第四十一話
2試合目。
キックオフの笛で大山君の蹴ったボールが春史くんの足に吸い付く。
やたらと楽しそうにボールを奪いに来るラルフを引き付けて、春史くんは敵陣に切り込む大山君へとヒールパスを出す。
パスを受け取った大山君がゴールに迫るも、中々シュートを打てずにいるところをラルフに襲われボールを奪われる。
カウンターのロングパスが決まるも、相手フォワードのシュートは大きくゴールから外れた。
開始数分で心臓が持ちそうにない。試合の行方もだが、二人の様子も。
さっき、確かに互いの名を呼び合った気がしたのに、今はもうお互いに目も合わせない。
というか、大山君が露骨に目をそらしている。
春史くんも気を使ってなるべく見ないようにしていて、これじゃ何の為に練習試合を組んだのか分からない。仲直りしたいんだったらすればいいのに。
そうこうしている間にキーパーのキックから試合が再開し、二つの学校が入り乱れた両チームは混戦へと入っていった。
大山君を中心とした苛烈な攻めは硬い防御に阻まれてゴールネットを揺らせず、ラルフを起点としたカウンターはフォワードの決定力の無さに悩まされる。
決定機を中々作れない大山君チームと、決定機をモノにできないラルフチーム。私はそこまでサッカーに詳しくないけど、互いのチームの問題は明らかだった。
ラルフチームの問題は、ラルフが絶対に上がらないこと。相手の陣地に攻め込まず、自陣を守る位置をずっとキープしている。何のつもりか分からないが、ろくでもないことには違いない。
大山君チームの問題は、それより明らかだ。
春史くんが試合に参加できていない。
キックオフ以降、大山君が彼にパスを出したことは一度もない。それどころか、他の選手からもパスが渡らない。
こんな露骨にされたんじゃ、うちの部員達だって春史くんにパスは出しづらいだろう。彼が何事か部員達に声をかけているのも見たし、多分「気にしないで」とか「周りに従って」みたいなことを言ったんじゃないかと思う。
そのぐらい、春史くんは試合から排除されていた。
最初はハラハラしていたのが、段々と苛立ちに変わっていく。
仕方ない事情があったし、男同士だから私には分からない気持ちのやりとりみたいなのもあったんだろう。それが全部裏切られたとなれば、激怒するのも無理はない。
でも、それでも、この仕打ちはないと思う。
彼らの事に関して、私は部外者だ。春史くんから教えてもらったとはいえ、その時その場所に私がいたわけじゃない。
何を言う資格もないと、この試合を組むまでがお節介の限界だと自制していたのだけれど。
深呼吸をする。
胸の奥で沸々と温度が上がっていく。
前半が終了し、選手達がベンチへと戻ってくる。薄めたスポドリを入れたジャグを奪い合うようにして喉を潤し、コーチや顧問の話を聞いている。
大山君は積極的に後半の作戦について口を出すが、誰も春史くんのことには触れなかった。
その春史くんは、皆とつかず離れずの位置でコップを傾けている。
目が合った。少しだけ驚いた顔をして、
諦めたように微笑んだ。
頭の中で血管がブチ切れる。
深呼吸を繰り返し、ジャグの中身を補給して点数ボードに目を向ける。
まだどちらも無得点。だけど、ラルフの機嫌一つであっさりと点は入るだろう。
ポケットの中のタオルを握りしめて、ハーフタイムが過ぎるのを待った。
そして、後半。
ラルフチームのキックオフで始まり、前半と変わらない展開が続く。
攻め込むラルフチームは決定機を活かせず、キーパーに止められて攻守が逆転する。切り込む大山君チームは相変わらず春史くんを無視し、相手のペナルティエリアにまで踏み込んで、
ラルフがボールを奪った。
鮮やかな足さばきで大山君からボールを抜き取り、そのまま上がっていく。
ブロックしにくる選手を尽くかわし、抜き去り、背後に追いやる。追いつこうと走る大山君を寄せつけもしない。
あっという間に相手のゴールを強襲し、シュートを決めた。
先取点。それまで膠着していた試合を、後半開始5分で動かした。
前半があったからこそだろう、このプレイは大山君チームを打ちのめした。戦えると思っていたのだ。勝てないまでも、いい勝負ができていると。
その思いはゴールと共に打ち砕かれ、そこかしこで肩を落とす選手の姿が見える。
