだろうから、僕はコーヒーを掛けられても、またやってしまったとしか思わなかった。すぐに立ち上がって、安藤に見向きもせずアパートに帰ったぐらいだ。だけど、今は安藤の名前を浮かべただけで、どうしようもない怒りが僕の中に湧き上がる。シャワーを浴びても、まだ甘ったるいコーヒーの香りが僕の身体からたち昇ってくる所為もある。くしゃみも止まらない。のコーディングも集中できなかった。

 消臭剤を買おう、と僕は一大決心をした。衣服にかけるやつだ。六畳一間の狭い部屋の中、二台のパソコンがブーンと音をたてているが、機動が面倒くさいのでこのままにしておく。時計は23:12だから、行き先はコンビニしかない。

 僕の住んでいる木造二階建てのオンボロアパートは手すりに錆た浮いていて、階段のコンクリートも立派にひび割れている、地震がくればすぐにぺしゃっとつぶれそうな建物だった。それでも僕がなかなかに気に入っているのが、家賃4万5千円という安さと、徒歩3分でスーパーマーケットへ行けるという立地のよさだ。大学へも徒歩10分で、住みやすかった。向かう先のコンビニエンスストアはスーパーマーケットより少し遠いが、5分もかからなかった。

 僕はあまり割高感のあるコンビニエンスストアで買い物はしなかったが、コピーのために週3日は通う。自動扉をくぐって、そういえばよく西川をここで見たな、と思い出した。西川のマンションからだと、徒歩20分以上は掛かるはずだ。深夜だから、取り巻きも引き連れておらず、大抵雑誌コーナーに立っていた。西川には恋人がいないと、くそったれな安藤が言っていたが、その情報は間違いかもしれないと思った。美形だし、隠れて付き合っている恋人がこの辺りに住んでいるのかもしれない。

 僕は西川事件に燗する情報を追加したところで、そんな自分のバカバカしさに気づいた。もう絶対西川安藤には関わらない。僕は自分に誓った。

 くしゅん。

 なんとなく、僕は消臭剤と共に栄養ドリンクにも手を伸ばした。僕はまだ倒れたくない。



 iPhoneの欠点は、電池の消耗が激しいことだ。それはすべて画面のサイズに由来する。iPhoneの画面サイズは3.5インチという携帯からしたらかなり大きく、日本のガラパゴス携帯と比較すると、約1.5倍もあった。iPhoneを操作もなにもせずに放置していたら、3日は持つはずだが、ずっと操作していると、4時間程度しか使用できない。僕は大学の休憩時間は大抵iPhoneで遊んでいた。だから、朝になるころにはすっかり電池切れで、のんびり充電するはめになる。そして、僕は今日、はじめてiPhoneを充電したことを後悔した。

 けたたましい着信音が僕の部屋中に響き渡る。まだ朝の8時だ。今日の授業は3コマ目のみだから、昼まで寝ようと思っていた。台無しだ。見ると連絡帳には登録されていない電話番号で、それはつまり、僕の予想からすれば安藤だった。一旦鳴り止んだのを見計らって操作すると、留守番電話が15件も入っている。iPhoneの留守電サービスはがめついことに、聞くのが有料だ。無料の留守電サービスでも、聞くのはお金がかかるのだ。僕は朝からため息をついた。残念ながらiPhoneには着信拒否機能がない。放っておくとどんどん留守番電話も履歴も溜まっていし、電池は消費されていく。

