表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/28

第3章 静かな封殺② 踏み込む勇気

今回もご覧いただきありがとうございます。


第3章②「踏み込む勇気」では、静かに続いていた“封殺”の空気の中で、

ついに主人公・結鶴が「司法書士としての矜持」で対抗策に出ます。


そして今回は、彼女だけでなく――

ある一人の若手技士が、“証言”という名の勇気を手に立ち上がります。


これは、見えない構造の圧力と戦う者たちの物語。

資格だけでなく、“踏み込む覚悟”を持った人間の物語です。

「教授、私は大学の研究者としても、企業経営者としても、正規の申請を出しています。

 倫理審査も通過済みですし、病院との契約も、当該機関での了承を得ています」

「それは分かってる。だが、桐生会という存在の圧力は……それだけで空気を変えてしまう」

 

 会話が終わるころには、教授は私に一つの封筒を差し出していた。

 中には、次年度の学術発表会への推薦見送り通知が入っていた。

 

 “静かな封殺”が始まった。

 それは大声で非難されるのではなく、機会を奪われることから始まる。

 場を失わせ、孤立させ、記録を無効化し、存在を曖昧にする。

 正義を正義として扱わせない、それが“構造の力”のやり方だった。

 

 その夜、陽斗がコンビニ袋を提げて研究棟にやってきた。

「……アイス買ってきた。“構造に封じられた者に捧ぐ”、ってやつ」

 私は、小さく笑った。

「アイスで正義が救えるなら、冷凍庫ごと持ってくるべきだったわね」

「じゃあ、今度はドライアイスで反撃だな」

 

 あの時の二人の笑いだけが、妙に温かかった。

 だが、私は知っている。

 本当に冷たいのは、笑われることではなく――

 “声を失うこと”だということを。


 研究棟のラボに戻ると、私はデスク奥の鍵付き引き出しから一冊のバインダーを取り出した。

 それは、YUNOの設立当初から収集していた――“契約書類とその周辺データ”の整理台帳だった。

 法人との契約内容。

 医療機器メーカーとの提携時の納入仕様書。

 保守業者との業務委託条件。

 すべて、抜け落ちているようで、ある一点を示していた。

 「責任の所在」が、誰にも定まらないように作られている。

 

 私はペンを取り、手元の司法書士業務用記録ノートに新たなページを開いた。

 見出しには、こう書いた。

 《医療機器の情報支配に関する優越的地位乱用の可能性について》

 ――これは、“法”の領域だった。

 臨床工学技士として現場に立っても、封じ込められた。

 だからこそ、私はもう一つの資格を使う。

 

 「優越的地位の乱用」とは、本来、独占禁止法に基づく不公正取引行為の一種である。

 つまり、力関係を背景に、

 取引相手に対して不利益な契約や選択を強制した場合、

 “民間であっても”、違法となり得る。

 

 医療法人の契約書を改めて読み解く。

 久我メディカルの納入条件には、以下の記述があった。

 > 「機器に接続する外部ソフトウェアは、当社承認済みの製品に限る」

 > 「院内での不具合報告に関して、当社の事前検閲を経て報告内容を調整する場合がある」

 この文言は、一般的な医療機器取扱契約としては“異例”だ。

 つまり、機器の挙動も、トラブルの表現も、“メーカーが書き換える権限を持つ”ということ。

 これが、もし“病院側が不当に従わされている”のであれば、

 法的には「情報支配による優越的支配の形成」とみなせる可能性がある。

 

 「もしこれを、公正取引委員会に提出できれば……」

 私は思わず口にした。

 しかし、その道は簡単ではない。

 証拠が必要だ。

 そして何より――“被害者”が名乗り出ることが前提となる。

 

 そのとき、スマートフォンが鳴った。

 表示されたのは、あのときICUで勇気を見せたCE――高峰梨沙だった。

 

 「結鶴さん、今……少し、話せますか?」

 その声の震えに、私は直感した。

 彼女は、何かを見た。

 そして今、“声を上げようとしている”。

 

 私はすぐに答えた。

 「もちろん。私も、ちょうど話したいことがあったところ」

 

