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第四十話

 改札を通り過ぎた先には、どこまでも広がる緑の景色があった。


 背の高い建物は殆どない。アスファルトで固められていたのは駅の周辺だけで、十分も歩けば土の地面が顔を出してくる。

 ブーツの底の感触を確かめながら歩く。小さな石ころを踏む感覚は田舎のおじいちゃんおばあちゃんの家を思い起こさせた。いや、うちの祖父母の家の付近にそんな道ないけど。


 存在しない郷愁を感じつつ、春史くんの隣を歩く。

 駅を出る時に買ったミネラルウォーターがバッグの中で揺れる。春史くんの分はリュックの外ポケットに突っ込まれ、徐々に汗をかいていた。


「遠くてすみません」

「大丈夫」


 謝る彼に首を振り、大きめの石を跨ぐ。

 気が付けば道の両側には畑が広がり、離れた場所には水田も見える。酷く遠くへ来た気分になるが、よく考えれば電車で一時間だ。多分関東から出てすらいない。


「もっと近場にも弔ってくれるところはあったんですけど、それなりの大きさの霊園となると中々なくて」


 今から行くところが一番良かったんです、と教えてくれた。

 どう返事していいものか分からず、黙って頷く。

 ペットの供養がどういうものかはよく知らないけれど、人間みたいなお墓を立てるならお金もかかるし場所も選ばないといけないのだろう。

 昔の漫画なんかで見る家の庭に埋める、というのは嫌だったんだろうなと思う。


 ……いや、こうして勝手に納得するからいけないんだな。

 口先ばっかりの友達は、やめにしよう。


「庭、とかに埋葬するって、考えなかった?」


 緊張して変な喋り方になったが、セーフとする。

 見上げた春史くんは、少し驚いた顔をして口角を上げた。


「……そうですね、考えませんでした。ちゃんとしたお墓を作ってあげたかったので」


 優しい顔に苦笑を浮かべ、遠くを見つめる。

 その視線の先は、何年前を見ているのだろうか。


「そうしておいて良かったです。おかげで引っ越してもこうして来れますから」

「……そうね」


 言葉に詰まった挙句に頷いてばっかりだ。

 でも、軽々しく慰めの言葉もかけられない。それは、なんか、無責任な気がする。

 春史くんの苦しみと悲しみを、軽く扱っている気がしてしまう。

 だからって何も言わないのが正解とも全然思わないんだけど。


 気の利いた事一つ言えない自分が嫌になりながら、ぽつりぽつりと世間話をしながら照り付ける日差しの下を歩く。

 今日もまた平均気温を大きく上回り、同日における観測史上最高記録を叩きだしてきた。

 顎を伝って汗が垂れ、水を飲んでは戻すを繰り返す。

 そのうち面倒になって、バッグに戻さず持ったまま歩くようになった。春史くんも同じように戻すのが面倒になって手に持っている。

 これの悪い点は、体温でぬるくなる速度が上昇することだ。もう冷たさには期待しないことにした。


 歩き慣れない道に茹だるような暑さ。歩く速度ものろのろとしてしまい、いつまでも到着しないように見えた目的地が見えた時には心の中で歓声を上げた。

 改札を抜けてからおよそ一時間。小高い丘に建てられた霊園は、広々とした敷地にぽつぽつと花が咲く牧歌的な雰囲気の場所だった。


 この距離は年に一度しか来たくないなと思いつつ、入り口の詰め所にいる守衛さん――管理人さんかもしれない――にカードを見せる春史くんの後ろについて中に入る。

 外から見た通り、広々として清潔感がある。いくつも並ぶお墓は色んなスタイルがあり、欧米風だったり日本風だったりと見本市みたいな豊富さだ。

 端には滑落防止用の柵が立ててあり、その向こうには映画で見るような田園風景があった。日本の原風景みたいな景色は、喧騒からははるか遠い。この霊園に眠るペット達は、安らかに休めるだろう。