「もしもし」

 不機嫌を隠さず、押し殺した声を出した。

「佐伯」

 やっぱり安藤だった。

「何の用? もう安藤と話すことはないと思ってるけど」

「今日も俺に付き合う約束だろ」

「そんなのした覚えない。切るよ」

「まてよ」

 切ってもどうせすぐにかかってきそうだ。僕は通話のままiPhoneを机に置いた。

「貴之のお見舞いにいこうかと思うんだ。貴之のいとこも来るはずだから、話をきこう」

 二度寝はできそうにないから、朝食を食べよう。まだ鼻もむずむずして本調子ではないから、なるべくシンプルなのがいい。

「昨日のとは、怒っていない。だからまた一緒に調査しようぜ」

 安藤の声が漏れ聞こえる。お前は怒ってないかもしれないが、僕の堪忍袋はもう完全に断ちきられてしまっている。堪忍袋もとい僕の心のどろどろした憤怒は垂れ流し状態だ。

「もしもーし」

 安藤のことは忘れる。幸いにして冷蔵庫の中にヨーグルトとバナナがあったから、それを合わせよう。

「……佐伯が俺のこと気持ち悪いって思う気持ちも分かるんだ。男を好きになるって変だよな……。俺も貴之が好きだって気づいた時、十分戸惑ったし、悩んだ……」

 コーヒーも入れる。インスタントだけど、慣れたら飲める飲み物だ。僕はいつもブラックが好みなので、マグカップには茶色の粉だけ入れる。

「……分かれとは言わないが、今だけ普通に接してほしいんだ……」

 ヨーグルトバナナにブラックコーヒー、いい組み合わせだ。ドボドボとマグカップにお湯を注いで、僕は香り立つ匂いを堪能した。

「佐伯?」

 ヨーグルトにコーディングされた一口サイズのバナナをスプーンに乗せる。ヨーグルトはしっかりと混ぜたので、舌触りはいいはずだ。

「もしもーし」

 口に含むと、微かな甘さを舌に感じた。バナナはヨーグルトの酸味とよく合わさっていた。

「今日はフリュティエ? に行く約束だろ。調べたんだ。ランチ、デザートにケーキセットつけられるんだな。今期間限定の雪だるまの形をしたケーキもあるらしいし、喰おうぜ」

 僕はiPhoneを手にとった。

「どこへいけばいい?」

 雪だるま型ケーキが販売される期間は決まっている。故に、雪だるま型ケーキとの一期一会を人は大切にするべきなのだ。



 西川の従兄弟なだけあって、美形という言葉がよく似合った。ただし、中性的な西川とは違って、男らしい格好良さだ。背も僕より10センチも高い。西川よりも明るい金髪に近い茶色の脱色した髪で、左耳にリング型のピアスが一個ついていた。ジーンズにベスト、今時の遊び人のような服装だ。程よい筋肉がついているのか、立ち姿もすらっとしていた。安藤ほどゴツゴツしておらず、スマートだ。

「初めまして、貴之の従兄弟の雅之だ」

「同じ学部の佐伯烏兎です」

 頭を下げる。

「へぇ、君がうと君……」

 雅之の目は僕の頭からつま先までを三往復した。

「オレは同じ大学だけど、3回生でしかも法学部だから、会ったことないな」

「でしょうね」

 座りなよ、とパイプ椅子を進められたので、僕と安藤は遠慮なく腰を落ち着けた。消毒液の匂いがする。個室で、唯一あるベッドには西川が眠っていた。点滴のぽたぽたと滴れる音がした。

「安藤君から聞いたよ。調査してるんだってね」

「ええ、そうです!」

 安藤が代わりに答える。僕は黙って西川を見ていた。あまり血色がよくないのか、どことなく青白い。話に聞いていたとおり、怪我はないようだった。人形が眠っているようにも思えたが、布団はわずかに上下していて、生きているのだということがわかった。

