第10話 日支夫、街で実情を知る
その日の午後の授業はなくなり、日支夫と糀次は町へ繰り出した。
姫が一緒に行くとごねたが、糀次がやんわり断って、男三人で出かけることになった。
てっきり護衛でも付けられるかと思ったが、城下町は結界が張られていて平和らしい。それに銀河の顔を見た途端、誰もが快く送り出してくれた。
「つーか義賊なのに、城の中に入って大丈夫なのかよ?」
「俺は役目を放棄しただけで、別に敵対行為してるわけじゃないからな」
「じゃあなんで義賊なんて名乗ってるんだよ?」
「あ、知りたい? 気になる?」
「うわー、すごいですね!」
話が核心へ向かう前に、糀次が黄色い悲鳴を上げた。
王宮の正門から一歩外に出ると、そこはもう中世ヨーロッパ風の異世界。日支夫たちが暮らす純和風な暮らしとは別世界が広がっていた。
正門から真っ直ぐに大通りが伸び、そこから四方八方に道路が広がっていく。まるでアリの巣のように街が発展し、露天商や出店が賑わっている。
日支夫は大根堀りに出かける時に一度見たが、大通りを馬車で通っただけでも「活気がある街だ」とは思っていた。だが実際に歩いてみて、改めて華やかな街だと驚愕した。
ちなみに糀次が街を見るのは初めてで、日支夫の感動っぷりとは桁違い。まるでテーマパークにきた子供みたいにはしゃいでいた。
「まずはお前たちに見せたいもんがある」
そう言って、銀河はとびっきりいい笑顔を見せた。
「なんだなんだ?」
同郷出身の銀河が言うのだ、さぞスゴイものだろう。日支夫も糀次もすぐに食いついた。
「それは着いてからのオタノシミさ!」
「うおー! 楽しみ!」
銀河があまりにいい笑顔をするので、二人の期待は高まる。
だから到着した時、二人は心底がっかりした。そこは郊外にある、ボロイ病院だったからだ。
到着するなり銀河は、我が物顔でズカズカと入っていく。病院とは無関係そうなので、日支夫と糀次は身を小さくしながら後を追った。
院内で人に会うたび、二人は異質な光景を見た。銀河の姿を見るだけで、患者や看護婦たちが手を合わせてくるのだ。中には感涙して「銀河様」と跪く人もいる。まるで神の降臨だ。糀次は純粋に驚いていたが、日支夫はドン引きした。
「おい、なんでこんなところに来たんだよ!」
病人がいる手前、大声は出せない。日支夫は小声で銀河に抗議した。
「だから言ったろ。見せたいものがあるって」
そう言って銀次は、とある部屋に入った。
そこは重症患者の処置室だった。埃っぽい部屋には汚い布団が隙間なく敷かれ、見るも無惨な患者が横たわっていた。処置といっても、包帯を取り替えるなどの気休め程度。打つ手なしの患者たちを収容する放置場所に近かった。
「おい、マジで何する気だよ!」
興味本位で部外者が立ち入っていい雰囲気ではないし、患者の悲痛な呻き声は聞くに堪えない。遊びに来るにしても趣味が悪いと日支夫は思った。
それなのに、銀河を見るなり、医師が涙ながらに駆け寄ってきた。
「ああ、銀河さん! お待ちしておりました」
「今日はこれだけなんだ。悪いな」
銀河はポケットから瓶を取り出した。中には小さく切った大根の漬物が、ぎっしりと詰まっている。
「とんでもないです。本当にいつもありがとうございます」
医師は瓶を受け取ると、急いで病人たちに食べさせた。一人一切れを、丁寧に口の中に押し込んでいく。
「おい、具合悪い時にそんなもん食べさせていいのかよ?」
逆に気持ち悪くなりそうだと日支夫は思った。
「でもみんな嬉しそうですよ」
糀次の言うとおりで、患者たちは喜んで漬物を食べた。漬物を飲み込むとすぐに、患者の体がパーッと光った。そして少しだけ余裕がある表情を見せた。
「銀河さん、今日もよく効きました」
「おかげ様で、だいぶよくなったんです」
「かなり楽になりました」
患者たちは口々にお礼を告げた。
「ああそうか、ヨかったな」
銀河は嬉しそうに笑っていた。
結構な量があると思ったが、希望者全員に食べさせたら瓶はすぐに空っぽになった。
軽症の患者たちは残念がり、看護師の一人は「最近胃の調子が良くないから」と、瓶の中の残り汁を飲みたいと懇願した。みんな切羽つまってて、日支夫はドン引きした。
