第七話
花梨の二度目の限界が来る前に部屋を移って、皆でお昼を食べた。
小町家が普段生活している部屋は自由部屋と違って生活感に溢れていて、春史くんは少し戸惑っているようだった。
おじ様とおば様に挨拶して食卓を囲み、ちらちらとこちらを気にしてくる二人の視線を受け流して自由部屋に戻る。
春史くんの為の勉強会……というよりほとんど花梨の中間対策になっちゃったけど、何事もなく時間が過ぎて日が落ちる前に切り上げた。
何事もなかった、ほんとに。強いて言えば、私より春史くんの方が勉強できるかもってことが分かったくらい。
だから、花梨に勉強を教える役を変わってもらったりした。
教え方もうまくて、私やラルフが教えるよりもいいかもしれない。花梨の飲み込むスピードも早かった気がする。
やっぱり、波長が合う相手の方がいいんだろうか。
自由部屋を片付けて、おじ様とおば様に挨拶してマンションを出る。道を思い出しがてら自力で帰るという春史くんと別れて、私は自分の家に戻った。
花梨のマンションから私のマンションまでは徒歩五分。家が近いのも、幼馴染の条件の一つだ。
そう、花梨と私は幼馴染だ。だから、彼女の気持ちを私が応援しても何もおかしくない。
その私よりも彼の方が花梨への教え方が上手かったのは……才能とか頭の出来とか、まぁ色々あるんだろう。ダメだ、自分が何を考えているのか分からなくなってきた。
今朝、必死に走った道をふらふらと歩いて戻る。うちのマンションは外観をぼんやり見るだけでも、小町家のマンションとは桁が一つか二つは違うのが明らかだった。
ICチップ管理なんてされてない玄関を開ける。
「少々早いお帰りだな、『白蛇姫』。“お茶会”は予定通り終わったのか?」
待ち構えていたように夕太がいた。いつもの謎ポーズをとって。
お茶会って言うのは……いいか、もう。
「ごめん、夕太。お姉ちゃんちょっと疲れてるから」
「新しい顔ぶれがいたらしいな? はたしてそいつに“資格”があるのか――おい、姉ちゃん!?」
夕太の言葉を翻訳する気力も湧かず、横を通り過ぎて自室に戻る。
扉を閉めると、どっと疲れが襲ってきた。
バッグが肩から滑り落ちて、本格的に怪しい足取りでベッドに向かう。
うつぶせに寝転がると、深くため息が漏れてしまった。
何をそんなに疲れているんだろう、と自分でも思う。大した運動もしてないし、頭もそれほど使ってないのに。
あーでも、朝走ったっけ。春史くんが勉強できるって分かるまで気を張ってたのもある。
それじゃ疲れるのもしょうがないよね、と誰に言うわけでもない言い訳をしてみせた。
ため息がこぼれる。
考えてみればそうだ。春史くんが転入してきた時からおかしなところはあった。
花梨は好奇心旺盛だけど、あれで意外と人見知りだ。誰とでも仲良くなれるけど、自分から積極的に友達を増やすことは実は少ない。
たいていはクラスメイトだったり、向こうから来たり、花梨が興味あることに関連したりがきっかけになる。
キャスリンとはそういうところも違う。マーチル家の看板娘は自分から積極的に色んなことに関わって仲良くなっていった。
貴族になってからもそれは変わらず、そのせいで私ともそれなりに接している。
前世と今世の大きな違いの一つだろう。今世の花梨もそうだったら、私はひやひやすることも多かったはずだ。
でも。
春史くんの場合、最初から彼自身に興味を持っていた。あの子にしては珍しいことに。
あんなのが頻発してたら、私の身が持たない。特別なケースだ。
それはつまり、
花梨にとって春史くんは特別な人、ということになる。
辿り着いた答えに胸が苦しくなる。
じんじんと痺れるような痛みが、ずきずきとした突き刺される痛みに変わる。
喉が震える。呼吸がうまくできない。意識して息を吸って吐く。
ベッドの中でうずくまって、痛みがどこかにいってくれるよう願いながら胸を押さえる。
証拠なら他にもある。
花梨はああ見えて奥手だ。
男友達といえるのもラルフだけだし、積極的に男子と話す子じゃない。
話しかけられれば愛想良く応えるけど、自分から話しかけることは少ない。
唯一の例外はラルフだけ。もしそうじゃなかったら、色んな女子から恨みを買っていたことだろう。ラルフだけでもそれなりに大変なのに。
春史くんは、二人目の例外だ。
それが特別じゃないのならなんだというのか。
頭の片隅が焼きついて、前世の記憶が勝手に引っ張りだされる。
かつて、好きになった人を横からかっさらわれたことがある。
