第4章 契約の檻② 誤作動の真相
今回もご覧いただきありがとうございます。
第4章②「誤作動の真相」では、ついに“記録そのもの”が動き出します。
今回明らかになるのは――
異常がなかったことにされる“設計”、
契約により沈黙を強いられた現場、
そして、ついに動き出す“監査と検証”の兆し。
技士としての勘と、司法書士としての視点。
二つの資格を武器に、結鶴が“契約の檻”の真実へ踏み込んでいきます。
「結鶴さん、ありがとう。ログ上は“異常なし”になってるんだけど、実際の返血ポンプ圧が……波打ってる」
「モーター不具合か、圧センサか……でも久我のログには“平滑化フィルタ”がかかってる。
一定値以下の揺れを“除外”してる仕様になってるはず」
「それって……“揺れ自体がなかったこと”になってるってこと?」
「そう。
でも、YUNOのローカルセンサは、その“揺れ”を拾ってる」
私たちはYUNO端末のローカル記録を表示した。
そこには、0.2Hz前後で周期的にぶれる圧波が記録されていた。
わずかな異常。でもそれは、血流異常の初期兆候だった。
「本当に、こっちのセンサが正しかった……」
坂口がつぶやいた。
「ログに残らない“異常”がある限り、
記録とは、“何を測らなかったか”の集積でもあるのよ」
結鶴は、自分の手でフィルタ仕様のログ解析を行い、問題箇所をマークした。
「このパターン、次は動脈側の逆流センサにも影響が出る。予測グラフ作って、次回の点検計画に回しましょう」
「まるで予知だな……」
「違うわ、ただの“読み取り”よ。
技士は、未来を占うんじゃない。現実を“読み解く”仕事なの」
そして私は心の中で思った。
たとえこの場では報われなくても、
たとえ契約が現場を黙らせても、
この指先の感覚だけは、契約には封じられない。
透析室の件から二日後、私が提出したフィルタ仕様の補足解析レポートが、法人内で「参考資料」として共有された。
正式な検証には至っていないが、それでもYUNOの記録が――いや、
私という“非医師”のデータが、初めて“現場を助けた記録”として受け取られたのだった。
その日、臨床工学室の掲示板に一枚のプリントが貼られた。
《次週、法人機器点検においてCEによる独立ログ提供の試験運用を実施します。
対象:透析室モジュール。レポート責任者:桐生 結鶴(CE/司法書士)》
私は掲示を見た瞬間、思わず立ち尽くした。
「……名前、出したんだ……」
背後から、主任の沢村の声が聞こえた。
「今回の件で、あんたが出したログと読み、理事会で話題になったらしい。
“あのシステム、ちょっと本物かもな”って、上も言い始めてる」
「じゃあ、もう少ししたら採用も……?」
「どうだろうな。
でも少なくとも“誰も見てない”とは、もう言えなくなった」
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
封殺されていた記録が、
ついに“声”として耳を持たれ始めた瞬間だった。
だが――その夜。
自宅に戻った私のポストに、一通の封筒が入っていた。
差出人なし。印刷された宛名。中には一枚の紙。
《不必要な記録は、組織を疲弊させます。
あなたの役割を、誤解されないよう願います。》
差出人も署名もない。
けれど、これは明確な“警告”だった。
私は無言のまま、その紙を机に置いた。
文字通り、「見えない相手」からの静かな威嚇。
法務室? 経営戦略室? それとも久我メディカル?
わからない。ただ一つ言えるのは――
“名前が出た瞬間から、私はもう見られている”ということだ。
深夜、YUNOのログサーバにアクセスしていた陽斗が、端末越しに私を呼んだ。
「結鶴……法人内部から、またアクセスがあった。
アクセス時間は23時02分。プロキシ経由だけど、ホストが“k-strat”になってる」
「“k-strat”……Kuga Strategic、久我の本社戦略部門……?」
「かもな。しかも、やってたのは“ログ改竄の痕跡洗い”だ」
私は静かに目を閉じた。
もはや、正面から“仕掛けられている”。
それでも。
名前が出たことを、私は恐れない。
声が届く場所に立ったのなら、もう後ろには戻れない。
記録者として。証人として。
そして、“契約の檻”を破る者として。
私は、この構造の“底”まで行くと決めた。
久我メディカルの広報経由で、私は“ある人物”への取材申請を出していた。
名目は「業界研究の一環」。
だが、その真の目的はただ一つ。
小瀬 昭典――
十年前、桐生会の副理事長として契約を結び、現在は久我メディカル顧問。
その人物が、久我メディカル本社ビルの“応接サロン”に現れたとき、私は直感した。
──この男こそが、あの契約の“鍵を握る者”だ、と。
「……ご苦労さま。学生で資格もあるというのは、最近の若い方は凄いですね」
柔和な口調。だが、目は一切笑っていなかった。
「今日は“取材”ということでしたね? 私でよければ、なんなりと」
「ありがとうございます。では率直にお聞きします。
桐生会と久我メディカルの包括契約、あれを提案されたのは副理事長時代の小瀬さんですね?」
「ええ。現場の保守効率を上げ、重複投資を防ぐ目的で動きました」
「ですが、それによって現場のCEたちがログや運用に対して発言権を失い、
技術的判断すら企業側に握られる構造が生まれていること、ご存知でしたか?」
小瀬の笑みが、ほんのわずかに固くなった。
「……“技術的判断”というのは、現場の意見で左右できるほど簡単なものではありません。
企業には企業の責任がある。ゆえに、管理権限が必要なのです」
「責任の所在を口にするなら、なぜ契約は“現場の判断を排除するように”作られていたんですか?」
「排除ではなく、簡素化です。
統一されたフローがあることで、全体の安全性が向上する。
それが組織設計というものです」
その言葉に、私は静かに口を開いた。
「それは、“あなたが桐生会の中にいたとき”に設計されたものですよね。
そして今、その契約を結んだ相手企業にあなたは所属している」
「……何が言いたいのですか?」
「私は“司法書士”です。
この構造が“利益相反”に該当する可能性を、調査しています」
数秒の沈黙。
小瀬の目が、一瞬だけ鋭くなった。
「おやおや……ずいぶん踏み込んできましたね」
「踏み込まなければ、誰もこの“構造”には手を出さない。
現場の声も、患者の安全も、全部契約の下に黙らされる。
その檻を作ったあなたに、責任を問いに来たんです」
ついに、小瀬は笑みを消した。
「……あなたの行動は、時として“組織にとっての破壊行為”と見なされるかもしれませんよ」
「それでも、私は壊したい。
必要なものだけを、残せるように」
私は席を立ち、会釈をしてその場を去った。
後ろから返ってきた声は、低く静かだった。
「正義を掲げる者は、いつか“仲間の沈黙”に立ち尽くす。
それが、“構造側”にいた人間の忠告ですよ」
私は、振り向かずに応えた。
「でもその沈黙の向こうには、かならず“記録”が残ります。
あなたが作ったものより、ずっと正しい記録が」
数日後、私は内部監査部の面談室にいた。
手元には、小瀬との会話を再構成したレポート、旧契約のコピー、そして独自に収集した関連資料一式。
その表紙には、シンプルにこう記していた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
今回のキーワードは「記録は黙らない」。
医療機器に潜む“設計上の誤魔化し”、
記録を消すための“仕様”、
そして、目に見えない威圧を与えてくる“組織の影”。
それでも結鶴は、記録と共に立ち続けます。
彼女が“名を出した瞬間”から、物語は新たな局面に入りました。
次回、ついに「契約の設計者」との直接対決が訪れます。
ぜひ、次話もお楽しみに。




