ポンコツ妻、聖なる乙女と対峙する
「先日捕えたあの男、自白魔法でベラベラ白状しました。やはりロドリゲス大司教の配下の者でございました」
「……狙いはやはりユニカか」
「はい。奥様を使って、至宝の在処を聞き出そうとしていたようです。あの者、如何いたしましょう」
「普通ならば牢獄に入れ服役させるところだが、ずっと探していた相手があの者である事がわかった」
「まさかアイツが……っ?」
「……クロエの手に固く握られていた犯人の毛髪。奴の髪からその毛髪の持ち主と同じ魔力が検出された」
「では間違いないですね」
「ああ。奴が実行犯だ。今度はまだ何もしていなくとも、前に奴がした事は絶対に許さない……」
「かしこまりました。ではそのように処理致します。奴には奥様が受けた恐怖と苦しみを数十倍にして味わわせてやりましょう」
「俺がやる」
「旦那様がお手を汚される必要はございません」
「命を下す時点で同じ事だ。それに、奴は絶対にこの手で始末しなければ気が済まない。愚かだった過去の自分の責は、自ら取る」
「旦那様……」
◇◇◇◇◇
「ごきげんよう」
「やぁこんにちはユニさん」
「ごきげんよう、いいお天気ですね」
「アラこんにちは!洗濯物がよく乾くから助かるよ」
「ごきげんよう」
「あ、そこのアパートのお嬢さんか。はいこんにちは、お散歩かい?」
「ええ。そこの公園まで」
ユニークアパートメントのご近所さんは気の良い人ばかりだ。
壮年の夫婦。
学者風のお爺さんとその娘さん。
新婚アツアツの若夫婦。
喧嘩をしつつも仲良く暮らす兄弟。
みんな散歩中のユニカに優しく挨拶をしてくれるし、
本屋の帰りに荷物を抱えているとアパートまで運んでくれたりする。
ユニカの周りには優しく温かい人ばかりだ。
その恵まれた環境にユニカは心から感謝していた。
ユニカは妊娠五ヶ月に入った。
安定期に入り、お腹も膨らみ始め少し妊婦らしい体型になってきている。
──予知夢の中ではこのくらいの時期にはもう既にセドリック様に離婚を言い渡されていたと思うのだけれど……どうしたのかしら、全く音沙汰が無いのよね。
ルナは一応、わたしの居場所を知らせてあると言っていたし……どうして何も言って来られないのかしら?もしかしてわたしが別邸に行かなかった事を怒ってらっしゃる?
だからこのまま放置して自然消滅?
……そんなお方ではないわね。
会いたいけれど会いたくない。
それがユニカの今の正直な気持ちだった。
だって会えば必ず離婚の話になる。
やっと会えたと思ったのに別れの言葉を聞かなくてはならないなんて辛すぎる。
覚悟は出来ているとしても、心はそんなに強くなれない。
ユニカは深く、重たいため息を吐いた。
その時である、
「もしかしてユニカ様ではありませんかっ!?」
急に大きな声で名を呼ばれ、ユニカは驚いて前を見た。
すると前方から一人の娘がこちらに向かって近付いて来る。
「どなた……?」
この付近では見かけない人物だ。
さらさらの黒いストレートロングに赤い瞳……
「……!」
予知夢でその姿を見たのは一度だけ。
別邸に移ったものの、どうしてもセドリックの顔が見たくてこっそりと公爵邸に戻った時だ。
セドリックは政務で留守だったが、屋敷に居たディアナと出会したのだった。
その時の夢の中のディアナに、ユニカは耳を塞ぎたくなるような事を言われていた。
許されないとわかっていても、セドリックと想いが通じ合ってしまった事。
ユニカとは別れて、乙女としての任期を終えたディアナを妻に迎える事に決めたとセドリックが言っていたという事……。
それらの言葉が俄には信じられず、また信じたくなくて俯くユニカの手をディアナが取り、真剣な目を向けられて離婚を受け入れて欲しいと言われた。その握られた手にチクリと針で刺されたような刺激を受け、驚いたユニカが慌てて手を離して別邸に逃げ帰った……そこまでが予知夢で見た、最初で最後のディアナとの遭遇だった。
その他の予知夢でディアナと対面したものを見た事はない。
なのに、何故今、目の前にそのディアナが……聖なる乙女が居るのだろう。
予知夢と違い、ユニカが公爵邸に行かなかったからか。
ユニカが予知夢とは違う行動を取ったが為に軌道修正が行われているのか。
やはりどう足掻いても、本筋は変えられないようだ。
思わず足が止まり、立ち竦むユニカにディアナが声を掛けて来た。
「やっぱり……!ユニカ様ですよね!」
初対面であるし、ファーストネームで呼ぶ事を許した覚えはないが、公爵夫人と呼ばないあたり、既にディアナの中でユニカはセドリックの妻ではないという事なのだろう。
セドリックの心は、既にディアナに向けられているのだろう。
きっとその自信が、ディアナにそんな態度を取らせるのだ。
ユニカはきゅっと唇を引き結んでから、幼い頃から叩き込まれた貴婦人の微笑みを貼り付けてディアナに応えた。
「まぁこれはこれは、もしや聖なる乙女様でいらっしゃいますか?」
「はいそうです!こんな所で偶然ユニカ様にお会い出来るなんてラッキーですわ!神はやはり、常に正しき方へ導いてくださるのですね……」