ヒルダと呼ばれていた時代。親の紹介で初めて会ったジェラルドは、婚約に不満ありありな態度をしていた。
私の噂も聞いていたみたいで、全く好かれてはいなかった。
話してみても、そこまで性格が合うわけじゃない。
相手はお忍びで城下町に繰り出すのが趣味の自由人で、私はきっちり家の教えを守って貴族としてあるべき姿を体現しようとする箱入り娘。
向こうは平民だろうが貴族だろうが良いものは良くて悪いものは悪いと言い切る正義漢で、私は平民と貴族は同じ土俵で考えられないと言い切る貴族的考えの持ち主。
まるで水と油で、交わることはないと思えた。
それでも、私は親の期待を背負っていたからなんとかしてジェラルドに取り入ろうとした。ただ、向こうにそれは見切られていて、だから嫌がられてもいた。
公爵令息曰く、『誰かに言われて人を好きになるもんじゃない』。
……まぁ、ごもっともだ。当時は何言ってんだって思ったけど。
だって、貴族だよ? 時代もずっと前なんだよ? それ以前に世界が違うってのはちょっとおいといて。
家が決めた婚約相手と結婚するのが普通で当然で、今で言う恋愛結婚は稀っていうか社会規範外っていうか、そういうのだった。
平民ならいざ知らず、貴族はそういうふうに生きる。誰も皆、それを前提として常識を構築する。ジェラルドは、公爵という高い位なのに常識がなかった。
正直、当時の私は好きとか嫌いとか考えてなかった。ただ、侯爵令嬢としてなすべきことをなす。そういう頭しかなかった。
そんな私と彼の関係が変わったのは、白蛇――リリィについて聞かれたあの日がきっかけだった。
何の気まぐれか、
「なんでいつもそいつを連れてるんだ?」
とジェラルドが聞いてきたのだ。
私にもそれなりに恋愛の常識はある。かつて親しかった男友達のことを持ち出せば、相手が不愉快になるだろうくらいは考え付く。
アルフォンスのことを言わずに説明しようとして、
「……この子には幼い頃の思い出が詰まってるんです」
と答えた。
それ以上突っ込んで聞かれなくて胸をなでおろしたのを覚えている。
その日から、彼の私に対する態度が少し変わった。
譲歩してくれるようになったし、優しくもなった。こっそり連れ出されて、下町の屋台料理を一緒に食べたこともある。
少しずつ少しずつ、私達の距離は変わっていったように思う。
距離が変わるにつれて、私の気持ちも変わっていった。
ジェラルドの常識のなさがどこかズレていたアルフォンスとかぶって見え、彼の中にある純真さに惹かれていった。
私を楽しませようとする彼が可愛く見え始め、いつの間にか好きになっていた。
元々公爵令息だけあって貴族としての立ち居振る舞いは立派で凛々しい。彼は何でもできたし、苦手なことなんて一つもなかった。
今世と一緒で。
一度良く見えてしまえば、あとはもう転がる石のように。
うまくやっていける、そう確信した矢先だった。
キャスリンのマーチル家が貴族になったのは。
あとの顛末は知っての通りだ。
ジェラルドは持ち前の正義感と純真さでキャスリンの肩を持ち、それに嫉妬した私が取り巻きを引き連れていじめに走る。
あの頃は貴族側の女でキャスリンを庇う子もいなかった。それもあって、事態はエスカレートした。
そんなことをすれば、ジェラルドの気持ちは離れていく。当たり前の話だ。
横からかっさらわれた、なんて言ったが。真実はただの自滅だ。
私が自ら滅びの道を歩いたに過ぎない。
今世ではそんなことはしない。
だって、前世と違ってまだ時間もろくに経っていない。
関係の構築の仕方だって全然違う。
私は、まだ春史くんのことなんか好きになってない。
私が好きなのは――好きだったのは、アルフォンスであって春史くんじゃない。
だから、全然大丈夫。
私は花梨のことを応援する。
春史くんだって、花梨が相手なら文句なんて一つもないだろう。
前世とは、ジェラルドの時とは違う。
嫉妬に狂ったりしない。そんな理由もない。
だから、私は大丈夫だ。
使い慣れたベッドは、柔らかく私を包んでくれた。
ピピピピピ、ピピピピピ。
聞きなれた電子音に意識せずとも右手が勝手に動き、定位置をまさぐる。
ピピピ、と途中で音を止めて、のっそりと起き上がる。
体を埋もれさせていた掛け布団をのけて時計を手に取る。いつもの起床時間。
軽く伸びをして、枕元においたブラシをとって、前世からのクセで姿見を――
――髪がいつもよりボサボサだ。
そこでようやく気づいた。
昨日、帰ってきてそのまま寝ちゃったんだった!!!