 立ち並ぶお墓の内、人間のものより一回り小さい日本式のものの前で春史くんは足を止めた。

 墓石には、『暮石家之墓』と書いてある。


 リュックを下ろすと、中から花束を取り出し供えてあるものと入れ替え始めた。何か手伝おうと思うも、邪魔になるのが嫌で立ち尽くすしかない。

 そうして何もできずに見ている内に花は取り換えられ、墓前に供えられていたおちょこみたいな空っぽの容器に水が注がれた。


「本当は、好きだったビーフジャーキーとかも供えたいんですけど」


 悲し気にそう言って、線香に火をつけて台座に立てていく。

 このままだと、何をしに来たのか分からない。


「私もさせてもらっていい?」


 そう言って手を差し出すと、一瞬躊躇された後に線香とライターが渡された。

 先端に火をつけると、独特の匂いが漂う。蚊取り線香と似た、妙に重くて郷愁を誘う匂い。

 慎重に台座に立てて、ほっと息をつく。落とさなくて良かった。


 線香とライターを返して、お墓に向かって手を合わせる。

 何を祈るべきか考えて、安らかに、とかも何も知らない私に言われても困るだろうし、かといってご冥福をお祈りしますとかは墓前で言うことではないとも思う。

 あれこれ考えた結果、


 ――初めまして、春史くんの友人の白峰昼子です。


 自己紹介をしてしまった。

 とりあえず、今は知らない人同士だし。そこから入るのは間違いではないと思う。


 ――仲良くしていきたいと思っています。よろしくお願いします。


 我ながらどこか間抜けだと思わないでもないが、それ以外に何も思いつかなかった。

 ちらりと片目を開けて隣を見やる。

 春史くんが手を合わせて目を瞑り、一心に祈っていた。


 このまま私だけが目を開けるのもどうかと思われて、再び目を閉じて自己紹介の続きをする。

 家族構成に好きな食べ物、ラルフや花梨の事も話したし仕事の話もちょろっと。

 もういいだろうと思って目を開ければ、春史くんが優し気に微笑んでいた。


「熱心でしたね」

「……まぁ、うん」


 何を話せばいいか分からなくて自己紹介をしていたとは言えない。

 彼から目を逸らしてお墓を見つめる。


「何をそんなに祈っていたんですか?」

「……内緒」


 柔らかくて低めの声が耳朶を打つ。

 言えるわけがない。貴方の大事なセブンに家族構成や友達の話してました、なんて。

 何話してるんだって呆れられたらめちゃくちゃ傷つく。私だってどうかと思ったけど他に思いつかなかったんだもん。

 春史くんは楽しそうに笑って、お墓の前に膝をついた。


「セブン、僕にも友達ができたよ」


 その瞳があまりにも優しくて、切なくて。

 胸の奥をぎゅっと掴まれたように息が苦しくなる。


「翔とは仲直りできなかったけど。でも、名前で呼び合う友達もできたし、白峰さんはここまで来てくれた。今までずっと一人できてたから、驚いただろ?」


 ふと、小百合さんは来なかったのかなと思った。

 あの人はアルビノだし、外出自体あまり好ましくはない。それなのにこんな遮蔽物のない道を一時間近くも歩くのは、問題が大きいかと納得した。

 だったら、多分、私が春史くんと来た初めての人ってことになる。


「安心していいよ。僕はやっていける。大丈夫だって胸を張れる。だから……また来年、会おうな」


 愛おしそうに指先でお墓を撫で、立ち上がる。

 春史くんの顔は、どこかさっぱりとしていた。


「帰りましょうか」

「……うん」


 頷いて隣り合って歩く。

 守衛さんに一礼して、来た道を戻っていく。

 その間中、私の頭は彼のある一言に占められていた。


『翔とは仲直りできなかったけど』


 その言葉に含まれる色んな意味に、胸がいっぱいになっていく。

 仲直りしたいのだろう。したくないわけがない。でも、できなかったと諦めてしまっている。

