夢と現の間で
「誰……?誰かいるの……?」
ああまたこの夢か、とユニカは思った。
セドリックに別れを告げられたその夜。
不意に開いた窓、揺れるカーテン、暗闇に潜む人影。
誰……?何?何か言ってる……
「かわいそうになぁ、身籠もってさえいなきゃ命まで奪われる事はなかったのになぁ。あんたに公爵家の血を引く子どもを生まれちゃ都合の悪いお人がいるんだよ。悪く思わないでくれよ?大人しくしてくれりゃ苦しまずに楽に逝かせてやるからよ」
どういう事?
子どもを産むのが何だと言っているの?
怖い……誰かっ、誰かっ……
「ユニカ様っ!!」
駄目……クロエ駄目よ、逃げてっ……
助けてっ助けてセドリック様っ……!
「酷い汗だ……ユニカは大丈夫なのか?お腹の子への影響は?主治医はなんと言っていた?」
「精神的なショックが大きすぎたのだろうと、一種の知恵熱だと言っていました」
誰かの声がする……
誰だろう……
頭も体も鉛のように重くて深く考えられない……
知っている声……でも耳に膜を張られたような……全てが遠くに聞こえる……
ダメ……何も……考え……られない……
「今回の聖女の奇襲はお前の行動ミスが招いたものだぞ」
「はい……申し訳ございません。捕らえた男に追跡魔法が施されていたとは……不覚を取りました……あの狂女、また来るでしょうか」
「あれからすぐにこの一帯に認識阻害の魔法を掛けた。何度来ても、アパートには辿り着けないだろう」
「お手数をお掛けいたしました」
「いや構わない。やれる事は、やるべき事はなんでもする。必要とあればいつでも言え。俺の手を煩わすとか、そういう思考は一切捨てろ」
「承知いたしました。……それで……あの……クロエさんが、お話を伺いたいと言ってるんですが……如何されますか?」
「………そうだな、彼女にもそろそろ知っていて貰う方がいいだろう。本人にとってはショックな話かもしれないが」
「ではあちらにどうぞ。ユニカ様の側にはワタシが控えております」
「頼んだぞ」
「かしこまりました」
◇◇◇◇◇
「ちょっとオーナーさん、昨日の新聞見た?」
思いがけずディアナと会ってしまい、その夜に知恵熱を出したユニカ。
次の日には熱も下がり、こうして起きてアパートの住人のハンナとお茶が出来るくらいに回復した。
ユニカはノンカフェインのお茶を口に含み、マッチ売りの熟女ハンナに尋ねた。
「新聞に何か面白い記事でも載っていたの?」
「面白いも何も……見出しからして凄いのよ、
『聖女は痴女だった!?』って」
「えっ……ええっ?」
驚くユニカにハンナはその記事が掲載された新聞を広げて見せてくれた。
新聞には、聖なる乙女が日中堂々と若い女性に執拗に絡んでる姿の魔力念写とその内容を説明した記事が載っていた。
ユニカは新聞を見て驚く。
「この魔力念写って……」
その魔力念写は明らかに先日のユニカとディアナであった。
ユニカの顔は加工もされているし角度的にも分からないが、ディアナの顔は鮮明に写っていた。
聖女の微笑みとは程遠い、邪な笑みを浮かべたものだった。
──シシーだわ。
魔力念写は頭の中の記憶を写し出すものだから、あの場に居たシシーにしか念写出来ないもの。
本当に新聞社に話したのね。
「記事には聖女が被害女性に彼女の夫と別れるように強要していたとあるけど……聖女は痴女だけでなく間女でもあったわけ?」
と新聞を畳みながらハンナは言った。
「国教会にバンバン苦情が寄せられているらしいわよ~」とも。
ルナが蔑むように言葉を唾棄する。
「なんでも日頃の聖なる乙女としての活動からして、レベルの低さに周りが迷惑していたらしいですよ。なぜ神託の乙女があの程度なのかと、ロドリゲス大司教の神託そのものを疑う人も出てきているとか」
「なんじゃそりゃ~、なんか不正の匂いがプンプンするね」
ハンナがそう言ってお茶を飲み干した。
お茶のおかわりを頼もうとユニカがクロエの方を見ると、クロエは心ここに在らずといった感じで窓の外を眺めていた。
「クロエ?クロエ、どうかしたの?」
ユニカのその声にクロエはハッと我に返る。
「あ……すみません、お茶のおかわりをお持ちしますね」
そう言ってキッチンに向かうクロエ。
「クロエがぼーっとしてるなんて珍しいわね」
何か悩みでもあるのだろうか、心配するユニカにルナが言った。
「お熱を出された奥様の看病を熱心にされていましたからね、その疲れが出たのかもしれません。今日は早めに休んで貰いましょう」
「そうね、それがいいわ」
そういえば、熱を出して寝込んでいる時にセドリックに似た男性の声を聞いたような……でもきっと気のせいだとユニカは思い直した。
セドリックは巡察で地方を回っているというではないか。
王都にいるはずはない。
ユニカはハンナお手製のクッキーをぱくりと口に運んだ。
◇◇◇◇◇
一方その頃、国教会の大司教の部屋では怒声が響き渡っていた。
「バカもんがっ!!迂闊な真似をしおって!!」
机に置かれた新聞ごとバンと机を叩く。
大司教ハッサン=ロドリゲスがディアナを呼び出して怒鳴り散らしていた。
ディアナは怯みながらも答える。
「も、申し訳ありませんっ、でもだってセドリック様の行方が全く掴めないからっ……」
「それでわざわざ漸く居所が掴めた夫人の方へ押し掛けたのかっ!余計な事をしてくれたなっ!!」
「余計な事って、ワタシはただ……セドリック様の居場所と王家の至宝を探る手掛かりがないかと……」
「お前はただ、私欲の為に動いただけであろうっ!!どこの世界に離婚を強要する聖女がいるのだっ!!しかもこの所為で夫人の居所が完全に感知出来なくなってしまったのだぞっ!!」
「逆にそこまで隠すのが怪しいと思いませんっ?至宝は夫人が持ってるんじゃないですかっ?」
「黙れっ!!」
バンッと再びロドリゲスが強く机を叩き、その音に驚いたディアナは口を噤んだ。
ロドリゲスは頭を押さえてため息を吐く。
「各新聞社が、真相を明らかにしろと会見を求めて来ている。お前、これをどう弁明するつもりだ……?」
「それはっ……セドリック様とワタシが愛し合っていると、逆に広めればいいんじゃないですか?」
「聖女が既婚者に横恋慕したと知らしめるのか?」
「横恋慕だなんてっ……!」
「もういい!こうなったからには騒ぎがおさまるまで神礼式は延期だ、公爵邸で大人しくしておれっ!」
「はい……」
ロドリゲスの部屋を出て、ディアナはとぼとぼと歩き出した。
人々からの好奇の視線に晒される。
少し前までは敬愛の眼差しを向けられていたというのに……。
このままではいけない。
じきにロドリゲスに切り捨てられる。
何か打つ手はないか、ディアナは必死で頭を働かせた。
やはり王家の至宝、これを見つけ出すしか他はない。
こうなったら屋敷中をしらみ潰しに探してやる!とディアナは息巻きながら歩き続けた。