ユニカの箱庭
「閣下、奥様は立派に自立した、出来る女になる事を望まれております」
「……ユニカが自立……?」
ユニカから最も連想出来ない単語をルナから聞かされ、セドリックはしばし思案した。
「わかった。じゃあコンセプトは“自立”でいこう」
セドリックが裁可を下すと、ルナは首を傾げながら言った。
「いえでも無理でしょう。世間知らずの奥様が自立なんて、あっという間に転落人生ですよ?」
「そこは周りの人間が全てユニカの為に存在するものであれば大丈夫だろう」
「……え?」
「ユニカの夢の箱庭計画、短期間で仕上げるぞ」
「「え?」」
ルナとククレの声が同時に室内に響いた。
ユニカがロレイン公爵家の別邸ではなく自分で購入した家に移り住んで自立を目指すと聞いてから、構想から実行までセドリックの動きは迅速であった。
まずはユニカが形だけ担う仕事の選定。
これは丁度良い空き物件があった事にもよりすぐにアパート経営に決めた。
そこから物件の購入……だけに留まらず、その周辺の土地の購入もまとめて行った。
続いてユニカの周辺に置く人間の人選だ。
これは元暗部で幅広い人脈を持つククレに一任した。
そしてそのククレにとある一人の人物を紹介される。
ククレの娘であり、GGLという不可解なジャンルの作家であるシシリア=ククレ、シシーという愛称で呼ばれる女性だ。
シシーは自ら立ち上げた地方劇団の脚本家兼舞台監督兼オーナーであった。
収益の少ない地方劇団の赤字を補填する為に書き始めたGGL小説がヒットとなり、今や表の肩書きがGGL作家に変わったらしいが。
セドリックはそのシシーが持つ劇団から信頼出来る人物のみを選んでアパートの店子や近隣の住人、そして各店舗の店主を演じさせる事にした。
もちろん、裏切り行為は絶対に許さない。誓約を破れば死に至るという誓約魔法を役者の一人一人に掛けさせるという念の入りようだ。
(暗部の者は元々王家の人間に誓約魔法で主従契約を結んでいるのでその限りにあらず)
その為に劇団を丸々買い取った。
全てが終わった後もロレイン公爵家が生涯支援者となって劇団の経営を支えるという誓約をセドリックは結んだ。
店子を演じる劇団員の人選はシシーとルナに任せた。
絶対的な条件としてはユニカが退屈をしない、刺激的で面白い設定の人物である事。
性別が女性限定である事は当然言うまでもない。
セドリックは自分も店子になる事を強く希望した。
女性限定としたからには変身魔術で身なりを女性に変えないといけなかったが。
それでも店子となりユニカの側に居たかったのだ。
これはシシーが男であり女という設定を考えた。
男の娘……なんだそれは?と思ったが、それでもユニカの近くで見守れるなら構わなかった。
しかし何故自分がGGL作家という役どころなのだろう。
自らも204号室の店子として入居を決めたシシーの仕事である筈なのに。
若干ルナが面白がっていたような気もするが、ユニカも興味津々だったのでセドリックは良しとした。
こうして202号室のハンナと203号室のラプンツェル、ラプンツェルの元カレ、本屋にパン屋に手芸店、そして雑貨店のご用聞き、隣近所の住人は全て劇団員で構成された。
ルナと下男のロビンは暗部の者。
通りすがりの通行人も暗部の者を配置して警備に当たらせた。
そしてもう一つ大切な事。
一度目の人生でユニカが妊娠していた事もあり、アパートのすぐ近くに産科専門の医療魔術師も配置する。
この者はセドリックを取り上げた王家専属の産科医療魔術師だ。
加えて乳幼児、小児診療の専門家でもあるので出産後も母子共に任せられる。
これでユニカが過ごす箱庭は出来上がった。
(ちなみに費用は全てセドリックの私財を投入した。ユニカの宝石は実は手付かずでセドリックが預かっている)
聖なる乙女選定、あの邪な聖女が公爵邸に来るまでになんとか準備を終える事が出来た。
そしてとうとう二度目のその時を迎える。
誠に不本意ながらもセドリックはユニカに別邸に移るように伝えた。
