第四十四話
朝起きて、一日経ってしまったことをデジタル時計の日付表示で理解しがっくりと項垂れる。
スマホを開いてみても日付は変わらず、小さく呻いてベッドに沈み込んだ。
「あぁ~……明日ぅぅぅ……」
明日は花火大会である。
逃げも隠れもできずにおめおめと浴衣を着て行くことになるだろう自分が嫌になってくるが、花梨やラルフもいるのでバックレるわけにもいかない。
いや別に行きたくないわけじゃない。
どちらかと言えば行きたい。
花梨と一緒に屋台を見て回ったり、ラルフの射的を見て笑ったりしたい。今年も綿あめを食べて口元を砂糖だらけにする花梨の世話を焼きたいし、花火を見てやたらと大声で叫ぶラルフを白い目で見たい。
でも。
今年は春史くんがいるのだ。
先日の失敗デートの原因は紛れもなく私で、あの黒浜さんの言葉が引っかかってずっと取れずに上の空になってしまったせいだ。
どうにも反応の悪い私に無理をさせたと思ったのか、散策もそこそこにバス停まで送られてデートが終わってしまった。
ため息も出ない。
彼女がなんで前世の名前を知っていたかは分からない。けど、考えて分かるものでもない。
直接話ができれば何か教えてくれるかもしれないが、再び会えるかどうかも怪しい。
春史くんに頼めばそりゃ会えるだろうが、そうまでして聞きたいかと言われると二の足を踏んでしまう。
そんな状況でうだうだ悩んでいても仕方がないのだ。
分かってる。分かってるけど、あの時はとにかくそのことが頭から離れてくれなかった。
せっかくのデートだったのに。
やらかしてしまった感は強く、さりとて謝ろうともどう謝ればいいものか。
この前はごめんね、じゃあ軽い気もするし、かといって重々しく言うもんでもない気がする。それに、理由を説明する流れになるとすごく困る。
前世がどうのこうの、なんて話をするのは頭がアレな人と思われかねない。春史くんはいい人だから信じてくれるかもしれないが、それはそれで困る。
確かに私はヒルダだけど、昼子という別人でもある。そういう感覚は理解してもらえるか怪しいし、気を使われるのも嫌だ。
前世は前世。今とは関係のない、昔と言えるのかすら怪しい話だ。
まぁ、なんだか前世関係者が私の周りには凄く多いけれども。
それでも、これは私一人の中にしまっておきたい事柄だ。
花梨の世話を焼いているのが前世での罪悪感があるからなんて、知られたくない。春史くんにも、花梨にも、ラルフや他の誰にも。
酷い人間だという自覚はある。誰も知らないのをいいことに、素直に私を慕ってくれる花梨を利用している。自分勝手だと言われなくても分かってる。
でも、だから、絶対にそれだけは知られたくない。あの子を大切に思う気持ちの根っこに、こんな歪んだものがあるだなんて。
そうなると理由を説明するわけにはいかず、軽い謝罪をするのもどうかとなれば身動きが取れない。
そんな状況で、四人での夏祭りだ。
明日が憂鬱なこの気持ちを、どうか誰か分かって欲しい。
いやもう、理由なんか言わずこの前はごめんねで押し通せばいいんじゃんか、と思う自分もいる。ていうか段々強くなってきた。もうそれでいこうかしら。
わざわざ言わずに、この前は楽しかったね、またどこか行こうね、とかいうのもアリじゃなかろうか。ナシか。流石にそんな見え透いた嘘はアレか。
変に言葉の裏を読まれて距離ができるのもなんだしなぁ。春史くん、妙に気を遣うからそういう察し方しそうなんだよな。
ベッドの上でうだうだうんうん唸っていると、ドアが乱雑にノックされた。
「姉ちゃん! 飯!」
「はぁ~い……」
朝から元気な夕太の声に気だるく返し、のっそりとベッドから起き上がる。
パジャマから着替えてドアを開ければ、いつものむっつり顔の我が弟がいた。
「昨日は元気だったくせに、今日はどうしたんだよ?」
「まぁ、色々あって」
言い方は少々あまのじゃくだが、私を心配してくれているのが分かって頬が緩む。
への字口の夕太はますます顔をしかめてため息をついた。
「明日は俺朝からいないから言っとくけど、夏祭りじゃ気を付けろよ。暮石にも誰にも隙を見せんな」
「隙ってなによ?」
