23話・虚は実を引く
学校から帰った途端、天敵に捕まった。
玄関で待ち構えていた母親はダイニングの椅子に凛を座らせ、向かいに自分を腰を下ろした。普段の優しげな笑顔ではなく厳しい表情、こわばった空気。ああ、これはまずいと凛は脂汗をかいた。いつものようにさりげなく視線を外す。伊達眼鏡をかけて心を読まないようにしていても表情は見える。こういう時の母親の顔は、凛はあまり好きではなかった。
「凛ちゃん、あなた毎日どこに行ってるの」
学校からまっすぐ帰宅した日は母親からの拘束時間が長くなり、小言も増える。だから依頼がなくても貸事務所で過ごすようになるのだ。悪循環に陥らせているのは己なのだという自覚は母親には微塵もない。顔を合わせる度にこうして問い詰めてくる。
「前にも言ったでしょ。図書館に」
「今日直接聞きに行ってきました」
ぴしゃりと言い放たれ、思わず首を縮こまらせる。
「き、聞きに行ったって、なに」
「係の人は毎日は来てないって言っていたわ」
先日門限を過ぎて帰宅したからか、わざわざ確認しに行ってきたらしい。本来ならば利用者の情報は漏らさないはずだが所詮は地方都市の図書館。規律もゆるく、保護者だからと押し切られたのだろう。親がカウンターの職員に自分の名前を出して詰め寄る場面を想像してゾッとする。
「それに、図書館の営業時間は午後六時まででしょ。凛ちゃん、遅い時は八時過ぎに帰ってくることもあるじゃない。本当はどこで何をしているの」
事務所に寄らない日は本当に利用していたのだが今後は行きづらくなりそうだ、と凛は暗澹たる気持ちになった。長い前髪で隠れているが、眉間に皺を寄せて不快を表している。裏を取られたのであれば誤魔化しや言い訳は通用しない。対応を間違えば今ある自由を奪われる可能性が高い。
気は進まなかったが、伊達眼鏡を僅かにズラして母親を視界に入れた。この場で彼女がもっとも喜ぶ回答をすれば解放されるだろうと考えたからだ。
「と、友だちと、寄り道したり、とか」
母親が求める回答を口にした瞬間、失敗した、と凛は焦った。親しい友人など一人もいない。学校では最低限の応答以外せず、誰とも目を合わさぬようにしているのだから当たり前だ。嵐を友人と定義するのであれば嘘ではない。しかし、年上の異性で見た目チンピラの嵐と一緒にいるなど正直に言えるはずがなかった。
「あら、まあ、お友だちと一緒に?」
凛の言葉に、母親は満面の笑みを浮かべた。
これまでの不機嫌さが吹き飛んでいる。
引っ込み思案で大人しい娘に友人ができたのだ。危惧していた夜遊びではなく、友人と過ごしている。人見知りの凛が一般的な女子高生らしい交流をしていると知り、嬉しくなった母親が更にまくし立てる。
「どんな子? お母さんにも紹介してよ」
「うう……」
問い詰められ、凛はほとほと困り果てた。
今さら嘘だとは言いづらい。
その時、凛のスマホに着信があった。制服のポケットから鳴り響く着信音に、母親が目を輝かせる。相手が嵐だったら終わりだ、と凛の気持ちは沈んだが、スマホの画面を見て安堵する。
「ほら、いつも遊んでるのはこの子」
「まあ!」
母親に画面を見せる。表示された名前は『西成里枝』。先日連絡先を交換したばかりの依頼人兼紹介者である。女性の名前に、母親は明らかに安堵した。
「電話に出るから話はここまでね」
「ええ、ええ。邪魔はしないわ」
スマホを耳元に当てながらリビングから出た。階段を登る凛を母親は階下まで来て見送っている。聞き耳を立てられていると悟り、わざと見せつけるように通話ボタンを押して応答した。
「もしもし、里枝さん?」
『ヤッホー凛ちゃん。いま電話大丈夫?』
「大丈夫ですよ」
漏れ聞こえる快活な女性の声に安心したのだろう。母親は満足気にリビングへと戻っていった。階段の上からその様子を眺め、凛は深く長い溜め息を吐き出した。すぐに自室に引っ込み、ドアに内鍵を掛ける。
『ごめん、取り込み中だった?』
「いえ、むしろ助かりました」
まさに嘘から出た誠である。事の顛末を説明すると、里枝は電話の向こうでけらけらと笑った。
『お母さんにはアタシと出掛けるって言いなよ。遊んだ証拠にプリクラとか撮って見せちゃおっか? てゆーか、依頼とか関係なく遊ぼ!』
さすが陽キャと言うべきか、里枝の押しは強い。幾ら凛が「でも」と尻込みしても明るく返してくる。
『手始めに、アタシのバイト先に行く? 好きなもの何でも奢っちゃうよ~。順也くんの件の御礼もしたいし』
「バイト先って駅ビルの中のカフェですよね」
『そうそう! あ、そういや吾妻くんの依頼どうだった? なんとかなりそう?』
「いえ、まだ手付かずで」
里枝と吾妻は同じカフェでアルバイトをしている。その縁で紹介され、昨日話を聞いたばかりだ。まだ何も対応できていない。結局先延ばしにしてしまった。
『明日の放課後予定なかったら行こ!』
「は、はい。大丈夫です」
普段の吾妻の様子を見ておくのも良いかもしれない、と凛は里枝と待ち合わせの約束をした。