40話・隠された真実
相手が生身の人間ならば、直接触れれば本人が忘れているような些細なことまで知ることができる。記憶は脳に刻み込まれたデータだ。読み取る力が凛にはある。
では、相手が実体のない霊ならばどうか。これは初めての試みだった。
「あ……」
「これは」
凛と嵐の脳裏に浮かんだ映像は事故現場付近の道路だった。
車の運転席から見える景色。対向車のいない二車線の道路を軽自動車で走っている。助手席に置かれたスーパーの買い物袋。一番上には和菓子のパックが見える。一人暮らしの老人の唯一の楽しみだったのだろう。道路脇にある歩道にはチラホラと学校帰りの小学生の姿があった。ランドセルを揺らして通学路を歩く子どもたちを微笑ましく眺めながら、野井 重蔵は安全運転で車を走らせていた。
突然、左手側の塀の陰から一人の少年が飛び出してきた。ブロック塀の陰に隠れて待ち構え、向かいの歩道を行く友だちを驚かせるつもりだったのだろう。少年と車の距離は一メートルもない。野井は慌ててハンドルをきった。飛び出した少年を咄嗟に避けようとしたのだ。
急には止まれず、車はガードレールに突っ込む。運悪くガードレールの切れ目にいた順也が被害に遭った。自分がしでかした事の大きさに怖くなった少年は逃げ出し、事故現場には野井と瀕死の順也だけが取り残された。
老人の霊の記憶に残る少年に、凛は見覚えがあった。事故現場を訪れた時、お菓子を供えていた子だ。順也と時々一緒に帰っていたと智代子が言っていた。
「なんだよ、アンタ悪くねえじゃん。避けても避けなくてもどっちかにはぶつかっちまう。どうしようもねえ」
『いいえ。きっかけはどうであれ、わたしの運転する車が幼い子どもの命を奪ったことは事実。わたしの責任です』
「どうしてそれが自殺に繋がるんですか」
凛が問うと、老人の霊は淡々と言葉を続けた。
『わたしは誰にも言うつもりはありません。でも、生きている限りどうなるか分かりません。何かの折に、例えばボケてしまった時、わたしは我が身可愛さにあの子どもに罪をなすりつけるかもしれない。憎んでしまうかもしれない。だから、自分で自分の口を塞いだのです』
少年の軽はずみな行動は順也の命を奪い、老人の人生を大きく狂わせた。だが、悪意があってしたことではない。日々の遊びの延長だった。それが分かるからこそ老人は一人で罪を背負い、一人で死んだのだ。
「野井さん、あの男の子は今でも事故現場にお菓子を供えています。自分がしたことを忘れてないし、反省してると思う」
だから許してあげて、なんて言えない。凛は事実のみを伝えた。
『そうですか。それは良かった』
老人の霊はにこりと笑んだ。最初から彼は子どもを責める気などないのだ。
『どうか、このことはご内密に』
「……ああ、分かった。言わないと誓う」
『すみません、ありがとうございます』
嵐が約束すると、老人の霊はスッと穏やかな表情になった。心なしか、輪郭が薄くなったようにも見える。抱えていた秘密を誰かと共有したこと、自分の不注意で事故を起こしたわけではないと知ってもらえたことで気持ちが軽くなったのかもしれない。
「じゃあな、じいさん。早く成仏れよ」
『はい。お世話をかけました』
老人の霊は深々と頭を下げ、そして元の平坦な顔へと戻った。彼はこれからも庭木の下で立ち続け、いつか自然と天に昇っていくに違いない。
庭から居間に上がると、安藤、吾妻、里枝の三人が盛り上がっていた。
「やだ、同じ服なのに全然違う~」
「吾妻さんと僕の何が違うんですかぁ!」
どうやら安藤と吾妻のTシャツが偶然同じものだったらしい。体格はあまり変わらないが、安藤は冴えない印象のため、さっき顔を合わせた時に誰も気付かなかったのだ。
「うーん、やっぱ姿勢かなあ。もっとシャキッとしてみなよ安藤くん」
里枝から指示され、安藤は背筋を伸ばした。猫背のせいで低く見られがちだが、実は身長はある。姿勢を正すだけで幾分かマシに見えた。
「あと髪型も。もうちょい短くしたほうが似合うんじゃない?」
「え、あ、えっと」
ぐいぐい迫られ、安藤は狼狽えた。人見知りで基本ぼっちな彼は、こんな風に異性から近付かれた経験はない。頬を染めて挙動不審に陥る安藤を見てモヤモヤする者がいた。吾妻である。彼は里枝に密かに想いを寄せており、里枝が安藤に対して気安く近付くことに嫉妬心を抱いていた。モテる彼は他者を妬んだ経験がなく、未知の感情に戸惑っているようでもあった。
「安藤くんはオレが地味になるための師匠なんだから、このままでいいんじゃないかな」
「そお? でも、もうちょいイジれば見栄え良くなりそーなんだけどぉ。素材は悪くないもんね。ほら、顔も割とカッコいいよ」
そう言いながら、里枝が安藤の長い前髪を指先ですくう。すると、ついに安藤が羞恥と照れで真っ赤になった。キャパシティオーバーで今にも倒れそうになっている。その隣で、吾妻がなんとも言えない表情をしていた。
「おもしれーことになったな」
「楽しそうだからいいんじゃない?」
仲良く(?)盛り上がる三人を眺めながら、凛と嵐は肩をすくめて笑った。