「なんでも! 姉ちゃんはいつも危なっかしいけど、祭りは特に注意しろよ! 浮かれて普段しないことをする奴もいるからな!」
人差し指を突きつけて言い募る夕太は弟のクセに兄か父のような言いぐさをする。
私ってそんなに信用ないだろうか。姉としてしっかりしてるつもりなんだけどなぁ。
「夕太も、祭りだからって羽目を外しすぎないようにね。それに、この時期チャンスを狙う子も多いから身の回りも気を付けて」
「なんだよチャンスって?」
「分からなければ大丈夫。夕太はまだまだ可愛いってことだから」
なんだよそれ! と怒鳴る弟をスルーしてダイニングに向かう。
夕太と話せたおかげで少し気が晴れた。今日はこの後キャプテンのお見舞いに行って、そのまま仕事に向かうことにしよう。
井ノ瀬さんがいれば相談できるから嬉しいんだけど、世の中そう上手くはいかない。とにかく気持ちを切り替えて、気合入れて明日に臨もう。
そうと決まれば、腹ごしらえだ。
お味噌汁を注ぐお母さんに挨拶して、休みの日だからかパジャマ姿のお父さんの前に座る。
休日の父親らしく新聞の隙間からちらちらと眺めてくるのがなんだかくすぐったい。前世じゃ両親からこんなふうに気にされたことなかったし。
おっつけやってきた夕太が席に座ると、皆で手を合わせていただきます。そういえば、記憶が戻ってすぐはこの風習にも慣れなかったな。
今まで当たり前だったことがそう見えなくなって、混乱したものだ。
そう考えると、やっぱり私とヒルダは別人でもあるのだろう。
なんだか無性にほっとして、食べ慣れた味噌汁の味を堪能した。
「よぉ」
撮影が終わって廊下に出たところで、リアルで聞くのは久しぶりの声に呼び止められる。
振り向けば、市松さんが仏頂面で軽く手を上げていた。
「お久しぶりです」
「おぅ、元気してっか?」
市松さんは少しだけ表情を柔らかくして、話をするのに不都合がないくらいの距離で足を止める。
近すぎず、遠すぎない。距離感を掴むのが上手いのは、この業界長いからだろうかと余計なことを考えてしまう。
「はい、おかげさまで」
「学生のクセに堂に入った返しだな」
「慣れてますから」
素知らぬ顔で言う私に、やっぱり普段は可愛くねぇな、と市松さんがぼやく。
うん、やっぱりムカつく。
久しぶりすぎて忘れていたけど、市松さんは人を苛立たせる天才でもあったんだった。いやね、思い出は綺麗なものばかりを残しちゃうから。悪い印象を消しちゃうのよね。
呆れるほど整った顔はにこりともせず、背後から注がれるお姉さま方の視線も素知らぬ振り。そちらこそ堂に入ったサラブレッドっぷりで。
私にも嫉妬と憎悪の混ざった視線が注がれているけれど、気にしたら負けだ。
あの記事とCMはとんでもなく機能しているらしい。
「CMの評判は上々だな」
「おかげさまで」
「次の仕事の話もきてるんだが?」
「なんで市松さんのところに行くんですか。私のマネージャーは峯野さんですし、事務所は紫藤さんのですよ」
「ほら可愛くねぇ」
「可愛い反応してほしいんですか?」
じっとりと睨みつけて切り返すと、うっとサラブレッド様は言葉に詰まる。
そうでしょうそうでしょう、私があなたの言う可愛い反応したらどうなるか。
自分で言うのもなんだけど、似合わなさ過ぎて気色悪いですよ。
そういうのは花梨の役目です。
「……俺が悪かった」
「分かってもらえれば、それで。何か御用ですか?」
話を変えると、あぁいや、と市松さんは眉根を寄せる。
そんな顔まで一枚の絵画みたいになるのだから、存在自体が反則だ。
「最近会ってないからどうしてるかと思ってな」
「……会わないのが普通ですよ、私達」
「まぁ、そりゃそうなんだが」
読者モデルの私と超有名俳優の市松さんとでは活動範囲が違う。
芸能界はそれなりに狭い業界だが、それなりに広い業界でもある。ジャンルが違えば全く合わないということも珍しくなく、接点が自然発生しないことも普通だ。
そんなことは私よりも市松さんの方がよく知ってるはずなんだけど……少し様子が変だ。
よくよく見てみれば、どこか疲れたような雰囲気もある。
チャットの内容を思い返して、もしかして、と思って聞いてみた。
「何か困りごとですか?」
「……んーまぁ、そうさなぁ」
