202号室、マッチ売りの熟女ハンナ
「え!?やだオーナーさんってばマッチを使った事がないのっ!?」
「ええ。火は魔石で熾していたし、わたし自身が火を扱う事はまずなかったもの」
「くぅぅ~!生粋のお嬢サマって奴ね。魔石なんてクソ高いモノ、我々庶民には手が届かない代物なのよっ、だからマッチは生活に欠かせない物なんだから!」
このところ、お茶の時間になってはユニカの部屋のリビングに押しかける202号室の住人ハンナ。
もちろんお目当てはクロエが淹れる最高級の茶葉を使ったお茶である。
マッチを製造販売する商店で勤続40年を迎えるハンナ。
マッチ箱の中のマッチ棒の数だけ恋をしたというのが彼女の武勇伝である。
毎回、お茶を飲む度にこれまで付き合った男の話や別れた数人の旦那さんの話を聞かせてくれる。(聞かされる)
「最初の結婚は18の時だったのよ。それまで既に7人と付き合った後で、男なんてロクなもんじゃねぇって思ってたけど、出会った瞬間にビビビッとキタんだよねぇ」
「18歳までに7人っ!?」
のんびりした田舎で育ち、しかも10歳の時に当時第二王子であったセドリックの婚約者となってからは更に温室育ちにさせられたユニカにとっては実に目を見張る数である。
「でもそいつとはすぐに別れちゃった。その後5人付き合って、2番目の旦那とは出会ったその日に籍をいれたんだ~」
「出会ったその日にっ!?」
セドリックとは8年の婚約期間があった。
その間もちろん何度も会い、交流をして絆を深めていった。
それなのに出会ったその日にとは……
「でもやっぱり蓋を開けてみりゃその男もクズでさ~、働かないわ浮気はするわですぐに別れたんだけどね」
「ヒモで浮気男なんてゴミ以下ですね」
クロエが冷ややかな声で言い捨てる。
「だよね~。でさ、その後10人ほど付き合って……「ちょっ、ちょっと待って」
ユニカはハンナの話を遮らせて貰い、純粋な疑問をぶつけた。
「本当にマッチ棒の数だけ男の人とお付き合いされたの?」
それを聞き、ハンナが笑いながら答える。
「それはまぁジョークよ。さすがに40人と付き合ったら、身体が保たないわよ~。でもそれに近い数の男とは付き合って来たわね。男との関係なんて、擦って燃えてすぐに消えるマッチそのものだからね~」
初恋の相手もセドリック。
ファーストキスの相手もセドリック。
当然初めて肌を重ねた相手もセドリック。何もかもセドリックしか知らないユニカにとっては未知の世界である。
「深い、深いわハンナ……じゃあ今は?今もまだお付き合いしている男性はいるの?」
「それがさ~、最後の亭主との間に出来た子どもを産んでから、ぱったりと男に興味が無くなったんだよね~。それからは子ども一筋。結局最後の亭主とは死に別れになっちゃったんだけどさ……彼が遺してくれた宝物を大切に守り育てる事以外、どーでもよくなっちゃったんだよね」
「そう、そうなのね……」
ユニカはそっと自身のお腹に手を添えた。
彼が残した宝物。
自分とセドリックは死に別れになったわけではないが、ある意味ハンナと境遇が似てるなとユニカは思った。
やはり案の定、月のものが来ない。
クロエやルナもその事を意識し初めている。
そろそろ産科専門の医療魔術師の診察を受けようか。
そう思っていた時だった。
「………だからさ、なんとなくだけどわかるんだよね。一人で子どもを抱えてる母親の顔付きが」
「え?」
ハンナのその言葉にユニカはドキリとする。
「オーナーさんさ、アンタ、デキてるんじゃない?事情は知らないし聞く気もないけどさ、お腹に子どもがいるんだろ?」
「「……!」」
クロエとルナが息を呑む気配がわかった。
ユニカは肩を竦め、はにかみながら答える。
「おそらくは。月のものも止まってるし、わたしも妊娠していると思いま………………
「「「?」」」
途中で黙りこむユニカを3人が怪訝な顔で見る。
「…………うっ、おぇっ」
「ユニカ様っ!?」「奥様っ!?」
「ちょっ……話した途端にっ!?単純過ぎないっ!?」
突然吐き気を催し、両手で口元を押さえたユニカにクロエとルナとハンナが狼狽える。
