203号室、髪を切ったラプンツェル
「おめでとう存じます。ご懐妊でございますよ」
近所に住むという壮年の女性産科医療魔術師から、笑顔でそう告げられた。
「妊娠3ヶ月。ご出産は11月頃になられます」
「秋生まれの子ね、ふふ楽しみだわ」
ユニカは自身の下腹部に手を当て、嬉しそうに微笑む。
男の子だろうか、女の子だろうか。
──そういえばセドリック様に離婚を言い渡された日以降の予知夢って見た事がないかも……。
これから見るのだろうか。
だとすれば生まれてくる子どもがどんな感じの子なのかも見られるかもしれない。
初めてユニカは予知夢が見たい、そう思えた。
シシーが魔力で治療してくれてからお陰様で悪阻は落ち着いている。
ユニカは単純な畑仕事や棚の埃取りやアパート経営の帳簿付けなど、清く正しく慎ましい自立のための日々を過ごしていた。
そんな穏やかな日々の中、その珍騒動は起きる。
「ツェルぅぅぅーーーーッ!!」
ドターンッと扉が砕け散ったのではないかと思うほどの爆音を立てて、アパートの玄関扉が開かれた。
「ぎゃーーーっ!?」
丁度エントランスで花を活けていたユニカは驚きすぎて花瓶を落としそうになる。
それを既のところでルナが手を添えてフォローしてくれた。
「奥様大丈夫ですか?でも、ぎゃーはいけません。貴婦人たるもの、やはり叫ぶならきゃーっでお願いします」
「うふ、それもそうね。ごめんなさい」
二人でそんなやり取りをしているが、扉を派手に開けた人物が体格の良い男と確認するや否や、クロエが大声で叫んだ。
「そんな事言ってる場合じゃないでしょっ!ルナ!ユニカ様を安全な所へっ!!」
武器のつもりだろうか、手に箒を持ってこちらに走ってくるクロエを見て、ルナは言った。
「あー、大丈夫ですよクロエさん。この人は……
「ツェルッ!!ラプンツェル゛ッーーー!!」
ルナが説明しようとしている言葉に被せるようにしてもう一度、男はその名を大声量で呼んだ。
「うるさっ!」
「す、凄い声量ね、オペラ歌手みたい……」
ユニカとルナは耳を塞いで男を見る。
するとその時、今度は二階からドダダダッと凄い勢いでこちらに向かって来る足音がアパート中に響いた。
その音を聞きつけルナが慌ててユニカを背に庇う。
「うわっ、在宅中だったんだ!留守だったら良かったのにっ!」
「え?」
ルナの言葉にユニカは何事かと目を見張る。
「ラ゛ァァイダーーーーッ!!」
その声と共に階段の踊り場から長いロープが鞭のようにしなりながら男の方へと伸びて行った。
そして鞭のようなロープのような物は男の体に巻き付き、その身を縛り上げる。
「!?」
ユニカはその光景を只々刮目するより他なかった。
「ぐっ……ぐぬぬぅっ……!」
身動きが取れなくなった男はなんとか拘束を解こうと身じろぐが、ロープは更にキツく絞まってゆく。
そして手をパンパンと、埃を払うように叩きながら一人の女性が降りて来た。
──あの人は203号室の店子さん……。
留守がちな彼女とはまだ一~二度しか顔を合わせていない。
ルナがこっそりつけたあだ名は
“髪を切ったラプンツェル”。
美しいサラサラなブロンドのショートヘアーが印象的なスッキリとした美人さんであった。
──よく見ると………。
男を縛り上げているロープって……髪の毛!?
ユニカはぎょっとした。
ラプンツェルはユニカ達に笑顔で軽く会釈してから自身で縛り上げた男の元へと近付いて行った。
「……もう二度とここには来るなって言ったわよね?」
冷たい、温度を感じさせない声でラプンツェルが言う。
ライダーと呼ばれた男は焦りながら答えた。
「す、すまんっ……でもどうしても諦められないんだ……ホントに俺が悪かった、酷い事を言ってすまなかった。どうか許してくれ、そしてもう一度だけチャンスをくれっ……!」
男は懇願し、エントランスの床に額を擦り付ける。
「その言葉はもう聞き飽きた。アンタとの関係はこの髪をバッサリ切り落とした時に終わったのよ。いつまでも未練たらしく付きまとわないで」
「どうして切ってしまったんだっ……あんなに長くて綺麗な髪だったのにっ……!」
「人生を新しくやり直すには邪魔だったのよ。おかげで精々したわ。どうしてもっと早く切らなかったのかしら、髪もアンタも」
「ヒィっ……」
更に温度が下がった冷たい声でラプンツェルが言うと男は震え上がった。
それを見てラプンツェルはニッコリと微笑む。
「わかった?脳みそまで筋肉で出来てるそのおバカな頭でも理解した?理解したのなら……」
ラプンツェルはゆっくりとした動作でアパートの玄関扉を開けた。
そして、
「わかったらとっとと出てけっーー!!」
と言いながら、まるでコマのようにロープを解き、男を外へと放り出した。
「ギャーーッ!ツェルっーー!!」
男はクルクルと回転しながら去って行く。
それを見届け、ラプンツェルはバタンと扉を閉めた。
「………」
アパートに静寂が戻る。
「えっと……?」
ユニカが何から尋ねようか思いあぐねていると、
ラプンツェルの方から口を開いた。
「オーナーさん、お騒がせして本当にごめんなさい。そしてお見苦しいところもお見せして恥ずかしいわ」
「いえ、そんな事はいいのよ。それよりあなたは大丈夫?なんだかゲッソリした顔をしているわよ」
