王家の至宝 ①
「ゆぅぅるしてぇぇ~~!!ツェルゥゥ~~!」
男が一人、ユニークアパートメントの二階にある部屋の窓から髪のロープで縛り上げられ、ぶら下げられていた。
「窓からぶら下がるのが好きなんでしょう?どうぞ幾らでも好きなだけぶら下がっていればいいわ!」
その部屋の住人、ラプンツェルの元カレである。
「天日干しで窓から吊り下げていた髪を登って部屋に侵入しようなんて、このまま自警団に引き渡してやろうか?」
「ゔわぁぁんっ!ゴメンなさーーいっ!」
窓から文字通り見下すラプンツェルに、元カレのライダー氏は泣き叫びながら許しを乞うていた。
それをアパートの外に出て下から見物するユニカや他の住人たち。
「あーぁ、ホント懲りないヤツだねぇ。ラプンツェルさん、コイツ燃やしちまうかい?マッチ持って来ようか?」
マッチ売りの熟女ハンナが下から軽口を言うと、ラプンツェルは満面の笑みを浮かべて答えた。
「それイイわね!ハンナさん、有るだけマッチを持って来て!」
「ヒィィィッ!!」
「あはははっ!!」
恐れ慄くラプンツェルの元カレを見て、ルナがお腹を抱えて笑っている。
「ルナったら。ホントにこのアパートは毎日賑やかで退屈してる暇がないわね」
ユニカが言うと、隣に立って一緒に見物していたシシーが悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「刺激的でしょ?」
「本当に。ここに来てからというもの、色んな体験が出来ているわ」
「楽しい?」
シシーが何かを探るような目でユニカを見る。
ユニカは心からの笑顔で答えた。
「とっても!」
「良かった……」
呟くように言ったシシーの声に被せるように、
相変わらずの大声量が当たり一辺に響き渡る。
「もうホントにっ!二度としませんっ!だから許してくれっ~~~っ!!」
テノール歌手のような美声で情けない泣き言を言う元カレに、皆が思わず爆笑する。
「無駄に良い声してるわね!」
「もっと聞きたい、下から棒で突っついてみる?」
「やっぱ燃やす?」
「やめてくれ~!助けてくれ~っ!!」
「ぷぷぷ……!」
笑っちゃ悪いと思いつつ、ユニカも思わず吹き出してしまう。
そんなユニカの様子をシシーは一歩ずつ後退りながら見つめていた。
とても優しい眼差しで。
愛しい者を見る温かな微笑みで。
「………」
「ユニカ様に、本当の事をお話しになられないのですか?」
そのまま立ち去ろうとしたシシーに、クロエが小さな声で尋ねた。
「このままユニカ様には何も知らせないおつもりですか?」
シシーはユニカから視線を外す事なく答えた。
「……今はまだその時ではないし、出来る事なら彼女は何も知らないままで心穏やかに過ごして欲しい」
「でも、ユニカ様ならきっと話して欲しいと思われるはずです。他ならぬ貴方様の口から」
「何と話すんだ?キミは一度死んで、二度目の人生を生きているんだよ……と?」
「それは……」
「……いずれは話すとしてもそれは今じゃない。片付けなければならない事がまだ山ほどある。それに……妊娠中の彼女の心に余計な負担を掛けたくない」
「確かに……そうですね」
「とにかく、ユニカを頼んだぞ。このままこの箱庭で、心穏やかに楽しく暮らせるように」
その言葉を残し、シシーは立ち去った。
そしてアパートから離れた所に停めてある一台の馬車に乗り込む。
黒塗りで家紋は描かれていない。
どこにでもある普通の馬車だった。
馬車に乗り、シシーはカーテンを閉めて深く深呼吸をした。
気持ちを鎮めて術を解く。
シシーの全身が淡い光に包まれる。
すると瞬く間にその容貌が様変わりし始めた。
長い髪はスッキリとした襟足の短い髪になり、
華奢で小柄だった体格はみるみる均整の取れた筋肉に包まれた逞しい体躯に変化する。
魔術の施された服は女性の物から男性の物へと変わり、元の姿と変わらないのは髪色と瞳の色だけになった。
シシーからセドリックへ。
正しく言うなれば変身魔術でシシーへと身を変えていたセドリックが元に戻ったのであった。
それを既に馬車に同乗していたロレイン公爵家家令のククレが見守る。
そしてセドリックがいつも帯剣している剣と魔法薬を手渡した。
「お疲れ様でございます」