意味のない言葉を繰り返しながら、市松さんが周囲に視線を走らせる。
何かあるのかと視線を追おうとしたら、さりげなく肩に手を置かれてエスコートされるように自然に歩かされた。
廊下の隅から数m。ただ雑談してるだけと取り繕うのに苦労のない範囲であまり他人に話を聞かれないポジションを確保し、女慣れしたサラブレッド様は肩を落とした。
「ちょっと、気分転換がしたくてな」
「きぶんてんかん」
オウムのように繰り返してしまう。
いやもうこちらとしては明らかに慣れ切った女性を連れ歩く仕草に驚きまくってますが。
それを総スルーして普通に話し始めることにもドン引きだわ。
何人かに見られて、『あぁ……』みたいな目をされましたが。気にしませんかそうですか。
市松さんは私の視線にも気づかずに話し始めた。
「『Gift』がな。先行き不安っつーか」
「上手くいってるみたいですけど」
「表向きはな。ただ、なんてーか折り合いがどうにも」
「仲悪いんですか?」
「良くも悪くもない。そんな段階にもない状態だ」
それってグループとしては大問題なんじゃ、という視線を向けると、市松さんは力なく笑って見せた。あ、察し力が戻ってきてる。
でも、そんな話を私にされても困るんですが。
「ま、時間がかかるところもあるからな。ただ、それまで息が持つのかって問題がある」
「それで気分転換、ですか」
市松さんが頷いて見せる。
人と人の関係っていうのは、一朝一夕でどうにかなるものじゃない。時間をかけて理解し合うことも必要だろうし、グループで活動するというならそれも大事だろう。
ただ、ほぼ強制的に一緒に活動することになるのだ。仲良くなるまでの間に限界が来てしまってはどうしようもない。
それは分かるが、その筆頭は市松さんじゃなかろうか。
「なんだその目は」
「いえ、一番先に限界が来そうだな、と」
嫌そうに眉根を寄せる市松さんに、正直な感想を述べる。
思い当たる節があるのか、唇を歪ませて梅干しでも口に入れられたような顔をした。
「そういうのは思ってても言わないもんじゃねぇか?」
「正直に言った方が良い場合もあると思いまして。不破くんですか?」
苦虫をかみつぶした顔になる市松さんに、少し笑いがこみあげてくる。
こんな百面相をする彼を見るのは初めてだ。
CMで一緒だった時はこんな普通の反応をする人だとは思わなかった。
「まぁ一番はそれか。あいつ何考えてるかわかんねぇんだよ。護堂に任せちゃいるが、それもどうかと思うしな」
「護堂さんこそ気分転換しないといけませんね」
そうだな、と頷く市松さん。
ぶっきらぼうに見えて色々と考える人なんだ、というのはCMの一件で分かってはいた。とはいえ、グループとか嫌がりそうだったから少し意外だ。
任せられた以上は頑張る人なんだろうか。
「なんかいいもんねぇかな」
「それなら、花火大会とかどうですか?」
明日の事ばかり考えていたせいだろうか、ふとそのことが口をついてでてしまった。
悪くはない、と思う。
花火は気分転換にはいいだろう。男の人が連れ立って見に行ってもそうおかしくはない。
もしかしたら、不破少年は大好きかもしれないし。
「花火か……九月までやってるとこもあるし、いいかもしれんな」
「夏の思い出を作るのも、仲良くなる方法だと思いますよ」
自分で言ってて、深く納得してしまった。
そうだ、夏の思い出だ。デートは失敗してしまったが、花火でそれを上書きしてしまえば。
失敗デートのことなんて記憶から消えて、夏祭りのいい思い出だけが残るかもしれない。
その線で行こう、と心の中で決意した。
「そうすっか。んじゃまだ残ってるとこ調べねぇとな。あいつらの都合もあるし、行きたくねぇなんて言われたら元も子もないからな」
「頑張ってください。応援してます」
「おぅ、ありがとな」
気安い笑みを浮かべて、市松さんが手を振りながら去っていく。
いい人だけど、どこか勝手なところがあるのは芸能人の性なのだろうか。
私も人の事は言えないけど。
まぁ、それなりにいいアドバイスができただろう。これで何とかなってくれれば、チャットで愚痴られることも減るかもしれない。
いいことをした、と思いながら帰途につく。
その時は、本当にそう思っていたのだ。