あぁ、お風呂にも入ってない! お手入れも、メイク落としも、ご飯……は別にいいや!
あぁっ! 学校……はないけど! 撮影はあるんだった!!
血の気が引くのを感じながら、慌ててメイクを落とす。下手にアイシャドウとか入れなくて良かった! ナチュラルメイク万歳!
着替えを掴んで部屋を飛び出し、お風呂場に向かう。
徹夜してたのか、目の下にクマをつけた夕太とすれ違った。
「今朝は騒がしいな、『白蛇姫』。ところで昨日の“お茶会”だが――」
「――ごめん、お姉ちゃん急いでるの! 夕太はちゃんと寝なさい!」
言いたいことだけ言ってお風呂場に駆け込む。昨日から何か言いたそうだけど、残念ながら聞いてあげられる余裕はなかった。
シャワーを浴びてしっかり体を洗って、お手入れをしてストレッチしながら髪を乾かす。
台所にいたお母さんに挨拶して、昨日の晩ごはんを丸々残したことを謝って朝ごはんを食べる。
どうやら育ち盛りの弟が私の分も食べてくれたらしい。持つべきものは優しい弟だね、うん。……あとでちゃんと話を聞いてあげよう。
あわただしく準備をしながらスマホで花梨に連絡……する。
少し躊躇したのは、寝起きで頭が回らなかったからだ。心臓がドキドキするのは、昨日何もせずに眠ったから現場で怒られないか心配だから。
それ以外、何の関係もない。
花梨と連絡をとって、バッグを肩にかけて家を出る。
二日連続で落ち着かない出発になってしまった。いつも通りにいかないなぁ。
私のせいだから仕方ないんですけど。
花梨と会うまでには調子を取り戻しておかないと。
今日はこれから花梨の家に行って、事務所に行って現場に向かって――
――その後で、もう一箇所だけ行く場所がある。
今後の為に、今日中にやっておきたいことがあるのだ。
今日も外は天気が良くて、春の陽気に満ちていた。
撮影が終わって、花梨を家まで送った後。
私は家に帰らず、その足で学校に向かった。
太陽が傾いて、空の端っこがゆっくりと茜色に染まりつつある時間。
向かった先の学校のグラウンドでは、ボールを蹴る音と黄色い歓声が響いていた。
「きゃぁーーー!! 烏丸せんぱーい!!」
「烏丸くーーーん!! 頑張ってーーーー!!!」
「烏丸くーーん!!! からすまくぅぅぅぅぅん!!!!」
「走ってる! からすまくんがはしってるよーー!!!」
……耳がちょっと痛い。
中学の頃から見慣れた光景とはいえ、よくもまぁ飽きもせず練習風景なんて見に来るものだ。
まぁ、見てるのは練習じゃなくてラルフだけど。
黄色い歓声を飛ばしている面々は見たことある人もいれば知らない人もいる。一つだけ確かなのは、全員がラルフのファンだということだ。
彼女達の横を通り過ぎてグラウンドに入る。……視線が突き刺さって痛い。
気合を入れてそれを無視し、真剣な顔で練習するサッカー部を見回した。
いた。目立つからすぐに分かる。
やや短めに刈った金髪を揺らして一心不乱に練習に励む背の高い美少年。
薄く青みがかった瞳と白い肌。体格も日本人離れしていて、顔も体もそれなりにいい部員の中でもひときわ目立っている。
烏丸 ラルフ。高校二年生。私と花梨の中学からの友人で、親友といっても差し支えない間柄だ。
当然中学時代の私のやらかしも知っていて、その件では一悶着あった。……昔の話だけどね。
見ての通りのどこに出しても恥ずかしくない美少年で、それこそアイドルやイケメン俳優も真っ青なくらい。
おまけに運動も勉強もできる。インターハイなんて一度も行った事がないうちの高校が去年の優勝校になれたのはこいつの力が大きい。
万能、完璧人間。そういう言葉が服着て歩いているのがこのラルフという男なのだ。
欠点といえば、寂しがりなことと親しくなった人には異常に甘くなることか。あと微妙に人見知り。
花梨と違って積極的にあちこち行くんだけど、知らない人とは仲良くなりきれない。どこか線を引くところがある。クセみたいなものだ。
おかげで、今まで彼女が出来たことがない。
まぁ、それに関しては花梨が近くにいるせいもあると思うけど。