 封殺の壁に、一つ、小さな風穴が開きかけていた。

 法と記録。

 それは静かだが、確実に構造を揺るがす“声”になり始めていた。


 高峰梨沙が指定してきた場所は、病院から少し離れた小さな図書館の閲覧室だった。

 誰にも聞かれず、それでも閉塞感のない場所を――彼女なりに考えたのだろう。

 私が到着すると、彼女はすでに席についていた。

 制服の上着を脱ぎ、白衣ではなく私服に着替えていたのは、“業務外”であるという明確な意思表示。

 

「……結鶴さん、私、記録を持ってます」

 彼女の切り出しは、思いのほかストレートだった。

「この前の呼吸器の件、久我メディカルの担当者が設定変更をした後に、

 それを“最初からそうなっていた”と報告書に記載しようとしていたのを見ました」

「ログか何か……?」

「いえ、紙です。報告書の下書き。

 “初期設定段階でエラーなし”と明記されていたけど、私、その場にいたんです。

 本当は一度PEEPが異常値になって、担当者が慌てて再起動してたの、見てます」

 

 私は息を呑んだ。

 記録は、“何が起きたか”を語る。

 しかし、“誰が何を見ていたか”を語れるのは、人だけだ。

 

「でも、証言したら……私は技士になってまだ3年目です。

 これを言ったら、配属替えになるかもしれないし、契約の更新も外されるかもしれない。

 でも、それでも……何も言わなかったら、また誰かが責任を取らされる」

 

 その目に浮かんだ涙は、悔しさだった。

 正義ではない。

 ただ、“自分の見たものを歪められる痛み”が、彼女の中にあった。

 

 「私の証言、使ってください。

 名前は出さなくていい。でも、事実として提出してください。

 ……お願いです、結鶴さん。あなたは、それができる人だから」

 

 私は頷いた。

 “声を持たない人の代わりに、言葉を持つ”。

 それが司法書士としての私のもう一つの仕事だった。

 

 私は梨沙から証言を聴取し、文面を整える。

 改ざんされた報告書のコピー。

 当日残されていたログの断片的なスクリーンショット。

 それらを整理し、法的に効力を持たせる文書として形にした。

 

 タイトルは――

 《臨床現場における情報操作と責任の分岐点に関する一報》

 副題に、こう添えた。

 “一人の臨床工学技士が見た記録されない真実”

 

 これは、私の言葉ではない。

 彼女の目で見た“現場”を、私が“法”の言葉で翻訳する。

 それが、異端の資格者として、私に託された“もう一つの責任”だった。


 梨沙の証言を元にまとめた文書は、内部監査室へ正式提出された。

 形式は「参考報告」扱い。だが、そこに記された詳細な時系列と操作手順、そして担当者名は――明確な“現場の証拠”だった。

 そして提出から二日後、私に一通のメールが届いた。

 > 件名:非公式面談に関するご案内

 > 差出人:桐生会 経営統括補佐室 室長補佐 鷹谷 航

 その名前を見た瞬間、私の背中に冷たいものが走った。

 

 鷹谷航――

 桐生会の中でも、法務・契約・渉外を裏で一手に握る男。

 組織内部では“理事長の影”と呼ばれ、特にメーカーとの提携交渉に強く関与してきた人物だ。

 そして、久我メディカルとの“つながり”を最も疑われている存在でもあった。

 

 メールにはこう書かれていた。

 > 「ご提出いただいた証言文書、興味深く拝見しました。

 > つきましては、いくつか確認させていただきたい点がございます。

 > あくまで非公式、友好的な確認として、お時間をいただけますと幸いです」

 ――友好的。

 その言葉ほど、敵意の予告に聞こえるものはない。

 

 私はその日の夕方、指定された会議室へと足を運んだ。

 薄暗い照明。最小限の椅子。

 まるで、私という“変数”を静かに囲い込むような空間だった。

 

 「桐生結鶴さん。ようこそ。お噂はかねがね」

 鷹谷は、笑っていた。


ここまでお読みいただきありがとうございました。


今回は、YUNOの技術に加えて、「言葉を法に変える」結鶴の司法書士としての力が、静かに効いてくる回でした。

特に、高峰梨沙の“声を上げる”決断は、物語全体にとって非常に大きな意味を持ちます。


力のない者が、事実を語る。

その言葉を、資格を持った者が“武器”にする。


そうした連携こそが、この物語の根幹でもあります。


そして、現れた新たな敵――“影の交渉人”鷹谷。

物語は、次の段階へと進みます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