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36話・吐露


 後始末を嘉島に任せ、凛と嵐は裏道を通って数百メートル離れた場所に建つ事務所へと帰った。


「あ~疲れた~」


 事務所の中に入るなり、嵐はソファーに身を投げ出した。疲れでうつろになった目で天井を見上げる。駅前通りに面したカーテンのない窓からは遠くで光る赤いランプが見えた。先ほどまでいた駅ビルの裏では今ごろ現場検証の真っ最中なのだろう。


 テーブルの上には耳に掛けるタイプのマイク付きイヤホンが転がっている。嘉島から貸りた小型通信機のおかげで離れた場所にいる凛から的確な指示をもらうことができた。もっとも、有効に活用できたのは最初のうちだけだったが。


「ごめん嵐、たくさん怪我しちゃったね」

「かすり傷だ。平気だよ」


 棚から救急箱を取ってきた凛が床に膝をつき、嵐の腰ベルトに手をかける。


「待て。何する気だ」

「だって、脚にいっぱい傷あるでしょ。服着たままじゃ手当てできないじゃない」

「裾をまくりゃあ済む話だろが」


 嵐が履いているのは膝丈のハーフパンツだ。脱がせる必要はあまりない。でも、凛は頑なにベルトから手を離さなかった。その手が震えていることに気付き、嵐は小さく息を吐く。


「あ、あたしが全然役に立てなかったから」

「仕方ねえよ、相手が悪かったんだ」


 確かに、今回は相手が悪かった。

 ただの殺人鬼ならば嵐一人で対処できた。凛の能力で先手が打てるのだから楽に勝てるはずだった。だが、朽尾は異能を持っていた。使い魔を従え、嵐を翻弄した。嘉島がユレンに助力を頼んでいなければ、この程度の怪我では済まなかった。嵐だけではなく里枝の命も危なかった。


「ごめん、なさい」


 里枝からの依頼で順也の魂を解放した時、自分の能力を活かせて凛は嬉しかった。ただ他人の心が読めるだけの、マイナスにしかならない不要な能力だと思い込んでいたものが役に立ったのだ。


 だから、油断してしまった。

 次もきっと何とかなると慢心していた。


 実際、誰かとやりあう時に表に立つのは嵐だ。失敗すれば痛い思いをさせてしまう可能性があるのだと、凛は思い知らされた。


 凛が沈んでいる理由を嵐は正しく理解している。同時に、自分の不甲斐なさも身にしみている。素直に謝罪と反省ができる凛が眩しく見えた。


「凛」


 いつになく真面目な声色で名前を呼ばれ、凛はびくりと肩を揺らした。ゆっくりと顔を上げ、視線を合わせる。涙はこぼれてはいないが、瞳は潤んでいた。窓から差し込む街灯やネオンの明かりが映り込み、不思議な光彩を放っている。


 凛の能力は嵐には効かない。

 故に凛は嵐の心が読めない。


「オマエは役に立ってるよ」


 でも、今は何を考えているかわかった。

 心からねぎらい、慰めようとしている、と。


「俺がやられそうになった時、朽尾の気を引いてくれただろ。アレすげえ助かった。だから、もう『ごめん』は無しだ」


 艶やかな黒髪をわざと乱すようにをわしわしと撫でてやりながら、嵐は慣れない言葉を投げた。







 警察が到着する前のこと。

 凛は嵐の手を握った状態で改めて朽尾に触れた。嵐の霊能力と凛の心を読む力が合わさり、朽尾に憑いていた霊の姿を彼に見せた。


 吾妻が把握している三人だけではない。朽尾には十数人もの霊が取り憑いていた。


 吾妻に出会う前にも同じような犯行を繰り返していたらしい。殺害対象は想い人に言い寄る者だったり、想い人との時間を奪う者だったり、恐れをなして離れようとした想い人自身だったり。邪魔者を消すことは彼にとって当たり前の行為だった。


