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28話・後押し

 

 凛は一度帰宅して夕食を食べていた。

 ダイニングテーブルの向かいには、いつものように母親が座っている。なにがそんなに嬉しいのか、笑顔を浮かべて話しかけてくる。


「お友だちと遊んできたの?」

「う、うん」

「いつもなにをしてるの」

「ええと、今日は、駅ビルのカフェに」

「まあ! いいわね、楽しそう」


 探るような会話から逃れようと正直に答えたら更に母親のテンションが上がってしまい、すぐさま後悔する。


「お小遣いは足りてる? 着ていくお洋服は? お友だちと遊ぶ時に不自由があったらいけないもの、いつでも言ってね。そうだ、今度うちに連れてきたらいいわ。凛ちゃんと仲良くしてくれる子なら良い子に決まってるもの。お母さんご挨拶したいし。ね?」

「……」


 また始まった、と凛がうんざりし始めた頃、リビングのドアが開いて半裸の(ぜん)が顔を出した。濡れた髪から落ちる水滴が床を濡らしている。


「ねえ、ボディソープないんだけどー!」

「あらやだ、詰め替えておくの忘れてたわ」

「早く出してよぉ!」

「はいはい。今行くわ」


 禅に急かされ、母親は席を立って洗面所へと向かった。その隙に手早く残りの食事をかっ込み、食器を流しに片付けて二階の自室へと避難する。


「また禅に助けられちゃった」


 年の離れた弟は粘着質な母親の拘束から助けてくれる凛の味方だ。思春期に入ってからは心を読まないように避け、あちらからも避けられているけれど仲の良い姉弟で、普段のやり取りはメッセージアプリで(おこな)っている。お礼のスタンプを送りつつ、凛はスマホ画面に表示された時刻を確認した。


 現在の時刻は十九時半。

 里枝のアルバイトが終わるのは二十二時。

 それまでに駅ビルまで行かねばならない。


 今夜にも朽尾(くちお)が犯行に及ぶかもしれないと予想したのは凛だ。おそらく里枝がバイトから上がってから帰宅するまでの間に襲いに来る。過去の被害者の死因から事故に見せ掛けて殺すと推測される。犯行現場を取り押さえて現行犯で捕まえることが目的のため、何時まで掛かるか分からない。

 嵐からは来なくて良いと言われたが、里枝が危険に晒されているのだ。荒事には不向きだが、その場に居れば役に立てることもあるだろうと凛は押し切った。


 ただ、夜に自宅から抜け出すことが一番難しい。

 食事を終え、風呂を済ませると二十一時を過ぎていた。今日は火曜。週の前半であり、明日も当然学校がある。例え門限がなくても夜に出掛けると言えば親は必ず反対する。だから、黙って家を抜け出すと最初から決めていた。


 凛は風呂上がりに弟の禅と共にテレビを見ていた。普段ならば風呂から上がった後すぐ自室に戻るのだが、家から抜け出す機会を伺うためにわざとリビングに残っている。


 視界の隅にアイロンを掛ける母親の後ろ姿が映った。過干渉で押し付けがましい性分は苦手だが、母親の言動の根底には我が子に対する愛情がある。素直に受け取れないどころか疎ましく思う自分はやはりどこか歪んでいるのだろうかと凛は自嘲した。


 ふと、智代子の姿が思い浮かんだ。彼女は順也くんを事故で亡くしてからおかしくなった。生きている間にああすれば良かった、こうしていれば良かったと数えきれないほど後悔しただろう。後悔が多過ぎて歪んでしまった。しかし、自分のせいで順也くんの魂が苦しんでいると知った途端に考えを改めた。執着を捨て、送り出す覚悟を決めた。


 悩めること自体恵まれている。

 死に別れれば悔いることしかできないのだから。


「お母さん、お風呂冷めちゃうよー」

「そうね。そろそろ入るわ」


 禅に促され、母親はようやくリビングから出ていった。ほっと息をつき、凛は壁掛け時計を見た。二十一時半。そろそろ家から出ないと間に合わない。


「禅。まだ寝ないの?」

「まだテレビ見る」

「そう」


 玄関のドアを開閉すれば、風呂場の母親には聞こえなくてもリビングにいる弟には聞こえるだろう。幸い彼はテレビのバラエティ番組に夢中になっている。今のうちに抜け出そうと決意し、凛はソファーから立ち上がった。

 手早く自室で身支度を整え、階段を降りようとしたところで足を止める。階下から、禅が凛を見上げていたからだ。


「どっか行くの」

「う、うん。ちょっと」


 近所のコンビニにでも行くかのように笑顔で答える凛に対し、禅が「あっそう」と軽く頷く。しかし、彼は階段の下から退かなかった。


「姉ちゃんて世渡り下手だよね。せっかく他人の心が読めるのに、もったいない」

「え?」

「もっと上手く立ち回りなよってこと」


 そこまで言ってから、禅は退いた。凛が戸惑いながら横を通り過ぎ、玄関で靴を履こうとした時に再び後ろから声を掛ける。


「いつもの靴で行くとバレるよ」

「え、あ、そっか」


 玄関の土間には在宅の家族分の靴が並んでいる。もし欠けていれば秘密の外出に気付かれてしまうだろう。凛は慌てて下駄箱からスニーカーを取り出して履いた。


「禅、どうして」


 家を抜け出したいなどと一度も口に出していない。それなのに何故彼は凛を手助けしようとしているのか。


「姉ちゃんには分かんないかもしれないけど、表情とか仕草でもある程度なに考えてるかくらい読めるんだよ」

「えええ、何それカッコいい」

「だろ」


 素直に褒めると、禅は得意げに胸をそらした。


「早く行きなよ。うまく誤魔化しとくからさ」

「う、うん。ありがとう」


 弟のあたたかい言葉に凛は目を細めた。

 家から出て真っ暗な住宅街を歩いていると、ポケットの中のスマホが小さく鳴った。メッセージアプリの通知だ。


『無理して来なくてもいいからな』

『来るなら迎えに行こうか』


 メッセージは嵐からだった。

 来てほしいのか来てほしくないのか。相反する二つの内容をほとんどタイムラグなしに送り付けていることに彼は気付いているのだろうか。迎えは不要だと返信しながら、凛は無意識のうちに表情をゆるめていた。


 夜の住宅街を早足で進む。自宅から駅までは徒歩で二十分ほどかかる。急がなければ間に合わない。バスを利用すれば早いが、この時間帯は仕事帰りの父親と鉢合わせる可能性が高いため避けている。時折すれ違う通行人も仕事帰りの大人がほとんどだった。


 肌を撫でる夜風を冷たく感じてしまうのは、この先に待ち受けている殺人犯との対決が恐ろしいからだろうか。否。凛が恐れているのは、初めての友だちである里枝を失う可能性のほうだ。


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