春史くんもゴールを見つめ、何事か思案するように瞳が揺れ、乱れた呼吸の中で吐息を吐き出し、肩を、
「諦めんな!!!」
叫んでいた。
腹の底でぐつぐつと煮え立っていた怒りを燃料に爆発し、抑えきれない情動となって口からあふれ出る。
「下向いたって負けるだけでしょ!! それでもいいの!?」
許せなかった。
彼ばっかりが望みを叶えられず、彼ばっかりが誰かに振り回される。
飲み込んだ我侭は、一体どこへ行くのだろうか。それは解消されずに胃の腑にとどまって、根っこから体を腐らせていく。
かつて私がそうだったように。
口にできなかった泣きたいくらいの我儘は、心を腐らせていく土壌となるのだ。
諦めて、受け入れて。
仕方がないと笑うことができれば、大人にはなれるのだろう。
そんなものは、前世でだけで十分なのだ。
そんなものは、誰も望んでいないのだ。
だって彼は、『次は勝ちます』と言ったのだから。
その文言は、まだ私のスマホの中のチャットルームに残っている。
「見ていてあげるから、勝ちなさい!!」
春史くんが私を見ていた。
我ながらキツくなってるだろう目つきを隠しもせずに見つめ返す。まるで叱り飛ばしているような構図だ。こういう時、もう少し柔らかい顔に生まれたかったと思う。
茫然としたような顔で私を見つめて、
嬉しそうに力強く笑った。
ほっと胸を撫でおろし、軽く息を吐く。
ふと気づけば、皆の注目を浴びていた。
ラルフもコーチも顧問もマネージャーも選手達も、大山君でさえも。
どこか呆気にとられた顔をして、見回した私と目が合うとそそくさと視線を逸らされた。
……なんだってのよ。いや、恥ずかしい真似したとは思うけど。
ふと隣の花梨と視線が重なる。
ご機嫌で満面の笑みを向けられ、何とも言い難い気分になってフィールドの方に視線を逸らした。
センターサークルから大山君チームのボールで試合が再開する。
ボールを受け取った春史くんは、思いっきりドリブルで切り込んでいった。
様子見とか、そういうのは全くなし。最初から全力で走って行く。
何故かめちゃくちゃ喜んでるラルフと正面からぶつかり、奪われそうになったボールを強引に蹴って大山君に渡した。
その様子を呆気にとられながら見ていた大山君はトラップを失敗し、もたついている間にマークにつかれる。
上手くかわしきれずにボールを取られ、カウンターパスが通された。
そのまま同じ展開になるかと思えば、ラルフが全力で上がってきていた。
その横にぴったりと春史くんをくっつけて。
バックパスを受け取ったラルフに春史くんがしがみつく。流石のラルフも中々前に進めず、やむを得ずパスを回して攻める形にした。
攻め込むラルフチームに、守る大山君チーム。決定機が訪れないまま5分10分と時間は過ぎていき、次第に攻めているチームに焦りが見え始める。
それはラルフも同じだったのだろう。ボールを自在に操りながらも春史くんを抜き去れずに、パスを回す。
読んでいたように伸びた春史くんの足が、ラルフのパスを弾いた。
すぐにボールを追いかけドリブルする春史くんにラルフが張り付く。迂闊に体からボールを離せば奪われるという状況で、春史くんは冷静だった。
「翔!!」
今度こそはっきりと呼ぶ声が聞こえた。
ラルフの股の間を抜いて、低く鋭いパスを飛ばす。
今度こそトラップし、大山君が相手ゴールに迫る。残っていたディフェンダ―の一人を抜き、隙間を縫うようにしてシュートを放つ。
同点に追いついた時、残り時間は10分を切っていた。
歓声が上がる。
私も思わず拳を握りしめた。
フィールド内でも喜びが弾けており、大山君チームの選手が抱き着きあったり吠えたりと凄い有様だった。
その中で、喜んでいなかったのは二人だけ。
揺らされたゴールネットを見つめる春史くんと、俯き加減に口元を拭う大山君だけだった。
試合はそのまま同点で終わり、15分程度の休憩を挟んで3試合目へと移る。
3試合目はラルフと大山君が同じチーム、春史くんが別チームだった。
……何かすごく、すごーく意図を感じる気がしないでもない。
キャプテン、どこまで仕込んだんですか。聞いてみたいような、みたくないような。
3試合目は、春史くんがボランチ。ラルフと大山君がフォワードについている。さっきの試合と逆というかなんというか……キャプテン? 偶然ですか?
