あの男からの電話
夫と晩ご飯を食べている最中の出来事だった。私のスマホが鳴った。
『非通知設定』
私は顔をしかめた。この文字を見ると何となくドキッとするのだ。
「どうした? 出ないの?」
夫が心配そうに私に聞いた。
「いや、非通知になってて⋯⋯非通知拒否にしてあるのに、誰だろ」
夫も私と同じような表情をして考えた。
「そういえば、公衆電話もその表示になるんじゃなかった?」
なるほど、確かに。詳細設定で公衆電話だけチェックを付けなかった記憶がある。親戚などが緊急で掛けてくるかもしれないからと残しておいたのだ。
「緊急かもしれないから出てみるね」
私は通話ボタンを押した。
『あ、もしもし⋯⋯』
電話の向こうから若い男の声がした。10代後半から20代前半といったところだろうか。
「はい、もしもし」
私も同じように返す。
『あの、あなた、×××さんですよね?』
知らない名前を言われた。
「私ですか? ×××さんではありませんよ。多分間違い電話だと思いますよ!」
『そうですか、ありがとうございました』
男はそう言って電話を切った。
「なんだ、間違い電話か」
夫が残念そうな顔をして言った。親戚の一大事とかのほうが良かったとでもいうのか、このやろう。
「冷めちゃうから早く食べましょ」
爆速で夕飯を平らげた私たちは爆速で眠りについた。
次の日の昼、私が部屋の掃除をしていると、机の上に置いてあったスマホが鳴った。また非通知設定だ。私は何となく怖くなっていたので、出ないことにした。
しばらくすると着信音は止まった。ふぅ、とひと呼吸置いてまた掃除を始める。
『プルルルルルル プルルルルルル』
また着信音が鳴った。無視をする。また鳴る。無視をする。また鳴る。
何度も同じ着信音を聞かされて腹が立っていた私は文句を言おうと思い、電話に出た。
『もしもし、あの、いっぱい、食べましたか』
昨日の間違い電話と同じ声だ。私の半分くらいの歳の、若い男性の声だ。いっぱい食べたかとはなんの事だろう。昼ごはんの事だろうか。
「いっぱい食べましたよ。おかわりもしました」
って、また間違い電話だよねこれ。私も何答えてんだよ。怒るつもりだったのに。
「あの、誰かと間違えてませんか? うちは森田家ですよ?」
『ですよね、すみません。ありがとうございました』
そう言って男は電話を切った。ですよね、ってなんだ? 間違い電話の自覚アリか? それとも、うちの苗字が森田ですよねってことか? いやいや、もしそうだとしたら怖すぎるでしょ。
『プルルルルルル プルルルルルル』
せっかく机の上に戻したのに、また非通知から着信だ。出ないと何度も鳴らされると思い、すぐに出た。
『もしもし』
当然のように聞こえるあの男の声。
「いや、だから間違い電話ですってば!」
『もしもし、もしもし』
んだコイツ。
「舐めてんの? 大人を馬鹿にするのも大概にしなよ? ねぇ!」
怒りが爆発してしまった。
『間違い電話でした、ありがとうございました』
男は電話を切った。毎回最後にありがとうございましたって言うけど、なんなんだろ。良い言葉のはずなのに、どうも不気味に感じてしまう。
庭に植えた豆が超巨大なツルを出してる。よく見ると雲の上まで届いているようだった。でもそれはまた別の話。今はあの電話が最優先だ。
夫が帰ってきてから、例の電話の話をした。
「何回も間違い電話掛けてきて、最後は決まって『ありがとうございました』って言うのよ。なんか気味が悪くてさぁ」
「確かに気味が悪いなぁ。こういうのって警察に届けられないのかな、いたずら電話ですって」
いたずら電話か⋯⋯
でも、相手は公衆電話だし、私も何か実害を受けた訳でもないし、難しそうな気がするなぁ。
「明日また掛かってきたらもっと強めに言ってみるよ」
酷いことを言えばもうかけて来なくなるだろうと思っていた。
翌日、また昼過ぎ頃にスマホが鳴った。当然非通知だ。
『⋯⋯⋯⋯』
おかしいな、喋らない。
「あの、もしもし?」
『私のおっぱい舐めて、すって⋯⋯』
聞き覚えのある声が電話の向こうから聞こえた。ところどころ抑揚がおかしい。まるで切って繋げたみたいな⋯⋯ていうか、これ私の声じゃない? なんこれ。マジで。