「重傷なんですか?」

 バカ、と安藤がつぶやいたが、雅之はにっこりと笑った。

「異常はないみたいだから、散々寝て起きるんじゃないかな」

 僕は西川の目覚めを待つだけで全部終わってしまうように感じた。安藤はそうじゃないらしい。

「さっそく質問いいですか?」

「どうぞ」

 安藤が僕の脇腹をつついた。小声で答える。

「何。やめろ気持ち悪い」

「質問だよ、質問」

「質問すれば」

「俺はいい。佐伯がしろって」

 僕は嫌そうなを表情をして雅之と向き合う。彼はにっこりとした顔を崩さず、僕を見た。

「単刀直入に聞きますけど、西川の部屋、誰が来訪者がいた形跡ありましたか?」

 安藤いはく、西川の部屋から荷物をもってきたのはこの従兄弟だ。

「ないよ」

「では、ベランダの扉、開いてましたか」

「覚えてないね。ただ、僕がもう一度部屋に行ったときは閉まってたよ」

「西川が落下してから、部屋に入ったのは雅之さんだけですか」

「他に貴之の合鍵を持ってる人がいなければね」

 僕は押し黙った。はじめて事件という言葉が頭をよぎった。

「念のために言っておくけど、一昨日のあの時間、僕は授業だったし、鍵は美佐子さん、貴之のお母さんから後で預かったから、オレは物理的にも貴之をベランダから落っことすことはできない。そんなことする気もないし、するヤツがいたらその前に殺すけど」

「へぇ」

 僕は雅之を疑っているわけではなかった。彼は僕たちの質問を不快に思ったわけではないようで怒った記号は見当たらなかった。僕は続けることにした。

「西川とは仲がいいんですか?」

「兄弟みたいな関係だよ」

「西川から恋人がいるという話は?」

「ないね。ただ、好きな人がいるとはきいたことがあるよ」

 ガタンと音をたてて安藤が立ち上がる。横目で安藤を見ると、すっかり眉は釣り上がっているし、目も見開いている。向き直ると、雅之は笑顔を深めていた。

「では、セックスフレンドは?」

「ぶ」

 雅之が吹き出した。口に手を当てて肩を振るわせる。安藤は大きく口を開いて、ぽかんと僕を見た。

「セッ……ふふふ……くす……ぶ」

「あの」

「う、うとくんって……おもしろいね!」

「そうですか」

 どうやら雅之は笑いが止まらないようだった。散々腹をかかえて身体を振るわせる。押し殺した笑い声が唇から漏れ出ていた。僕は笑いの記号がなくなるまで待った。そんなにおかしいことを言ったつもりはなかったので、僕はこんなに笑う雅之を不思議だと思った。

「ごめん、落ち着いた」

「はい」

「貴之にそういう相手がいたって話は聞いたことがないな。コイツ、意外に純情だから」

「純情なんですか」

「ものっすごい純情だよ」

 雅之は目を細めて西川を見た。

「では、七枚橋町の方に西川が夜出向く理由ってわかりますか?」

 七枚橋町は僕の住んでいる地域の名前だ。

「なんで?」

「七枚橋町のコンビニでよく姿を見かけたので」

 雅之は瞬きした。僕をまたジロジロと見て、唇を釣り上げる。

「片思いの相手を見に夜出かけることがあるとはきいたけどね」

 安藤が唸った。耳元で「どこ住んでるんだ?」って囁いたら、絞り出すような声で「南岬町だよ」とつぶやく。なんだか安藤が哀れに思えてきた。

「大体わかりました。ありがとうございます」

「これだけでいいの?」

「僕からは以上です。安藤は?」

 首を横に振るので、僕は再度雅之にお礼を言った。

「構わないよ。烏兎君、またよければお見舞いにおいでよ。それでどこかでお茶にしよう」

「是非」

 帰るのにいいタイミングだった。「おだいじに」というありきたりの挨拶をする。安藤はまだ西川が名残惜しいようで、何度も西川の顔を見た。

「フリュティエ、オア、エンド」

「……」

 僕はお辞儀をして病室を出る。すたすたと歩いていると、安藤が駆け足で僕の横に並んだ。ここは病院なんだけど。年配の看護師が僕の方に顔を向けたが、他人のふりをしてそのままエスカレータへ向かった。ふりなんかじゃなくて、事実上の他人なわけだけど。知人以下。



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