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石と誰かの物語

次のイベントは?

作者: 河 美子

石と誰かの物語です。

 「今日は結婚記念日だな」

 げっ、忘れてた。

 義明はイベントを忘れない人。

 優しいけど、ときどき面倒だと思うこともある。

 私自身、誕生日だけなら覚えてるけど、父の日、母の日、誕生日、バレンタインデーにホワイトデー。そして結婚記念日なんて、我が家では祝ったことなど一回もなかったから。

「あのね、今日は早く帰って来るよ」

 だねよ、今日は。由美と飲み会よ。折角の女子会は一年ぶりなんだから。

「私は取引先と接待があるの、今日は遅いわ。日を改めて祝いましょうよ」

「えっ、そうなの? 結婚記念日だよ」

「でも、仕事はそれを考慮してくれないわ」

「まあ、それはそうだけど。残念だなあ」

「明後日の日曜ならどう?」

「仕方ないな。じゃ、日曜日に」

 きっと義明は何かプレゼントを買っているに違いないわ。私は何にも用意してない。というか、結婚記念日は何の祝いなんだろう。だって、たまたま一緒に役所に行った日がこの日だったし。七年前は派遣で働いていたし、とにかくあの時は義明だってまだ教育実習生だったもの。それも、会社を辞めて教師になるって決めて、二人で喧嘩をしながらの毎日だった。

 二人で駅で反対方向に分かれて電車に乗る。ホームからお互いの姿を眺めるのは難しい。いつもラッシュの中だから。見つけると、少し手を振るのは義明の方。私はケータイ片手にちらっと見るだけ。嫌いじゃないけどあんなに沢山の人の前で手を振ることは無理。

「僕はすぐに手を振るのに、乙女は知らん顔だね」

「そんな恥ずかしいもの。新婚でもないし」

「いいじゃないか」

「私は、ああ義明だわって目で確認するだけで幸せなの」

 そう言うと、ちょっと嬉しそうに笑う。本当に可愛い人だわ。どうしてこの人と結婚したんだっけ。

 あれは十年前のこと。二人とも新卒で働き始めた時だった。義明が勤め始めたのは菓子メーカーの営業。いろいろな会社にお菓子のボックスを置かせてもらいたいと頭を下げるのが新人の仕事だった。彼が来たときに受け付けたのが私。汗をかきながらも一生懸命説明するのが可愛くて、ついつい承諾した。

「もう、ハンサムに弱いな、乙女ちゃんは」

 上司は笑っていたが、そう、あの頃は会社はおじさんばかりで若者を見ることはなかった。しかも、こんな中小企業の会社にもお菓子ボックスを持ってきてくれるメーカーは彼が初めてだった。新鮮な風を運んでくれた気がした。昼休みに本を読んでいる私に、小さなチョコをおまけにくれたり、偶然誕生日と重なった日には、キャンペーン用のぬいぐるみをくれた。

 あまり可愛げのない女性の名前が坂本乙女かと、龍馬の姉と同じ名前でどこでもすぐ覚えてくれた。営業にはいいが、私は好きになれない名前だった。両親はなかなか子宝に恵まれず、結婚十五年でできた娘を本当に可愛がってくれた。だから、私の誕生日や子どもの日は祝ってくれたが、自分たちの結婚記念日などどうでもよかったようだ。

 電車でそんなことを思い出していたら、由美が子供が熱を出したからと飲み会延期のメールが来た。

「あれ、そうなんだ」

 だったら結婚記念日を祝おうか。

 調子のいい私は義明にメールした。

「今日、やっぱり祝いましょう。早めに切り上げるよう、仕事がんばるわ」

 すると、義明はすぐに返信が来た。

「そうだよ。よし、すぐに帰るから」

 妙にテンションが上がった。なんだか気持ちが華やぐ。不思議だ。別に待ち焦がれた日でもないのに。昼休みにプレゼントを買いに行く。

 去年はブックカバーだった。今年は何にしよう。費用は三千円程度。ちょっとおしゃれな文具店に行く。この店はお気に入り。いろいろと見ているとおしゃれなボールペンが目に入る。

