第三十七話
八月も第一週が過ぎた。
実はインハイ中には既に八月を迎えていて、キャプテンのお見舞いや祝勝会と言う名の食べ放題ツアーを終えて疲れ切った体を休めていたら、気が付けば第二週が訪れていた。
早い。時間の流れがあまりにも早すぎる。もう少しゆっくりしてくれてもいいと思う。
ベッドの上でごろりと寝返りを打つ。
明日はサッカー部の慰労会と称して皆で海に遊びに行く日だ。
中学から続く毎年恒例のこの行事は、烏丸家所有のビーチとホテルで行われる。夏の大会が終わった後は思いっきり遊びたいというサッカー部員の欲求を叶えるために始められたこのイベントには、私と花梨も毎年参加させられている。
いやまぁ別にいいんだけど。花梨なんかはラルフと一緒に遊べるからって喜ぶし。
午後からは水着を新調しにいく予定だ。別に去年のでもサイズが合えばいいと思うんだけど、恋する花梨は毎年違う水着で行きたいらしく、じゃあついでにと私も新調している。
特に見せる相手もいない癖に。
ため息と一緒に、ふと春史くんの顔が浮かんだ。
ここのところ、彼の様子がおかしい。
何でもない風を装っているが、明らかに気落ちしている。
閉会式を終えて帰ってきた時には確かに皆と笑いあっていたのに、祝勝会までの一日で一体何があったのだろう。
聞いてみたい。
何かあったのか、私にできることはないのか。
力になるよって言えば、笑ってくれるだろうか。
ため息が出る。
獣医になりたいのか、聞けてもいないのに。
インハイが終わってから、もう三日だ。今日なんか皆家で休んでいるだろうから、絶好のチャンスなのに。
結局、私はなんにも聞けていない。
平下さんとどこで仲良くなったのかとか、聞きたいことは沢山あるのに。
大事な友達ってのは口ばっかりで、花梨やラルフほど仲良くなれてはいない。
だから、こういう時にどう首を突っ込んだらいいかも、なんて声をかければいいかもわからない。
春史くんとのチャットルームを開いては閉じるの繰り返しだ。
お母さんが私を呼ぶ声がドアを貫いてくる。
最後に一際大きなため息をついて体を起こすと、鏡を見て気合を入れるべく頬を叩く。
呼び出しに応じようとドアを開ければ、夕太がいた。
お互いに少しびっくりして丸くなった目を合わせる。
「夕太、おはよう」
「……もうすぐ昼だぞ。出かけるんじゃねぇのかよ」
今日は中二モードではなく、素らしい。
冷めた目で私を見て、眉をひそめている。
「ご飯食べたらね。お母さん呼んでなかった?」
「あっち。昼飯作るの手伝えって」
キッチンの方を顎でしゃくり、私は軽く頷いてドアを閉める。
なんだか夕太から強い視線を感じるが、気にしないようにして顎で示された方に足を向ける。
そういえば、最近夕太とはちゃんと話せていない。最後にそれらしい会話したのって、七夕くらいだっけ。その前は何故か怒ってて会話を打ち切られたのを覚えている。
「姉ちゃん」
ただ声をかけられただけなのに、足がぴたっと止まった。
まるでやましいことでもあるみたいで、自分の反応が信じられない。弟に対して怯えることなんて何もないはずなのに。
「どうしたの?」
振り向いた私は、ちゃんと笑えているだろうか。
夕太の真剣な瞳に、私の姿はどう映っているのだろう。
「……なんかあったら、オレに言えよ。家族なんだから、気兼ねする必要ねぇしさ。なんか巻き込まれてんなら、事務所だって学校だって辞めりゃいいんだし」
言葉を探すようにして、夕太がくしゃくしゃと髪をかき回す。
弟が何を言いたいのか分からず、茫然と突っ立ってその姿を見つめていた。
珍しい、と思う。
この子がこんな風に話してきたことは、今まで一度もなかった。
髪をまぜっかえす手を止めて、夕太は真っ直ぐに私を見つめ。
