第15話 日支夫、女神にタクアンを捧げる
今年の初物タクアンが完成した翌週。ついに女神へタクアンを捧げる奉納式典が開催された。
この日は女神の守護に感謝し、女神を褒め称える祭りが全国各地で開催される。
女神を祀る首都の神殿には全国から選りすぐりのエリート神官が集い、厳かな式典が催された。
といっても祭壇の上にタクアンをずらりと並べ、今年最も愛されたタクアンが天に召されるというだけなのだが。
よくわからないと思うが、日支夫もよくわかってない。
タクアン制作に携わる勇者は、式典に参加する義務がある。しかし具体的な儀式は神官が行うので、参加者は基本的にただ突っ立っているだけなのだ。
(なんで俺、今ここにいるんだろ?)
日支夫はステンドグラスに書かれた裸の天使の性別当てゲームをしながら、冗長な時間が過ぎ去るのを待っていた。
パイプオルガンがひときわ大きな音を出し、儀式はクライマックスに差し掛かる。
神官たちは仰々しい動きで、祭壇の上にタクアンを並べ始めた。皿にはタクアンが一本丸ごと乗り、制作者や製造年によって皿を分けられる。皿だらけになった祭壇は圧巻だ。
すべてタクアンが並ぶと、神官長が祝詞を唱える。長いセリフの後に鐘が鳴り、全員が頭を下げるのだが、日支夫はボンヤリしていてタイミングを逃した。
思いっきり正面を見ていたのだが、まばゆい光が祭壇から突如現れ、視界を白く奪った。
× × ×
気がついたら、日支夫は真っ白な空間にいた。祭壇どころか椅子も教会も消え、隣にいた糀次や諸見里も消えている。自分一人だけがこの空間に立っていた。
「勇者日支夫よ」
穏やかで優しい声がした。振り向くと、真っ白な服を着た女性が立っていた。目を細めて、静かに微笑んでいる。
只者ではないとわかったが、只事ではない日々が続いていた日支夫にとって、そこらへんの感覚は麻痺していた。
「あんた誰だ?」
「この世界で女神と呼ばれている存在です」
「じゃあアンタが俺をこの世界に放り込んだ元凶か!」
女神は一瞬黙った。取り乱すほどに感動されることはあっても、まさか嚙みつかれるとは思っていなかった。だから返答に困ったのだ。
「……そうとも言えますね」
「クソ、アンタのせいで、俺は毎日漬物臭い思いをしてるんだぞ! 元の世界に戻してくれ!」
厳かに微笑んでいた女神だが、驚いて目を見開いた。
「意外でした。第一話で『こんな世界クソくらえ』と言っていたので、てっきり元の世界に未練はないと思っていたのですが」
「俺もそう思ってたよ。でも美少女チーレムが作れないんなら、元の世界の方がエロ同人あるだけマシだわ」
「あなたはあれだけ慕われているのに、尚不満なのですね」
「ジジイとババアに好かれたって意味ないわ!」
「まあ、そんなことはどうでもいいのです」
「よくないわ!」
「あなたの作った漬物ですが……」
「さらっと話変えんな!」
「最低条件は満たしていますが、必要条件を満たしていません」
「は?」
「つまり効能は十分ですが、味がイマイチというですね」
「はあ!」
「効能は<漬けの才>故のもの。味については努力が必要です。精進なさい」
「おいおい、こっちが黙ってりゃ言いたい放題言いやがって! 強制してるクセに文句言うんじゃねーよ! そんなに嫌なら、ジジイどものタクアンでも食ってろ!」
「しばらくはそうなるでしょう。しかし次世代を担う漬物クリエイターとしてはイマイチです」
「なんだよ『漬物クリエイター』って。初めて聞いたわ」
「来年は期待していますよ」
なんだか女神が霞のように消え始めたので、日支夫は慌てて叫んだ。
「おい! なに『話は終わった』みたいな雰囲気出してるんだよ。こっちはお前さんに言いたいことが山ほどあるんだ」
女神は消えるのが止まり、元の鮮明な姿に戻った。
「……いいでしょう。せっかくの機会ですし、何でも申してみなさい」
「じゃあ言うけどさ。なんでこんなヘンテコな異世界転生になってんだよ。チート能力はないし、美少女が出てこないし。なんか糀次の方が勇者みたいじゃん。俺だけ不公平でしょ!」
「十分に人望もチート能力もあると思いますが」
「いや、だからね。さっきも言ったけど、ジジババに好かれても嬉しくないし、能力が地味すぎんだよ」
女神は理解できないとばかりに小首を傾げた。
少しして、ようやくハッと何かに気づいた。
「つまり恩恵が足りないということですね」
「まあ、そういうこと……かな?」
今度は日支夫が小首を傾げた。女神の理解はあながち間違っていないが、要求としてはポイントがズレた気がする。
だがまともな能力でカバーできたらいいだけだし、これから美女に恵まれるなら問題ないと思ったので、同意しておいた。
「よろしい。ではあなたに、さらなる祝福を与えましょう」
「お、気前いいじゃん。さっすが女神サマ!」
「ただしこれ以上の祝福を受けると、魂への負担が大きすぎて、人生に支障が出ます。最後の祝福だと思ってください」
「もちろんだぜ。俺だってそこまでがめつくないさ。ほどほどで満足するっての」
「ではあなたのこれからの漬物ライフが、より輝きますように」
女神が目を伏せると、世界が急に輝き出した。
× × ×
気がつくと、日支夫は元の神殿内に戻っていた。どうやら一瞬意識を失っていたらしい。
「何だよ、漬物ライフって……。輝いてどうする」
