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第一話 転生したけど、この世界の情報など私の頭には何も無いですわ


 結局。

 エミリエンヌは前世を思い出したショックなのか、あのまま気を失ってしまったらしい。

 気付いたら、ふかふかふんわりベッドの上だった。おまけに天蓋てんがい付きのベッドである。前世とのギャップが凄すぎて、金銭感覚が麻痺しそうだ。

 しかも、目覚めた途端に、「うおおおおおん、エミリー!」と父に思い切り号泣された。父をなだめながら、母も目を濡らし、そばで控えていた兄も泣かなくとも心の底からホッとした様な顔になっていた。相当心配をかけたらしい。



 まあ普通、十歳の少女の頭に分厚い凶器の塊が落ちてきたら、心配はするだろう。



 打ち所が悪ければ、一生寝たきりか最悪は死亡だ。

 しかし、あれだけの鈍器が直撃したのに、もはや頭に痛みは走らない。特に首に違和感も無い当たり、エミリエンヌの体はとても頑丈である。これも魔法の才能があるが故なのかもしれない。適当に理由を付けた。


「エミリー、どこか痛いところは無いか? あの辞書はこの父が、燃やしてちりも残さない様に消し飛ばしたからもう安心安全大丈夫だぞ!」

「その前に、母上が完膚かんぷなきまでにびりびりに破いて握り潰していたけどね」

「あら。それを言うなら、テオはその破いて握り潰した残骸を踏み潰して塵にしていたわよね」



 つまり、破いて握り潰して踏み潰して塵にしてから、跡形もなく燃やし尽くしたと。



 家族のエミリエンヌへの溺愛振りは生まれた時から変わらない。

 記憶を失う前のエミリエンヌも、家族が大好きだった。記憶を取り戻してからもその気持ちは変わらなったので、何ら問題は無い。


 そう。エミリエンヌは、クラルティ公爵家の長女としてこの十歳まで生まれ育った。


 父親はテオフィル。このシャノワーヌ王国の王国騎士団の団長を務める、誰もが仰ぎ崇めるほどの英傑である。

 母親はアリーヌ。以前は王国魔法団の団長を務めていたが、父と結婚したことで引退。今は時折臨時で講師を務める、やはり崇め奉られている才女である。

 そして、六歳違いの兄テオフィル。父と母の能力を引き継いで魔法剣士としての地位を固めつつある、これまた将来有望な次期公爵である。今はシャノワーヌ学園で学生生活を送っており、悠々自適に過ごしていた。



 エミリエンヌは母譲りの絹糸の様な金の髪に、父譲りの翡翠の瞳を持つ絶世の美少女である。



 自分で言うのもあれだが、前世の記憶を取り戻したからこそ、堂々と胸を張ろう。このエミリエンヌは、美少女である。

 そして、母の血を濃く継いだのか、魔法の才は兄よりも突出していた。将来は魔法団の団長を務められるぞー、と父はでれでれだ。

 ちなみに兄は、父譲りの赤茶色の髪と、母譲りの青いサファイアの様な磨き抜かれた瞳を持つ。家族揃えば、ばっちりと遺伝子を継いでいると分かるほどの美貌一家であった。

 これで実力まで最高なのだから、世の中不公平である。

 だが、その不公平の勝者側に君臨したのだから、エミリエンヌからは何も言うことはない。ありがとう神様と、感謝を捧げたくなった。


「お父様、お母様、お兄様。ご心配をおかけしましたわ。もう、どこも痛くありませんわ」

「エミリー。本当に? もう大丈夫なの? どこか調子が悪いのなら、もう一回塵も残らなかった本を消し去りに行くけれど」

「大丈夫ですわ。……それより、お母様のクッキーが食べたいです」

「もちろん! そう言うと思って用意しておいたわよ!」

「まあ! 流石ですわ、お母様!」

「はっはっは。アリーはどんなリクエストが来ても大丈夫な様に、マカロンケーキマフィンマドレーヌフィナンシェプリンパンケーキなどなどありとあらゆるものを作ごふううううっ!」

「まあ、旦那様ったら♪ 無粋ねえ♪」

「母上はエミリーが大好きだからね。もちろん僕も大好きだよ。明日は学校を休んでお前の傍にいるからね」

「まあ、お兄様ったら。……じゃあ、明日は一緒に本を読んでいただきたいです」

「もちろんだよ。我が愛しのお姫様」


 恭しく紳士に手の甲にキスをしてくる姿は、ひどく神々しい。この兄は、エミリエンヌと一緒で美少年である。眼福だ。


 そしてこの家族は、誰かが怪我をしたら、仕事も学業もほっぽり出してその者の傍にいるのがデフォルトだった。


 そのために、いくら周囲の者が「ちょっとー! 今日は陛下のお忍びの護衛を務める日だったでしょうが! あの破天荒な陛下の首根っこをつかめるのなんて団長しかいないんですから! 家に閉じこもってないで仕事しろー!」「今日は期末最後の試験日なんですよ! 赤点取って補修なんて取ったら、引きずり落そうとする輩をまた叩きのめして回る羽目になるんですから、テストくらいちゃんと受けて下さいよ!」などといった変な悲鳴が聞こえきても、お構いなしである。

 かくいうエミリエンヌも、家族の誰かが本気で体調を崩したならばそちらに付きっ切りになるので、同類だ。家族仲が良ければ、全て良し。


 仲が良い家族の下に転生出来たのは良いことだ。


 よく異世界転生と言えば、両親に虐げられる、使える能力なのに理解されないせいで追放される、周りに馬鹿にされる、殺されそうになるなどなど、ろくなスタートを切らないことも多い。

 特に悪役令嬢や聖女といった主人公になったら悲惨だ。友人から散々隣で聞かされてきた事例を聞いて、異世界転生だけはしたくないと思ったものである。



 しかし、転生してしまったのならば仕方がない。



 母お手製のクッキーを頬張りながら、エミリエンヌは即座に切り捨てる。

 公爵だし、家族仲は良いし、好きに生きようではないか。幸い、魔法の才能もあるし、例え没落してもこの家族の力なら、どんな煉獄でも魔境でも魔物だらけのジャングルでも生きていける。


 だから、まずは情報だ。情報が欲しい。


 最初に頭から捻り出した名前に、サミュエルというものがあった。

 この国の名前はシャノワーヌ。王太子は、サミュエルらしい。


 そう。サミュエル、という王太子の名前は本気で貴重だ。


 直前によみがえった前世の記憶には、サミュエルという名前が出てきた。ちょうど偶然にも都合が良いだけではなくこの上なくラッキーなことに、友人が話していた少女漫画に出てきた王太子の名前は、サミュエルだった。

 つまり、少女漫画の名前はこの国の王太子と同じ名前で、更には身分まで同じである。

 思い出した情報を会わせるならば、恐らくここは王太子大好き人間ゆうじんが話していた少女漫画の世界なのだろう。


 素晴らしい。情報面では、幸先の良いスタートだ。


 では、次。少女漫画の名前だ。

 エミリエンヌは思い出そうとした。

 思い出そうとして。思い出そうとして。思い出そうとして。



「…………………………………………」



 そういえば。少女漫画の名前、聞き流していたな。



 あまりに興味が無かったため、右から左へ流していた。

 その事実に気付いた時、エミリエンヌは思わず舌を出して誰にともなく誤魔化したくなった。 



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