「ルナ!洗面器!ハンナさん、コップに水を入れて持って来て貰えますか?」
押し寄せる吐き気に耐えるユニカの背中を摩りながら、クロエがテキパキと指示を出す。
その後ユニカはせっかく食べたランチも美味しいお茶もお菓子も全てリバースしてしまった。
今は力なくベッドで横たわっている。
初めての悪阻による吐き戻しに、少なからずもショックを受けたようだ。
「とにかく信頼出来る医療魔術師を探さないと」
クロエが言うとルナが胸を叩いて答えた。
「そこはお任せください。なんと運良くこの近くに口が固くて腕の良い産科医療魔術師が住んでるですよ~。何度か道で行き交って世間話などをして、人柄は申し分ないと判断しています」
「ホントに?幸運過ぎてなんか怖いわね……。じゃあとりあえず私もその人に会ってみるわ。それから往診をお願い出来るか尋ねてみましょう」
「はい。そうですね……あの……この事を閣下には……」
ルナが恐る恐るといった体でクロエに聞いた。
クロエは少し考えて首を横に振る。
「まずは本当にご懐妊あそばされているかの確認が先よ。それからユニカ様のご意思を伺いましょう。あくまでもユニカ様のお気持ちを優先すべきだわ」
「そうですよね……」
ルナはそう答えただけだった。
◇◇◇◇◇◇
ユニカは一人、セピアカラーに包まれた世界にいた。
あ、これはいつもの予知夢だなと瞬時に思う。
セドリックから離婚を言い渡されたその日、別邸の自室で一人泣いている自分の姿が見える。
自分の事なのに、ユニカはとても心配になった。
──ああ……そんなに泣いたらお腹の赤ちゃんに影響があるんじゃ……。
ユニカはどうにか自分を泣き止ましたいと、そっと近づいてみる。
当然、予知夢の中の自分はこちらに気付かない。
その時、不意に風を感じた。
先ほどまで閉まっていた窓が開き、吹き込む風によりレースのカーテンがはためいている。
──何?誰?誰かいる?
窓の方に人の気配を感じ、ユニカは暗い室内で目を凝らす。
予知夢の中のユニカもそれに気付いたようで、椅子から立ち上がった。
「誰……?誰かいるの……?」
逃げた方がいい。
直感的にそう思った。
無駄だと思いつつも夢の中の自分の手を掴もうとしたその瞬間………目が覚めた。
そろそろ見慣れたこの天井。
ユニークアパートメントの自室の天井だ。
今の予知夢はなんだったんだろう……初めて見るものだった。
いや、でもなんだろう、あの窓辺で揺れるカーテン……見覚えがある気がしてならない。
──わたし……あれを見た事がある……?
どういう事なのだろう。
「っつ……」
深く考えようとするとズキン、と鈍い痛みが頭を襲った。
どうしようもない不安と嫌な頭痛がユニカを苦しめる。
でもそんな時、ユニカの手が誰かに握られたのを感じた。
ゆっくりと目線をやり、手に感じる温もりの元を辿る。
「…………シシー……?」
そこには201号室の店子、シシーが居た。
ユニカのベッドの横の椅子に座り、優しい微笑みを浮かべている。
「大丈夫?ユニカちゃん」
「……どうしてシシーが……?」
「お家賃を渡しに来たら、体調を崩して寝てるって聞いて。ボク、こう見えてもちょっとだけ魔力があるから、さっきまでこう手を握ってユニカちゃんに吐き気を抑える治療魔術をしてたんだよ。どう?少し楽になった?」
「そういえば……胸がムカムカしないかも……」
「良かった♪」
ニッコリと微笑むシシーに、なぜかユニカは既視感を覚えた。
以前、どこかでこの笑顔を見た事があるような……。
これも予知夢関連なのだろうか。
まだぼんやりとする頭で考えるユニカの髪をシシーが撫でてくれた。
「今は……何も考えず、心配しないで、ゆっくり休んで。ユニカちゃんはただ、いつも心穏やかに楽しく過ごしてくれたらいいんだから」
「そういうわけにいかないだろうけど……とりあえず今夜はそうするわ。ありがとう、シシー」
「おやすみ、ユニカちゃん……」
シシーがそう告げると、まるでその言葉に何かしらの術が掛かっていたようにユニカはそのまま眠ってしまった。
シシーは頭を撫でながら、いつまでもユニカの寝顔を見つめていた。