第13話 日支夫、魔王城出禁になる
日支夫が誘拐されてから数週間。ついに腐敗漬けの試作品第一弾が完成した。この恩恵を大々的に味わうため、魔王城では大規模な試食会が開催された。
大広間に切り分けた腐敗漬けを置き、各種族の代表や魔王軍幹部が試食する。捨て漬けで効能を理解していたが、正式な漬物は初めてだ。みんな強張った顔で、変色したタクアンを見つめていた。
「デハ、おいらガ先ニ食ベヨウ」
オーク種の頂点である、オーク長のゼネスが先陣を切った。力と身体だけでなく、胃腸の強さも魔王軍随一の猛者だ。多少の毒でも死なないため、毒見役には最適だ。
「臭イハ一流ダナ。デハ一口」
食べた瞬間、ゼネスが吐きながら倒れた。
断末魔を上げながら激しく痙攣し、すぐにピクリとも動かなくなった。
あまりにも凄惨な最期に、魔王軍随一の猛者たちが言葉を失った。
「日支夫殿、そなた毒を持ったな!」
魔王がバンとテーブルを叩き、立ち上がった。
「ち、違いますって!」
日支夫は本当に毒など盛っていない。 なぜゼネスが即死したのか、自分が知りたいくらいだ。
「我々の好意に仇なす蛮行、即刻処刑とする!」
「何かの間違いです! 第一、捨て漬けは成功しただろ。もう一度チャンスをくださいよ!」
「問答無用! 四天王の一人を毒殺しておいて、その弁明が通るものか!」
「こいつ四天王なのかよ!」
驚きのあまり、日支夫は素が出た。
まあ今さら取り繕っても意味がないほどに、魔族たちの日支夫への敵対感情が爆発していたのだが。
魔王が剣を抜いたので、日支夫は本気でやばいと思った。魔王の目はマジだ。このままでは本当に切り殺されてしまう!
日支夫は逃げた。
幸い、魔王軍は巨体や鎧が重い者ばかりで足が遅い。軽装の日支夫が本気でダッシュしたら、誰も追い付けなかった。
漬物が完成する間に魔王城をあちこち探索していたおかげで、城内の地図は頭に入っている。あとは城内の兵士たちが事態を察する前に脱出するのみだ。
不意をついたおかげで、日支夫はなんとか魔王城門まであと一歩のところまで無事に逃げおおせた。
だが寸前で魔王が現れた。
「なんで先回りできるんだよ!」
「我は飛べるからな」
「卑怯かよ!」
本当に悔しくて、日支夫は何度も地団駄を踏んだ。しかし日支夫が荒れ狂っても、状況が好転するわけもなく。相変わらず魔王は目に見えて怒り狂っているし、何か手を打たない限り、このまま斬り捨てられるだろう。
(なんかないか!)
日支夫は、ない知恵を絞りまくった。だがやっぱり何も案が出てこない。
(あ、ダメだわ)
そう覚悟した瞬間、魔王が止まった。城門のはるか向こうを眺めている。
日支夫は何がなんだかわからなかったが、少しして理解した。地響きが聞こえる。遠くからたくさんの兵と馬が駆ける音が、徐々に近づいてくる。
城門の向こうに、黒い軍勢が見えた時、日支夫は「なんとかなった!」とようやく安堵した。
「総員、戦闘配置!」
魔王が命じると、幹部や兵たちはすぐに戦闘準備に入った。魔王は日支夫に剣を向けたままだが、視線ははるか向こうに向けられている。
魔王としても、おいそれと放置できない事態が起きたようだった。
少しして、軍勢の動きが止まった。魔王軍も兵を待機させ、両者のにらみ合いが続く。
そんな中、軍勢から一人、こちらへ馬を走らせる者がいた。王国軍から派遣された使者だ。真っ先に切り殺される危うい役目であるため、よほどの猛者が担うことが多い。
(魔族相手に単騎特攻とか、すごい勇気だな。マジモンの勇者じゃん)
感心する日支夫。だがその姿を見た瞬間、吹き出してしまった。
その勇者は、糀次だったのだ。煌めく白銀の鎧をまとい、純白の馬で駆ける様は、伝説に描かれる勇者像そのままであった。
「僕は人間側の使者です! 魔王様に書状をお持ちしました!」
城門前で、糀次が跪いた。兵士の一人が近づき、書状を受け取ると、魔王の元へ持ってきた。