 それは、絶対に、良くないことだ。

 もう無理だって、仲直りできないって思ってしまっている。


 本当は仲直りしたいのに。

 このままでいいはずがない。

 でも、私に何ができるだろう。


 分からない。分からないけど、指を咥えてみていたくはない。

 だって、私はセブンのお墓参りに同行させもらった初めての友人なのだ。

 その意味の重さくらい、考えなくたって分かる。

 大切にしてもらっている。だから、大切にし返したい。


 私に、一体何ができるのか。

 帰りの道も電車の中も、ずっとそのことを考えていた。


 どうしたら、彼が心から笑ってくれるか考え続けた。




 寝不足のまま朝を迎えてしまった。

 昨日、春史くんと暮石家ペットの墓参りに行った帰り。ずっと大山君との関係をどうすべきか考え続けて、気が付けば朝になっていた。

 途中うつらうつらと意識が途切れた時間があるが、ピークを過ぎたのかもう眠くはない。眠くはないが頭は重いし体はダルい。

 若いんだから一徹くらいなんともないんだけど、考えごとをしながらだと結構キツかった。


 結局、何も解決策は浮かばなかった。

 大体、私は大山君とは面識も何もないのだ。向こうの学校の事だって知らない。

 そんな状態で一体何ができるというのか。前提が酷過ぎて笑いすらこみあげてくる。

 顔でも洗おうとふらふらと部屋から出ると、


「うわっ!」


 響いた悲鳴に視線を向ければ、我が弟が引いていた。


「姉ちゃん、なんだその顔!?」

「……ちょっと、眠れなくて」


 態度の悪い弟を怒る気にもなれず、ぼんやりと返す。

 夕太は眉を顰め、


「眠れねぇって……どうかしたのか?」

「まぁ、ちょっと……」


 言い淀んだところで、ふと閃いた。

 そういえば、この前何かあったら相談しろって言ってた気がする。夕太は男だ。私にはない観点があったりしないだろうか。


「夕太、ちょっといい?」

「あ?」


 雑に眉を上げてみせるのを了承の合図と受け取った。


「友達と仲直りって、どうしてる?」


 弟の顔が固まった。

 姉の目から見ても整っていると思う顔に苦悶と疑念の表情を浮かべ、ぴくりともしない。

 聞く相手を、間違ったかもしれない。


「やっぱりいいわ」

「おい、ちょっと待て! ……小町さんと喧嘩したのか?」


 おずおずと聞いてくるのは、心配してくれているのだろうか。

 可愛い有様に少し笑みをこぼし、首を横に振った。


「ううん、男の子ってどう仲直りするのかなって思って」

「いや……まぁ、うん、そうだな……女とは違うな、たぶん……」


 小さく付け足された『多分』に込められた意味に気づき、苦笑する。

 我が弟は人付き合いが得意な方とは思っていなかったが、どうやら親しい同性の友人がいないようだ。

 これは、聞いた私が悪い。


「いい、気にしないで」


 小さく手を振ってそう言うと、


「いや! ちょっと待て!! いいか、待ってろよ!?」


 私を押しとどめるように手で示すと、夕太は慌てて部屋に戻っていった。

 一体何をする気だろうか……まぁ、時間がかかりそうなので先に顔を洗いに行く。

 軽く顔を洗って麦茶を飲んで戻ってきたところで、夕太の部屋の扉が力強く開いた。


「ふっ、『白蛇姫』に教えてやろう。男同士というのは、“言霊(ノイズ)”ではなく“(ワルツ)”で理解し合うものだ」

「うん、漫画知識は役に立たないかな」

「違うっ!!」


 顔を真っ赤にして反論する夕太を横目に、やっぱり相談する相手を間違えたと思う。

 こういうのを話して助言をくれそうな人って誰がいるだろう。護堂さん……は絶対選んじゃダメな気がする。市川さんも同じくダメ。社長は勿論論外だし、井ノ瀬さんは聞いてくれそうだけど時間を取ってもらうのも悪い。社長にバレそうな気もするし。