「何かあっても助けてやっから! 暮石なんかよりオレを頼れよ!」
耳まで真っ赤にしてそう言うと、足音高く廊下を踏み鳴らして自室の扉を力任せに閉めた。
バタン、という音は家中に響いたらしく、遠いところでお母さんが「夕太! 静かに閉めなさい!」と叫んでいるのが聞こえる。
暫く何の反応もできずに驚いていた顔が、ゆっくりと綻んでいくのが分かる。
ここにもあったな、私の絆。
前世からずっと弟だった夕太。あの子は、昔もこうして私を心配してくれていた。今世でも心配はかけたくないし、できる限りあの子に話してみよう。
家族だから、迷惑をかけてもいいのだ。夕太がそう言ったんだし。
とはいえ、弟に相談できることと言うのは案外ないけれども。まぁ、話すだけでも気が楽になるって言うし、恥ずかしくない範囲でやろうかな。
ぐっと軽くなった気持ちに、足取り軽くキッチンへ向かう。
お母さんに頼んで、一品くらい夕太の好物を作ってあげようか。可愛い弟へのご褒美は必要だ。
暖かな気持ちで手伝っていたのだが、適当につけられていたテレビから流れてくるCMを見て、気分は一気に急降下した。
「うぃー! パイセンお久しぶりっすー!」
午後。
花梨を連れて待ち合わせ場所に行けば、何故かその場には真希がいて問答無用で抱き着いてきた。
じっとりした目で真希を見下ろし、疑わしさを視線に込めて待ち合わせしていたマネージャー陣を見回す。
信野先輩を除いたサッカー部マネージャーの皆さんは、勢いよく首を横に振った。
ということは、この中の誰かが呼んだわけではないらしい。
一体どこから情報を仕入れてくるのか、ため息しか出ない。
「水着買いに行くんすよね? お供しまっす!」
「真希……遠慮って言葉を知らない?」
「漢字は書けないっす!」
誰もそんなことは聞いていない。
満面の笑みの真希を前に諦めの笑みを浮かべる。もうどうしようもない。
と、横合いから衝撃を感じた。
見下ろせば、花梨が抱き着いている。
「花梨?」
「買い物の前にキャプテンのお見舞いだよね~? 行こ~?」
くいくい、と服の裾を引っ張るこの子は可愛すぎた。
私はすっかり真希を許し、両手に花の状態で病院へ向かう。そんな私達の後ろを、マネージャーの皆さんは生温い笑みを浮かべてついてきた。
……言っておきますが、私はノーマルですからね。
病院で面会用紙に必要事項を記入し、全員分の札をもらって病室に向かう。
スライド式のドアをノックすれば、キャプテンではない女性の声が聞こえた。
「失礼します」
なるべく静かにドアを開けると、そこには上半身をベッドの縁にもたれかけているキャプテンとその隣に座る信野先輩がいた。
信野先輩が金魚のように口をパクパクさせて驚いている。
私の後から入ってきたマネージャー陣が大成功と言うように悪戯な笑みを浮かべていた。
「なっ、あっ、あなた達、今日は買い物に行くって!」
「その前にキャプテンのお見舞いに行こうって話になったんですよー」
「だって心配じゃないですか、ねぇ?」
「でもー、その必要もなかったみたいですねー」
ニヤニヤとイヤラシイ笑みを浮かべているものの、そこに浮かんでいるのは親愛の情だ。二人をからかってやろうと思う気持ちもあるが、ちゃんとうまくいっているのか心配だったのだろう。
私もその気持ちはあるので人の事は言えない。
信野先輩にとってはたまったものではないだろうが。
「なっ、ちょっ、~~~~~~っ!!」
顔を真っ赤にして私達を睨む信野先輩に、さっき私に浴びせられていた以上の生温い視線が注がれる。
あれは居心地悪いんだよね、うん。
予想通り耐えかねた先輩は、近くの机にあった花瓶を手に取って立ち上がった。
「み、水を換えてきます!」
早足で私達の横を通り過ぎ、ドアの向こうに消えていく。
