第9話 日支夫、義賊に出会う
大根を干す間は暇でなく、今のうちにやることがある。
それはぬか床の捨て漬けだ。
捨て漬けとはその名の通り、いらない野菜をあえて漬ける作業だ。新しくぬか床を作る時、最初に行う作業でもある。
野菜くずに含まれる水分や栄養分によってぬか床の発酵を進み、ぬか漬け本来のおいしさや芳醇な香りが楽しめるようになる。
捨て漬けは二週間の間に三度ほど行う必要があり、ちょうど大根が乾燥する頃にはぬか床も完成するという算段だ。
現在この蔵には、タクアン専用の歴代の樽が十数個ある。しかしぬか床はちょっとした不注意ですぐに腐ったり、使えなくなることが多い。だからこの時期、毎年のタクアン作りに合わせて、新しくぬか床を増産しているのだ。
今年は諸見里と民子の樽の他に、日支夫と糀次も新しいぬか床を作ることになった。
まずは民子に教わりながら、ぬか床の調味料を配合していく。
米ぬかをベースに、塩や砂糖などを加える。このためだけに育てにくい米を作ったり、外国から材料を輸入しているというから国の取り組みには驚きだ。
従来タクアンは作り手によってレシピが違うが、ここでは初代勇者が使ったレシピを忠実に再現している。後は湿度や気温に合わせて微調整するらしい。(ここが漬物道を極める上で難しい作業である)
教わりながら配合するとはいえ、日支夫は砂糖と塩の見分けがつかない男だ。だから糀次が使い終えた調味料をすぐさま奪い、同じくらい量を計り、自分のボウルにぶち込んでいく。こうすれば民子に嫌味を言われないと日支夫は学んだのだ。まあ情けなくて、いい気持ちはしなかったが。
くず野菜を漬けると、あとは三日ほど放置。今漬けているぬか床の定期メンテナンス以外は、やることがなくなった。
だが遊ぶ暇などなく、新人の日支夫たちは、この世界について学ぶことになった。
先輩勇者である諸見里が教鞭を振るったのだが、これがビックリするほどつまらない。
正直「座学の漬物授業」なんて興味がないし、何を習っても頭に入って来なかった。それに説明下手も相まって、真面目に聞いているとイライラしてくる。
日支夫は片っ端から聞き流していたら、ある日バーンと襖が開いた。
「ヨオ、モロさん。元気か?」
入ってきたのは三十代の日本人だった。細身で異世界の服をさらりと着こなしている。雰囲気も相まって、飄々とした男に見えた。
(まさか俺たち以外に日本人がいるなんて!)
考えたこともなかったので、日支夫は目をひん剝いて驚いた。
「何しに来やがった!」
てっきり勇者仲間かと思いきや、諸見里は目を吊り上げた。
大根堀りで怪鳥に襲われた時よりもこんなに怒っていなかったのに。
諸見里をここまで不快にさせるとは、いったい何者だろうか。
「オイオイ。仮にも後輩勇者に向かって、その態度はないと思うぜ」
「ふん! 俺はお前のことを後輩だなんて認めてねえからな。この臆病者が」
「なんだと、クソジジイ!」
これを皮切りに、諸見里と男はギャイギャイと年甲斐もなく言い合いを始めた。いい大人が喧嘩するなんてみっともないと日支夫は呆れた。
「なんか、普段の日支夫さん諸見里さんみたいですね」
糀次がこっそり耳打ちした。
「どこがだよ! 俺をあんなおっさん達と一緒にすんな!」
しかしながら、諸見里が日支夫以外にあれほど口が悪いのも珍しい。
基本的に諸見里は人がいいというか男気があるというか、女性や年下には優しくしている。よほどの無礼者でない限り、声を荒らげることはないのだ。
だからよっぽど気に入らない相手なのだろうと日支夫は思った。
「イヨオ、新人さんたち。俺のことがわかるか?」