「ああ」
セドリックはその二つを受け取り、魔法薬を一気に煽った。
魔法薬は魔力回復を促す薬だ。
変身魔術はかなりの魔力を要する。
しかも先ほどアパート周辺の認識阻害魔法も強化したところだ。
魔力の消耗著しいセドリックをククレが気遣う。
「大丈夫ですか?旦那様」
「問題ない。状況は?」
セドリックはそう答えたが、魔力消耗による疲労は否めない。
軽く目を閉じ、魔力の回復に努めながらククレからの報告に耳を傾けた。
「スキャンダル記事を新聞に載せた事が功を奏しております。聖女はかなり焦っているようです。せめて至宝の在処を突きとめて挽回を計ろうと躍起になっている様子です」
「ふ……、前回と違ってユニカに呪いの種を植え付ける事にも失敗しているしな。ユニカを人質にさえ取られなければあんな女、取るに足らない存在だ。このまま計画通りに進めろ。囮の品は用意出来てるな?」
「はい。絶妙なタイミングで絶妙な場所で見つかるように仕掛けてあります。後は向こうが勝手に見つけて自滅してくれるのを待つだけです」
「よし」
――もう少し、もう少しだユニカ……。
セドリックの脳裏にユニカの姿が浮かぶ。
その姿が前回のものなのか今回のものなのか。
どちらにしてもこの世で一番大切な、愛おしい姿である事に変わりはない。
自分が14歳、そしてユニカ10歳の時に婚約者として引き合わされた。
秋の王宮の庭園で初めてユニカを見た時、
その愛らしさに目を奪われた。
輝くプラチナブロンドの髪に青空を閉じ込めたような美しい瞳。
庭園で転び落ち葉まみれになって、可笑しそうにころころと笑う屈託のない人柄に惹かれた。
それ以来、大切に大切に守り、育んできたユニカとの絆。
長い婚約期間を経て漸く彼女を妻として手に入れられた時の喜びは今でも鮮明に覚えている。
輝くように美しい花嫁姿。
頬を染め、涙を浮かべながらバージンロードを歩んで来るユニカを見て、心が多幸感で満ち溢れたのが昨日の事のように思い出せる。
それに続く幸せだった初夜。
その後の結婚生活もいつも笑いに包まれた温かくて穏やかな日々だった。
大司教ロドリゲスにより「聖なる乙女」が選定されるまでは。
王家の血を引く者が聖女の庇護者となる事が建国以来定められている。
国王として兄上が聖女の庇護者となると国教会に力が偏り過ぎる為、王弟である自分が庇護者にならざるを得なかった。
残念ながら我が王家に傍流はいない。
現在王家の血を引く人間は国王と王太子である甥、そして自分を含めて三名のみである。
その中で“至宝”を扱えるのは俺だけだ。
あとはユニカとの間の子がその力を持って生まれてくる可能性があるくらいである。
何故ロドリゲスが王家のみが秘匿とする
至宝の事を知っていたのかは謎だが、最初から奴の狙いはその至宝だった。
それを手に入れる為に神託をでっち上げ、
自分の手足となって動く者を聖なる乙女として王族に近付ける。
そうして至宝の在処を探り当て、秘密裏に手に入れる。
そういう算段だったのだろう。
しかし聖なる乙女として近付いて来たディアナは己の野心に忠実な女だった。
ディアナの真の目的はユニカを蹴落とし、ロレイン公爵夫人となる事だったのだ。
思えば最初から不審な点ばかりだった。
庇護者の元で暮らすのが決まりだとすぐに公爵邸に移って来たり、
警備の不備に繋がるからとユニカを別邸に移すように要求して来たりと。
ユニカに対する警備の不備は確かに心配だったのでユニカを別邸に移しはしたが、まさかそこから自分が公爵夫人であるかのように振る舞い出すとは……。
あまり調子に乗られては困ると何度か釘を刺すも、ディアナの振る舞いは変わらなかった。
しかも、しかもあの女はユニカに呪いの種を植え付けたのだ。
俺の目を盗み、こっそり屋敷に戻ったユニカを目敏く見つけ、その時に握ったユニカの手に禁術とされる呪いの秘術を掛けたのだ。
前回の、バカで間抜けで情けない俺は、こうしてまんまとかけがえの無い存在を人質として取られてしまった。
言う通りにせねばユニカの体内に埋め込んだ呪いを発動させると、脅して来たのだ。
そこからはまさに、
坂道を転がり落ちるかのように何もかもが悪い方向へと変わって行ってしまった。
②に続く