やりすぎたかな、という感じでマネージャー達が顔を見合わせる。そう思うならさっきの視線だけは耐えるべきだったと思うけど、私も同類なので何も言えない。
「からかうのもほどほどにな。ああ見えて由佳は結構気にするから」
あえて名前で呼んで見せたキャプテンに、マネージャー達の黄色い歓声が上がる。
彼女の代わりに引き受けるっていうのは、かなり大人っぽいと思う。こういうところがキャプテンの人気の高さの秘訣だろう。
「キャプテンと信野先輩って付き合ってるんですか!?」
「いや、まだだよ」
「まだってことは!?」
「まぁ、そのうちね」
きゃいきゃいとキャプテンを質問攻めにする皆を横目に見ながら、病室を軽く見回す。
ふと、枕元に置いてあるものが気になった。
「キャプテン、それ……」
「あぁ、これ? 病室でずっと寝てばっかりってのも退屈でね。無理言って由佳に持ってきてもらったんだ」
枕元の台においてあるそれは、ダンベルだった。
5kgと書いてあるそれは、真っ黒で全身から重さを主張していた。
「療養中に筋トレですか?」
「体が鈍って仕方なくてね。冬に向けて、今からでもできることをしないといけないから」
そう言うキャプテンの瞳は、きらきらと輝いていた。
北海道で見た涙の跡は、どこにも見当たらない。
「夏に出られなかった分、冬は絶対に優勝したい。動けなくて暇だし、勉強も今の内だと思って詰め込んでるよ」
笑うキャプテンに、マネージャー達は感心したように吐息を漏らした。
私は、ただ息を呑んでいた。
この人は、怪我をしてインハイに出られなかったことをなかったことにしない。後悔に足もとられない。ちゃんと認めて、受け入れて、だからこそ頑張ろうとしている。
それは、どれだけ苦しくて難しいことなのだろうか。
やっぱり、キャプテンはすごい。
「本格的に部活に戻れるのは十月ごろになりそうだ。それまで、由佳を借りるよ。悪いけどその分頑張ってくれ」
「はい!!」
マネージャー達が唱和する。
人を率いる素質って言うのは、こういうことを言うのだろう。ここまでくると羨ましいと言う気持ちすら起きず、ひたすら尊敬しかできない。
「しかし、三年で冬まで部活やるっていうのは、嫌な顔されそうだなぁ」
「キャプテンなら大丈夫ですよ!」
「監督も喜んでくれますって!」
苦笑するキャプテンに次々とフォローの言葉が飛ぶ。
そんな中、私に巻き付いていた真希が首を突っ込んだ。
「あの、じゃあ、冬前にインタビューしてもいーっすか?」
珍しく真剣な瞳で頼む真希に、キャプテンは鷹揚に頷いた。
「動画にするの?」
「はい! 絶対人気出るっすよ!」
「それはわかんないけど……監督にも聞いてみてね」
「うぃっす!」
謎の敬礼をして、嬉しそうに私に抱き着く。
……そういえば、この子はなんで今日に限ってこんな甘えてくるんだろう。普段からそれなりに距離を取る子なのに。
頭をかすめた疑問を考える前に、時計が残り時間を教えてきた。
早めに買い物に行かないと、日が落ちる前に家に帰り着かない。明日の海に備えて体力は残しておかないといけないのだ。
「それじゃ、私達はそろそろ失礼します」
「あぁ、今日はありがとう。また来てくれ」
にっこり笑うキャプテンに一礼し、まだ名残惜しそうなマネージャー達をひと睨みして背を向ける。
ドアを開けると、驚いた顔の信野先輩がいた。
戻ってはきたけど、入るに入れなかったのだろう。その気持ちは分かる。
軽く会釈して横を通り過ぎ、
「先輩~!」
花梨が振り向いて拳をぎゅっと握って見せた。
この子なりの応援なのだ、とはすぐにわかった。
ぽかんとした顔をする信野先輩に、私も同じように拳を握ってみせる。
先輩の表情が徐々に変わり、頬を薄く染めて嬉しそうな笑みを浮かべてくれた。