魔王は一瞥した後、糀次を目の前に呼び寄せた。
「そなたも勇者か」
「はい。初めまして、魔王様。室糀次と申します」
「ふん、こちらのボンクラよりはまともそうだな」
チラリを日支夫を見た後、魔王は大袈裟にため息をついた。
「戦う意志がないとあるが、本当か?」
「はい。我々の願いは、囚われた同胞を解放していただくこと。身柄を受け取れば、すぐさま撤退いたします。決して戦う意志はありません」
「賢明だな。あの軍勢では、五分と持つまい」
「大魔力砲を三十基用意しておりますが、同じことが言えますか?」
「チッ」
魔王は舌打ちした。確かに歩兵のぶつかり合いでは、人間側が一方的に蹂躙されて終わる。しかし軍隊後方に控える大魔力砲を一斉放火すれば、居城の一画を崩すことは容易だ。魔王側の被害は決して軽くない。
「魔王様、どうか御英断を。繰り返しますが、我々に戦う意志はございません。どうか勇者日支夫をお返しいただけませんか」
恭しく頭を下げる糀次を見て、魔王は投げやりに書状を放り投げた。
「やめだやめだ。こんな無能のために、これ以上の無駄は出したくない。さっさと連れ帰れ」
「え、よろしいのですか?」
あまりにもあっさりと解決したので、糀次は驚きのあまり確認してしまった。
「こんな無能、顔も見たくないわ。次我の前に顔を出したら、即座に斬り捨てるからな。覚悟しておけよ」
魔王はさっさと背を向けて、城内に戻ってしまった。
「いいか、本当に二度とその汚い顔を見せるなよ!」
去りがてら、魔王は振り返ってもう一度忠告した。よほど日支夫に会うのが嫌なのだろう。
それからの魔王はサッサと城内に戻った。幹部たちもぞろぞろと戻っていく。
ミアは遠くから侮蔑の視線を投げかけるだけで、別れの挨拶は皆無だった。
その場には呆ける糀次と、恥で真っ赤になった日支夫だけが残された。
「日支夫さん、無事ですか?」
二人きりになってから、ようやく糀次が日支夫に声をかけた。日支夫は無事だったが、返す言葉が見つからなかった。
「とにかくみんなの所へ戻りましょう。さ、馬に乗ってください」
糀次はやすやすと馬に乗るが、素人の日支夫は馬にまたがるだけで精一杯。なんとかよじ登ると、糀次の背中に抱きついた。
「お前、馬に乗り慣れてるんだな」
助けてもらった日支夫の第一声は、コレだった。相変わらず自分でも情けないと思ったが、糀次はケラケラと笑っていた。
「子どもの頃、どうしても馬で草原を走ってみたくて、父に泣きついたんです。まさかこんな形で役立つとは思ってませんでしたけど」
「なんか格好も勇者みたいでムカつく」
日支夫は自分でもマズイと思ったが、ドス黒い気持ちが次々と溢れてきて、どうにも止められなかった。
「ヤバいですよね、この格好。でもこれは全部、女神から命じられたことなんです」
「女神?」
「はい。日支夫さんが誘拐された後、国中もう大パニックで。だから神官長が女神に神託を受けに行ったんですよ。そうしたら『勇者は自ら進んで平和の使者となるべし』との返答があって、僕が選ばれたんです。この鎧や剣も、全部王家の財宝らしいですよ。まさか異世界で本格的な勇者のコスプレができるなんて驚きました!」
「なんでお前だけいっつも正統な勇者道を歩んでるんだよ! 俺は<漬けの才>一〇八なのに、なんでいっつもオマケ扱いなんだ!」
「そんなの僕にもわかりませんよ。女神に聞いたらいいんじゃないですか?」
「そんな簡単に女神の声が聞こえるか!」
「いや、日支夫さんなら聞けるかもしれませんよ」
「どうやってだよ?」
「奉納の式典ですよ。初代勇者があまりにも素晴らしい漬物を作ったから、女神から直々に声をいただいたって言い伝えられているらしいですよ」
「!」
ヘンテコな異世界転移とか、女神には言いたいことが散々ある。こうなったら思う存分文句を言ってやろう。そのためにも、特別美味い漬物を作るしかない。
日支夫はするべき目標ができ、俄然やる気が出てきた。