キックオフの笛の音で、ラルフにボールが渡る。
酷く楽しそうなあのバカは、さっきの春史くんと同じくドリブルで切り込んでいった。
敵陣の半分ほどまで押し込んだところで三人にマークされ動きが止まる。だがそれを読んでいたように大山君にパスを回し、
春史くんにカットされた。
意趣返しのようなカウンターロングパスでフォワードにボールを回し、早々に先取点を上げる。
唖然とした顔をした大山君とラルフに目もくれず、春史くんは守備位置に戻っていった。
ラルフの顔が獰猛な笑みに歪む。強い獲物を見つけた歓喜を張り付け、大山君の肩を叩いてなにやら話している。
悪い予感しかいないそれから目を逸らし、春史くんを見る。
大丈夫だろうか。
発破をかけたのは私なんだけど、何か間違えた気がする。このまま真剣に試合をして、果たして仲直りはできるのか。なんだか溝が深まっている気がしなくもない。
悩みながらフィールドを見つめていると、
「大丈夫だよ」
小さく花梨が声をかけてきた。
目だけを動かして隣を見ると、喜色満面の花梨が微笑んでいた。
「皆楽しそうだもん。上手くいくよ」
……春史くんのことは、花梨にさえ話していない。キャプテンにもすべては話さなかったし、この子が事情を知るはずがない。
なのに、どうしてこの子は私の欲しい言葉をくれるのだろうか。
そっと花梨の頭を撫で、幾分か落ち着いた心持ちで試合に目を向けた。
ラルフチームのキックオフで再開する。
さっき何を話していたのかは、すぐにわかった。
切り込んでいくラルフが、前を塞がれたと思ったらすぐに大山君にパスを出す。大山君も同じく、マークにつかれるとすぐにラルフにパスを出す。
自由になるとすぐにマークをはがして走り回り、二人は交互にパスを出し合いながらゴール前へとボールを運んでいった。
インハイ準決勝と決勝で見せた、ラルフと春史くんのコンビプレイ。それを、大山君とラルフはやってのけていた。
いくらラルフが天才的センスの持ち主だからって、そんな簡単にできることじゃない。
大山君の方も、かなりの実力とセンスを要求されるプレイだ。まして、二人は今日会ったばかり。息を合わせるのも難しいはず。
なのに、私の目からは抜群のコンビプレイにしか見えなかった。
流石の春史くんも守り切れず、ゴールネットが揺らされる。
嬉しそうにハイタッチをするラルフと、若干戸惑った様子の大山君。だが、二人の相性は悪くないようにも見えた。
春史くんの目の奥に、ゆらりと燃える炎が見えた気がする。
センターサークルからの再開。ドリブルで切り込んでいく春史くんに、すぐさまラルフと大山君が反応する。
二人が近づいたのを見計らって、春史くんは素早いバックパスを繰り出した。
バックパスを受け取った選手は大きく右ウイングに蹴飛ばし、トラップした選手がペナルティエリアへとドリブルする。
恐ろしい速さで迫るラルフの気配を感じると、左ウイングへと高く上げた。
春史くんが立てた戦略なのか何なのか、彼のチームは広くフィールドを使って攻めあげている。
決して無理をしない。ラルフからは素早く逃げる。それを徹底することで、時間をかけながらも着実に前線を押し上げていく。
ゴール前を大山君とラルフが固め、崩しきれないフォワードが一度春史くんにボールを戻す。
ラルフが猛烈な勢いで春史くんに迫った。
パスを出そうにも、出せる範囲には厳しいマークがついている。ロングを出せるほど距離もなく、右ウイングに流そうと、
低く蹴ったボールが、インターセプトされた。
そのままラルフがカウンターに入る。
追いかける春史くんをぐんぐんと引き離していく。冗談じゃない、ドリブルしながらなんてスピードを出すのか。
あっという間にキーパーと一対一になり、あっさりと2点目を決めた。
味方のはずの大山君がぽかんと口を開けている。あれを見たら誰だってそうなるだろう。私でも頭おかしいと思うんだから、サッカー一筋の選手にはもっとひどく映るはずだ。
センターサークルからの試合再開。
もう一度春史くんはフィールドを広く使って攻めていく。それ以外の手がないのだろう。細かい作戦を考える時間も伝える時間もない。
