4.
「ごめんなさい。……迷惑、でしたか?」
「え?」
「やっぱりこういうの、たくさんもらってますよね……? 私のなんか、お礼になるわけ、ないですよね……」
彼女の声が沈んでいき、肩を落とすのが見えた。俺は慌てて、彼女の手からお菓子を受け取る。
失敗した。がっかりさせてしまった。プリンスだったら、ためらう素振りなんか見せずに、ありがたく受け取るべきだった。
「い、いや、迷惑だなんて、そんなことあるはずないだろう! ありがとう、嬉しいよ」
「……ほ、本当ですか……?」
「あ、当たり前だろう! 君が心を込めて作ってくれたんだ、嬉しくないわけがない! でもほら、クッキーって、寝かせたり型とったりして大変じゃないか。きちんと焼けているか判断するのも難しいし……。君に負担をかけてしまったらと思うと、申し訳なくなってしまって」
「そ、そんなこと……!」
彼女は勢いよく首を横に振った。
「大丈夫です! 勉強の息抜きも兼ねているので!」
「そう? それなら、いいんだけど……」
「そ、それより、お詳しいですね。もしかして、プリンスさんも、お菓子作りを……?」
「え? ああまあ、多少はね。得意じゃないけど、経験ならあるよ」
そう、経験ならある。半年ほど前、姉貴に無理やり付き合わされた経験が。
やつは何度もかんしゃくを起こし、何度も放り出した。なんとか最終工程までたどり着けたのは、なべて俺のおかげである。それでも、姉貴からは感謝の言葉ひとつなかったが。
「そうなんですね。プリンスさんって、何でもできるんですね……」
昴の実態を見せてやりたい。そう思ったが、俺はあいまいに笑ってごまかした。
「あ、そうだ! あの、私……、山吹高校一年の、鈴木千和って言います。……あの、鈴木っていっぱいいるので……名前で呼んでいただけたら……」
恥ずかしそうにうつむく彼女の声はしりすぼみになっていったが、貪欲な俺の耳はしっかりと聞きとった。
「かわいい名前だね……、――え、でも、名前で呼んで、いいの?」
「は、はい」
「ええと……。千和、さん?」
おそるおそる呼びかけると、彼女ははにかんだように「はい」と返事をした。
(うわ……!)
むずがゆさと嬉しさで胸がいっぱいになる。
まさか、憧れの君と話をするどころか、名前呼びまでできるとは。昨日まで、思ってもみなかった。
幸せをじんわりと噛みしめていると、勢い込んだように千和さんが続けた。
「あの、それで――プリンスさん! 私、あなたのこと知らなくて……っ、お、お名前、教えていただけますかっ?」
「え? あ、ああ、もちろん! 俺は、山上ほく――じゃなくて、えっと、僕、自分の名前が嫌いでさ。山上って、苗字で呼んでもらえるかな?」
そう言うと、彼女はちょっとためらった後、「はい」と素直に頷いた。
(……ふう、危なかった。思わず本名を名乗るところだった……)
「昴」ならどちらでもいけそうだが、さすがに「北辰」は女子の名前として違和感がある。かといって、姉貴の名を騙って、いざ呼ばれたときに反応できなかったら困るし……。他人行儀に思われるかもしれないが、苗字で呼んでもらうのが一番安全だ。
(ん? 安全と言えば――)
「そういえば、さっきもちょっと思ったんだけどさ。君、塾に知り合いはいないのかな?」
「え?」
「毎回、一人で帰っているだろう? でも、あの駅を使うのは君だけじゃないはずだ。実際、今日も、君の前に数人があっちの方に歩いて行ったし。実は僕、夜の散歩が趣味なんだ。この辺も通り道だから、君を見かけたのは昨日が初めてじゃないんだよ。……他の子と帰ってくれたら、僕も安心なんだけど」