 いつも百均のボールペンを使ってるから、これにしよう。ラッピングも頼む。紺のリボンがいい。

 会社に戻ると、机の上にびっくりするほどの書類の山。

「え、係長これどうしたんですか」

「ああ、悪いけど、あの三木島商会がつぶれたって一報が」

「そんな、昨日社長会ったのにそんなこと何も言ってなかったですよ」

「夜逃げしたって」

 こことの取引はもう二十年以上なのに、最近はあまりいい評判を聞かないからと、今年は半分に減らしたばかり。娘の嫁ぎ先とあって社長も取引をゼロにするわけにもいかなかったがその親切心がとんでもないピンチになった。

「お嬢さんは?」

「消えてるらしい。社長も心配して探し回ってる。君はその書類から三木島のお金が全部でどれだけか書き出して」

「はい」

 結婚記念日は……。そんなこと言えない。


 急に仕事が入ったことだけは義明にメールした。

 およそ一千万が回収不可能となりそうだった。

 銀行や信金にみんな走り回っていた。こちらも不渡りを出すと破産になる。みんな真っ青だった。

 社長がありとあらゆる伝手を頼って資金はどうにか調達できそうと分かったのは、もう日付も変わる頃だった。

 最終電車に乗り、家に着く。

 ドアを開けると、紙テープで作ったアーチ。

 食卓には花がコンポーネントに飾られている。

 鍋には煮込みハンバーグ。お腹がすいていることも忘れていた。コートを脱いで寝室に入る。義明はいびきをかいて寝ている。そっとクローゼットにコートを置いてパジャマに着替える。起こさないように暗闇で着替えていたら、思い切りドアに足の小指をぶつけた。

「いったーい!」

 その声に義明が飛び起きた。

「どうした」

「小指をぶつけた。ごめん、起こしたね」

「遅かったね、大変だったね」

「うん」

 義明は肩を抱きながらお疲れさんと言ってくれる。

「食べる?」

「うん」

 彼は台所の鍋を火にかける。

 彼の料理は美味しかった。

 大変だった一日をまくしたてた私を彼はうなずきながら聞いてくれた。

「そうか、そうだよな。社長も娘の行き先が分からないと心配だよな」

「そうなの、お金はどうにかなりそうだけどそこなのよ」

 ひとしきり話すと、わがままな私はプレゼントを渡した。彼はにこにこと受け取った。

「乙女さん、どうもありがとう。大変なのによく思い出してくれました」

「忘れないわよ、私」

「だよね、じゃ僕から」

 義明は小さな袋を取り出した。

「はい、結婚記念日だから」

「ありがとう」

 中には青白い石のペンダント。

「何の石?」

「ブルーカルセドニーだって。北野先生がこの石は絆を深めるっていうから」

「へえ、きれいな石」

 北野先生は養護教諭で彼はよく相談しているみたい。五十代の優しい先生で生徒の信頼も厚いそうだ。パワーストーンの話は保健室に来る生徒にはとても関心があるそうだ。

「誰でも話したいことはたくさんあるけど、話しやすい人はそういないからね、北野先生のような人はありがたいさ」

「そうね、そんな先生がいたら随分と心が軽くなるわね。私も話したいな」


 あの日から身に着けるようになったブルーカルセドニー。

 そのせいかよくわからないけど、今妊娠五か月。

 昨日初めて腹帯をつけた。

 彼の喜びようは半端でなかった。これほど待っていたのかと感心するほどだった。私には何も言わなかったけど欲しかったのね。ますます家に早く帰るようになって少し困るほどだ。


 名前は何にしようか。

 乙女の子だから小乙女だと彼は簡単に言うけど、それだけは絶対に阻止したい。


 生まれる日はひな祭りだって。


 イベントがまた増えるわ。


 

 

 

 

 

 

 


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