再び大山君とラルフによって硬く守られ、バックパスを受け取り、
強烈なミドルシュートを放った。
パスされたボールをトラップせず、そのままボレーのように打ち抜く。
強烈な回転でキーパーの指先を弾き、
ラルフのヘディングでクリアされた。
なんでそこに、と誰もが思ったはず。私も思った。クリアされたボールは転々とフィールドをさ迷い、春史くんが確保しようと走り出す。
同じく走り出したラルフが、一足先に確保した。
このままだとまた点が入る。
思わず両手を強く握ってしまう。このままじゃ惨敗だ。
後ろから、走りこんだ勢いそのままに春史くんがスライディングをかけた。
なんとかラルフはよけるも、ボールははじき出される。笛が鳴り、春史くんにイエローカードが出された。
これまで、春史くんがイエローをもらったことは一度もなかった。ファウルをとられたこともない。
驚きに目を丸くしていると、私と同じく目を丸くしている人がいた。
大山君だ。
ラルフと春史くんを見つめ、息を呑んでいる。
彼の中では、一体何が起きているのだろう。彼の目に映る二人は、どのように見えているのだろうか。それが分かれば、何かできるかもしれないのに。
そんなことできるわけもなく、私はただ見守るしかなかった。
フリーキックから試合が再開され、大山君とラルフのコンビが苛烈に攻め込んでいく。ゴール前を厚くすることによってなんとか防いでいるものの、劣勢は明らかだった。
なんとか3点目を決められる前に前半終了の笛が鳴り、命拾いする。
だが、後半になっても状況は何も変わらなかった。
ボールの支配率を上げようとパス回しでリズムを作るも、ラルフによってかき乱され、大山君の攻撃力に対応しきれない。
結局追加点を許し、4‐1で3試合目は終了した。
春史くんチームも何度かゴールを狙ったが、今日はやたらと守備よりなラルフによって全て防がれてしまっている。
何でもできる奴ってのはこういう時に腹立つのよね。どうしようもなくて。
そろそろ皆の顔にも疲労が浮かんでくる。これまでは軽い談笑をして過ごしていた休憩時間が無言の空間となっていた。
それぞれが適当な場所に腰を下ろし、タオルで汗を拭っては水を飲んでいる。平気そうな顔をしているのはラルフくらいなもので、皆体力を回復しようと乱れた息を整えようともしなかった。
ただ、少し毛色が違う様子をしているのが、二人。
春史くんと大山君。
二人ともそこまで疲れていないようで目はしっかりフィールドを捉えている。息もそこまで乱れておらず、何かを一心不乱に考えているようだった。
もうすぐ4試合目が始まる。これで本当にうまくいくのだろうか。
キャプテンも花梨も大丈夫と言ってくれたけど、私は不安で仕方なかった。
だって、今も二人は目を合わせない。お互いを意識しているような素振りはなくはないが、特に春史くんがもうあんまり気にしていない。
大丈夫なのか、これ。仲直りできるのか。ていうか仲直りしたいって言ってたの春史くんだったと思うんだけど。
なんだか大山君の方が強く意識しているみたいで、少し可哀想になってくる。
なんとはなしにちらちらと二人の様子を見ていたら、大山君と目が合った。
得も言われぬ顔をして暫く視線を交わし合い、小さくため息を吐かれて視線を逸らされた。
……なんだよぉ。何か文句あるなら言えよぉ。
暫くぼうっとしていた大山君がいきなり立ち上がり、タオルでめちゃくちゃに髪を拭く。
用の終わったタオルをあちらのマネージャーに向かって放り投げ、ボールを蹴ってフィールドに戻っていった。
投げつけられたマネージャーは慌ててタオルを掴み、ほっと安堵の息をつく。随分横柄な態度だと思ったが、慣れているのかその女マネは何も言わずにタオルを片付けていた。
……そういう関係なのかな。いや、下手な勘繰りは良くない。彼氏彼女の関係ができる男にも見えないし。
大山君がリフティングで遊んでいる内に休憩時間は過ぎ、最後の試合が始まった。
チーム分けは、春史くんと大山君が同じで、ラルフが別。2試合目とは他の面子が違って、春史くんチームがやや守備よりだ。
二人でセンターサークルに立つ。何か話しているようだけど、ここからじゃ声は聞き取れない。唇を読む力が欲しい。
