14話・融合
日曜の午後。
四月下旬のあたたかな陽射しの下、事故現場は異様な空気に包まれていた。智代子は狂気に満ちた視線を彷徨わせ、死んだ息子の姿を探している。
ここにいる四人の中、唯一霊能力を持つ嵐は苛立ちを隠さず盛大に舌打ちをした。智代子に執着を捨てさせる方法がないからだ。嵐が視ているモノをそのまま見せられれば手っ取り早いのだが、彼女には見えないのだからどうしようもない。
智代子を落ち着けるため、凛は伊達眼鏡を外して彼女の心を読んだ。最初に会った時と同様に、彼女が求める言葉を代弁して伝えようと試みたのだ。
「う、うう」
しかし、凛は何も言えなくなった。
智代子の心の内は荒れ果て、乱れ、混沌としていた。悲しみ、怒り、焦燥、憎悪、諦め、そして歓喜。死んだ我が子の魂がそばにあると知り、心から喜んでいる。彼女が求める言葉を口に出すのは憚られ、凛は歯痒さに唇を噛んだ。
「大丈夫か、凛」
「どうしよう嵐」
嵐に気遣われ、凛はつい弱音をこぼした。
「智代子さん、普通じゃない」
「そりゃあ狂うさ。たとえ視えていなくたって毎日のように子どもが命を落とした現場に入り浸っていたらな。このまま放っておいたら後戻りできなくなる」
「そんな」
ふらつく身体を立たせるため、無意識のうちに隣に立つ彼に手を伸ばす。凛の手が嵐の腕に触れた瞬間、パキンと乾いた音が聞こえた。同時に、凛の視界が黒く染まる。
「うわ」
「えっ」
驚いて手を離すと、パッと視界が元に戻った。
嵐が困惑した表情で凛を見下ろしている。
今日、ここに向かう途中にも似た感覚に襲われた。今はその比ではないほど確実に何かを感知している。能力を使っている最中に触れたことが原因なのだとすぐに分かった。
二人は息を飲んだ。
今まで互いに不思議な力を持っていると認めながらも全くの別物だと考えていた。心を読む能力と霊を視る能力では系統が違うのだからと。だが、もしかすると能力を合わせることが可能なのではないかと初めて思い至った。
「試してみるか」
「うん」
初めて会った時のような不思議な感覚。
凛と嵐は、今度はしっかりと手を握り合った。
途端に凛の視界は再び黒く染まる。道路の端、新しいものに取り替えられたガードレールの辺りを中心に黒いもやが渦巻いていた。
「これは……」
「まさか、視えるのか?」
「う、うん。たぶん」
凛に変化が起きたように、嵐にも変化が現れた。
これまで霊の姿は視認できても、霊と言葉を交わした経験はなかった。霊視すれば情報が勝手に頭に入ってくるからだ。
それなのに、今の嵐の耳には子どもの悲痛な叫び声が聞こえていた。ずっと事故現場に縛られていたからだろうか。順也くんの魂は車に轢かれた当時のまま時間が止まっているようだった。
そして、その叫びはもちろん凛の耳にも届いている。
「こんな、ひどい」
黒いもやの中、もがき苦しむ血まみれの少年の姿を見て、凛は口元を手のひらで覆った。彼の命を奪った怪我は幽霊となった姿にも反映されており、少しも癒えた様子がない。死の瞬間の苦しみを延々と与え続けられている。
握る手にぐっと力がこもる。痛いくらいなのに、一人で対峙しているわけではないと知らしめるのはその痛みだけなのだ。だから、離すという選択肢はお互い選べなかった。すがるように握り直す。
「凛ちゃん、どうしたの」
心配した里枝が何気なく凛の肩に手を置く。
すると、彼女は「ヒッ」と小さく悲鳴を上げた。
大きな瞳で中空を凝視し、顔色を青くしている。
「何あれ、あんなのさっきまでなかったのに」
里枝の視線の先には黒いもやがあった。
もしや彼女にも同じものが見えているのか。
今まで何も見えていなかったというのに。
凛と嵐が手を繋ぐことで二人の能力が合わさった感覚はある。嵐が見ているものを凛が読み取ったまでは理解できる。だが、そこに触れた第三者にまで影響が出るとは思いもしなかった。
「……?」
三人が同じ空間を見て固まっている姿に智代子は疑問を抱いた。この場にいる中で、彼女の視界だけは正常な世界を映している。
日曜の昼下がり。
あたたかな陽射し。
大きな幹線道路から一本外れた、何の変哲もない道路しか見えていない。
「凛。コレ見せてやろうぜ」
「でも、こんなの」
「自分の目で見なきゃ分かんねえよ」
繋いだ手は微かに震え、緊張でじっとりと湿っている。迷う凛の手を、嵐が力強く握り直した。凛の肩を掴んでいた里枝も、ようやく気を取り直して口を開く。
「お願い凛ちゃん。叔母さんにも見せてあげて。どの道、こんな状態の順也くんを放っておけないもん。なんとかしてあげなきゃ!」
順也は里枝の従兄弟にあたる。不慮の事故で亡くなっただけでなく、死後も苦しみ続けていると知って何もしないわけにはいかない。そもそも、事故現場の霊視を頼んだのは里枝なのだ。見えないながらも、この場の異変を肌で感じ取っていたのかもしれない。
「智代子さん、こちらへ」
意を決し、凛は少し離れた場所に立つ智代子に声を掛けた。空いているほうの手を差し伸べる。一箇所に固まる三人を訝しげに眺め、智代子は立ち止まった。
「順也くんを見たくありませんか」
「順也の姿が見られるの?」
不信感から冷静さを取り戻していた智代子の瞳が更に狂気と歓喜の色に染まった。すぐさま歩み寄り、凛が差し出す手に自分の手のひらを重ね、強く握り締める。
「順也!」
約一年ぶりに再会できる。
我が子の可愛い顔が見られる。
無邪気にはしゃぎながら、智代子は三人の視線が集まる中空を見た。
「…………えっ?」
視界に映し出された光景は、彼女が思い描いていたようなものではなかった。