 社長にバレず、時間を取ってくれて、相談できる人。

 そんな都合のいい人いるわけが、


 ――いた。


 ふと思いついた。あの人だったら、多分大丈夫だ。

 的確な助言も期待できるし、なんなら協力してもらえるかも。少なくとも、今思いつく範囲の人の中で一番条件ぴったりだ。

 中々いい思い付きだった。一人喜んで頷いていると、


「聞いてんのか、姉ちゃん!!」


 怒る弟の声で現実世界に意識が戻る。


「うん、なに?」

「だから! マジで行動で示すことが大切だっつってんの! ちゃんと頭下げるとか、弁償するものもってくとか、とにかく言葉じゃなくて行動が大事なんだって!」


 ちらちらとスマホを見ながら熱く語ってくれる夕太。

 一体誰から教えてもらっているかは知らないが、言うことには確かに一理ある。

 言葉を尽くすよりも一つの行動、っていうのは春史くんやラルフを見ててもそういうのが好きそうだなとは思う。


「いいか? ちゃんと俺の話聞けよ?」

「うん、ありがとう夕太。助かる」

「お、おぅ!」


 嬉しそうに胸を張る弟に自然と微笑み、部屋に戻る。

 やっぱり夕太は可愛い。誰に聞いたのかは気になるけど、困った時に相談できる相手がいるって分かったのも良かった。

 少しずつ、夕太も変わっていってる。

 物事が良い方向に動いている時に、色々やってみるべきだ。今の内に行動あるのみ。


 深く息をして、ベッドに寝転がる。

 出かける前に、まずはひと眠り。こんな顔で病室に行ったら心配させるだけだ。

 目を瞑れば、すぐに意識を手放せた。




 夕暮れに染まる病院の廊下を面会用のプラカードを下げて歩く。

 時折通る看護師さんや患者さん達に会釈しながら歩けば、目的の病室が見えた。

 表の札に書かれた『下原 誠』を確認してノックする。

 はい、と聞こえた声は女性のものだった。


「失礼します」


 スライド式のドアを開けて中に入れば、予想通り信野先輩がベッドの隣に座っていた。

 軽く手を上げるキャプテンと、目を丸くする先輩に頭を下げる。


「お邪魔します」

「うん」

「し、白峰さん!? どうしたの?」


 ウサギの形に切りそろえられた林檎が載った皿をさっと台に置き、信野先輩は素知らぬふりをする。

 もうバレてるんだから気にしなくていいのに、と思いながら一応その意思を尊重して私も知らないふりをした。


「キャプテンに少し相談がありまして」

「俺に? 相談?」


 自分を指さし首を傾げるキャプテンに頷く。

 眉根を寄せて少し困った顔をしながら、隣の信野先輩に視線を送った。


「あ、じゃあ私もう帰るから。白峰さんはゆっくりしていって」

「……面会時間、もうないけどな」


 ぎくしゃく動く強張った笑みの信野先輩にキャプテンが小さく突っ込む。

 じゃあね、と言いながら出ていく先輩を見送って、下原部長は小さくため息をついた。


「もう少し慣れてくれないとなぁ」

「しばらくは難しいと思います」


 ぼやくキャプテンに率直な感想を言えば、渋い顔で苦笑された。


「そうだな。で、相談ってなに?」


 見上げてくるキャプテンに向き直り、こっそりと深呼吸する。

 こういう相談を人にするのは、生まれて初めてだ。

 少し心拍数が上がるのは、緊張しているからか、それとも別の理由か。

 分からないけれど、不安と妙な高揚感があるのは確かだった。


「仲直りの方法を、教えて下さい」

「……ん?」


 訝し気な顔で首を傾げられる。

 呼吸を整え、真っ直ぐにキャプテンを見つめる。


「ある人に、友達と仲直りしてほしいんです。ただ、それが色々と複雑で、男子ということもあって私では良く分からなくて。下原先輩なら、喧嘩の仲裁や仲直りにも詳しいかと」


 一息に言うと、ぽかんと呆気にとられた顔をされた。

 暫くして我を取り戻すと、キャプテンは頭をがりがりとかいてため息を吐く。


「それだけじゃ分からない。詳しいことを話してもらえないと力になれないよ」

「力に、なってくれますか?」


 私が尋ねると、キャプテンは頷いてくれた。


「世話になってるから、そのぐらいは。それに、どーもその人って俺の知り合いの気がするんだけど、違う?」


 茶目っ気たっぷりに探りを入れてくるキャプテンに苦笑を返す。

 話せることと話せないことを頭の中で分けて、どう説明するか整理する。一通り、考えたところで、覚悟を決めて口を開いた。



 私の話を聞いたキャプテンは、全面的な協力を約束してくれた。

 秘策も用意してくれて、相談して良かったと思わせてくれる。


「これなら、多分大丈夫。ダメだったらまた考えればいいさ」


 笑って言うキャプテンに、そんな雑でいいのかと言ったらいいんだと頷かれた。

 雑なくらいがちょうどいい、荒療治が必要だ、と。

 そういうキャプテンに反論する術を持たない私は、頷くしかなかった。

 そうして、準備を整えるべく私とキャプテンは動き始めた。




 八月末がそろそろ見えてくる頃合い。

 我がサッカー部は、久しぶりの遠征練習試合へと向かっていた。

 相手は隣の県で全国大会にも出た強豪校。今年は残念ながらうちと当たることはなく、それもあって向こうも乗り気だった。


 電車を乗り継ぎ、バスを使って向かった先。

 立派な門構えの高校は、それなりの進学校としても有名らしい。元々スポーツ関連はさほど成績もよくなかったのが、何故か去年から有力な選手が次々に入学し、サッカー部だけは県随一の強豪校になったという。

