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13話・狂った母親


 翌日の昼食後。

 外出しようとする凛を母親が呼び止めた。


「昨日も出掛けたでしょ。今日もどこか行くの?」

「う、うん。ちょっと」

「お友だちと遊ぶの? それとも、また図書館?」

「うん。ええと、そんなとこ」


 勢いに押されながらも凛は断り、玄関で靴を履く。そうしている間にも背後から「お買い物ならお母さん一緒に行くわ」「可愛いお洋服買ってあげるわよ」という声が聞こえてくる。母親は地味な服しか選ばない娘に常日頃からヤキモキしており、本気で外出に着いてこようとしている。


「ねえ凛ちゃん。お母さんも夏物のお洋服欲しかったところなの。モールに新しいお店が入ったから行きましょうよ。ワンピースを着せたいわ。凛ちゃん色が白くて細いからなんでも似合うもの。いつも黒とかグレーとかの野暮ったい服ばっかりなんだから、たまにはカラフルなお洋服を着てほしいわ。髪も切りましょ。前髪を上げてお顔を見せたらお友だちも増えるわよ。凛ちゃんはとぉっても可愛いんだから、ね?」


 好き放題語る母親にうんざりしながら、凛は気付かれぬように溜め息をついた。下手に断れば角が立つ。伊達眼鏡を掛けていても場の空気でわかることもある。母親は、凛に探りを入れているのだ。


 振り切れずに困っていると、バタバタと階段を降りてくる足音が響いた。


「お母さーん、月曜までに雑巾(ぞうきん)三枚持っていかなきゃいけないの忘れてたー!」


 声の主は凛の弟、(ぜん)だ。彼は学校から渡されたプリント類を手に母親に訴えた。今は日曜の昼。縫うにしても買うにしても手間が掛かる。


 母親の意識が禅に向いた隙をつき、凛は「いってきます」と玄関を出た。扉を閉める時にチラリと見れば、禅が手をひらひらと振っていた。彼は姉を逃がすために母親の気を引いてくれたのだ。弟の気遣いをありがたく思いながら、凛はようやく家を出た。






 事務所で着替えを済ませてから、嵐の原付バイクで二人乗りをして事故現場へと向かう。ヘルメットを被り、シート横にあるバーを掴み、タンデムステップに足を置く。運転者の腰を掴むか抱きつくという手段もあるが、密着するような体勢は何となく避けていた。


 嵐の心は裸眼でも読めない。おそらく霊能力で弾いているのだろう。しかし、直接触れれば読めるかもしれない。特に、バイクの運転に意識を集中している今はガードがおろそかになっている可能性が高い。


 不意に、嵐が急ブレーキを掛けた。

 前方を走る車がウインカーを出さずに急に曲がったからだ。その際、踏ん張りきれずに前のめりになり、嵐の背中に凛の上体がぶつかってしまった。


「ご、ごめん嵐」

「いや、俺も悪い」


 すぐに身体を離して謝罪する。

 一瞬のことではあったが、触れた時に違和感を覚えた。凛が一方的に心を読むだけではなく、相互に作用する何か。不思議に思いながらも、二人はとりあえず現場へと向かった。


 事故現場に到着すると、見知らぬ少年が一人で立ち尽くしていた。小学二、三年生くらいだろうか。嵐の姿を見て顔色を変え、個包装のお菓子をひとつ花束のそばに置いて走り去っていった。


「あーあ、嵐が怖い顔するから」

「この顔は生まれつきだっつの」


 車の通行の邪魔にならないよう原付バイクを歩道の片隅に停めてから、後から徒歩でやってきた里枝たちと合流した。


「やっほー凛ちゃん」

「こんにちは、里枝さん」


 明るく挨拶を交わす里枝とは対照的に、智代子は暗く沈んでいる。抱えている花束は今日ここに供えるために用意したのだろう。凹んだガードレールが交換され、アスファルトのブレーキ痕が薄れた今でも、真新しい花束はここが事故現場であると主張しているようだった。


「さっき男の子がお菓子を置いていきましたよ」

「多分、順也の友だちだと思います。途中まで帰り道が同じだから時々一緒に帰っていたらしくて」


 先ほど見掛けた少年の話を振ると、智代子は思い当たる節があったようで、寂しげに笑った。死んだ我が子と元気なよその子。その差が悲しくもあり、羨ましくもあるのだろう。


「それで、今日は一体何をするんでしょうか」


 不信感を隠しもせず智代子が問う。

 数日前に事務所で話した際、あまり事故現場に行かないようにと言っていたくせに何故、と疑問に思っているようだ。そもそも、智代子は事故現場の場所を凛たちに教えていない。姪の里枝が勝手に教えたのだろうか、と考えているのかもしれない。


「あー、ええと、その」


 どう言い繕っても伝えるべき内容は変わらない。

 凛は少し迷った後、意を決して口を開いた。


「実は、ここに順也くんの魂が縛られていて成仏できない状態になっているんです」

「え」


 智代子はパッと顔を上げた。先ほどまでの不信と不安が入り混じった表情は消えている。むしろ、やや嬉しそうに見えた。


「順也がいるんですか? ここに?」

「は、はい」


 物凄い剣幕で詰め寄られ、凛はたじろいだ。肩を掴まれそうになり、思わず後ずさって避ける。避けられた智代子は凛から視線を外して辺りを(せわ)しなく見回し始めた。


「見えないわ! どこなの順也!」

「ちょっと叔母さん、落ち着いてよ」


 歩道から飛び出しそうになる智代子の腕を里枝が掴んで止める。その手を振り払い、事故現場周辺をキョロキョロと探し回る智代子の目は血走っていた。


「順也、順也。やっぱりいたのね。お母さん、あなたがここにいるんじゃないかって思ってた。だから毎日ここに会いに来ていたのよ!」


 口の端を歪めて嬉しそうに笑う智代子に、凛も里枝も引いている。嵐だけは険しい表情のまま、事故現場全体を眺めた。彼の目には黒いもやに囚われた哀れな少年の姿が見えている。黒いもやは絶えず智代子から噴き出しており、今もどんどん濃さを増していた。


「おい、オバサン」


 見兼ねた嵐が声を掛けると、智代子は首だけで振り向いた。


「このままじゃ、死んだ子どもは天国に行けねえんだぞ。アンタはそれでいいのか」


 初めて顔を合わせた時はガラの悪い外見に警戒して怯えていたというのに、智代子は嵐を睨み付けている。臆する様子は微塵もない。


「……どこにも行かなくていいのよ。順也はずうっとお母さんと一緒にいればいいの。もう二度と離れないわ」

「でも、それじゃ」

「あんた達に何が分かるのよ!」


 怒鳴られて、嵐と凛はビクッと肩を揺らした。

 智代子の顔からは普段の気弱さや穏やかさが消えている。嵐の目には、彼女から立ち昇る黒いもやも相まって本物の鬼のように見えた。


「順也、順也はずっとお母さんと一緒にいたいわよね? 離れたくなんかないわよねーぇ?」


 事故現場の中空を見つめ、死んだ我が子に話し掛ける母親の姿は狂気に満ちていた。


 智代子の変わり様に一番驚いたのは凛だった。

 母親の歪んだ愛情を向けられ、今朝もしつこく絡まれたことを思い出して足がすくむ。


 世の中の母親という存在は、多かれ少なかれみな我が子に対して執着しているという事実をまざまざと見せつけられた気がした。



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