前回と違いやけに聞き分けがいいユニカに堪らない焦燥感を抱いてしまう。
敵を排除する為に一時の事で仕方ないとは理解していても、心が叫んだ。
信じて待っていて欲しい。
言うつもりはなかった言葉を、告げずにはいられなかった。
そうしてユニカは屋敷を出て行った。
彼女の居ない屋敷の中は寂しく、冷たい印象を受ける。
そして日を空けずに嬉々として聖女がやって来る。
セドリックは初日に挨拶だけをして、早々に自分も屋敷を後にした。
ディアナと同じ空気など、1秒だって吸いたくない。
屋敷の後の事やディアナの見張りなどククレに託し、セドリックはユニークアパートメントへと向かった。
着いてすぐに探すのは当然愛する妻の姿だ。
そして裏庭の畑で簡単な作業をしているユニカを見つける。
「ユニっ……」
思わず普段通りに声を掛けそうになるのを既のところで踏みとどまる。
今の自分はセドリックではない。
GGL作家の男の娘シシーだ。
自分にそう暗示を掛けるように、脚本通りに言葉を紡ぐ。
「ねえ、キミがもしかしてアパートのオーナーさん?」
その後はアパートの住人として出来得る限りユニカの側にいた。
ロレイン公爵として、王弟としての政務や、聖なる乙女の庇護者としての務め以外はシシーとして、セドリックはユニカとお腹の子を側で見守っていた。
ユニカは箱庭の中で役者たちが演じる登場人物と共に毎日楽しそうに過ごしている。
ひょっとしてユニカにはもう自分は必要ではないのではないか、自分はこの箱庭の中には必要のない人間なのではないかと、そんな考えに囚われた。
しかしその度にセドリックはそれでもユニカが笑って幸せでいてくれるならそれでいいと自分に言い聞かせて前を向いて来た。
そんな中で事件は起きた。
とある一人の人物が、この箱庭を突き止めた。
セドリックが張った結界に何かが触れ、様子を見に行かせたルナが捕縛して戻る。
その人物と接触してすぐにわかった。
「っ………!」
その者が持つ独特の魔力を忘れた日など一度もない。
侍女のクロエが掴んで離さなかった毛髪に残留していた魔力と同一のものだ。
――コイツがっ……!
その男こそが、前回ユニカを殺した実行犯だったのだ。
「……許さない」
絶対に許さない。
決して楽には死なせない。
その日、一人の人間がこの世界から、いやこの世から無残な姿で抹消された事を知る者はククレを除いて誰もいない。
その出来事に連鎖するように事は起きる。
聖なる乙女ディアナが、ユニカの居場所を突き止め、接触して来たのだ。
狙いはそう、今回もユニカに呪いの種を植え付ける事だろう。
しかし今回、セドリックはユニカに強力な呪詛返しの術を施していた。
対価の魔力は自分が払い、常にユニカの周りに防御のシールドを張っているのだ。
ディアナがユニカに種を植え付けようとするならばそれは逆に好機であった。
呪詛返しにより、ディアナ自身に呪いは植え付けられる。
知らせを受け急ぎディアナと対峙するユニカの元へと駆け付けると、まさにディアナはユニカの手に触れようとしている時であった。
しかし前回の記憶がユニカの防衛本能を呼び起こしたのだろうか、ユニカは既のところでディアナの手から逃れた。
その後も執拗にユニカに触れようと試みるディアナに怯えたユニカを見て、セドリックの体は無意識に動いていた。
実際問題、ディアナには呪詛返しにより自滅して貰うのが手っ取り早いのだ。
しかしユニカが嫌なのなら、一瞬でも触れられる事を嫌がるのならそれを強要するつもりなど端から無い。
セドリックはディアナの手を掴み、ユニカから遠ざけ、新聞社にタレ込みをすると脅した。
まぁ脅すだけでなく実際に新聞社に情報を流してやったが。
それが功を奏し、聖女としての清らかなイメージを著しく損傷したディアナが焦り、こちらの思惑通りに動き出した。
もう少し、あともう少しで完全に排除出来る。
ユニカの人生から、自分の人生から、敵を。
聖なる乙女と大司教という敵を。
今度は絶対に失わない。
セドリックはユニカの箱庭の内と外、両側から見守り続けた。