 一番新しい霊はつい先日亡くなったばかりの女性。まだ遺体が見つかっておらず、事件が発覚していない。吾妻から依頼を受けた日に告白してきたという女性だ。吾妻は名前も聞かずに立ち去ったが、朽尾はどこからか見ていたのだろう。そのまま女性を尾行して名前や住居を把握し、翌日仕事が休みとなる日曜の深夜に殺した。


 呻き声の正体はやはり朽尾だった。女性を殺す直前、コンテナ内で使い魔に指示を伝えるために呪詛を唱え続けた声が換気口から漏れ、裏に住む安藤の耳に届いたというわけだ。


 自分が殺した女性たちの霊に取り囲まれても、朽尾はまったく悔い改める様子はなかった。高笑いしながら死者を冒涜するような言葉を吐き始めたため、嵐が顔面を踏み付けて物理的に黙らせた。助けようがなかったとはいえ、最後の一人は依頼を受けた後に殺されている。嵐はその点だけは悔いていた。


 まだ見つかっていない最後の被害者については本人の霊から場所を聞き出し、嘉島を通じて刑事に伝えて捜索してもらうことになった。きっとすぐに発見されることだろう。凛がいなければ得られなかった情報だ。






 念入りに消毒をした後、絆創膏を貼り付ける。傷は小さいが数が多い。戦闘中ほとんど役に立てず、傷付く嵐を離れた場所から見ていることしかできなかった。凛の心の中には申し訳なさと自分に対する苛立ちが渦巻いていた。


「おい、帰らなくて大丈夫か?」

「ヤバッ! もうこんな時間!」


 うなだれていた凛は壁掛け時計を見て飛び上がった。

 二十三時半。明日は平日、学校がある。


「送ってく」

「いいよ、嵐怪我してるし。明日は仕事でしょ」

「手当てしてくれたからもう痛かねえよ。それに危ねえだろ、女が夜中に一人で歩いてたら」

「う、うん」


 ついさっき殺された女性の霊をたくさん見たばかりだ。朽尾は逮捕されたが、この町から危険が一つも無くなったというわけではない。魔がさせば誰もが犯罪者に成り得る。他人の心が読める凛は誰よりもその現実を知っている。だからこそ、相棒の心配が嬉しかった。


「ごめ、……ありがと。助かる」

「おうよ」


 禁止されたばかりの謝罪の言葉を引っ込めた代わりに感謝の言葉を口にすると、嵐は満足そうにニカッと笑った。


 二人乗りで帰路についた。

 徒歩では二十分の距離も原付なら五分で着く。自宅から少し離れた公園に原付バイクを止め、そこからは歩くことにした。凛は弟の(ぜん)に連絡を入れ、帰宅のタイミングを探る。幸いなことに母親は既に就寝しており、父親は風呂に入ったところだという。


「そのひと誰? まさか彼氏?」

「あァ?」


 深夜の住宅街。玄関前で出迎えたパジャマ姿の禅は、姉と共に現れた男を見上げた。顔や手足には絆創膏や包帯。明らかにケンカ後のチンピラにしか見えない風貌のため警戒しているのだろう。

 初対面で睨まれ、更に聞き捨てならないことを言われた嵐は反射的に睨み返すが、慌てて凛が間に割り込んだ。


「この人は送ってくれただけだから! ありがと嵐、気をつけて帰ってね」

「お、おう」


 まくし立てるように仲裁とお礼と別れの挨拶を言われ、気圧(けお)されて素直に退(しりぞ)く。玄関に入る直前、禅が顔だけ振り向いて嵐を見た。警戒と嫉妬が入り混じったような鋭い目だ。扉は静かに閉められ、すぐに内鍵が回る音がした。


 見届けてから、嵐は踵を返して原付バイクを置いてきた近くの公園へと戻った。ついさっき凛と歩いた道を一人で歩く。深夜の住宅街はしんと静まり返り、冷たい風が頬を撫でるたびに孤独感を掻き立てる。


「……なんだ。居場所あんじゃん」


 少し拗ねた呟きは誰の耳にも届かなかった。


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