第4章 契約の檻① 内部告発者
いつもご覧いただきありがとうございます。
第4章に突入しました。タイトルは「契約の檻」。
今回はその第1話、「内部告発者」です。
ここではついに、主人公・結鶴が“契約そのもの”に刃を向けます。
司法書士として、臨床工学技士として――
現場を縛る根本的な構造=「契約」に、正式な検証を求める決断を下します。
それは、過去と今をつなぐ線を引くこと。
そして“沈黙の構造”を断ち切る、覚悟の始まりです。
「この契約、おかしいわ……」
私は、法人法務室の一角、窓際の簡易閲覧ブースで声を漏らした。
目の前に広げられた、A4用紙で約30ページ。
久我メディカルと桐生会との10年前の包括契約書。
それは今回の機器導入の“ベース契約”として引き継がれていた。
「まずいのはここ。第19条」
> 「甲(桐生会)は、乙(久我メディカル)の提供する電子機器群において、
> 乙が提供する管理支援ソフトウェアを原則として使用し、他社製もしくは独自開発製品との併用を行わないものとする」
「……これ、“排他条項”じゃないか」
陽斗が背後から覗き込みながら、眉をしかめた。
「しかも“原則として”って書いてあるくせに、実態は完全固定じゃないか。
現場のCEが他社製ツール使おうとしたら、間違いなくこれで潰される」
「そしてその裏にあるのが、附属文書の“取扱手引書”……。
見て、こっちには“当該契約を根拠として、外部接続・改変行為は処分対象とする”って書かれてる」
つまり、こうだ。
・ 表向きは「自由」なように見せかけて、
・ 実際には“基幹契約”の1条で他社製品を排除し、
・ さらにその“内部規定”で、違反者を懲戒処分対象にできる構造を作っている。
「まるで、契約という名の檻ね」
私は呟いた。
こういった“排他的契約”は、医療に限らず、ITや建築、製造の業界でも時折見られる。
だが医療機関においては、これは単なる製品の囲い込みではない。
命に直結する現場を、企業が“契約”で縛っているということなのだ。
そしてもう一つ、重大な点があった。
「……この契約、10年前に署名したのは、うちの元副理事長。“小瀬 昭典”って名前」
「今は……たしか、久我メディカルの“顧問”に転職してるよな?」
私は息を飲んだ。
つまりこの契約は――
・ 内部の意思決定者が、
・ 在任中に不利な契約を通し、
・ 後にその“恩恵”を受けるポジションへ移動していた。
「利益供与の構造……これはもう、“利益相反”の典型例じゃない」
契約で法人を縛り、現場をコントロールし、後にその企業に迎えられる。
それは、構造そのものが生んだ、檻の設計者の名前だった。
私は静かにバインダーを閉じた。
「これを明らかにするには……、正式な“契約検証プロセス”を起動するしかない」
「でも、それって……」
「ええ。“内部告発”と同義になる。
だけど今はもう、それをやらなきゃ、YUNOだけじゃなく、
現場の全てのCEが“沈黙を強制される未来”になる」
この契約は、過去の亡霊じゃない。
今も、私たちの首に巻かれた鎖だった。
そして私は、切ると決めた。
翌日、私は法務室の一角に設けられた会議ブースにいた。
目の前には、法務顧問である室長代理・牧田真帆。
40代半ば、冷静で実務的。桐生会の法的防衛ラインを一手に支える存在だ。
「……契約検証、ですか」
「はい。十年前の久我メディカルとの包括契約に対し、
独占禁止法・優越的地位の乱用の観点からの検証を求めます」
牧田の視線がわずかに揺れた。
だが、それは予想していたようだった。
「桐生さん。あなたが臨床工学技士であること、司法書士の資格を持っていること、
そのどちらも存じています。
ですが――これは、“ただの契約書”ではありません」
「ええ。だからこそ、“検証の対象にすべき”なのです」
私は、あえて言葉を区切りながら、続けた。
