【1分小説】隕石が来る前に
「うちらの中学校の上……あれ、見える?」
拓真の声は、かすかに震えていた。
峠の上から見下ろす夜空に、赤黒い巨塊が迫っていた。時刻は22時のはずなのに、空は昼のように白く光り、町の灯りすらかき消されている。
「春香……怖くないの?」
「うん、怖い……」
正直に答えると、自分の声がひどく小さく聞こえた。
「でも、一人で死ぬんじゃないんだ。みんな一緒なら……もう仕方ないって思える」
「仕方ない、か」
拓真はぽつりと言い、それきり二人は空を見上げて黙った。
地平線に燃え広がる炎。その上空を、金色の尾を引くロケットが飛び去っていく。億万長者だけが生き残るための船。全人類で座席を必死に争ったはずなのに、今見るそれは――ただ滑稽で、もがく人間の姿が、妙にみにくく思えた。
「……春香」
ふいに視線が合った。
「最後に……やりたいこと、ないの?」
「やりたいこと?」
「うん。後悔っていうか……心残りっていうか」
考えようとしても、言葉は浮かばない。
「んー……正直、もうやりたいことは全部やったかも。菜緒と夜更かしパーティーもできたし」
「そう、か」
彼は少し俯き、声を落とした。
「……なに? 拓真には、あるの?」
問いかけると、彼の視線がすっと重なった。
「……キス」
「はあ!? ば、バカじゃないの」
思わず声が裏返る。だが、その顔は本気だった。
「だ、だって……拓真、菜緒のこと好きなんでしょ!? みんな噂してたし、よく一緒にいたじゃん!」
「……違う。菜緒は相談に乗ってくれてただけだ」
「じゃあ……誰なの!? 好きな人って!」
「……春香だよ」
「……えっ……」
胸の奥が、焼けつくように熱くなる。頭上の隕石がさらに近づき、夜空を覆い尽くそうとしていた。
「春香……」
拓真がぎこちなく、腕を回す。その動作は不器用なのに、涙がこぼれるほど愛おしかった。
「好きだ。ずっと言えなかった。言う勇気がなくて」
「な、なんで今なのよ……!」
頬を伝う涙が熱くて、声も震える。
「私だって……拓真のこと、ずっと……」
視線が絡む。鼻先が触れそうなほどに近づき、どちらからともなく小さく笑った。
「私達……もっと早く言えたらよかったね」
「でも……奥手な僕らには、隕石でも来なきゃ無理だっただろ、って菜緒が笑っていた」
「……ほんとだね……」
次の瞬間、唇が触れた。
空が爆ぜ、世界が真白に溶けていく。音も匂いもすべて奪われていくなか、最後に残ったのは、彼の震える温もりだけだった。