翌日。
お昼を過ぎた頃合いに花梨の家へと向かう。
浴衣の着付けはもう一人でできるが、毎年花梨と一緒にやるのがお決まりになっていたので今も続けている。
何度来ても圧倒される値段の違うマンションに入り、三階の生活部屋にお邪魔する。
「あら~、よく来たわね昼子ちゃん!」
「お久しぶりです、おば様」
六月の修羅場以来、おおよそ二か月ぶりに会ったおば様は相変わらず綺麗だった。
花梨の母親であると納得せざるを得ない美貌はうっかりすると経産婦であることを忘れさせてくる。横に並ぶと下手すると私の方が年上に見えかねない。
以前来た時は度を越した疲労と寝不足で流石の美貌も輝きを失っていたが、元気を取り戻せばこんなものである。
「さ、上がって上がって! 花梨もね、ずぅ~っと待ってたんだから!」
「ひ~ちゃ~ん!」
おば様が喋り終えるのが早いか否か、花梨が浴衣を引きずって飛び掛かってきた。
お腹に響く衝撃を根性で無視しながら受け止めて、ぺしりと額を叩く。
「こら、浴衣は引きずらない」
「えへへ~、着付け中だったから~」
にこにこしながら言われれば、怒る気も失せてしまう。
花梨がつまずかないように浴衣を持ち上げて部屋に移動し、さっさと着付けを終わらせる。
私は去年と同じ濃紅色に小紋の入ったもの、花梨のは淡い桜色に花柄の入った可愛らしいやつだ。
二人並ぶと互いに映える色合いで、割と気に入っている。夜にも目立つが、その方が見失わなくていい。
「昼子ちゃん、去年のもので良かったの? 買い替えてもいいのよ?」
「いえ、気に入ってますから」
そう、と若干不満げながらも納得してくれるおば様に、胸を撫でおろす。
この浴衣、実はおば様からの贈り物なのだ。毎年夏になるとおば様は私の浴衣を新調しようと勧めてくる。
成長期であるからして買い替えが必要な時もあって有難いのだが、気が引けるのでどうしてもという場合を除いて遠慮している。
昼子ちゃんみたいな娘が欲しかったの、とは本人の談だが、娘なら花梨がいるじゃないかと思う。
そしてそれを目の前で言われてもにこにこしている花梨もどうなのか。この親子は時々どうにも掴み切れないところがある。
「それじゃ、行きましょうか」
「は~い!」
「車に気を付けてね~」
満面の笑みの花梨の手を握り、おば様の見送りを背に烏丸家へ向かう。
行く先々でもう既に通行規制が敷かれており、あちこちが臨時の歩行者天国と化していた。
「道の真ん中を歩けるってすごいよね~」
「そうね」
よほど面白いのか、花梨はいつも車道の真ん中を歩く。普段できないことをするのは気持ちがいいが、慣れていないので私なんかは身の置き所がなくなったりもする。
道には既にぽつぽつと人だかりができており、例年通りなら更に増えて道を埋め尽くすような人の波となる。
昔は臨時の歩行者天国なんてなかったのだが、烏丸家が主催するようになってからあまりの人の多さに対処せざるを得なくなってこうなったのだ。
今日もあちこちに警察と警備員が配置され、前世でこういう催し物を主催する立場だった私としては湯水のように金が使われているのを感じてしまう。
こういうところが可愛くないんだろうな、と自分で納得してしまった。
「ひーちゃん、楽しみだね~!」
「そうね」
「今日はね、お腹空かせてきたの~! わたあめとね、りんご飴とね、チョコバナナとイカ焼きとじゃがバター!」
「食べ物ばっかりね」
「金魚すくいや射的もやるよ~! ラルフくん、今年は頑張れるかなぁ?」
「さぁ、どうかしら」
完璧超人のラルフだが、射的だけはどうも苦手でうまくあてられたことがない。ムキになって何回もやるのが面白くて、十回までは放置して見ていたことがある。
握った花梨の手が温かくなってくる。興奮してきた証拠だ。
どこかに走って行かないようしっかりと握りしめ、待ち合わせの烏丸家正門前に急ぐ。
空にほんのりと赤みが差してきた頃、待ち合わせ場所に並ぶ背の高い二人の影を見つけた。
「ラルフく~ん、暮石く~ん!」
鈴の音のように響く声で花梨が二人を呼ばわり、繋いでない方の手を力いっぱい振る。
一瞬で反応したラルフに続いて、春史くんもこちらを見て手を振った。
二人とも浴衣だ。
