第2章 異端の資格者①
ご覧いただきありがとうございます。
物語は第2章へ突入──今回は、主人公・結鶴がいよいよ《桐生会》という巨大な医療組織と“正面から”対峙します。
医療と法、技術と構造。
家族という名の権威に押し潰されるのではなく、“資格”という異端の力で切り開こうとする彼女の覚悟が描かれます。
緊張感と葛藤のぶつかり合い、ぜひ最後までお楽しみください。
桐生家の応接間は、まるで裁判所のようだった。
正面の革張りの椅子に座る祖父・桐生清澄の姿は、医療法人の長というより、審判者そのもの。
「……何か、言うことはあるか?」
それは、問いではなく通告だった。
私は真正面に座り、視線をそらさずに言った。
「私は、提携予定の久我メディカルの契約構造に問題があると判断し、内部監査部に報告資料を提出しました」
祖父の目が細くなる。
「それを“誰の立場”で行ったのかと聞いている」
「桐生結鶴の立場です。
医療機器に関する臨床工学技士としての知見と、司法書士としての契約法の理解をもって、正当な懸念を述べたまでです」
応接間の空気が冷え込むのを感じた。
祖父は、両肘を椅子に置いたまま、ゆっくりと呼吸を整えるように口を開いた。
「お前は“法”を学んだというが……医療の現場をどれほど知っている?」
「現場に足を運び、機器の不具合に対応し、保守ログを分析し、故障の予知データを提出しました。
机上の空論ではなく、技術と現場の融合による判断です」
「ではなぜ、医師にならなかった?」
唐突な問い。
だが、それはこの家で何度となく繰り返されてきた“審問”でもある。
私は答えた。
「誰もが医師でなければならないという思想こそが、構造的な限界を生んでいるからです。
医療は、医師だけで成り立つものではありません」
祖父の口元がわずかに引きつった。
だがそれは、怒りではなく、“理解できないものへの警戒”のように見えた。
「お前が、外部の技術企業と関わっているという話も聞いた」
「私が代表を務める医療IoTベンチャーが、いくつかの病院でシステム導入実験を進めています。桐生会とは無関係の、私個人の活動です」
「勝手なことを……」
「誰かの許可が要ることでしょうか?」
その瞬間、祖父の瞳の奥に、初めてわずかな“苛立ち”が滲んだ。
私にとって、それは確かな手応えだった。
「……結鶴。お前の動きが、法人の対外的な立場を脅かすようであれば、私は対応を取る。わかっているな?」
「はい。私も同様に、“不当な提携”によって法人の現場が損なわれるなら、然るべき手段を取ります」
そのやり取りは、もはや家族の会話ではなかった。
桐生会という巨大な医療組織を挟んだ、二つの異なる価値観の対立だった。
そして私は、引き下がらなかった。
医師でなくても、家族に歓迎されなくても、
この資格と、この技術と、この意志で、私はここに“存在”している。
応接間を出た瞬間、足元がふらつくほどの重圧が全身を包んだ。
だが、私は背を丸めることなく歩き出した。
階段を一段ずつ降りるたびに、足元にまとわりついていた“桐生家の空気”が少しずつ剥がれていくのを感じた。
玄関を出ると、庭先に姉の詩織が立っていた。真っ白なコートに身を包み、鋭い視線をこちらに向けている。
「……あんた、本気で父と祖父を敵に回す気?」
「敵に回してるのは、あの人たちのほうじゃない?」
私がそう返すと、詩織はかすかに鼻で笑った。
「まったく……“資格”一つで医療に関われると思ったら大間違いよ。現場を動かすのは知識じゃない。血筋と権限、そして“信用”よ」
「じゃあ、その“信用”とやらは、誰がどう築いてるの? 医師免許を盾にした強権的な運用? それで見過ごされたミスや、不正契約を、姉さんたちはどう責任取るつもり?」
詩織の目がわずかに揺れた。
だがすぐに、視線をそらし、低く呟いた。
「……やっぱり、あんたは“異端”なんだよ。桐生家にはいらない」
その言葉は、私の胸の奥を突き刺した。
けれど不思議と、痛みはなかった。
私はもう、その言葉に傷つく時期を過ぎていた。