 不思議な経緯を持ったその学校に着いた時、春史くんは苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。


「おぅ、ハル! なんだよその顔?」


 ラルフに声を掛けられ、なんとか表情を取り繕う。

 それでも、どこか苦み走った感じは抜けきらなかった。


「いえ、ちょっと……それより、なんで僕も来る必要があったんですか?」


 春史くんにしては珍しい刺々しい物言い。

 部員達が驚いている様子がうかがえるが、私とキャプテンが事前に周知していたおかげで皆なんとか顔に出さないよう努力していた。

 努力が実っているかは、やや疑わしいが。


「練習試合って言っても、全国に出たチームだからな。キャプテンがいない今、全国制覇した面子で相手しなきゃ失礼だろ」

「……僕は、インハイだけの臨時部員だったはずじゃ」

「夏の間だけだ! まだ夏だからいいだろ?」


 めちゃくちゃな理屈を振りかざし、人好きのする笑みを浮かべてゴリ押すラルフ。

 春史くんは言い返そうとして、言葉を飲み込んだ。

 ラルフに言っても無駄だと思ったかもしれないし、言い分に納得したのかもしれない。どっちでもいいし、それは重要じゃない。

 肝心なのは、今日、ここで、春史くんにサッカーをさせることだから。


 門を通り過ぎてグラウンドに向かう。

 グラウンドはかなり広くて、整備が行き届いている。早速迎えてくれた向こうのコーチに連れられて、用意された更衣室に移動する。

 その途中で、春史くんが弾かれたように視線を向けた。

 その先にいるのは、短く刈り込んだ髪をした目つきの鋭い男子だった。

 親の仇でも見るような目で春史くんを睨んでいる。


 あれが、大山君だ。

 言われなくても分かった。


 見られているのが分かったからか、彼は視線を切った。まるで、もう目を向けるに値するものはないと言うかのように。

 春史くんは傷ついた子供みたいな顔をして、目を伏せた。


 一筋縄ではいかないとは分かっていたけれど。

 これで本当にうまくいくのだろうか。


 病室にいるキャプテンに心の中で問いかけてみるも、「大丈夫」としか言わないので考えるのを止めた。

 もうここまで来たからには引き返せない。最後まで進み切るだけだ。

 そう覚悟を決めて、ジャグに入れる飲み物が入ったバッグをかけなおした。




 練習試合は、紅白戦と言う形をとることになった。

 せっかくなので技術交流を含めて、広くチームのレベルアップを図ろう、という運びになったようである。

 まずは合同練習を昼までやって、昼食を摂る。その後は色付きのビブスを着て練習試合。

 1試合目は学校で別れて戦うが、2試合目からは混合での試合となる。合計4試合する予定であり、チーム分けはもう既にうちの顧問と向こうのコーチの間で計画されていた。

 昼に最後の詰めを行い、1試合ごとにチーム分けを発表していく。


 これが、キャプテンが用意した『秘策』である。

 大山君と春史くんを仲直りさせるためにはこれでいいというが、どうにも不安でならない。

 本当に大丈夫だろうか。いやもう心配してもしょうがないんだけど。

 気もそぞろなせいで、マネージャーの手伝いもおろそかになってしまう。そのことに突っ込む人は誰もいないけれど。


 どうにも気になって、自然と視線は大山君と春史くんを追う。

 二人とも徹底して目を合わせないようにしていて、お互いに空気のように無視しあっている。春史くんは多分、大山君に合わせているだけだろうが。

 ただ、大山君の機嫌が悪いのは分かる。それに、他の人達も少しざわついている。おそらくは春史くんの昔のチームメイトだろう。


 大山君には誰も話しかけない。いや、軽く指示したり声をかけたりってことはあるが、会話を楽しんだりはしていない。

 まぁ、それはうちも似たようなものだが。春史くんも同じように会話を楽しむことはない。いつもだったら何かしら話して笑い合ったりするのに。


 二人が互いをすごく意識しているのは分かる。

 でも、どうしたら良くなるのか、目の前にした今も私には分からない。

 どうにもできないままに合同練習が終わり、昼食が過ぎて練習試合が始まった。

