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プロローグ 医師にならなかった私の選択

こんにちは、智有英土です。

この物語は、「医師にならなかった令嬢」が、技術と法律という“異端の武器”を手に、閉ざされた医療の世界に挑むお話です。


医学、工学、そして法──三つの視点が交差する少し変わった医療ドラマを目指しています。


現代が舞台ですが、サスペンスや企業・家族との対立も交えつつ、読み応えある構成にしていく予定です。


まずは、主人公・桐生結鶴の選択と歩みを描いたプロローグから。

どうぞよろしくお願いいたします!

──私は、医師にはならなかった。

 

 それは逃げでも、反抗でもない。

 ただ、“別の方法”で命を救いたかっただけ。

 

 私は、桐生結鶴きりゅう ゆづる

 医師でもない、けれど医療のど真ん中で生きる異端者だ。

 巨大医療法人《桐生会医療機構》の理事長を祖父に持ち、両親ともに医療従事者、そして兄と姉は揃って国立医学部に進んだ──そんな“生粋の医療家系”に生まれた。

 けれど私は、医師にならなかった。いや、正確には「ならなかった」のではなく、「なることが許されなかったほどには自由だった」と言うべきかもしれない。

 上のふたりが医師を目指すと決まった頃、私はまだ小学生だった。桐生家では、長男が外科、長女が内科を継ぐことが当然のように語られ、私は“そのどちらでもない誰か”として、比較的放任されて育った。勉強を強いられることもなければ、志望を制限されることもなかった。 

 だが、ひとつだけはっきりしていたことがある。

 それは、私が「機械」に異様なまでの関心を示す子どもだったということだ。

 

 きっかけは単純だった。祖父に連れられて参加した、とある医療機器メーカーの展示会。空調の効いた会場で、スーツを着た大人たちが、人工呼吸器や手術用ロボットの話をしていた。

「これが次世代型の心肺バイパス装置です。従来よりも軽量化され、ACT(活性化凝固時間)モニタをリアルタイムで自動制御します」

 当時、ACTなんて言葉もわからなかった。ただ、透明なチューブの中を流れる液体、無機質なボタンが点滅する姿、それを扱う大人たちの真剣な表情に、私はただ見入っていた。

 後日、その企業の営業担当が、桐生家に最新モデルのデモ機を持参した。家族は試供品の仕様や費用対効果を話していたが、私はただ、その機械の中身を知りたくて仕方がなかった。

 医師という存在よりも、私は機械が好きだった。

 人の命を支える“無言の技術”に心を奪われた。

 

 やがて進路を考える時期が来たとき、両親も祖父も、私に医学部を勧めることはなかった。

 兄と姉の将来はすでに医療法人の中に組み込まれており、私にまで同じ道を望む理由はなかったのだろう。

 それは「冷遇」ではなく、「干渉されない自由」だった。

 私はその自由を使って、高専(高等専門学校)の電気電子工学科へ進学した。5年一貫制で、周囲は半導体、通信、制御といった分野に夢中な同級生ばかりだったが、私は一貫して「医療機器」にしか興味がなかった。

 卒業研究では、生体信号のノイズ除去アルゴリズムをテーマに選び、人工呼吸器や除細動器のデータを独学で解析した。医学知識がない分、技術でどこまで近づけるかを必死で考えた。

 そして、運命的な出会いが訪れたのは、卒業を間近に控えたころだった。

 

「臨床工学技士って、知ってるか?」

 そう声をかけてきたのは、ある医療機器メーカーに勤めるOBの技術者だった。

 彼は現場で医師や看護師と共に働きながら、機器の管理・運用を担っているという。

「高専出てるなら、専攻科って道がある。1年だけで臨床工学技士の受験資格が取れる大学があるんだ」

 それは、まさに私が求めていた“現場と技術の橋渡し”になるための道だった。

 私は迷わず、その大学専攻科に進学し、21歳で国家資格『臨床工学技士』を取得した。


 臨床工学技士の国家資格を取得したその日、私は一つの感情に満たされていた。

 ──ようやく、自分の言葉で“医療”を語れるようになった。

 私のように医師免許を持たない者が、医療の現場でどれほど発言できるのか。高専時代からずっと不安だった。でも臨床工学技士としての資格があれば、呼吸器、人工心肺、透析、そしてペースメーカーに至るまで、命を支える“機器”の領域に正面から関われる。

 「医師」にならないという選択が、ようやくひとつの形になったように思えた。

 

 けれど、その感慨は長く続かなかった。

 私が資格を得た頃、ちょうど桐生会の一部の医療機関で、医療機器の不具合が複数件報告され始めていた。いずれも小規模なトラブルであり、患者の命に直結するような事故には至っていなかった。だが、原因のほとんどが「オペレーターミス」または「保守不備」とされ、内部処理された。

 私は思わず、その報告書を食い入るように読み込んだ。

 ミスなのか、設計ミスなのか、あるいは契約上の問題なのか──明確な責任構造が見えないまま、医療現場だけが過失の矢面に立たされるような空気がそこにはあった。

 「これ、誰かが損を押しつけられてるだけじゃない?」

 そう思った時、自分の中にある種の“火種”が灯ったのを感じた。

 技術だけでは守れない現場がある。そこには「法」が必要だ。

 

 私は臨床工学技士の資格を得た後、思い切って法科系大学への編入を決意した。

 理系から文系への転身という異例の選択に、家族はまたしても沈黙をもって応じた。兄は「もったいないな」と呟き、姉は「資格コレクターか何か?」と皮肉をこぼした。

 けれど私には、自分の中で一本の線が見えていた。

 医療機器の構造、運用、そして管理契約。現場で起きるトラブルの裏側には、必ず誰かが見て見ぬふりをした“仕組み”がある。

 それを見抜き、正し、未来へ繋げるには、法的な知識と手段が要る。

 

