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1-1 生きる。生きている。


 漁火(いさりび)を灯した漁船が、紫紺がかった瀬戸内海の鏡面を、蛍のように揺らめいては進んでいく。

 錆び付いたエンジンに無理を押して進む漁船と、カナカナと鳴くヒグラシが、人がまばらな町と港を(わび)しく慰めた。

 『瀬戸(せと)夕凪(ゆうなぎ)』と呼ばれる自然現象と、少子高齢化が引き起こす過疎化によって生み出された原風景ではあるのだが、ただ美しいというだけでは済まない問題がそこにはある。


 日が落ち始め、冷やされた陸地から瀬戸内海側へと吹く陸風が、海風と交代する時に起きる無風状態を指す瀬戸の夕凪は、日没間際に空がグラデーションに染まるトワイライトタイムと相性が良く、写真家にも人気のスポットとなる。

 それが瀬戸内海の鏡面をより際立たせる為に、息を吞む程の光景となるのだが、兎にも角にも暑過ぎるのだ。

 何せ無風なので、蒸し風呂状態と言って良い。

 暑さ指数が人類の生存を拒むくらいには上がっている。殺人的暑さ、それが『瀬戸の夏』なのである。


 その瀬戸内海を見下ろせる位置にある緑地公園に、座礁した漁火漁船のごとく多くの段ボールハウスが集まっている。

 その中の一つを覗くと、ハエに集られた50歳前後の太った男が、布団の中で何やら呪詛のようにブツブツとうわごとを呟いていた。


「……ぶ、ブヒヒ。そうだ、これは夢なんだ。ぼくは今、夢を見ているんだ……。目が覚めたとき、ぼくはまだ25歳。起きたら優しいお嫁さんが居て、朝ご飯を用意してくれて、涼しい午前中にスイカを食べながら仕事の話をして、産まれてくる子供の名前を考えるんだ……」


 どうやら暑さに蒸されて色々とやられているようで、男の意識は朦朧とし、天井に向けて焦点が合わない瞳を彷徨わせている。


「……それから、午後にはお嫁さんと一緒にオシャレなお店に入って、オシャクソなデザート食べて、海が一望できるホテルでよく分からない豪華な感じのお酒を飲んで、夜にはご立派な霊子筋肉を見せて、それから、それから……ふぇっ、うっ、うう、おぁぁっ……」


 男は泣いていた。目が隠れる程に伸びた前髪と、縮れた無精髭を濡らしながら、泣いていた。

 社会の理不尽さ、不条理に怒り、自身の不幸に、心から慟哭していた。


「ぉおあああああうっおぅおぅっ! おぁっおぇぇぇっ。はあ、はあっ」


 何もかも座礁した男だが、咽び泣いてばかりではこの残酷な世界で生きてはいけない。

 男はよろよろと立ち上がると、側にある大きな水筒を掴んで、その豊満な胸に水が滴るのも気にせずに水をがぶ飲みにしていく。

 そのまま足元にある共同バッテリーにも補水していく。この共同バッテリーは、公園に住まう同志達がなけなしの金を出し合って購入したもので、やけに性能が良い。

 それらの機材から延ばされた配線を、自身の高さ2メートル程の段ボールハウス内にある元廃品のPCと4Kモニターに繋ぐと、可愛らしい壷装束姿の少女が画面に映った。


『平安魔法貴族、ファソラでおっじゃるー!』


 ――そう、人気アニメのおじゃる魔女ファソラだ。

 この男にとっての数少ない癒しである、魔女っ子アニメが、宴が、始まったのだ。

 もちろん男は全裸である。熟練されたオタクはアニメを見る際には必ず全裸となる。それがマナーであり、精神的義務だからだ。

 先程まで咽び泣いていたため、画面の前で全裸待機をし忘れたのは男にとって痛恨の極みではあるが、ミスは繰り返さなければ済む話だ。


「フヒヒ……ブッヒッヒwww」


 金欠時に優しい、低価格且つ、高カロリーなスナック菓子のふとい棒を、ペンライト代わりに握り締めて、

 上半身をダイナミックに振り回す『オタ芸』と呼ばれる儀式を始める。


 ――自由。何者にも邪魔されない自由が、確かな自由がそこにはあった。


「ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! ハイ!ハイ!ハイハイハイっ!」


 踊る。ただひたすらに踊る。暗くなった段ボールハウス内で、モニターの明かりをスポットライトに変えながら。

 外ではそれに合わせるように、漁火の灯火が空に昇る『漁火光柱』となってステージを作っていく。


「おっおっおっハイハイハイ!」


 薄くなった髪も様々な棒も一心不乱に振り乱しては踊り、儀式を続ける。

 辛い現実を吹き飛ばさんとする、オタクにとっての神聖なる儀式だ。これがあるから我々は生きていけるのだ。

 辛い。現実が辛い。本当に辛くて地の文さんも涙出てきた。


「まこと殿ー! お邪魔するでごっざるよー! ヒック」


 と、そこにベロベロに酔った別の男がやって来た。

 段ボールハウスの玄関に垂れ下がるボロい蚊帳を除けて、足の裏に付いた砂埃を払いながら入ってきたその男は、

 まことと呼ばれた男と同じいい歳で、そして同じく中背だが、幾回りも細いやせ形で、ややくすんだ眼鏡を掛けている。勿論、全裸である。


「ブヒ? おお、いらっしゃい、ゆうじ殿! 宴はもう始まっているんだな!」


「おおっ、それはそれは。それに今日もファソラちゃんはかわいいでござるな!」


「ですな。ぶっひっひっひ!」


「わっはっはっは!」


 そして、宴が再開された。

 酒が舞い、汗が舞い、よくわからない汁が舞う。

 暗い公園で、誰にも知られず、だが確かに生きている命の輝きがここにはある。生きる。生きているのだ。


「「ハイ!ハイ!ハイハイハイ!」」


 ――ここは、瀬戸内海を見下ろせる位置にある緑地公園。アメリカ領四国と書かれた寂れた看板が立つ、オタク達の小さな聖域である。


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