37話・家族の在り方
「ゆうべ駅の近くで暴行事件があったんだと」
翌朝。やや興奮して話す父親の様子に、トーストをかじっていた凛は一瞬動きを止めた。
「あなた、昨夜は残業で帰りが遅かったわよね。大丈夫だったの?」
「なんか騒いでるなとは思ったがバスの時間が迫ってたんで、俺はすぐ帰ったんだ。その後パトカーが何台か来たらしい。ほら、駅ビルの裏に少し開けた場所があるだろう。そこで不審者が暴れてたって」
「まあやだ、怖いわ」
父親の情報源は会社の部下からのメールだ。どうやら騒ぎが起きた頃に近くを通り掛かり、野次馬の中に紛れていたらしい。少しでもタイミングがズレていれば、父親と現場で鉢合わせたかもしれない。嘉島に任せて先に退散して良かった、と凛は密かに胸を撫で下ろした。
「凛ちゃんも禅くんも学校の行き帰りは気をつけてね。何かあってからじゃ遅いんだから」
「う、うん」
「まっすぐ帰るのよ、しばらく寄り道はダメだからね」
「わかってるって」
自分が騒ぎの当事者とは言えず、凛は下手な作り笑いを浮かべながら素直に頷いた。禅のおかげで昨夜家を抜け出したことは発覚していない。
「ああ、やっぱり心配だわ。学校までついていこうかしら」
不安と心配に支配された母親が恐ろしいことを言い始めたため、凛と禅は全力で「犯人は捕まったんだから大丈夫!」と辞退した。
「母さんの気持ちもわかるよ。特に凛は可愛いから、悪い男に狙われたら困る」
「それはぼくも心配してる」
親バカ過ぎる父に、禅が食い気味に賛同した。隣を見れば、向かいに座る両親からは見えないように舌を出している。昨夜も嵐に突っ掛かっていたし、弟は何やら誤解をしているようだ。そんな心配は無用だと思いながら、凛は肩をすくめた。
学校でも昨夜の件が話題になっていた。通学に電車やバスを利用したり、駅前の塾に通っている生徒は少なくない。登下校時に寄り道をしないようにと注意があった。今週は教師が放課後に駅周辺を巡回するという。しばらく事務所には行かないほうが良さそうだ。
『凛ちゃん元気ないね~』
「だって、里枝さんを危ない目に遭わせちゃったし、警察への説明も丸投げしちゃったし」
『アハハ、いいよぉ。助けてもらったもん』
帰宅後、自室でスマホ片手に談笑する。電話の相手は里枝だ。吾妻と共に襲われた被害者として警察に話を聞かれたり、親に連絡がいったりと大変だったらしい。二人は夜遊びしていたわけではない。バイト帰りに暴漢から襲われたのだ。周囲から怒られはしなかったが、遅い時間にシフトに入るのはやめなさいと注意されたという。
『担当の刑事さんが教えてくれたんだけど、犯人は精神的におかしい状態なんだって。他にも悪いことしてたみたいだし、怖いよねえ』
取り調べが進めば昨夜の事件より余罪のほうがメインになるだろう、とは凛は言わなかった。
嵐と共に朽尾に触れたら十数体もの霊に取り憑かれている状態だった。きっと彼が殺めてきた人たちだ。捜査でどこまで明らかになるかは分からない。今回の件とはまた別の話になるため、吾妻や里枝には教えられることはないだろう。
『でね、次の土曜は順也くんの一周忌なんだ。アタシもお寺にお経を聞きに行く』
「智代子さんの様子はどうですか?」
『叔母さん落ち着いてるよ。もう大丈夫。きちんと送り出す覚悟をしてるから』
「良かった」
母親の執着によって事故現場に縛り付けられていた少年の魂は、ようやく解放されて自宅に戻った。一週間家族と共に過ごし、一周忌法要を機に天に昇るのだ。
『それでね、吾妻くんと一緒に改めてお礼したいの。嵐くんと凛ちゃんの都合が良い時でいいからさ』
「依頼料は先に貰ってるし、お礼なんていらないですってば」
『それじゃアタシたちの気が収まらないの!』
里枝から強引に押し切られ、日曜に事務所に集まることに決まった。
数日間は特に新規の依頼もなく学校と自宅を往復するだけの生活になった。母親からの過干渉はまだ続いているけれど、表面上大人しくしている姿を見て安心したらしい。少しだけ頻度が減った。凛に親しい友人ができたことも安心材料のひとつなのだろう。禅や父親の根回しも利いている。
形はどうあれ心配されている。
ありがたく受け取らなくては、と凛は思った。