日支夫は白昼夢でも見たように、ボンヤリと思考を巡らせた。
すると神官たちのどよめきが耳に届いた。
「いったいどういうことだ!」
「奇跡が起きなすった!」
その慌てっぷりから、異常事態が起こっているのは明らかだ。
糀次や諸見里も祭壇に駆け付け、興奮気味に何かを話している。
少しして、糀次が日支夫の元に戻ってきた。
「日支夫さん、大変ですよ」
糀次が日支夫の肩を叩いた。
まだボンヤリ中の日支夫は、テンションも頭もついていかない。
「何かあったのか?」
「女神が日支夫さんの漬物を食べたんですよ」
「え、当然じゃね?」
タクアンはすべて女神が食べるものだと思っていたので、日支夫は何がそんなにすごいのか、理解できなかった。
「とにかくすごいことが起きたんですよ!」
「ふーん」
「ああもう! いいから来てください」
不甲斐ない日支夫に苛立ち、糀次が無理やり日支夫を立たせた。
祭壇に行くと、空の皿がズラリと並んでいた。どれも女神が完食したのだ。
その中で一皿だけタクアンが残っている。それが日支夫のタクアンだった。一本丸々のタクアンに、丸かじりした跡が残っている。
「うわ、アイツめっちゃ食べ方汚いな」
日支夫が素直な感想を漏らすと、神官たちが興奮して声を張り上げた。
「とんでもない! これまで女神様がタクアンをお残ししたことはありません。それにこのタクアンには、歯型が残っています。こんな明確に『女神が召し上がった』という証拠が残っているのは初めてです!」
「さすが<漬けの才>の勇者!」
神官たちは怖いぐらいに熱狂していた。これまでの厳粛さが嘘のように、みんな子供のようにはしゃいでいる。
諸見里や民子は飛び上がって喜んでいるし、糀次も近くの神官とハイタッチするなど、この場にいる誰もが嬉しそうだ。
「あなたは女神に愛されているのですね」
セドリックが日支夫に肩を組んできた。
まるで名誉とでも言うような口ぶりだが、日支夫には、女神がそんなにも尊いものとは到底思えなかった。
「いや、その割にはあいつ塩対応だったぞ」
「まるで会ったような口ぶりですね」
冗談だと思い、セドリックは笑っていた。
「いや、さっき出てきたじゃん」
「さっきとはいつですか?」
「最後の鐘が鳴った後、あいつが出てきたじゃん。俺、めっちゃ悪口言われたんだけど」
セドリックが急に真顔になった。
「まさか女神とお会いになったのですか?」
「だから、そうだって言ってんじゃん」
日支夫はてっきり、この式典で女神が目の前に召喚されるものだと思っていた。そしてみんなに選評とか言いながら、タクアンをつまんでいくのだと思っていた。
まあ実際は別空間でタクアンを食べていたようだが。
だがセドリックは日支夫の話を聞いて蒼ざめ、その場にへたり込んでしまった。
「何ということでしょう! まさか女神と会話しただなんて!」
その言葉に、一同がしんと静まり返る。
その静けさが気まずくて、日支夫はセドリックを立たせようと手を引っ張った。
「おいおい、何いってんだよ。別に普通のことだろ?」
「こんなことは前代未聞です! 初代勇者でさえも声を聞いただけで、御姿を拝見した人はこの地上に未だいないんですよ!」
「いや、でもさ、この前女神から神託を受けたって言ってたじゃん」
日支夫は糀次を見た。
糀次は化物でも見るような目で、日支夫を見ている。
「いえ。僕は神官長様から聞いただけで、直接話してません」
糀次が神官長を見る。
「私どもも、神託には道具を使っています。記録によれば、初代勇者以外は声を聞いた者もおりませんよ」
「へー」
「日支夫さん、女神とどんな会話をしたんですか?」
糀次が恐る恐る尋ねた。
「そういやなんか『さらなる恩恵をくれる』って言ってたな。何も変化を感じないけど」
「まさか! おい、御石をお持ちしろ!」
神官長が声を荒げた。
腰が抜けつつもセドリックは立ち上がり、よろよろと御石を持ってきた。
「日支夫様、どうぞお触りになってください」と神官長。
「これ前にもやったじゃん。なんで今さら?」
「我々を助けると思って、どうかお願いします」
「そういうなら、まあ」
日支夫が御石に触れると、尋常じゃないほどに御石が光った。
ステータス表示には一〇八万と書かれていた。
「一〇八万!」
一同がどよめき、中には感動のあまり倒れる者もいた。
「馬鹿かよ! 一万倍とか、発想が小学生じゃねーか!」
日支夫は笑った。でも同時に怒っていた。
ゼロが標準、百が最上位である中、万単位はさすがにおかしい。いくら女神の御業だとしてもやりすぎである。
そこで日支夫は気づいた。確か女神は「恩恵が足りない」という不満に対し「さらなる祝福を与える」と応えた。
まさかとは思うが、女神は「別の能力でカバー」ではなく、「足りないならもっと能力を伸ばそう」と考えたのではないだろうか。
それなら<漬けの才>が限界突破していてもおかしくない。むしろ女神から見れば、ごく自然な行為である。
この世界にとって、日支夫の能力は喜ばしい限りだろう。みんなが幸せになる。
だが一つ問題があった。日支夫本人が嫌がっていることだ。
「結局これじゃあ今までと同じじゃねーか!」
こうして何一つ解決しないまま、日支夫はさらに漬物臭い異世界ライフを続行することになったのだった。
<おしまい>