 その間、二人の視線が合うことは一度もなかった。



 1試合目。まずは普通の練習試合。

 だと思っていた私がバカだった。


 インハイと同じ布陣を組んだから、同じように戦うと思ったのだ。

 だが、実際は全く違った。

 みんなしてボールを春史くんに集めていた。


 どこからどう見ても彼を基軸として動くようにボールを回し、ラルフでさえもいつもと違って普通のフォワードの動きしかしない。

 完全に春史くんが司令塔であることが前提の動きだった。インハイと全然違う。こう言っちゃなんだけど、すごく普通の戦い方。


 向こうのチームはラルフを抑えるつもりで二人もマンマークにつけていたが、無駄と分かってからは春史くんに狙いを集中しだした。

 そして、ラルフについていた一人である大山君が、春史くんのマークについた。


 彼の動揺ぶりは、傍で見ていてもはっきり分かるくらいだった。

 その隙を逃すはずもなく、ボールはあっさりと大山君に取られてカウンターをしかけられる。

 開始20分、先制ゴールをあっさりと決められた。

 そこからも、春史くんの動揺は収まらなかった。


 ボールを集められては奪われ、ディフェンス陣が何とか凌ぐ、といった構図が繰り返される。

 前半終了の笛が鳴った時、うちのチームは2点取られていた。

 落ち込む春史くんの隣を、大山君が通り過ぎる。一瞬だけ向けられた視線は、怒りと嘲りに満ちていた。


 ハーフタイムが終わり、後半。

 春史くんの動きが、変わった。


 大山君と厳しく競り合うようになり、ボールを奪われることがなくなった。

 ラルフを絡めたパス回しで攻めのリズムを作り、奪われたゴールを奪い返す。

 鮮やかな足さばきで大山君を抜き去り、ミドルシュートを打つと見せかけてラルフに回す。

 お膳立てされれば、そこはラルフだ。あっさりとゴールネットを揺らした。


 続けて同じようにパス回しで翻弄し、殆どぶつかるように止めてきた大山君と競り合ってかわし、今度は自らゴールを決める。

 後半20分で、とられた2点を取り返した。


 大山君の顔が変わる。

 余裕が消し飛び、ぎらぎらした目つきが怒りに染まる。背筋が震えるくらいのその視線を、春史くんは真っ直ぐに受け止めた。

 雄叫びを上げた大山君のディフェンスは、ファールでないのが不思議なくらいに苛烈だった。

 一歩も進ませない。そんな気迫を受け、それでも春史くんはゴールまでの道をこじ開けた。


 後半終了間際、意表をつくヒールパスで右ウイングにパスを通し、ペナルティエリア内に切り込む春史くん。戻ってきたボールを蹴りこむも、大山君によって防がれる。

 跳ねたボールは左ウイングに飛び、


 駆け込んできたラルフの足が再びボールをゴールに押し込んだ。


 左ウイングはがら空きだった。春史くんが右ウイングとセンターばかり使ってボールを進めていたからだ。

 わざと空けられた左ウイングにボールが飛ぶよう、防がれてもいいシュートを放ったのだ。


 逆転とほぼ同時に笛が鳴り、1試合目が終わる。

 勝ったチームメイトが手を叩きあって喜ぶ中、春史くんはただ大山君を見ていた。


 俯く大山君の表情は分からない。でも、何故だろう。

 私には、泣いているように見えた。


 口元を拭い、大山君はベンチに戻っていく。

 同じように春史くんもベンチに戻った。


 10分程度の休憩を挟んで、2試合目のオーダーが伝えられる。

 2試合目は、ラルフと春史くんは別のチームになり、


 春史くんのチームに大山君が入った。


 ポジションも既に決められており、彼のチームは2‐4‐3‐1の中盤を厚くしたカテナチオに入りやすい陣形。

 そして、春史くんと大山君がフォワードの2に配置された。

 心臓が痛い。

 ボールを挟んで二人が並ぶ。

 キックオフは春史くんのチームからだ。


 二人の視線がぶつかり合う。

 今日、初めて、二人は視線を合わせて互いを見た。

 キックオフの笛が鳴る。

 蹴られたボールは、春史くんの足にぴたりと収まった。



 飛び交う指示や応援に紛れて、二人が互いの名を呼ぶ声がきこえた気がした。

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