ラルフは前見たことがある水色に近い爽やかな青に斑模様のもの。雰囲気に似合っているし、桜色の花梨と並ぶと馴染む一対になる。意識してるのかは分からないけど。
春史くんの浴衣は、濃紺に唐草模様が入った渋めの逸品。上品な色合いと少しごわついた生地がマッチしていて、時代劇に出ても違和感がない仕上がりになっている。
着こなし方が凄い。ラルフはハーフってこともあってやや似合わないよりなんだけど、春史くんのフィット感はすごい。それだけじゃなくて、慣れてる感じもすごくしてる。
もっさりした髪型も、素浪人だと言われたら納得してしまう風情に一役買っている。妙な色気まで感じてしまう。
思わず見惚れていたら、花梨にそっと手を引かれて正気に戻った。
「ごめん、待った?」
「いや、ちょうどいいぞ。ハルも今来たとこだし」
「今日は楽しみだね~!」
「そうですね、僕は初めてですし」
四人で挨拶を交わし、早速どこへ行こうかと会議が始まる。
ちらりと春史くんを盗み見るが、先日の事は何も気にしてないように見えた。
「腹減ってる? 屋台はもう幾つかやってるしまずなんか食うか」
「わたあめ! わたあめがいい!」
「じゃあそうしましょう。花火は河川敷にしましょうか」
「そうだな、うちはどうせ人だらけになるし」
今後の方針が決まり、確認を取ろうと春史くんの方を見やる。
置いていかれたような顔でぽつんと佇んでおり、慌ててフォローに入った。
「あぁ、えと、まず屋台を見て回って、花火が始まったら河川敷に行きましょう」
「烏丸家でやるんじゃないんですか?」
至極当然の疑問に、肯定の意味で頷き返す。
「今日は烏丸家の敷地の半分が一般開放されてて、残り半分で花火をやるんだけど。敷地内は人で溢れて身動き取れないくらいになるの。だから、少し離れた河川敷で安全に見ようってわけ」
「なるほど、分かりました」
腑に落ちた顔で頷く春史くんに、ほっと息を吐く。
「ハルもそれでいいよな?」
「うん、初めてだし皆に任せるよ」
こういうところで拗ねないのが春史くんのいいところだと思う。基本が笑顔のせいで本当はどう思ってるか分かり辛いのが難点だけど。
花梨の手を握り直して、既に火が入っている屋台を見て回る。
わたあめの屋台ではまだ人が少ないからかわため作り体験をさせてもらい、花梨はめちゃくちゃ喜びながら大きな綿あめを作っていた。
チョコバナナやイカ焼きの屋台を練り歩きながら金魚すくいに挑戦し、春史くんとラルフが対決を初めて何故か見物客までできてしまった。
ポイ七つ勝負で、春史くんが21匹、ラルフが20匹。僅差で春史くんが勝利し、ラルフはめちゃくちゃ悔しそうに歯噛みしていた。
「白峰さん」
「なに?」
振り向いた私に、春史くんは金魚を一匹入れた袋を渡してきた。
透明な三角の袋に水が張っていて、元気に泳いでいる。
「勝ち分の一匹です。もらってくれますか?」
「……ありがとう」
そう言われては断るのも悪い気がして、うっかりもらってしまった。
うちに金魚鉢とかあったっけ。昔、夕太の為に買ったやつがどこかにあったかも。
帰ったら探そう、と心に決めて袋の紐を指にひっかける。
続いて回った屋台はヨーヨー釣りで、早速ラルフが春史くんにリベンジを仕掛けた。
こより三本勝負で、結果は5個と6個でラルフの勝ち。
勝ち分の一個をもらった花梨は嬉しそうにびよんびよんと指につけたヨーヨーを叩いていた。
気が付けば日は傾き、もう空は茜色に染まっている。
花火が始まるまでには時間があるが、祭りはもう盛り上がりを見せていて、人の波が倍以上に膨れ上がっていた。
「結構人が多いですね」
「花火前にはこの倍くらいにはなるから」
春史くんが少し嫌そうに顔をしかめる。
そうだよね、そんな反応になるよね。人混みが得意な人なんていないだろうし。
「それは……河川敷で見た方がいいですね」
「でしょう?」
少し得意げに言ってみせると、力の抜けた苦笑を返してくれる。
今でも歩けないほどではないけど、下手をすると隣の人ともはぐれかねない人の量。これが花火の前には更に増えるんだから、もう隣の人と肩を寄せ合うレベルになる。
歩行者天国が作られるのも納得というものだ。