大山君が軽く目を瞑って、何か諦めたように唇を動かした。
笛が鳴る。
最後の試合が始まる。
大山君が蹴ったボールが、春史くんの足に収まる。
遠慮も何もする気がないラルフが、ボール目掛けて突進してきた。
春史くんが大山君にパスを出す。人間に可能なのか疑わしい速度と角度でラルフが狙いを変える。
ミッドフィルダー陣が大山君の行く手を塞ぐ。かわしていこうにもすぐ後ろに猛追するラルフ。どうすることもできない状態で、
春史くんにパスが出た。
これには相手チームも意表を突かれ、反応が一瞬遅れる。それで十分だった。
春史くんはあっさりと守備を抜き去り、ゴールへと迫る。
動揺しなかったのはラルフだけで、すぐに追いついてボールを奪おうと足を出す。
それをかわし、春史くんが大山君にパスを回す。
受け取った大山君が相手陣地へと攻め込みペナルティエリアへと踏み込む。
飛び出してきたキーパーをかわそうとせずにパスを出し、ぴったりラルフにつかれていた春史くんがすぐさま大山君に返す。
トラップせずに放たれたシュートがゴールネットを揺らし、先取点を奪った。
息の合ったコンビプレー、とはこのことを言うのだと思う。パスを出す位置、タイミング、全てが状況にぴたりとハマっていた。
ラルフと春史くんのコンビとも違う。その熟練っぷりはラルフでさえ対応を遅らせた。
キーパーを交わすためのパス、あれは春史くんが受けてから奪おうとあいつは思っていたはずだ。
だが、春史くんがすぐ返したことでタイミングがズレた。しかもパスを出す位置をずらすことで、大山君をフリーにした。
お互いに相手が絶妙のパスを出すことを疑っていない。アイコンタクトすら必要とせず、ここしかないという場所に蹴りこんでいく。
凄かった。たったワンプレーで、信頼関係が見えるなんて思っていなかった。
そんなプレーがあるなんて信じられなかった。
二人の間にどれだけの絆があったのか、思い知らされる。それが打ち砕かれた時、大山君はどれだけショックを受けたのだろうか。
春史くんにも事情があったとはいえ、今までの彼の態度も頷ける。
目の覚めるようなワンプレー。
それは、ラルフにとってもそうだったらしい。
センターサークルでのキックオフから、あいつに遠慮がなくなった。
というより、そこからのプレーで今まで遠慮していたんだなと分かった。そのぐらいあのバカのプレーは苛烈で、ゴールをもぎ取ろうとする気迫がここまで伝わってくる。
そのラルフを、春史くんは大山君と二人で抑え込んでいた。
直接ディフェンスにあたるのは大山君だ。春史くん以上のしつこさと執念でラルフから少しも離れない。そして、少し離れた場所で全体を見渡しながら、春史くんがパスカットの機会を伺っている。
二段構えのマークに流石のラルフも手こずっていた。
抜き去ることも難しく、パスもほぼ出せない。二人を乗り越えるほどの絶妙さを出せる相方はおらず、『フィールドのプリンス』はその翼を封じられてしまっていた。
苛立ったのか何なのか、強引に押し通ろうとして笛を鳴らされる。
チャージング。カードは出なかったものの、ラルフも珍しくファウルを取られた。
春史くんチームのフリーキックで大きく前線を押し上げられ、再び二人のコンビプレイでゴールに迫る。
ペナルティエリア内からのシュートは、ラルフによって防がれた。
そこは流石のサッカーバカで、ここしかないというコースを突然現れて塞いでいった。クリアされたボールはラルフチームのフォワードが拾い、果敢に攻め込んでいく。
だが、強固な守備陣を崩すことはできず、ラルフに回されるもほぼ封じられた状態。それでもなんとか押し上げてゴールを脅かすのは流石としか言いようがないが、点が入るほどの決定機は存在しなかった。
1点を先制されたまま、前半が終了する。
ハーフタイム中、ラルフの目の色が段々と変わっていく。
大山君と春史くんは二人で何か話し合っていて、とても私が近づける雰囲気ではなかった。
どうなるのだろうか。この試合の行く末が、まるで今後の全てを暗示するように思えてくる。
ラルフは、負けるのだろうか。
春史くん達は、うまく仲直りできるだろうか。
