第3章 静かな封殺③ 見えない敵
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第3章③「見えない敵」では、ついに主人公・桐生結鶴の資料が理事会に正式提出され、
彼女の“声”が構造の中心に届き始めます。
しかし、それは同時に――
彼女自身が“構造にとっての異物”と認識されていく過程でもあります。
静かなる抵抗は、ついに明確な対立へ。
法と記録、そして意志が“見えない敵”と交錯する、緊張の章です。
人を斬る時の刃物のように、研がれた完璧な笑みだった。
「結構な資料でした。あれは……大学院生の域を超えていますね」
「司法書士としての調査と整理能力の範囲内です。
それ以上でも、それ以下でもありません」
「そうでしょうか?」
鷹谷の目が細くなる。
「あなたの行動は、もはや“個人の問題”ではない。
現場、法人、そして我々の“提携先”にとって――不安定因子に映りかねない」
「それは、契約上の不正や改ざんを見逃すほうが、“安定”だと?」
「物事には“順番”があります。
現場に光を当てるのも、構造を変えるのも、正しい“手続き”を踏まえた者の仕事です」
「だったら、私はその手続きを踏んでいます。
内部記録、法的根拠、そして現場の声。
正面から、正当に、すべて整えた上で動いています」
鷹谷は微笑みを崩さなかった。
その表情の奥に、何かが沈んでいた。
「では、次の資料はぜひ――理事会に提出していただきましょう」
その言葉に、一瞬だけ、空気が止まった。
「どういう意味ですか?」
「あなたの資料は、もはや“現場の参考意見”ではありません。
理事会の一部から、“決定に影響を及ぼす文書”と見なされています」
「それは……私の言葉が、届き始めているということ?」
「あるいは、“あなた自身”が理事会の議題に上がる存在になった、ということです」
次の一手は、こちらではなく――あちらから来る。
組織が私を“内部情報提供者”として扱うか、“敵性存在”とみなすか。
その境目が、いま――揺れていた。
会議室を出るとき、私は静かに自分に言い聞かせた。
これでいい。
私は、見えない声を、形にして理事会へ押し出した。
その代償が何であれ、
もはや私は、“引き返せない場所”に立っていた。
理事会当日。
その議題表の一番下に、小さく、だが明確に記されていた。
> 「医療情報の管理権限と技術独立性に関する一資料:参考審議」
表向きは“参考”。だが、会議資料の冒頭に付けられた一文が、それを覆していた。
> 本資料は、法人関係者からの内部報告として取り扱う。
> 内容に基づき、技術部門との正式な検証が要請されている。
つまり、“誰か”が、正式にこの文書を「見過ごせない」と判断したのだ。
私は、深く息を吸い込みながら、会議室の席へと向かった。
「……あれが、桐生結鶴か」
「理事長の孫で、司法書士で、技士で……今度は何だ、“反逆者”か?」
理事席に並ぶ医師たちの一部は、声を潜めながら視線を交わしていた。
誰も大声で責めはしない。だが、それが逆に、“私を審査対象として見ている”という空気を強く漂わせていた。
開会後、報告事項といくつかの議案審議が終わり、資料番号12――
「参考:YUNO提言と保守契約再考の必要性」が読み上げられた。
進行役が淡々と読み上げる。
> 「現在、久我メディカル社と進行中の情報連携事業において、技術的・契約的にリスクが存在する可能性がある旨、
当法人関係者より文書報告がありました」
ここで、一人の理事が口火を切った。
桐生会で古株の技術担当理事、槙島俊道。
工学系のバックグラウンドを持ち、現場との橋渡しを長年務めてきた人物だ。
「……読ませてもらいました。
結論から言って、この資料の指摘は“論点が的確すぎる”くらいに整っている。
機器のログ仕様、契約上の情報偏重、臨床工学技士の現場不在――全てが今、我々の盲点になっていた」
室内が静まり返る。
初めて、誰かが私の資料に“肯定”を与えた。
だがすぐに、別の理事が声を上げる。
「一つ確認させていただきたい。
この“YUNO”と名乗るシステム、正式な医療機器ではないのですよね?