ユニカが心配そうに言うと、ラプンツェルは半目になって答えた。
「アイツ、元カレなんだけどホントしつこくて。別れたくないって聞かないのよ」
「まぁ」
立ち話もなんなので…という事でユニカの部屋へと移動して、お茶を飲みながら続きを聞く事になった。
いつものクロエの美味しいお茶が出てくる。
もちろんユニカはノンカフェインのものだ。
ラプンツェルはお茶を飲み、口を潤してからさっきの男との因縁を話し出した。
「そんな改まってするような話でもないのよ?ただ恋人だったアイツと価値観の違いで別れた、それだけなの」
「価値観の違い?」
「結婚についての考え方とか、親との接し方とか……まぁ色々とね、その中で女は黙って家に居りゃいいんだみたいな事を言われて、ダメだコイツと思って見限ったのよ」
「でもさっきの人は別れたくないと言って聞かないのね」
「そうなの。でも私はどうしても別れたくって。だからアイツが好きだった長い髪をバッサリ切り、同棲してた家を出たのよ」
「それでユニークアパートメントに入居したのね」
「そう。ここは女性専用だというし、間取りも良くって気に入ってるわ」
「ふふ、ありがとう」
ユニカはそう言いながら、ふとラプンツェルの側に置かれた、髪ではないかと推測するロープを見た。
その目線に気付き、ラプンツェルは説明してくれた。
「これ?これはその時切り落とした髪よ。アイツと付き合いだして7年間一度もハサミを入れなかった私の髪。どういうわけか髪に魔力が残って、鞭のように自由自在に扱えるのよ。だから護身用に取ってあるの」
「な、なるほど……」
確かにさっきはまるで生き物のように自在に動いていたような……。
切った髪にはこんな使い方もあるのね、とユニカは心の中でメモを取った。
何かの役に立つだろう。
「アイツと付き合ってる時はずーーっとさ、家にばかり居たの。仕事が終わったらまっすぐ帰ってアイツのために食事を用意して家の事をして……あまり外出もせずに家の中ばかり居たんだよね……だから今は外に出て、旅行に行ったり買い物したり外食したりするのが楽しくってさ」
「だからお留守が多いのね」
あまり顔を合わせないのはそのせいかとユニカは納得した。
クロエがラプンツェルに尋ねた。
「でもさっきの彼、あの調子じゃまた来るんじゃない?かなりしつこそうだったけど」
ラプンツェルが肩を竦めて言う。
「来るたびに追い出すしかしょうがないわね。でもじきに次の女が出来て、来なくなると思う」
そう告げた彼女の表情が少し寂しそうで、ユニカはたまらない気持ちになった。
「……ラプンツェルさん……」
「ま、だから申し訳ないけど少しだけ辛抱して欲しいの!私が居る時は私が対処するし、留守の時は適当に追い返してくれたらいいから!よろしくね!」
ラプンツェルの申し出に、ユニカたちは頷く事しか出来なかった。
夕方、畑に水を撒きながらユニカはぼんやりと考える。
──ラプンツェルって……本当はまだあの人の事が好きなんじゃないかしら。別れたいって気持ちとは裏腹に、心のどこかには彼の側に居たいという気持ちが残ってるんじゃないかしら……。
でもこれ以上は踏み込めない。
ユニカはアパートのオーナーとして、ラプンツェルが心穏やかに暮らせる事を祈った。
しかしその後もラプンツェルの元カレは頻繁にアパートへやって来た。
その度に何故か在宅中のラプンツェルと同じ様なやり取りが繰り広げられる。
ユニカも段々とそのやり取りに慣れ、今ではラプンツェルの豪快な切り落とした髪ロープ捌きにある種のショーを見ているような気持ちになっていた。
なんやかんやとラプンツェルと元カレの男、今のそんなやり取りで自分達の心の距離を推測っているのではないか、そんな気さえしてきた。
結局二人、互いに離れきれないのだろう。
こんな関係性で続いていく男女もあるのだな、とユニカはまた心のメモ帳に書き記す。
「………元気かな……」
どうしようもなく、
セドリックに会いたかった。
◇◇◇◇◇
「野菜泥棒……じゃあないわよね」
「!!」
皆が寝静まった深夜。
裏庭のユニカの畑でルナは不審な人物に声をかけた。
気配も無くいきなり後ろに立ったルナに、その人物は直ぐさま飛び退いて距離を取る。
「……鈍チン野郎の癖に動きは悪くないのね……どうせロドリゲス大司教の手の者なんでしょ?」
「クソっ……!」
ルナの間合いの詰め方にその実力を理解したのか、その人物は逃げを打つ事に決めたらしい。
「逃すわけないでしょう」
ルナは一瞬で距離を詰めて相手を捕縛した。
腕を後ろに捻り上げ、うつ伏せに倒して膝で押さえつける。
その時に術式を唱えて相手の口に拘束具をする。
口腔内に毒物を含ませている危険性があるためだ。
完全に制圧されたその人物は、抵抗しても無駄だと判断したのか大人しくなった。
そんな相手にルナは耳元で囁く。
「おおかた閣下の居場所でも探りに来たんだろうけど、この場所を探し当てた手腕は褒めてあげるわ。でもね、ここの真のオーナーはとんでもなく怖いお人なのよ……迂闊にここに手を出した事、きっと死ぬほど後悔するんだから」
「……!」
そう言った後、ルナはその人物を連れて何処かへと転移していった。
この出来事を知る者は畑の野菜以外、誰もいない。
また夜の静寂が辺りを包み込んだ。