「この契約は、医療機器導入と同時に情報管理・保守管理を一括して“外部依存”する形になっています。
つまり、病院はハードだけでなく、ソフト・運用・判断の根幹まで“企業に預けた”状態にある。
しかも、現場側には選択権がない。これでは、技士たちは“メーカーの手足”にされるだけです」
牧田は小さくため息をついた。
「……正論です。ただし、組織というのは、“正論”だけで動くとは限りません」
「ええ、分かっています。でもそれでも、“見て見ぬふり”を続ければ、
法人は将来、もっと大きな訴訟リスクを抱えることになります。
情報遮断、不当な排除、利益相反。どれも、法的には説明のつかない構造です」
沈黙。
そして、その向こうからぽつりと返ってきた言葉は――
「……あなた、本気で“契約”と戦うつもりなんですね」
「はい。
それが、私が司法書士としてこの組織にいる理由です」
その一言が、空気を変えた。
牧田は視線を外し、書類を手に取りながら言った。
「契約検証委員会に、この件を“暫定調査対象”として提起します。
ただし、同時に“組織防衛”の観点からも内部対抗意見が出るはず。
あなたは、その矢面に立つ覚悟が必要です」
「……望むところです。
今の私は、もう“沈黙する技士”ではありませんから」
牧田が、微かに口元を緩めた。
「――あなたのような存在を、組織が“脅威”と見るか、“必要”と見るか。
面白いところですね」
会議室を出たとき、私はすでに次の動きを決めていた。
・契約原本の精査
・契約締結時の関係者リストの再確認
・“小瀬 昭典”元副理事長の在任記録と、久我メディカル転職時期の突合
この戦いは、過去と今とをつなぐ“線”を描く作業になる。
線の先にあるのが、誰であれ。
私は、見つめて向き合う。
それが、“資格者”としての覚悟なのだから。
翌朝、私は法人記録保管室にいた。
契約締結当時の理事会議事録、稟議書、回覧資料──
そしてその中に、あった。
・平成二十五年 医療情報システム関連契約更新案 提案者:副理事長 小瀬昭典
・承認に際し、理事会出席者多数による無議論通過
・契約相手先:株式会社久我メディカル
・契約理由:「保守一括化による医療機器トラブルの抑制と業務効率の向上」
“無議論通過”という文字を、私は見逃さなかった。
「……議論されてないのに、現場に十年近く縛りをかけてたわけね」
そして、記録の末尾に添付されていたPDFの最後のページ。
「契約審査印:法務室 確認済 ――鷹谷航」
私は、その名にじっと視線を留めた。
現在の経営戦略室・室長補佐。
あの“静かな威圧”を持つ男が、十年前からこの構造の設計に関与していたという事実。
私は記録を撮り終えた後、YUNOの端末に通知が入った。
臨床工学室からの緊急メッセージ。
・人工透析室にて、回路圧異常が頻発
・既設機器ログでは原因不明
・久我メディカル側担当者、問題なしと報告済
・現場技士が「ログにない違和感」と報告
私は端末を閉じ、迷わず臨床工学室へ向かった。
──ここからは、“資格者”ではなく、“CE”として動く。
法が止まる場所で、現場の命を支えるのが技士の役割ならば、
私はそのどちらも手放さない。
人工透析室に入ると、担当のCE・坂口が待っていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
今回、結鶴は初めて“正式な手続き”で、法人に対し契約の構造そのものを問いかけました。
それは同時に、自らが“内部告発者”となる道を選ぶということ。
誰かの声が抑え込まれる構造。
機器とデータが支配される構造。
そのすべてが、「契約」という一枚の紙で形作られている現実に対し、
結鶴はついに“法”と“記録”の力で立ち向かい始めます。
次回、彼女は再び技士として、現場へ――。
どうか引き続きお楽しみください。