臨床工学技士が個人の裁量で現場に導入し、管理していた。
そのデータは、果たして公的評価に値するのか?」
出た。
“正確性”よりも、“形式”を問題にする典型的な反論。
私は静かに、立ち上がった。
「お答えします。
YUNOは医療機器ではありません。現場での補助的観測を目的とした、ログ監視システムです。
しかし、機器の挙動やログ改ざんの兆候を捉えた点で、今回の判断材料としての価値は明白です」
すると、別の理事が続けて尋ねた。
「それは、あなた個人の見解ですか? それとも、法人の一員としての発言ですか?」
私は、迷わず答えた。
「“資格者”としての発言です。
私は臨床工学技士として、機器の実態を知っています。
司法書士として、契約構造の歪みを理解しています。
そしてその二つをもって、法人の将来に対する“提言者”として、ここに立っています」
言葉を切ると、数秒の沈黙が流れた。
その沈黙を破ったのは、意外にも――理事長・桐生清澄だった。
「……参考意見として受理する。
技術本部、法務室、そして第三者機関による再検証を行え。
ただし、正式採否は次回理事会で判断する。以上」
私は、椅子にゆっくりと腰を戻した。
会議は続く。だが私にとって、それはもうどうでもよかった。
私の言葉が、“議題”になった。
それだけで――十分だった。
理事会が散会したあと、私はそっと席を立ち、ロビーへと向かった。
重く濃密な空気の中にいたはずなのに、今は風が吹き抜けるような静けさがあった。
資料が受理された。
理事会に“私の声”が正式に届いた。
けれど、それは戦いの終わりではない。
むしろ、ようやく正面から始まる“第一ラウンド”だった。
そのとき、スマートフォンが震えた。
画面に表示された名前を見て、私は思わず目を細めた。
《杉原 達人》――桐生会 法務室
「結鶴さん、確認しました。理事会の資料、とても的確でした」
「一つご報告を。久我メディカル側が、正式に“情報操作の可能性はない”と通達してきました」
「ですが、内部での報告書改ざんについて、すでに複数の証拠が浮上しています」
私は言った。
「彼らは、外には“問題ない”と出す。
でも、内部では黙って“整える”。
だからこそ、記録と証言の“形”が必要だった」
「まさに、あなたがそれを作った。
……桐生結鶴という人物を、私は正式に“法務室の相談窓口”として推挙しようと考えています。
法人内の契約に関する技術的照会――あなたにしかできない役割です」
私は言葉を失った。
封殺の渦中で声を上げた者が、いま、その内部で正式な“職責”を持つ側へと引き上げられようとしている。
あの日、資格を取った自分に、伝えたい。
あの日、見下ろされていた自分に、示したい。
けれどその夜、YUNOのシステムに奇妙な警告が上がった。
“外部ログイン試行(3件):不明な認証トークン”
しかも、そのうちの1件のIPは――
法人内、経営戦略室ルート。
誰かが動いている。
杉原が味方になりかけている今、それをよく思わない“何者か”が、反応している。
私は、YUNOのダッシュボードに静かに手を置いた。
背中には、陽斗が立っていた。彼は言った。
「結鶴。“目立つ”ってのは、こういうことなんだな」
「うん。でも、“意味がある目立ち方”なら、私は止めない」
「じゃあ、背中は預けろ。
……そろそろ、“技術屋”の本気も見せないとな」
私たちの目の前にあるのは、まだ小さな扉だ。
だが、その向こうには、もっと大きな構造が広がっている。
記録、法、証言、意思――
どれか一つじゃ足りない。
全部を持って、私は進む。
たとえ今後が、静かな封殺の“次段階”だとしても。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
この章では、結鶴がようやく“議題に上がる存在”となり、
一つの成果を手にしつつも、新たな敵意の兆しが現れ始めます。
味方が現れたことで動き出す“反対側”の存在。
理事会での論戦、理事長の判断、そして新たな職責の予感――
それらが複雑に絡み合いながら、物語は“次の段階”へと向かいます。
次章もどうぞご期待ください!




