辞めてやるよ、人間なんて
2005年 夏
落合葬儀場。
故人 河村雀士郎さんの葬儀を執り行います。
始まった。お父さんの葬儀だ。この暑い日に集まったのは身内でも数人。
はあ。やめたやめた。もういい。お父さんことなんかどうでもいい。ーー
父は決して優秀な人間ではない。
会社で横領を疑われ、自殺した。
本当のことを家族には話さず、マスコミは私たち家族を。
なにもかもしょうもない。
学校にも行けない。母は一人で私たちを守ってくれた。
でも、その年に母も亡くなった。ストレスで人が死ぬことがあるのか。不条理だ。この世の中は。
私は7歳、弟5歳だった。
私たち兄弟は母の方の祖父母の家に引き取られた。
弟は昔から母に似ていた。女の子っぽさがあった。
しかし、私は父親似。毛嫌いされて当然だった。
中学2年まで耐えた。よく頑張ったと思う。
7年目の夏、私は祖父母の家を飛び出した。
学校が終わると、家に帰らず図書館に。それが7年続いたからか勉強だけは自信があった。成績のことは祖父母には一切話していない。
それでも所詮中2。もう当てなどない。
4日間、貯金などでなんとかどうにかなった。
もちろん、野宿だ。
でも、もう底をついた。これ以上は無理だ。でも、祖父母には2度と頼らないと決めていた。
路頭に迷うとはこのことだ。もう13時か。暑いわけだ。図書館に行ってもいいが勉強したいと思えるほど気持ちに余裕はなかった。
歩き続けると気がつけば埼玉に来ていた。
埼玉の小さな一方通行。車がクラクションを鳴らした。
その時、私は雷に打たれたかのように膝から倒れた。
しかし、意識はある。
車が横付けをし、すぐさま運転手らしき男が
大丈夫か?怪我はないか?
と問う。後部座席の右の席から男が降りてきた。
お前、どこまで歩いてんだよ。
怒り狂っている。殴りかかろうとした時、
後部座席左の席から、杖をついたおじさんが降りてくるや否や
やめろ。の一言。
僕ちゃん、怪我はないかい?うちに来ないか?
手を差し伸べた。例えおじさんが、一時的に助けてくれるとしても、なぜか私にはそうは聞こえなかった。
きっとこのおじさんが私を助けてくれるに違いないからだ。
きっと。きっと。
ここ、俺んち。
ちょうど止まり、ひとたび左を向けばそこは
和風のお屋敷だった。