24話・遭遇
翌日の放課後、凛はまず事務所に立ち寄った。
新規の依頼があるわけでも帰宅時間を遅らせるための暇潰しでもない。里枝と個人的に会う約束をしているからだ。制服姿のまま駅周辺をウロつけばクラスメイトに見つかってしまう。目立ちたくない凛にとって、外出と変装は切り離せない。
私服に着替えてから事務所を出て階段を降りていると、下から上がってくる青年と鉢合わせた。
「やあ凛ちゃん」
「ユレンさん」
事務所の下の階にあるアジアン雑貨店『魔术』の店主ユレンだ。チャイナ服と結われた長髪がトレードマークの青年は、もともと細い目を更に細めた。
「今日は、おでかけ?」
「はい。ええと、……友だちと、お茶しに」
「へぇ、いいな。楽しんできてネ」
「ありがとう、いってきます!」
友だちと、という言葉に自分で照れている。普段あまり他人と関わりたがらない凛の性格をユレンはよく知っている。凛のポシェットには彼の店で取り扱っている小さなマスコットがついており、軽快に揺れていた。
駅ビルへと向かう凛の足取りはやや軽い。『友人とカフェで語らう』という人生初のイベントにやや浮き足立っている。伊達眼鏡をしていても完全にシャットアウトできるわけではないが、すれ違う他人の感情が漏れ見えても気にせず無視を決め込んだ。
「あ、こっちこっちー!」
恐る恐る店内に入ると、先に到着していた里枝が奥のテーブルで手を振っていた。周りの客の視線が集まり、恥ずかしさを覚えながら急いで駆け寄る。
「なに飲む? アタシのオススメは苺のフラペチーノなんだけどぉ、期間限定のバナナのキャラメルラテも美味しいよ」
「え、ええと」
席に座り、メニュー表を見ながら凛は困惑していた。生まれて初めてカフェに入ったのである。どんなメニューがあるか、どう注文するのかも分からない。固まる凛に気付いた里枝が「苦手なモノある?」と尋ねた。首を横に振ると、里枝は席を立ち、カウンターへと向かった。慣れた様子で注文し、すぐに飲み物が二つ載ったトレイを持って戻ってくる。
「勝手に決めちゃった! 好きなほう選んで~」
「あ、ありがとうございます」
目の前に置かれた飲み物は先ほど里枝がおすすめしてくれたものだ。お礼を言ってから、凛はしばらく迷った後バナナのキャラメルラテを手に取った。
「こーゆー店には来たことない?」
「初めてです」
「気に入ったらまた来てね。アタシがカウンターに入ってる時ならサービスしちゃう♡」
ここは里枝のアルバイト先。駅ビル内に入っている全国チェーンのカフェである。シックな内装と穏やかな音楽、美味しいドリンクとデザート。オシャレで落ち着ける空間として人気があり、ノートパソコンやタブレットを持ち込んで仕事をする人の姿もちらほら見受けられる。今は平日の夕方のため、客層は大人より学校帰りの学生のほうが多い。
「実はさっき店長からヘルプ頼まれちゃってぇ」
「今からバイトに入るんですか」
「うん、遅番の時間から。あと一時間くらい後かな。ごめんね、凛ちゃんとカラオケとかゲームセンターとかボウリングとか行きたかったのにぃ」
今日は休みの予定だったが、先ほどドリンクを注文しに行った際に急遽ヘルプを頼まれてしまったらしい。テーブルに突っ伏し、里枝は大いに嘆いている。
「あたしのことはいいですから。それに明日も学校だから、どのみちそんなに遊べないです」
「そっか、じゃあ次は休みの日に会お」
次の話をすれば、里枝は凹んでいたことが嘘のように満面の笑みを見せた。
「そういえば、吾妻さんは?」
「奥で仕込みやってたよ。最近は接客じゃなくて裏方に回ってるんだよね」
「へえ」
吾妻は注文カウンターではなく奥で働いているという。ドリンクを注文しに行った際に少し言葉を交わしたようだ。カフェの厨房は広くない。知った声が聞こえれば、奥にいても顔を出すものだ。
何気なく店内を見回してみる。
凛が座る席からは客席が一望できた。端のテーブル席に自分と同じ高校の制服を来たグループを見つけ、すぐに目をそらす。まだ夕方だからか大人より学生の客が多い。
その中で一際目立つ存在があった。
テーブル席が空いているにも関わらず、立ったままの男性客がいる。彼はドリンク片手に柱に寄り掛かり、カウンターのほうを眺めていた。すらりと背の高い男性で、ゆるく波打つ長めの黒髪とゴツめのピアスや指輪がよく似合っている。近くの席にいる女子高生たちが男性を見てきゃあきゃあと黄色い声を上げて騒いでいた。
「あのお客さん、けっこう来るんだよね~。吾妻くんの知り合いなんだって」
「大学生には見えないですね」
「確か、タトゥー屋さんだったかな?」
吾妻に刺青を彫っている人物だ、と凛は気付いた。吾妻の右上腕部に施された刺青には執着の念である黒いもやが絡みついていると嵐は言っていた。どうにかして探りを入れたいと考えていたところだ。偶然とはいえ、外で遭遇できたことは幸運と言える。
そっと伊達眼鏡を外して見る。
離れた場所からでは心の表層しか読めないが、事件を解決するためのヒントが得られるかもしれない。
同時に、視界に入った他の客の雑多な思考も雪崩れ込んできた。仲良く盛り上がりながら友人を見下したり、つまらないと思いながら満面の笑顔を返したり。激し過ぎる本音と建前の差にダメージを受け、凛の頭がぐらりと揺れる。
ダメだ、気持ち悪い。
手のひらで口元を覆い、涙がにじむ目を必死にこじ開ける。無関係な思考を可能な限り無視して、目的の男に意識を集中した。
「……ッ」
「なに、どうしたの」
凛は蒼白となり、すぐに伊達眼鏡を掛け直して顔をそらした。バクバクと心臓が鳴り、冷や汗が額から顎へと伝い落ちる。明らかに様子がおかしい凛に対し、里枝が気遣わし気に背中をさすった。
「気分悪いなら水もらってこようか?」
「だ、大丈夫です。すぐ治りますんで」
男性はドリンクを飲み終わると、カップをゴミ箱に捨てて店から出て行った。男性の姿が完全に見えなくなってから、凛は身体の力を抜いて大きく息をつく。
しばらく談笑してから、バイトのために裏口へ向かう里枝を見送った後に事務所に立ち寄る。鍵は開いており、凛はすぐに扉を開けて中へと飛び込んだ。大きなソファーに寝転がっていた嵐がスマホ画面から顔を上げる。
「よぉ、ひでえツラだな」
いつもの調子で悪態をつかれ、凛は思わずへたり込んだ。里枝の前では虚勢を張り、笑って誤魔化したけれど、嵐の前では自分を偽るつもりはない。
彼は自分の相棒で、誰よりも頼りになる男だからだ。
「どうしよう嵐。里枝さんが殺されちゃう」
「は?」
思わぬ発言に、嵐は素で聞き返した。