あの子と争って勝てると思える女子はいない。無謀な戦いを挑むよりは遠巻きに見て楽しく騒ぐのが賢い選択だろう。
おかげで、ただの練習にさえ黄色い歓声が飛び交うのだが。
空模様を眺める。日が落ちきるまでにはもう少し時間がかかりそうだ。
視線を下げて、マネージャーの子に声をかけた。
「今日は夜練もやるの?」
「あっ、しろ――峰さん! いえ、今日はやりませんよ。日が落ちたら終わりです」
……いいけどね、うん。し『ろ』へびひめ、だもんね。
一応、マネージャーの子は顔見知りだ。サッカー部には何度か来たことがあるし、インターハイの時期には助っ人マネージャーもしたことがある。
……名前は、えっと、確か杉本……だったと思う。
「少し待たせてもらっていい? 手伝うから」
杉本さんは驚いた顔をした後で嬉しそうに笑って、
「はい! お願いします!」
……顔にでまくるんだよなぁ、この子。根はいい子ってことなんだけど。
そのおかげで、手伝っていて気づいたことがある。
こないだの昼に購買で話しかけてきたサッカー部。彼とこの子は多分付き合ってる。見つめる目が他と違うもん。キラキラした顔もするし。
恋愛の空気にあてられて、なんともいえない居心地の悪さを感じる。
今は、今だけはそういうのに気づきたくなかった。なんで分かりやすいの、この子。
ていうかあの男、大人しくなったと思ったら彼女できたんかい。花梨に鼻の下伸ばしてるんじゃねーよ。
空が茜色に染まり切った頃、練習が終わる。
部員に水分補給用のスポーツドリンクを渡していく。全員何かしら驚いた反応を示すのが少し楽しくなってきた。
わざと後回しにしておいたラルフに最後に渡す。
皆と同じように、眉を上げて少し驚いた顔をされた。
「あれ? なんでいんの?」
「ちょっと話したいことがあって。部活終わったら付き合って」
「いいけど……珍しいな」
首をかしげるラルフを適当に誤魔化して、マネージャーの仕事の手伝いに戻る。
日が落ちた頃に、グラウンド整備を含めた全てが終わった。
着替えた部員達や顧問に追い払われたラルフのファン達が帰っていく。
私は着替えたラルフと一緒に皆と離れて帰り道についた。
……昔から思うけど、こいつや花梨は汗までいい匂いなのはどういうことなんだろうか。
隣を歩くラルフの顔を見上げる。相変わらず凛々しくて整った顔立ちをしている。金髪も肌の白さも自前なのがすごい。
名前から分かるとおり、ラルフはハーフだ。お父さんは財閥を前身とする多国籍企業グループの社長で、お母さんはカーマインという北欧の小国の王女様。
ここまで揃うとほんとに笑うしかない。現代の王子様だ。
前世と同じで。
ラルフの横顔は、見ようによっては物憂げに見える。何も知らない女の子なら何を考えているのか妄想してトキめくものだろう。
実際は何も考えてないだけだが。
「で、話ってなんだよ?」
振り向いたラルフと目が合う。
日曜日に私がいたのがほんとに疑問だったようだ。綺麗なアクアマリンの瞳が戸惑いに揺れている。
見た目に反して繊細なメンタルの可愛らしいヤツである。
「ちょっとしたお願いがあるの。春史くんのことで」
「春史……あぁ、暮石か」
名前より苗字の方に覚えがあったようで、うんうんと一人で頷いている。
頭に思い浮かべられたのか、ニカッと人好きのする笑みを浮かべた。
「あいつ良い奴だよな! 一緒にパン買いに行った時も人を押しのけてまで買いたくないっつってたのに、俺についてきたし!」
それは初耳だ。
そういえば、ラルフも弁当ではなくパン食だった。春史くんと一緒で、ご両親が基本的に家にいないのだ。……メイドさんというか、使用人みたいな人はいるが。
頼めば作ってもらえると思うのだが、何故か頼んでいない。
「話しやすいんだよなー、あいつ。大人しくてニコニコしててさ、ちゃんと話聞いてくれるし。あいつがどうかしたのか?」
さらっと本題に切り込まれて言葉に詰まる。
こいつはこういうところが花梨に似ていて困るんだよなぁ!
