第1話 日支夫、異世界で漬物作りを命じられる
工場の遅番勤務を終えた佐藤日支夫は、夜の住宅街をトボトボと歩いていた。その足取りは重く、全身から負のオーラが出ている。
「こんな底辺暮らしがいつまで続くんだろう。くそっ、リア充どもめはしゃぎやがって!」
どこかの家から不意に聞こえる笑い声や犬の鳴き声にも、日支夫は敏感に反応した。今日は疲れも相まって、いつもよりイライラが増幅していた。
「こんな世界クソくらえだ!」
そうヤケになったその時、日支夫の足元がパーッと光った。地面に魔法陣が浮かんでいる。
「やった、異世界転移だ! ざまあみやがれ、クソ社会!」
こんな言葉と高笑いを残し、日支夫は現代日本から消失した。
気がつくと、そこはどこかの神殿にある召喚の間だった。
地面にはチョークで魔法陣が書かれ、その周囲を大勢の神官エルフが取り囲んでいる。アニメで見るような、まさに異世界という感じだった。
「ついに俺も勇者か。いい年になっても嬉しいもんだな!」
照れくさそうに小鼻を掻く日支夫(24)。
ふと見ると、隣に男子高校生が召喚されていた。金髪で垂れ目、いかにも人生勝ち組といった、天が二物も三物も与えたようなイケメンだった。
(まさしく勇者に選ばれそうな奴だな。ま、俺もそんな勝ち組様と、同じ勇者なわけですけれども!)
日支夫は口に出さなかったが、笑いがこみ上げてくる。無理やり我慢したので、常に半笑いのニヤニヤ顔になってしまった。
共に召喚された青年・室糀次は初めて日支夫を見た時、「気色悪い笑い方をする人だな」と密かに気味悪がったのはナイショである。
「勇者様、よくぞ参られました。どうぞ我が王にお会いください」
神官長が二人の前に進み出て、深く頭を下げた。
(来た来た来たー! まさに異世界って感じの展開!)
日支夫はテンションマックスだったが、努めて冷静に答えた。
「うむ、案内いたせ」
日支夫はあっさりとついていく。
「ちょっと、いいんですか?」
ノリノリの日支夫と困惑する糀次を連れて、神官長は謁見の間へ向かった。
謁見の間には人間の王をはじめ、王妃や王女といった王族、大臣や将軍といった官僚など、この国の要人たちが勢揃いしていた。いずれも凛々しい顔をしており、この場がよほど厳粛な場であるかを物語っていた。
そんな気まずい場で、日支夫はのほほんとしていた。なぜなら自分は勇者で、求められてこの世界に来たのであり、王族よりも圧倒的に自分の方が立場が上だと思っていたからだ。
一方の糀次はやはり年若いからか慣れない様子で、目だけを動かして周囲をよくよく伺っていた。
「勇者様、よくぞ参られました」
(うおー! やっぱり俺は勇者なんだな!)
日支夫が勇者と呼ばれる喜びに浸っていると、王は続けてこう言った。
「勇者様、どうかこの国をお救いくださいませ」
「うむ、よかろう」
日支夫は自信満々に答えた。
「ちょっと、そんな無責任なこと言っていいんですか? 勇者とか、僕にできるかわかりませんよ?」
糀次は小声で日支夫に訴えた。
だが日支夫は糀次を弱虫と思っただけで、自分の優位性は変わらないと思った。
むしろ糀次がダメであるほど、真に勇ましい勇者として自分の格が上がると喜んだものだ。
「大丈夫だって。俺ら勇者だぜ」
日支夫は糀次に向かってビッグスマイルを向けた。その顔を見ても、糀次はちっとも安心できなかったが。
日支夫は改めて王の方を向いた。
「王よ。この俺が来たからには、世界の安寧は約束された」
「誠に日支夫殿は、立派な勇者であるなあ」
「して、俺は何をすればいい? 遠慮なく申してみよ」
「それでは早速、勇者様方には、大根を漬けていただきたい」