■号泣
アラフォー間近の藍堂涙子は、恋人はおろか友達さえいない。
父は早逝し、母は寝たきりだった。
親子仲は良くなく、母と最後に会話したのは電話口だったが、一方的に捲し立てる母にうんざりしていた。
「あ、そう」と話しを流したきり、もう何ヶ月も電話すらしていない。
そんな母が他界した。感慨は何一つなかった。むしろホッとさえしたものだ。
最後を看取るという殊勝な行為もせず、職場で訃報を聞いたきりだった。
涙子は、感情を表に出すことがない。母の最後の言葉を聞いても、「あ、そう」と感情無く返した。
「鉄仮面」。学生の頃の渾名はまさに言い得て妙だと感心したこともあった。
笑いもせず、怒りもせず、悲しみもしない。
そのくせ、名は「涙子」。周囲からは常に浮き、孤独そのものであった。
家庭においても、食事なりの世話はしてくれたが、特に会話もなかった。
独り立ちした後は、仕事に打ち込んだが、秀でた才能があるわけでもなく、可もなく不可もない評価。
涙子は常に「その他大勢」であるように心がけていた。
希薄な関係。それが彼女の求める平穏。誰からも気にかけてもらうことのない静寂。
静かに、ただ静かに過ごす。それが唯一求めたものだった。
そんな涙子にも、"特別な存在"がいた。世間一般では「イマジナリーフレンド」と呼ばれるそれ。
「永遠」(とわ)。物心ついたときには永遠がいた。
呼べばすっと応えてくれるし、愚痴も聞いてくれた。勉強だって教えてくれた。
進路に悩んだ時、真剣に話を聞いてくれて、答えを導いてくれたのも永遠だった。
決して母や父、ましてや教師ではない。
永遠は頭がいい。なんでも知っててそれでいて優しい。
姉のようであり、本当の母のようであり、それが永遠だった。
永遠と二人で、母の葬儀を片付けたあと、相続の手続きをした。
母は住んでいたマンションとは別に、山奥に一軒家を所有していた。
資産価値のほとんどない家屋や土地ではあったが、何故か興味が湧いた。
「行ってみよう」
そう永遠に相談すると、永遠は賛成してくれた。
さっそく車を走らせ、件の一軒家に向かう。
一軒家は全然寂れておらず、つい最近まで人が居たかのように整っていた。
小さな門を抜け、扉の鍵をガチャッと開けると、廊下が広がる。
複数ある部屋は、畳もあればフローリングもあり、今日からでも住めそうだった。
風呂場はそれなりに広く、トイレはなんとウォシュレットだった。
人里離れたこの場所にしては、驚くほど近代的な設備だ。それが第一印象だった。
地下からヒューッと、生ぬるい風が抜ける。
「え?なんで?」
風の向こう、廊下の奥を見ると、地下に進むであろう階段が見えた。
「一軒家で地下?」
不思議に思った涙子だったが、好奇心が勝った。
それなりに深い位置まで続く階段を降りた先は、石畳の通路になっていた。
そのさらに奥。見るからに重そうな鉄扉。観音開きであろうその扉は、少しだけ開いている。
開いた扉から光が漏れ出ているのを見て、思わず扉の先に進む。
鉄扉は思ったよりも軽く、スーッと非力な涙子でも簡単に開けることができた。
進んだ先に広がるのは、倉庫とも書架とも取れるような、広いが煩雑とした空間だった。
通路と同じく石畳だったが、本棚には見たこともないような背表紙の本がある。
壁際には机が並ぶ。無造作に何かが置かれていた。
手に取ると、それはネックレスだった。
鈍く光るその鎖の先に付いた、まるで涙のしずくのような形のペンダントトップ。
涙子は化粧などしない。
ましてや装飾品などひとつも持っていなかった。
そんな涙子が、ネックレスをつけてみた。
その瞬間、なんだか軽い気持ちになった。
周りを見渡すと、多少古ぼけているが鏡がある。
ネックレスをした自分を見てみたい。そう思って、鏡を覗き込む。
キャー
思わず悲鳴を上げた。自分しかいないと思っていたのに、背後に人影がある。
反射的に振り返りそうになったが、体が動かない。
「叫ばなくてもいいじゃない。涙子。」
聞き慣れたその声に、張り詰めていた涙子の意識がふっと緩む。
それが永遠だったことに気付く。
いつも声だけだった永遠が、今は姿が見える。
光の集合体。一言で表現すれば、その形容になるだろう。
光る何かがひとつに集まって人の形を成している。
ゆらゆらと地に足はつかず、フラフラと漂っている。
「永遠、、、なの?」
そう呟くと、光の集合体は黙って頷く。
「はじめまして、涙子。そしてお誕生日おめでとう」
言葉の意味は理解できなかったが、涙子は泣いた。生まれて初めて、号泣していた。
永遠は居たのだ。イマジナリーフレンドなんかじゃない。そう、確信したのだった。