純真そのものの顔で疑問符を頭に浮かべるラルフを横目に、どういうべきか考える。
素直に全て言うべきか? いや、絶対ラルフのことだから喋る。あっさりと本人達に直接言う。
それだけは避けなければならない。恋愛ごとはデリケートな問題であって、特に花梨と春史くんはどちらもズバッと切り込むタイプでもずけずけと行くタイプでもない。
それに、本人が意識していない場合だってある。下手なタイミングで下手に意識させると、それで上手くいかなくなることだってあるのだ。
ラルフには分からないように、しかし目的は達成できるように。
考え抜いた挙句、
「お昼の時とかさ。花梨の隣を譲って欲しいの」
「……いつもお前隣に座ってるじゃん」
誰が私のことだと言ったぁ!?
ここまでの文脈で誰のことかわからんかい!!!
「私じゃなくて、春史くんに。あんたは私の隣」
「……なんで?」
きょとんとした顔で思いついたことをそのまま口にするラルフ。
そりゃそう思うよね、分かる。分かるけど、その理由を説明するわけにはいかない。
だってあんた喋るもん!!
「なんでも。私からのお願い」
「……まぁ、いいけど」
不服そうにラルフが頷く。
わっかりやすく『納得してないけど頼みは聞きます』って状態だ。小学生か!
純真って言うか素直って言うか、花梨とは違う意味で目が離せないヤツである。何でもできる分、妙な心配をしてしまう。
こういう時は、何かしらメリットを与えるのがいい。
前世でも詳しい内容を説明せずに人の頼みごとをする時は、相応の返礼を与えるのが基本だったものだ。
「もし、協力してくれて色々とうまくいったら――」
「いったら?」
オウム返しに尋ねてくるラルフの目を見つめて、
「――私とあんたがどこで会ったか、教えてあげる」
ラルフの目が見開かれる。
「……本当か?」
「本当よ。嘘は言わない」
「中学より前だよな?」
「当たり前でしょ」
頷く私に、ラルフが表情を引き締める。
ずっと前、それこそ会った時からラルフが気にしていることが一つある。
それは、私とどこかで会ったことがある気がする、というものだ。
ナンパの常套句だが、ラルフのそれはもちろんそういうのではない。
実際、本当に私とラルフは会っている。中学よりずっと前。
こことは違う世界で。
「分かった。お前から頼みごとをするなんて珍しいしな、協力する」
「ありがと。助かるわ」
真剣な顔で頷くラルフに笑いかける。
良かった。これで第一関門は突破した。
あの二人が距離を縮めるには、いつも一緒にいるラルフをなんとかしなきゃいけない。こちら側に引き込むことができれば、それが一番だ。
ほっと胸を撫でおろしたところで、分かれ道に着いた。
「じゃ、私はこっちだから」
私とラルフの家はそれなりに離れている。そのまま別れようとして、
「もう遅いし、送っていくぞ?」
「いいって、ラルフも疲れてるでしょ。早く帰って休んだら?」
気を使う親友に手を振って背を向ける。
こういう気配りができるところも、ラルフがモテる一因なのかもしれない。
しかし、あんな頼みごとをしておいて送ってもらうのはさすがに罪悪感を覚えてしまう。
悪いとは思っているのだ。花梨の隣を譲れ、だなんて。
なにせ、ラルフは――
――前世での花梨の恋人、ジェラルド・カーマイン公爵の生まれ変わりなのだから。