 法科大学では、契約法・民法・医事法などを重点的に学んだ。とくに興味を持ったのは「医療機関と業者間の契約構造」と「医療事故と過失責任の分岐点」だ。工学的に“故障”とされる事象も、法的には“過失”と判断されることがある。そのズレにこそ、私の立つべき場所があると感じた。

 大学在学中に司法書士試験の受験を目指して、私はすぐに勉強を開始した。

 民法の基本は既に学び終えていたし、実務でも「現場を知らない法」は意味がないという信念があったから、実務想定の演習にも迷いはなかった。

 そして、23歳の夏。

 私は司法書士試験に合格した。

 

 医療現場に立ち会う技士の資格。

 法的に契約を読み解く司法の資格。

 そして、いま──この二つを携えて、私は大学院へと進学する。

 研究テーマは、「医療機器に関する法的責任構造とIoT化の可能性」。

 医師でもない。技術者だけでもない。

 私という存在が、医療の“第三の入口”になると信じていた。


 大学院では、医療機器に関する契約と運用のデータを集めるために、私は多くの医療機関に出入りした。法学研究科の学生としてではなく、“臨床工学技士の視点を持った研究者”として。

 現場で見えてくるものは、教科書の中の理論とは異なる。

 電子カルテのシステムエラー、人工心肺装置の定期保守不備、リース契約のずさんな更新手続き──すべてが、現場の混乱と予算圧縮、そして“誰が責任を取るか”という空気の中で複雑に絡み合っていた。

 ある現場で、私は医師にこう言われたことがある。

「故障しても、結局、最後に責任を取るのはこっちだ。だけど、それが設計の問題なのか、契約の問題なのかを判断できる人間は、この病院にはいない」

 その言葉は、私の胸に強く残った。

 誰もが限界まで現場を守ろうとしている。それでも、構造的に“誰も守れない”ようになっているのだ。

 

 そうした現実の中で、私の研究と並行して始めたのが、医療IoTベンチャーの立ち上げだった。

 名前は《YUNO-Tech》。

 “Your Next Operation”──あなたの次の治療を、より安全にするために。

 大学の技術系起業支援プログラムを利用し、臨床工学系の仲間と共に立ち上げたこのベンチャーは、医療機器の稼働データをリアルタイムで分析し、不具合の兆候を予測・警告するシステムを開発していた。

 開発の初期段階では、何度も限界にぶつかった。

 ネットワーク経由でのリアルタイムデータ取得、センサーとの互換性、病院のセキュリティ要件、医療機器メーカーからの非協力的な姿勢。

 だが私は、一つずつ乗り越えた。

 臨床工学技士としての知識を基に、機器の構造を解析し、法学のバックボーンで契約交渉を乗り切る。さらには自らプロトタイプ(試作)を手がけ、ベンチャーとしての形を築いていった。

 表向きは、大学院生。

 だが裏では、YUNO-TechのCEOとして、既にいくつかの中小病院と試験導入契約を結んでいた。

 

 これは、“桐生会”とは無関係の私自身の事業だ。

 家族の名前を使うことは一度もなかった。

 むしろ、“桐生”という姓があるからこそ、私はそれを隠していた。

 もし家族に知られれば、どうなるかは目に見えている。

 ──また、余計なことをしていると笑われるだけだ。

 でも構わない。

 これは、誰に許されたわけでもない、私自身が選び、築いた道だから。


 それでも、ふとした瞬間に思い出すのは、家族の中で交わされた言葉の端々だった。

「結鶴はまあ……好きにすればいいさ。自由人なんだから」

「せっかくの機械の知識も、結局、患者の命を診られないなら意味ないでしょ?」

「法学部? 現場のこと、何も知らないで契約書ばっかり見てどうするの?」

 彼らは無意識に言っていたのだろう。

 でも、私にとってそれは、静かな拒絶と同義だった。

 私が選んだ道は、彼らの描く“医療”の枠に入らない。

 だけど私は、医療そのものを拒んだわけじゃない。

 むしろ、誰よりも深く、それに携わりたいと願っている。

 ただ──違う角度から見ているだけ。

 

 医療の世界は、患者と医師だけで成り立っているわけではない。

 その裏には、技術者がいて、契約があり、保守管理があり、ビジネスがある。

 そこにこそ“見過ごされたリスク”や“誰も守られない構造”が潜んでいる。

 私は、そこに光を当てたい。

 

 臨床工学技士として、医療機器の真価と限界を知り、

 司法書士として、制度と契約のひずみを見極め、

 そして起業家として、それらを統合する技術と仕組みを創る。

 それが、私の「医師にならなかった選択」の意味。

 

 ──そう、だから私は、

 医療現場で息をひそめている“機械の声”を拾う人間になる。

 その声に、法の力と技術の言葉で応える。

 それが、私・桐生結鶴という存在の在り方。

 そしてその先で、

 私がこの“家”の中で、何を成し、何を変え、何から解き放たれるのか──

 すべては、これから始まる物語の中で決まるのだ。

 

──ならば私は、その刃を抜く。

 

 次に切りつけるのは、家族か、組織か、それとも……この国の医療か。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!


プロローグでは、主人公・結鶴が「医師ではない道」で医療に立ち向かう、その決意と背景を描きました。


臨床工学技士、司法書士、そして起業家。

異端であるがゆえに見える“医療の歪み”に、どう立ち向かっていくのか──


次回からは、いよいよ物語が動き出します。

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