『私のおっぱい舐めて、すって⋯⋯』
電話はそこで切られた。私の声が切り貼りされてこんな淫乱な言葉に⋯⋯なんで2回も聞かされないといけないんだ。この電話の主はやはりあの男なのだろうか。初めて言葉を発さなかったな。本当になんなんだ。
『プルルルルルル プルルルルルル』
切ってすぐ、また着信音が鳴った。
『今、家に1人ですよね』
私はゾッとした。見なくとも背中に生えた5000万本の腕毛が全て逆立っているのが分かる。あの男の声だ。しかも、私が今1人なのを知っている。
『1人ですよね。ありがとうございました』
そう言って男は電話を切った。だからなにがありがとうございましたなんだ。怖いよ。
1人ですよね。どういう意味だ? 1人だからなんなの? 気持ち悪い電話だな、と思いながら趣味の手芸を続けた。この羊羹のぬいぐるみもあと10分くらいで完成しそうだ。
『ピンポーン』
インターホンが鳴った。見に行くと、インターホンの画面には見知らぬ若い男性が映っていた。高校生くらいだろうか。
⋯⋯若い男性。もしや。恐る恐るインターホン越しに話しかける。
「あの、どちらさまですか?」
『⋯⋯⋯⋯』
男はニヤリと笑い、玄関を開けて家に入ってきた。しまった、と思った。私は普段家の鍵をかけていないのだ。
「ユウカさん⋯⋯!」
男は私の名前を呼びながら部屋に入ってきた。私は警察に連絡しようと、スマホを持って2階に上がった。
「ユウカさん、どうして逃げるの⋯⋯?」
静かに声を発しながら走ってくる男。私を部屋の隅に追い詰め、襲いかかってきた。
私を押し倒そうとする男。部屋の隅っこで押し倒されかけてるから背中が痛い。おそらくカーテンを縛る帯を引っ掛けるフックが背中に当たっている。
力が敵わず、そのまま押し倒されてしまった。男は無理やり私の服を脱がせ、下着をずらし、胸を揉んだ。
「なにしやがる!」
気持ち悪い! 怖い! なんでこんな若い子が私なんか! 意味分からんし! 早く金玉蹴って殺さないと!
「ユウカさん⋯⋯!」
男は息を荒くして私の胸のあたりに顔をやった。
「何するつもりよ!」
「おっぱい舐めて、吸ってって言ってたじゃないですか」
「それはあんたが勝手に作った音声でしょうが! あ、やめて⋯⋯いやーっ!」
男は私の腕を振り払い、胸に吸い付いた。と思ったら、すぐに顔を離した。こちらを睨みつけている。
「なによ⋯⋯!」
「⋯⋯ぺっ! ぺっ!」
男は何度か唾を吐き、走って逃げていった。なんだか分からないけど、助かった⋯⋯
私はすぐに警察に連絡し、インターホンの動画を証拠として渡した。
仕事から帰ってきた夫は、何度も私を慰めてくれた。私の大好きなシュークリームも買ってきてくれた。あたりめも美味しかった。
次の日、また昼に着信があった。非通知⋯⋯
あいつ、まだ捕まっていないのか。あ、もしかしたら公衆電話の場所って特定出来たりするのかな。ちょっと出てみるか。ついでに力の限り呪詛の言葉をぶつけよう。
「もしもし」
『ユウカさん、何日お風呂に入っていないんですか。酸っぱい臭いがしましたよ』
やっぱあいつじゃねぇか! なんでこんな失礼な電話をしてくるんだ! もはや恐怖なんてないわ!
『あの、ちゃんとお風呂入ったほうがいいですよ。それではまた』
そう言って切られた。一方的に変な電話をしてきて、一方的に性的暴行をはたらいて、一方的に失礼なことを言って、なんなんだこいつは! マジで許せねぇ!
本当になんなんだよ。誰が何日風呂に入ってなかろうがどうでもいいことだろうがよ。なんで知らん犯罪者に説教されなあかんのよ? 3週間くらい入ってなくても別にいいだろうが。3週間風呂入ってないやつのストーカーの分際でよ。マジでうぜぇわ。
後日、あの男は捕まった。「マジで臭かった」と供述しているらしい。殺すぞこのやろう。警察もそんなことわざわざ私に伝えるなよ。
被害者はみんな割に合わないと思っている。犯人をぶっ殺してやりたいと思っている。でもそんなことをしてはいけない。こいつはすぐに刑務所から出てくるだろう。その時に殺してやる。あらゆる臭いを使って殺してやる。私を敵に回したことを後悔させてやるからな。