第2章 異端の資格者② 資格という武器
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第2章②「資格という武器」では、主人公・結鶴がついに“現場の声”を動かし、桐生会内部に変化の兆しが生まれます。
匿名の警告。交渉の場。水面下で交わされる非公式な対話。
そして、彼女の「武器」である“資格”が、少しずつ構造そのものを揺るがしていきます。
医療を変えるのは、大声ではなく、確かな言葉と事実──
ぜひ、その一歩を見届けてください。
だが、現場で戦っている技師や看護師たちにだけは、真実を伝えなければならない。
久我の静かな圧力。
家族の中で強まる孤立。
そして、味方であるはずの“医療”そのものが、私を試してくるような感覚。
それでも、私は退かない。
資格と技術だけが、私を守る“盾”であり、
真実を切り開く“刃”でもある。
──ならば私は、その刃を抜く。
その夜、私は覚悟を決めていた。
匿名資料を、法人内の技術部門、看護部門、医事課、さらには複数の臨床工学技士が在籍する現場部署へと送付した。
タイトルは――
「久我メディカル製モニタリング機器の継続使用と保守体制に関する技術的・法的リスク分析」
署名欄は空白のまま。けれど内容は精緻で、回避不能の真実に満ちていた。
YUNOが拾ったログ。
故障予兆が黙殺された履歴。
久我との契約書に記された不利な条項。
そして何より、それを見過ごせば「誰が、どのような責任を負うのか」まで明記されていた。
それはまるで、“静かな爆弾”だった。
翌日。波紋はすぐに広がった。
「昨日届いた資料、見た? あれ……内部の人間が書いたんじゃないかって噂だよ」
「技師の間でも騒ぎになってる。やっぱり、あのモニターの件、本当だったんだって」
「匿名ってことは、上に潰されるのを恐れたってことよね……」
「でも、誰かが言わなきゃ、ずっと現場は泣き寝入りだったんだよ」
その声のひとつひとつが、私の胸を叩いた。
恐れがなかったわけじゃない。でも、ようやく“言葉”が届いた実感があった。
そんな中、一通のメールが私の大学アドレスに届いた。
件名は――《桐生会医療機構 医療技術本部より 非公式連絡》
本文は、たった数行だった。
> 桐生結鶴様
> 匿名資料の件、既に理事長に届いているようです。
> 非公式ですが、“技術的に無視できない内容”として、再検討の動きが始まっています。
> 直接お会いしたい方がいます。差し支えなければ、近日中にお時間をいただけませんか。
私は手を止め、画面を見つめた。
届いた――確かに届いたのだ。
それは、ほんのわずかでも、“構造”を動かす最初の兆し。
陽斗にメールを見せると、彼は顔を上げて静かに言った。
「……なあ、結鶴。もしかしてさ、これって……戦いの入口じゃなくて、“革命の序章”なんじゃないか?」
その言葉に、私は胸の奥で小さく火が灯るのを感じた。
「うん……そうかもしれない。でも、“革命”って、始めた側には不幸な結末しかないって、歴史が教えてる」
「それでも、誰かがやらなきゃ、何も変わらない」
陽斗のその目は、まっすぐに私を見つめていた。
そうだ。
たとえ名前を出せなくても、
たとえ家族に背を向けられても、
それでもこの手の中には、資格がある。技術がある。意思がある。
私にはそれで十分だ。
そして私は、返信を書いた。
「お会いします」
次に動くのは、桐生会の中の“真に目を開いた者”たち。
私は、その先にある“対決”に向けて、今、まっすぐに歩みを始める。
約束の時間、私は桐生会の本部棟の裏手にある、控えめな来客応接室へと足を運んだ。
正面玄関からではなく、裏通路から入るよう指示されたその意味を、私は理解していた。
ここで交わされる話は、公式な記録に残らない“非公式な接触”なのだ。
先に到着していたのは、桐生会の医療技術本部副部長・阿久根俊彦という男だった。
