19話・怖いモノ
凛はテーブルに広げられたノートに更なる情報を書き込んでいく。ざっくりと人型を描き、右の上腕部に丸を付けた。
「そういえば、吾妻さん刺青入れてた」
「ああ、右腕んとこな」
「本人はファッション感覚っぽい。先月末くらいから入れ始めて、まだ途中なんだって」
「ふうん」
あきれたように嵐は溜め息をついた。遊びで刺青を入れたがる気持ちが理解出来なかったのだ。本物の元ヤクザと知り合いだからということもあるが、それとは別の理由もある。
しかも、執着の念である黒いもやは刺青がある辺りにまとわりついている。今回の不審死事件となにか関わりがあるのではないかと嵐は睨んだ。
「刺青、どこで入れたか分かるか」
「ここの近くに専門のお店がある」
おおよその位置は先ほど吾妻の心を読んだ時に把握している。スマホで検索すると、確かに近くにタトゥースタジオがあった。この事務所から二区画ほど先にある雑居ビルの一角を借りて営業している。
「まさかタトゥー屋さんが怪しいっていうの?」
「わからん。ただ、引っ掛かる」
嵐の勘は侮れない。なんとなく嫌な気配を感じて慎重に動こうとしている。凛にはそういった感覚が分からない。
「刺青の柄もなぁ……」
「え、なにそれ。いつのまに」
嵐が見せてきたスマホの画面には、吾妻の右上腕部にある刺青が表示されている。どうやら話の最中に盗撮していたらしい。カメラのシャッター音はしなかったし、スマホを構える素振りもなかった。一体どうやって、と凛が尋ねると「企業秘密」と返された。同じ事務所で働く仲間なのだから情報を共有してもいいのではないかと思う反面、犯罪真っしぐらな気がしてそれ以上の追及を放棄した。
Tシャツの袖で上半分は隠れていたが、刺青の柄は花弁を広げた花のように見えた。施術途中だからか黒い線のふちが赤く腫れている。嵐は「これは蓮座だな」と呟いた。
蓮座とは仏像などの台座に施された蓮華(蓮の花)をかたどったもので、蓮華座とも呼ばれる。吾妻の右腕には蓮座の刺青が入れられているのだ。
「別に変なデザインじゃないよね?」
吉兆を象徴するモチーフは珍しくない。
参考までにスマホで検索してみれば、似たようなデザインが幾つも見つかった。若者が選ぶにしてはやや渋いが、そこは個人の好みによる。信心深いわけではなく「なんとなくカッコいい」という理由で選ぶ者も少なくないだろう。
嵐も自分が何に引っかかっているかの確信がまだ持てていない。ただ、黒いもやが絡みついていたのは刺青なのだ。何者かが刺青を媒介として吾妻に怨念めいた執着を向けているのは確か。盗撮した刺青の写真を睨みつけ、嵐は唸った。
「タトゥースタジオを調べてみるか」
「どうやって?」
「店の前で張り込む、とか?」
「こっちが通報されちゃうよ」
「それもそうだな」
ビルの前でウロウロしていれば怪しいことこの上ない。
「嵐がお客さんとして店に行けば?」
「は? ヤだよ」
凛の提案に、嵐は露骨に嫌そうな顔をした。見た目がチンピラなのだから刺青希望の客として不自然ではないだろうに、嵐は断固拒否の姿勢を崩さない。
「刺青って針刺すんだろ? 痛いの無理」
嵐はピアスひとつ開けていない。チャラチャラした装身具が好きではないのかと思っていたが、単に痛いのが嫌なだけだったようだ。予想外の反応に凛は思わず吹いた。
「あ、でも、店に行っていきなり針を刺されるわけじゃないみたいだよ。最初はカウンセリングだけなんだって」
件のタトゥースタジオには独自のサイトがあり、初心者向けの手順が掲載されていた。まずカウンセリングでアーティスト(彫り師)と対面して希望の部位や図案を相談し、話がまとまったら施術する日程を組む。大きさやデザインによっては何回か通う必要がある。もちろん、話を聞いてみて合わなければ取り止めることもできる。
「様子見でカウンセリングだけでも」
「ヤだ!」
殴り合いの喧嘩は平気な癖に、と凛は呆れた。
「じゃ、あたしが行こうかな」
「え」
調査ならば凛のほうが能力的に向いている。
裸眼で相手を見るか直接触れれば済むからだ。
「駄目だ。女が身体に傷を付けるもんじゃねえ」
「だったら嵐が行ってよ」
「行きたくねえ!」
「もう!」
一向に話が進まず、調査に乗り出すどころではない。ここまで嫌がるなんて、もしかして嵐は先端恐怖症なのだろうか。しかし、ナイフは平気で扱っている。怯える対象は細い針だけなのかもしれない、と凛は思った。
仕方なしにタトゥースタジオのサイトを眺めていた凛が「あ」と声を上げた。
「十八歳未満はタトゥー駄目だった」
刺青は都道府県の条例により年齢に制限が設けられている。凛は十七歳の女子高生。年齢で門前払いをされてしまう。
「別の方向から探る。いいな?」
「……わかった」
あからさまに安堵の表情を浮かべた嵐を睨みつつ、凛は小さく頷いてみせた。