ふと視界の端に射的の屋台が映った。
「ラルフ、射的があるけど」
「うし、今年こそやってやるぜ!!」
「がんばれ~!」
腕まくりをして飛び込むラルフと、その後ろについていく花梨。
訝しむ春史くんを手招きして後を追うと、早速ラルフが外していた。
「おっちゃん! これまっすぐ飛ばねぇぞ!?」
「コルク銃ってのはそういうもんだからなぁ」
屋台のおじさんはのんびりとラルフの文句をかわし、腕組みしながらニヤニヤと眺めている。
気持ちは分かる。私もぜひそうしたい。
「ラルフくん、がんばれ~!」
「うおりゃぁぁぁぁぁぁ!!」
二発、三発と重ねるも景品にかすりもせず、五発全部使い切ってもう一度とおじさんからコルク弾を買う。
そうしてムキになればなるほど外し、ニ十発ほど外したところで隣を見上げる。
春史くんが、ぽかんと口を開けて驚いていた。
想像通りの表情が面白く、こらえきれずに肩を震わせて笑ってしまう。
「面白いでしょう? ラルフ、射的だけはダメなの。大抵のことはできるのにね」
なんとか笑いを堪えて言えば、春史くんが得も言われぬ顔になる。
まぁ、そうよね。フィールドのプリンス、リアル王子様で勉強もセンスでなんとかしちゃうあのラルフが、こんな弱点があるなんて思わないよね。
こらえきれない笑いを隠すのも止め、外し続けるラルフに視線を移す。
そろそろ止めるべきかと思っていると、春史くんがラルフ達に近づいていった。
「ごめん、ラルフ。僕にもさせてもらえる?」
「あぁ。でも気を付けろよ! ほんと当たらねぇからな!」
親切心であろう忠告に歯切れの悪い答えを返し、春史くんがコルク弾を詰めて狙いをつける。
一発目は外し、二発目は当て、三発目で景品を落とした。
残り二発残った状態で茫然とする春史くんの後ろで、ラルフが地団駄を踏む。
「なんでだ!? ハル、どうやった!?」
「暮石くん、すごいね~!」
騒ぐ二人を半ば無視しておじさんから景品を受け取り、銃をラルフに返してふらふらと春史くんが戻ってくる。
その顔は事実をどう受け止めたらいいか迷っているように見えた。
「……普通の銃でした」
「そうでしょうね」
「当たりました」
「そうね」
「……なんでラルフはアレができないんだ……?」
手に当てた景品――クマのぬいぐるみをもったまま悩む姿はなんとも滑稽で、春史くんに悪いと思いつつひくつく頬を抑えきれない。
お願いだから真剣に悩むのに片手にぬいぐるみは止めて。しかも悩んでる内容がもうどうしようもない。
ようやくその有様に気が付いたのか、春史くんは手元のクマを見下ろして、
「……あの、よろしければどうぞ」
と、渡してきた。
私に、クマのぬいぐるみ。しかも濃紅色の浴衣を着ているのに。
「……ありがとう」
受け取る以外の選択肢も探してみたけど、どうにも思いつかなかった。
まぁいいか。お祭りだし。
金魚に射的の景品と、お祭り武装としてはかなり上級のものだろう。
隣を見上げれば、春史くんが私を見ていた。
じっと見つめるその瞳はやたらと真剣で、どうにも居心地が悪くなる。
「その浴衣、似合ってます。綺麗です」
急にそんなことを言われても、困るのだ。
「……ありがとう」
それ以外に、私に何を言えと。
空は茜色に染まり、夏の熱気が充満する。あちこちの屋台からは威勢の良い掛け声と、美味しそうな匂い。
浴衣は涼しいけど、やっぱり夏は夏だ。
少しだけ、熱い。
きっと日の光のせいで、今の私は茜色に染まっているのだろう。
未だに射的にかじりついているラルフをそろそろ引き離そうと一歩を踏み出し、
「――小町!!」
男性にしては少し高い声と同時に、何かが凄い勢いで私の横を通り過ぎた。
「お前、誰だ?」
ラルフの声。
視線を向ければ、ラルフが花梨の前に立ちはだかるようにして庇っている。
二人の前にいるのは――
「――おい、不破! 勝手にどっか行くんじゃない!」
聞き覚えのある声。
予感と共に振り向けば、そこにいたのは良く知る人物。
「……昼子ちゃん?」
「護堂さん……?」
護堂 衛士。前世で私の護衛騎士だった人の生まれ変わり。
今世で、私に『好きだ』と告白してきた人。
できることなら今日は会いたくなかった人が、目の前にいた。