50代半ば、白髪交じりの短髪に控えめなフレーム眼鏡。身なりは飾り気がなく、だが目には現場で培った確固たる視線が宿っていた。
「……やはり、君だったか」
第一声からして、それは“確認”だった。
「匿名のままにするつもりでした。ですが、呼び出された以上は隠しようがないでしょう」
私の言葉に、阿久根は短く笑った。
「資料を見て、ただの法学生が書ける内容じゃないとすぐに分かったよ。あの深度、現場を肌で知っている人間じゃなければ到底無理だ」
彼は椅子に深く腰を下ろすと、真顔になって私を見た。
「私の立場から見ても、久我メディカルとの提携は“危うい”と感じていた。ただし、ここまで明確なリスクと構造の説明を、経営陣に突きつけたのは、君が初めてだ」
「それでも、理事会は提携を強行しようとしている」
「ええ。実績、ブランド、見かけ上の合理性。上はそれに弱い。だが、現場が壊れるのはもう時間の問題だ」
阿久根の声には、静かな怒りが混じっていた。
現場の声が、経営に潰される――それを彼は何度も見てきたのだろう。
「だから、協力したい。だが私も組織人だ。表立っては動けない。ただ……“資料”をまとめてくれるなら、私はそれを“現場からの提言”として理事会に提出する」
「私の名前は?」
「伏せる。内容と実害だけで勝負する。――どうだ?」
それは、ぎりぎりのラインに立つ男の、誠意の申し出だった。
私は迷わなかった。
「やります。
ただし、“提言”は、具体的な契約書の条項と、それに基づく不履行の実例まで明記します」
「構わない。
ただし、反撃は来るぞ。久我は黙っていない。もしかすると、法人内部の誰かが彼らと繋がっている可能性もある」
「覚悟はしてます。……私にはもう、守るべき立場も、期待もないですから」
そのとき、阿久根の表情がわずかに緩んだ。
「いや……“本物の異端者”ってのは、組織の中に風穴を開ける存在だよ。
そしてその風穴が、時に光になる。……頑張れ、桐生結鶴」
私は立ち上がり、深く頭を下げた。
味方はまだ少ない。
だが今、確かに一人の“理解者”を得た。
そしてこの出会いが、やがて私の進む先に大きな“楔”を打ち込むことになるとは、まだ知らなかった。
理事会当日。
定例報告の議題の中に、一つだけ、異質な資料が混じっていた。
「現場からの提言:久我メディカル社製機器導入に伴うリスク評価」
それは、私が阿久根副部長の協力のもとでまとめ上げたものだった。
技術的な観点、契約構造の法的な矛盾点、そして最も重要な“現場からの視点”。それらを詰め込んだ十数ページのレポートは、黙殺できない重さを持っていた。
「この資料、どこから上がってきた?」
最初に苛立ちを見せたのは、法人の経営戦略室長・二瓶だった。
「現場としか記載がないな。責任者の署名もない」
「だから何だ? 書かれていることは技術的に無視できない内容だ」
阿久根が静かに口を挟む。口調は落ち着いていたが、声には明確な主張が込められていた。
資料の中核は、次のような指摘だった:
久我製の中央モニタリングシステムが、既存機器との通信規格を独自化しており、将来的な外部連携を著しく阻害する
(例:独自プロトコルによりYUNOのような新興IoTツールが接続不能となる)
保守契約上の“承諾条項”により、機器の管理権限が法人ではなくメーカー側に偏っている
(例:院内技術者が故障対応する際にも、メーカーの承諾が必要)
データロギング機能に制限があり、“誰が・いつ・どの操作をしたか”の履歴が不完全
(これは医療事故時に、原因究明を困難にする)
今回もお読みいただきありがとうございました。
医療機器、契約、現場との分断。
それらを見つめ直し、指摘し、言葉にする勇気は、まさに「資格者」の責任でもあると結鶴は信じています。
この回では、桐生会の内部に初めて“理解者”が現れました。
物語はまだ静かですが、確実に“変化”の火種が灯り始めています。
次回、いよいよ理事会の決断、そして次の波が押し寄せます。
どうか引き続き見守っていただければ幸いです!