何もできない私には、ただ祈ることしかできない。
後半が始まる。
ラルフがドリブルで敵陣を切り開いていく。
もうパス回しもしない。正面から大山君と春史くんを抜き去り、一人でゴールまでボールを運んでいく。
マークを付けられようがルートを塞がれようがものの数ではない。股を抜き、横を抜き去り、時には踵で高くボールを上げて一人パスを実践した。
ペナルティエリアに入ると同時にシュートの構えを取る。ミドルシュート。ラルフが一番得意で、一番威力が出ると言っていた距離。
思いっきり蹴りつけたボールは恐ろしい速度でゴールを目指し、
大山君と春史くんの二人ブロックによって弾かれた。
滑り込むように二人の右足が交差し、ラルフのシュートを受け止めてクリアする。ただ、ダメージが半端じゃなかったようで二人とも走り出せずにいた。
茫然とするラルフの頭を抜けて、ラルフチームの陣地でボールが転がる。それぞれの選手が奪い合いに向かい、なんとか春史くんチームが確保に成功する。
ダメージから回復した二人が前線に復帰し、またも見事なコンビネーションで守備を翻弄してゴールネットを揺らした。
サッカー漫画でも見ている気分だ。インハイの決勝より凄い試合かもしれない。
ラルフの顔が今までにないくらい楽しそうで、そしてめちゃくちゃ悔しそうだ。あいつがあの顔をするときはヤバい。
それを引き出した二人は、にこりともせずに強く手を打ち合わせていた。
あぁ、なんかすごいな。
私には分からない世界がそこにあって、手を触れられないものがある。急に春史くんが遠くに感じてしまう。
でも、ようやく私にもわかった。
なんとかなる。きっと大丈夫。
胸の奥を鎮めるように拳を置いて、精一杯応援した。
結局4試合目は引き分けになった。
あの後、ラルフが本当にヤバかったのだ。まさに周りを『使い』ながらボールを一瞬も渡さず次々にシュートを打ち込んでいくのは鬼か悪魔かと思った。
大山君と春史くんも良く防いだけれど、逆転されないようにするので限界だった。
それでも引き分けだ。本当にインハイの決勝より凄かったかもしれない。「冬が楽しみだな!」とかラルフは言ってたけど、果たして春史くんは続けるんだろうか。
片付けも大体終わり、遠征に来たうちは荷物を整理して帰る準備を始める。
マネージャーも数がいるので、てきぱきとやっているとすぐに終わった。
これからバス乗り場まで行って、行きと同じくバスと電車で帰るのだ。
ジャグを抱え上げたところで、横合いから伸びてきた手にひょいっと奪われた。
隣を見れば、春史くんがいつもの笑顔を浮かべていた。
「持ちますよ」
「いいのに。中身空だから軽いのよ」
ジャグを軽く振って、そうですね、と頷く。
「でも、重そうですから」
「軽いって言ってるのに」
少し呆れたように言うと、春史くんは嬉しそうに笑う。
なんだろう、なんだかこそばゆい。
自分の分の荷物を持って、校門へと歩く。
「今日はありがとうございました」
唐突に言われたお礼に、頭がついていかなかった。
「何が?」
「……応援してくれたり、色々です」
照れくさそうに言う春史くんの顔を思わず見つめてしまう。
何も言ってないのに。
部員達も、ラルフでさえ詳細は知らないはずなのに。
何か、気づいたのだろうか。
そんなはずはないと思っていても、嬉しくなって頬が緩む。
「……別に、何も」
「ありがとうございます」
私のことなんかお構いなしに、勝手にお礼を言って微笑んでくる。
恥ずかしいやらなにやらで、うまく返せなかった。
無言のまま歩き続ければ、校門が見えてくる。
先に向かっていた部員達も一旦そこで集合して、最後の点呼をして帰る予定だ。
春史くんと二人、会話もなく歩く。
言いたいことはあるけど形にできなくて、ちらりと春史くんを見上げる。
穏やかな表情をしていて、私のやったことは無駄じゃなかったと思えた。
このまま何も言わなくてもいいかもしれない。
言葉にするほうが無粋なことだってきっとある。
そう思っていたのだけれど。
「ハル!」
後ろから聞こえた声に、最後の関門が来たことを知った。
春史くんと一緒に振り向く。
そこにいたのは、軽く息を切らせた大山 翔君だった。