代わりに、胸の内に燃え始めていたのは、冷静な闘志だった。
その夜、自室の端末にYUNOのモニタリングアラートが表示された。
データ収集中の病院で、人工呼吸器の異常な温度上昇――前回の故障予兆とほぼ同じパターンだ。
「また……繰り返された」
私はすぐにエラー分析に取りかかった。
ヒーターの作動時電流が明らかに異常値を示している。だが、それに対する点検記録は提出されていない。
このままでは、現場で事故が起きかねない。
そしてさらに――
YUNOのログには、“外部からのアクセス”の痕跡があった。
「……誰かが、YUNOのデータを見ている?」
アクセス元は伏せられていた。だがこれは間違いなく、“誰か”が私の動きを監視し始めた証拠だ。
静かだった水面が、徐々に波打ちはじめている。
誰かが不安を感じている証拠。
そしてそれは、私の言葉が届き始めている証でもある。
ならば――私はもう、立ち止まらない。
この資格と、私の声と、YUNOの技術で。
私は、医療という“閉じた城”の扉を、内側からこじ開けてみせる。
翌日、私はある“仕掛け”を打つために動いていた。
陽斗の協力のもと、YUNOのログシステムにアクセス履歴監視のコードを追加した。外部からの不審アクセスに対し、自動でログの一部を“擬似表示”するように設定する。
「要するに“釣り餌”だよ。アクセス元がどこで、誰が何に反応するのかを見極めるための」
陽斗が口元をゆがめる。
「不正に手を突っ込んだ者が、“偽情報”を本物と信じて動けば、そこに足跡が残る」
「そして私たちは、その足跡を辿る」
静かに頷き合う私たちの間に、言葉は少なかった。
この戦いは、理屈や正義だけでは勝てない。
“戦術”が必要だった。
その日の午後、私の元に一本の封筒が届いた。
差出人は伏せられていたが、中に入っていたのは──
久我メディカルからの内容証明郵便だった。
封筒を開けた瞬間、私は思わず手を止めた。
《当社の技術文書に酷似した資料を大学院の研究報告書として作成・配布された件について、著作権侵害および営業妨害に該当する可能性があるため、以下の行動を速やかに停止いただきたく……》
明らかな威圧。
しかも、YUNO内部で独自に設計したシステム図の一部が“類似”とされている。
「……こちらから仕掛けたのが、相当効いたみたいね」
私は怒りよりも、確信を深めていた。
彼らは“偶然の一致”ではなく、“敵意”としてこちらを認識した。
つまり、私たちのシステムが、久我にとって“実際に脅威になり始めている”という証拠だ。
夜。陽斗にその封筒を見せると、彼は一度だけため息をついたあと、目を細めた。
「動いたな……というか、これはもう開戦の合図だ」
「こっちもそろそろ、返礼するタイミングかもね」
「やるか?」
私は、小さく頷いた。
「やる。
向こうが“権利”を盾に来るなら、こちらは“事実”で迎え撃つ」
私は机の引き出しを開け、あるフォルダを取り出した。
そこには、過去にYUNOが取得した市立病院での機器異常記録、点検偽装の証拠ログ、旧型ソフトの欠陥仕様などが詰まっていた。
それらは、直接的に久我メディカルの不備を裏付ける“火種”だった。
それに加え、私は祖父からの“警告メッセージ”を見つめながら、一つの計画を練り始めていた。
──桐生会の内部会議に、資料を匿名で提出する。
理事会ではなく、“現場の医療従事者”にこそ、この事実を見てもらうべきだ。
この声を封じようとするなら、なおさら届かせる。
私の名前が、どれだけ軽んじられても構わない。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
第2章では、“異端の資格者”としての結鶴が、初めて家族と本格的に衝突します。
単なる理論や理想論ではなく、実際の現場データと法的構造を武器に、巨大組織に対抗しようとするその姿は、静かだけど確かな決意の表れです。
そして敵は一つではありません。企業、家族、業界構造──
この“戦い”がどこまで広がるのか。ぜひ見届けていただけたら嬉しいです。