「漬物が回復薬って話、本当だったんですね」
一連のことを見ていた糀次がしみじみと呟いた。
「そういえばそんな話あったな」
日支夫はすっかり忘れていた。
「そうさ。タクアンほどじゃねえが、一夜漬けだって効果があるんだぜ」
「同じ大根の漬物なのに、そんなに違うもんか?」
「トーゼンだろ! 漬けた期間が長いほど、漬物は効果が上がるんだぜ。神殿に納めるタクアンなんて、一切れで家が建つほどさ」
「馬鹿かよ、この国! 物価狂ってんじゃねえのか?」
「物価狂ってるってのは、あながち間違ってねえかもな。コレだって、街に持っていけば、一か月分の給料くらいは余裕でもらえるぜ」
日支夫はヒエーっと情けない叫びを、糀次はへえーっと感嘆の声を、同時にあげた。
「まあ、そんぐらい漬物は、この国じゃキチョーヒンってわけさ」
「マジで理解できんわ」
「お前がバカにする漬物だが、この世界では何よりも貴重なクスリなんだよ。万人にとって必要なのは変わらない。だから王族や貴族だけが独占してイイものじゃないって俺は思うんだよ」
「まあ、その考えは至極真っ当だけどな」
日支夫は頷いた。
「でも勇者が作る漬物は全部、神殿と王宮内で消費される。一般市民の手には、ひとカケラだって届かないんだ。俺はそんなの間違ってると思う。だから独立して、民衆のための漬物作りを始めたってわけさ。王侯貴族から漬物を奪ったってことで、快く思ってない貴族連中たちが“義賊”なんて呼んでるわけさ」
「かっこいいですね! その心意気は素晴らしいと思います」
糀次が褒めたので、銀河は照れくさそうに笑った。
「アリガトな。でも俺一人じゃ、とてもじゃないが手が足りない。必要としている人がもっともっといるんだ。だからお前たちに俺の仲間になってほしくて今日は来たんだよ。この国だけじゃなく、世界中の困っているすべての人に、漬物を届けたいと思わないか?」
なんて馬鹿なことを思っているんだろう。日支夫はそう思った。
銀河の言うことは最もだし、尊いことだと思う。が、所詮は漬物だ。日支夫はどうしてもたかだ漬物のために、そこまで熱を入れることができなかった。
だが反対に、糀次は感動して涙ぐんでいる。
「銀河さん、あなたは本当に素晴らしいです。僕もぜひ力になりたいと思います」
「そうか、じゃあ……」
「でも僕は工房を抜けることはできません。やっぱり女神様への供物を作る役目も重要だと思うからです」
「マア、そうなるよな」
銀河は悲しそうに頭を掻いた。
「でもそれ以外の時間なら、僕はあなたの力になりたい。諸見里さんがわかってくれるかわかりませんが、必ず僕が説得します。だからみんなで、困っている人に漬物を配りましょう。僕たちの手で、今の漬物格差をなくすんです」
「糀次……俺はそのコトバを待っていたよ!」
銀河も涙ぐみ、糀次と固く握手した。そして勢いづいてハグまでした。
それを見て、周りの民衆たちも涙ぐんで拍手をした。場は大きな感動に包まれていた。
日支夫だけが蚊帳の外で、ひどい疎外感を受けた。
糀次が快諾したおかげで、銀河の目的は果たされた。だから二人は早々に城に帰ることになった。
本当はもっと街を見たかったが、病院への移動でかなり時間をロスした。すでに西の空はオレンジ色で、そろそろ夜も近い。お詫びに銀河が後日街を案内すると約束して、日支夫は納得した。
「送って行こうか? 道はわかるか?」
「あの城に向かってまっすぐ歩けばいいだけだろ?」
「マア、そうだけど、本当に大丈夫か?」
「安心してください。僕、道を覚えてるので」
「糀次は本当に優秀だな!」
銀河が諸見里みたいに糀次を褒めるので、日支夫はぶすくれていた。
「では銀河さん、また」
病院のみんなと別れを惜しみ、二人は建物から少し離れた。
すると突如、頭上に黒い影が現れた。そして日支夫の両肩をガッと掴むと、その影は空に舞い上がってしまった。
「魔王軍だ!」
人々の悲鳴に混ざって、そんな叫びが聞こえた。見ると、日支夫を掴んでいるのは、先日大根畑で襲ってきた怪鳥だった。
「日支夫さん!」
糀次の呼ぶ声がする。しかし日支夫には、どうすることもできない。鋭い爪が食い込みそうで下手に暴れることもできず、日支夫はなすがまま運ばれていった。