行ってらっしゃいませ、お姉さま
幼い頃は仲が良かったように思う。
何をしてもついて回る妹、ポルクセイナを一時は疎ましく思ったことがあるが、私がこっそりやっていた剣の稽古にまで付き合って来たときは笑ってしまった。持っていた木剣が滑り落ちて転んだときも、木剣を拾って埃を払ってやった。
そんなとき、妹ははにかんで笑うのだ。
『有難うございます、お姉さま』
――いつ頃からだろうか。身分や立場とやらで、私にも敬語を使うようになったのは。
そして今、私は人生最大のチャンスを得ようとしている。
「カストリ―ナ・フォン・ディオスクロー! 貴様との婚約を破棄する」
王宮の謁見の間で、私は一方的に処断された。
そう言えばいた気がした、侯爵家長女としての婚約者。確か王子だったはずだ。それぐらいどうでもいい相手だったが、いつか結婚しなければならない責務が私にはあったはずだった。
それがこれである。
――王子の側には、ポルクセイナがしな垂れかかっていた。
そこで私は事態を理解したが、同時に混乱もする。王子の言葉の続きなど聞いていなかった。
姉の男を寝取った割に、その目は乾いていた。
ポルクセイナはいつ頃からか私と反発するようになり、讒言で私を周囲から浮かせた。それも有難かったのだ。私は将来家を出ると言う野望をいつまでも抱き続けていたから。
唯一薬草が口に合わないから、白魔導士をパーティーに加える必要があるな。――そんな夢想を抱いていた。
そして最大の讒言をされたようだ。どうやら私は明日にでも単身で国を出なくてはならないらしい。それも丁度いい、と思っていた。こっそり貯めていた金で国を出たら武装しよう。これから強くなればいい――私は王子の「以上だ」という声を聞き届けてから、「拝命しました、殿下」と深いカーティシーをした。
両親には死ぬほど詰られそうになったが、それを避けつつ部屋にこもる。荷物の準備をしなければならない。キラキラのドレスやアクセサリーなどはもう無用だ。そもそも親や周りから着るよう押し付けられた品々だ。私はもっとシンプルなものがいい。
今着ている服は、侯爵家の令嬢としては親が憤死するほどの質素さだ。そもそも男装である。私は邪魔な髪の毛を、ナイフで一思いに切ると、それをゴミ箱に放った。
要らない。捨ててしまおう。
そして私は、夜陰に乗じて屋敷を出てしまおう――そう思いかけたところで、不意に庭に気付いた。
庭の温室。そこに灯りが点っていた。
「なぁ、誰だ? こんな時間に」
放っておくこともできずに扉を開く。この甘さが私の命取りと知りながら。
――そこにいたのは、妹。ポルクセイナだった。
「あ、お姉さま……」
「……ひょっとして薬草園の手入れをしていたのか」
「……えぇ」
「なんのために?」
問い詰めると、妹は答えに窮したようだ。
そして急いでどこかへ行くと、戻ってきて地面にしゃがみこむ。豪奢なドレスが汚れるのも厭わず。
そして薬草を摘むと、私の前に皿を突き出した。
「どうぞ」
「えぇ……毒とか入ってないよな」
「いいから!」
そう言われて渋々と手掴みで薬草を頬張る。
私は驚いた。
「すごいじゃないか、甘くなってる! 10年前に食べたときよりずっとだ!」
「頑張ったのですよ、これでも。お姉さまが旅先でも苦労なさらぬよう、品種改良したのです」
「――」
妹の言葉の意味がわからない。
だって、彼女は、私を疎んじていた。
妹は、讒言をして、周囲からの距離を離して――
――はじめからいなくなるとわかっていた人に、余計な重石をつけさせたくなかったから?
そうしていくと、妹の行動も繋がる。つまり、王子を寝取ったのも。私を最大限にこの国に縛った男すらも――
顎に手を添えて黙り込んだ私に、妹は小さな布袋を差し出した。
「この中に、甘い薬草の種が入っています。これを薬草屋に売ったり、自分で育てたりして活用してください。……私のどんくささでは、お姉さまについていくのは無理だから……」
妹は、――ポルクセイナは、顔を上げた。
化粧された顔が、涙でぐしゃぐしゃだった。ぼろぼろと泣いている。
「行ってらっしゃい、お姉ちゃん」
――私は、衝動的に妹を抱き締めていた。種が入った袋だけは落とさずに。
「一緒に行こう、ポルク」
久方ぶりに呼ぶ愛称。腕の中で戸惑う様子の妹に、私は言う。できるだけ優しく。
「私だってLv.1のまま旅立とうとしている。お前だってそのうち強くなれる。だから一緒に――」
「……もう無理なのです」
そう言ってポルクセイナはスカートを巻き上げた。
彼女の脚には、片足だけ鉄枷がされていた。――それが高度な魔法による探知機だと気付けたのは、勉強したから。
私は慄く。
「そんなもの、いつから……!」
「……お姉さまが、殿下に婚約破棄を告げられたその直後です。これで、私は逃げられないと……」
「今外して」
「駄目! 無理に触ると探知されます!」
「……っ」
「……私はいいのです。ここで内政に籠っている方が、私には性に合っています」
妹は泣き腫らした目で、再び言った。
「だから、行ってらっしゃい」
私は、ほろほろと涙を零しながら笑う妹を、再び強く抱き締めた。
――その日、国から追放されるはずだったカストリーナ・フォン・ディオスクローが前日の夜には船で国外脱出を図ったことが発覚。しかし元より追放令を出されていたので、追手を出されることはなかった。
妹のポルクセイナは、侯爵令嬢として王子の婚約者として励み、やがて結婚に至った。
彼女は生涯、国外に出ることは1度もなかったが――時折来る手紙を、とても嬉しそうに読んでいたという。
End.