ディアナは胸に手を当て、神に祈りを捧げるポーズを取る。
ユニカはディアナに尋ねた。
「聖女様がお一人で何故このような住宅街へ?わたしに何かご用事でしょうか?」
「……ワタシ、ユニカ様にお願いがあるんです」
「お願い?」
「はい、どうか……どうかセドリック様を解放してあげてくださいっ、彼は苦しんでいるんです、本当はワタシの事を愛しているのに妻を裏切るような事は出来ないって。政略結婚だから、国の為に我慢しなければならないって……」
「セドリック様がそんな事を……?」
「はいっ、だから彼を解放してあげて下さいっ!」
ユニカは目を閉じ、深く深呼吸をした。
「わかりました……」
「!ありがとうござ……「でもそれは、セドリック様の口から直接聞いて判断致します」
ユニカが承諾したと俄に喜色を浮かべたディアナを遮るようにユニカは言葉を重ねた。
「例え政略で結ばれたとしても、あくまでも夫婦間の問題です。このお話は貴女とわたしではなく、ワタシとセドリック様との間でするべき事です。ですので今の時点では貴女のご要望にお応えできません」
ユニカはディアナの目を見てしっかりと告げた。
予知夢で一度見ていたからだろうか、夢の中とは違い、冷静になって対応する事か出来た。
それを聞きディアナはぽつりと、
「何よ、偉そうに」と呟いてからニッコリと笑った。
「じゃあセドリック様になるべく早めにユニカ様の所へ行くように伝えておきますね。では僭越ながら、聖なる乙女としてユニカ様の為にお祈りをさせてもらいましょう」
何を思ったか、ディアナは急にそんな事を言い出してユニカの手を取ろうとした。
ユニカは嫌な予感がして思わず手に触れられる寸前でディアナから距離を取った。
予知夢の中で触れられた手に刺激を感じた事を思い出したのだ。
「ユニカ様?怖い事は何もしませんよ?手を握ってお祈りをしながら聖力を注ぐだけです。皆がワタシにやって欲しいとせがむんですよ?さぁ、手を貸して下さい」
尚も手を差し出すように要求するディアナに違和感を感じ、ユニカは思わず後ずさった。
「け、結構ですわ……お祈りなんて要りません」
「まぁそう言わずに。さぁ、ユニカ様」
今度こそユニカの手を掴もうとディアナがユニカへと手を伸ばしたその時、
「きゃあっ」
ドンっとディアナの肩を押して間に割り込んで来た者がいた。
「!……シシー……?」
ユニカを背に庇い、肩を押されて尻餅を吐いたディアナを見下すように立つ、201号室の住人GGL作家のシシーがそこに居た。
「大丈夫?ユニカちゃん」
「シシー、どうしてここに?」
「なんか見かけない変な女がユニカちゃんに触ろうとしてたから。何コイツ、痴女?」
「痴女じゃないわよっ聖女よっ!」
シシーの言葉が癪に触ったディアナが反発してきた。
「聖女?アンタが?そんな邪なオーラを出しまくっておいて?」
「なっ……!失礼だわっ!聖なる乙女を冒涜するなんて!国教会に言って罰して貰うからっ!」
「夫と別れろと妻に強要するのが聖女の仕事なの?それこそ国教会に罰せられるんじゃない?」
「っ……!」
「国が定める聖なる乙女が自ら不貞を口にして、その相手の妻に離婚を薦めるとはねぇ……とんだ聖女様だ。この事を新聞社に教えたらどうなるのかな~?ボク、新聞社に知り合いが多いんだよね~」
「なっ、なっ、なによっ!脅す気っ!?」
今まで軽口を叩くように告げていたシシーの声色が急に低くなる。
「脅し?ただの脅しかどうか試してみる?結果は明日の朝刊をお楽しみにってね」
完全に分が悪いと踏んだのだろう、ディアナは「覚えてなさいよっ!」と物語で悪役が言うようなセリフを本当に口にして逃げ去って行った。
それを呆気に取られて見ていたユニカにシシーが声をかける。
「災難だったねユニカちゃん。何アレ?今の変な女」
「……ありがとうシシー……変なところ見られちゃったわね……」
どうやらシシーには色々と聞かれてしまったようだ。
困り果てた顔で力なく微笑むユニカに、シシーは言う。
「……ユニカちゃん」
「なぁに?」
「ボク……さっき新聞社に知り合いが多いって言ったでしょ?」
「ええ……さすがは作家さんだなって思ったわ」
「新聞記者さんたちが言ってたよ、ロレイン公爵は地方に巡察に行っててずーっと王都には居ないって」
シシーの言葉にユニカは驚いて聞き返す。
「え?ずーと?ずーっとって、いつから?」
「わからないけどここ2~3ヶ月ほどずーっと。各地を回ってるらしいよ?」
「本当なの……?」
──それじゃあセドリック様はディアナ様と屋敷で暮らしているわけではないの?
では何故ディアナ様はわざわざあんな事を?
ユニカの頭の中で様々な事がぐるぐると渦を巻く。
なんだかどっと疲れが出て来たユニカはふいに目眩を感じた。
「ユニカちゃん!?」
頭の中で思考が渦を巻くように視界もぼんやりと渦を描くように歪む。
こんな所で意識を手放せば、シシーに多大な迷惑をかけるとはわかっていても、もうユニカにはどうする事も出来なかった。
「ユニカっ!」
ユニカは次第に遠のいてゆく意識の中で、セドリックの声を聞いたような気がした。