8話・事故現場の怪
土曜の午前。
凛は着替えのために一旦事務所に寄った。
凛の私服は露出が少なく、色味も黒やグレーなどの地味なものばかり。他人と顔を合わせぬよう出来るだけ地味に装っている。依頼のために外を出歩く時は露出多めで明るい色味の服を着る。もし知り合いに見られても、すぐに気付かれないようにしているのだ。
特に、休みの日は同級生に見つかる可能性が高い。親しい友人はいないし、顔を見られないように過ごしているが、念のためである。それに、見た目がチンピラにしか見えない嵐と行動を共にするのだ。万が一にも正体がバレるわけにはいかない。
「今日はどれにしようかな」
ロッカーの中にはハンガーにかけられた女性ものの服がずらりと並んでいる。里枝が学生時代に着ていた服を変装用に譲ってくれたのだ。へそや肩が丸出しになるような服もある。下は基本ミニスカート。ひと通り着たらクリーニングに出している。
今日着る服を決め、洗面所に移動する。前回嵐に着替えを見られたことを思い出し、彼が来る前に済ませてしまおうと急いで服を脱ぐ。すると、洗面所奥にあるトイレの中から水を流す音と共にドアが開いた。
「あ」
「あ」
嵐はまだ来ていなかったのではなく、先に到着していたのだ。安普請の事務所は表の喧騒をそのまま通す。それ故に、互いの耳に小さな物音が届かなかったのだろう。
「手ェ洗うから退け」
下着姿の凛を一瞥して、嵐は洗面所で手を洗って応接スペースへと出て行った。それを見送ってから、凛は怒りで震えながら着替えを済ませた。
今日は里枝からの依頼で、順也くんが亡くなった事故現場に行く。平日の昼間は凛が学校のため行けず、放課後、暗くなる時間に遠出するわけにはいかないからだ。嵐が一人で行けば済む話ではあるが、現場を把握しているのは智代子の心を読んだ凛だけだ。
事務所の前に停めていた嵐の原付バイクで移動する。元は古くて小さなスクーターに乗っていたが、凛と組んでから二人乗り可能な排気量の多い大型の原付に買い換えた。
「どの辺?」
「県道沿いに進んで。あっち」
「了解」
後ろから凛が指示を出し、嵐はエンジンをふかして走り始めた。
智代子の息子、順也が通っていた小学校はさほど遠くはない。駅から車で十五分ほどの場所にあり、広い道路の左右にスーパーや家電量販店、ドラッグストア、飲食店、遊戯施設などが並び、遠くからも客が訪れる。今日は休日のため、どの店も混んでいた。
「どっち行けばいい?」
「次の信号を右」
大型スーパーのそばにある交差点を曲がり、少し細い道路をひた走った。片側にガードレールに守られた歩道があり、通学路を示す道路標識が立っている。
しばらく進んだ頃、凛が嵐の腕をつついた。前方に一部だけ新しく交換されたガードレールがある。すぐそばに置かれた花束を見て、二人はそこが事故現場であると悟った。
「なんの変哲もない場所ね」
「だな」
原付から降り、ヘルメットを外して辺りを見回す。
賑わいのある大きな通りに比べ、閑散とした道だ。ちらほら民家が点在し、後は空き地か畑となっている。たまに抜け道代わりに通る車があるくらい。平日の昼間ならば更に車の通りは少ないだろうと予想された。
「見通しも悪くないし、なんでこんな場所で事故なんか……」
道の端にある電信柱の前にしゃがみ、凛はまず手を合わせた。通行の邪魔にならないように置かれた花束やジュースのペットボトル、お菓子の箱などはまだ新しい。少なくとも二、三日以内に誰かが置いたものだ。凛には智代子が置いたのだと分かった。他にも幾つか小さな個包装の菓子がある。これは順也くんの友だちが置いたのかもしれない。
「嵐?」
嵐は歩道の隅に原付を停め、現場を凝視していた。
その表情はいつになく険しい。
「何かあった?」
「ああ」
凛には見えないが、嵐には現場に渦巻く何かが視えている。
「こりゃあとんでもなく強い『念』だ。あの母親の無念が事故現場の時間を止め、息子の魂を縛り付けてる」
「えっ」
意味が分からず、凛は嵐を見上げた。
「本来浄化に向かうはずの魂が、ずっとここに留められちまってるんだよ」