諸見里と会話できないと見切りをつけたらしく、男が二人に話しかけてきた。
「俺は君たちの前に召喚された先代勇者で、石ノ森銀河だ。人呼んで“一夜漬けの銀”。ヨロシクな」
「糀次です。よろしくお願いします」
糀次は銀河の正体に驚きつつも、嬉しそうに握手していた。
「なんで普通の人間に二つ名があるんだよ」
中二病っぽい設定が好きな日支夫だが、この時は呆れていた。(多分同族嫌悪なのだが、本人は気づいていない)
「で、その先代勇者が、いったい何のご用ですか?」
日支夫はとげとげしく言い放った。
日支夫の冷たい態度に、銀河は目を丸くした。
「お前、俺の素性とか全然興味ないの? 二つ名とか持っててカッコよくない?」
「どうでもいいわ。俺、漬物嫌いだし」
そう言うと、銀河は高らかに笑い出した。
「こりゃイイや! 勇者のくせに漬物に興味がないなんて、まったくとんだお笑い草だぜ! なあ、モロさん」
「それに関してはオイラも同感だ」
諸見里は重々しく頷いた。
「お前はどっちの味方なんだよ!」
日支夫が突っ込んだ。
「あの、銀河さんはなんで僕たちと一緒に行動してないんですか?」
糀次が尋ねると、諸見里の額に深いシワが刻まれた。
「こいつは逃げたんだよ」
「逃げたってのは聞き捨てならないな。俺はもっとスウコウな目的のために行動してるんだぜ」
「その成果が義賊かよ」
「義賊!」
突如大声を出す日支夫。その目はランランと輝いていた。
「ネズミ小僧みたいな感じか? めっちゃかっこいいじゃねえか!」
「なんだよお前、義賊に興味があるのか?」
「もっと詳しく聞かせてほしい」
「イイぜ。だったら俺らのアジトに来いよ!」
「いいのか?」
「モチロンだぜ!」
急に日支夫のテンションが高くなったので、銀河もノリノリだ。
「糀次も一緒に来いよ。どうせすぐにタクアンを作らされて、こっちに来てからロクに町を見てないんだろ?」
「俺、町って初めてだ! よろしくお願いします!」
日支夫が深々と頭を下げると、諸見里が声を張り上げた。
「馬鹿野郎! お前さん、反逆者に言ってるんだ!」
「イイじゃねえか。勇者だからって、この世界のために働く義務はないんだ。俺たちのジユーイシを尊重してナニが悪い!」
「うるせえ! 国をないがしろにして、義務もへったくれもあるもんかい!」
「だからあんたらはチマチマ国を守ってればいいってだけの話だろ。俺はこれからも愛する民を守るぜ」
「何も知らねえ若造が!」
銀河のヘラヘラ笑いを見て、諸見里の血管は今にもぶち切れそうだった。
「諸見里さん、僕からもお願いします。銀河さんに同行させてください」
糀次が一歩進み出た。
「糀次、お前さんまでこいつの言うことを聞くのか……」
諸見里はがっくりと肩を落とした。その肩を、糀次が軽く叩いた。
「違いますよ。僕はモロさんの言うことが正しいと思います。平和あってこその人権ですからね。だから僕は銀河さんが何を考えているのか、純粋に興味があるんです。それに町のことを僕たちは何も知りません。せっかくなので、この機会に学ばせてもらえませんか?」
「糀次……」
諸見里は涙目で、糀次の手を握った。
「安心してください。どんなことがあっても、僕は必ず帰ってきます。日支夫さんがどう動くかわからないけど、できれば引っ張って帰りますから。ね?」
「お前さん、そんなことまで考えていたのかい」
諸見里は感動して、鼻をすすっている。
「糀次、お前だけが頼りだ。よし、わかった。行ってこい!」
「はい、ありがとうございます!」
「いや、なんでそこで俺じゃなくて、年下の糀次に任されてるんだよ!」
日支夫がブツクサ言っていた。一連のことを見て、銀河は高らかに笑っていた。