満足して花梨と顔を見合わせ、背を向ける。
後に続いたマネージャーの子達は軽く私達と信野先輩を見比べた後、慌ててついてきた。
さて、どんな水着を選ぼうかな。
浮足立つ心を諫めながら、明日着ていく水着のことに思考を巡らせた。
「これ! ぜっっっっっっっっったい似合うっす!!」
真希から強烈に勧められた水着を見て、顔をしかめる。
いや、これはいくらなんでも高校生が着るものじゃないだろう。ありえない。
私の顔を見て察したのか、真希が勢いよく顔を近づけてくる。
「慰労なんすよね!? 優勝したんすよね!? このくらいのご褒美はあっていいと思うっすよ!!」
「……ご褒美って。なんでこれがご褒美になるの」
プールの授業でも水着姿をちらちら見られていたのは知ってるけど、流石にそこまで自意識過剰ではない。
健全な青少年が女体に興味があるのは仕方ないことだ。それは別に私でなくともいいということだろう。
「なるっすよ! ですよねぇ!?」
同意を求めに振り向けば、マネージャーの子達が全員頷いた。おまけに花梨まで。
ほとほと困り果てて、喉の奥だけで唸る。
「だからって、恥ずかしいっていうか……」
「烏丸家所有のビーチっすよね? 人もあんまいないんすよね?」
「一応昼間は一般開放してるのよ」
「混雑してるんすか?」
「それほどじゃないけど……」
「じゃあいいじゃないっすか!!」
ぐいっと水着を押し付けられ、眉間に皺が寄る。
この場に私の味方はいない。何故か花梨さえもこくこくと頷いてるし。
「ひーちゃん、すっごいキレーだから! 魅力爆発だよ~!!」
「っすよねぇ!? こんな水着着たパイセンいたら、どんな悩みも吹っ飛ぶしどんな男もほっとかないっすよ!!」
力説する真希に、こくこくこくと強く花梨も頷く。
じろりと見回せば、マネージャーの子達も首を縦に振った。
「……別にモテたいわけじゃないんだけど」
「ほんとっすか?」
真希の声に含まれる真剣さにほんの少し躊躇する。
本当に、モテたいわけじゃない。わけじゃないんだけど……もしかしたら、これがキッカケになってくれないかな、とは思っている。
春史くんに話を聞く、その理由になってくれないかなって。
キャプテンも信野先輩も、前に進んでいる。
ラルフも花梨も、ちゃんと目標を持っている。護堂さんも市松さんも、自分の場所で精一杯頑張っている。
私もただ流され続けるだけじゃなく、何かしたい。
前世でできなかったことを、一つずつ。
友達の相談に乗るのなんて、前世じゃ一度だってやったことがなかった。でも、ずっとそういうことが出来ればいいとは思っていた。
大切な人を、大切にできればいい。
ちょっと卑怯だけど、こういう水着で注目を引ければいつもと違う彼の反応も引き出せるかもしれない。
海に遊びに行くのは、ちょっとした非日常だ。
そういう空気の中でなら、いつもと違うこともできるかもしれない。
そのためには、いっそ今までと違う自分で挑むべきかもしれない。
「パイセン、武器は使っていくべきっす」
いやに真面目な真希の言葉に、思わずこくんと頷いていた。
真希が歓声を上げ、花梨が拍手する。
めちゃくちゃ恥ずかしい気持ちになりながら、籠に入れた水着を会計まで持って行った。
なけなしの理性が働いて、パーカーとホットパンツもついでに買う。
不満そうな顔をする真希に構わず、さっさと会計を済ませた。
明日が来てほしいような、来てほしくないような。そんな複雑な気分で、私達は店を後にした。
翌日。
烏丸家の使用人――『クロウ・ハウスキーピング』の社員――の車に揺られて二時間弱、いつもの海岸に到着する。
これでもう五度目になる烏丸家所有のビーチは、それなりに賑わっていた。
個人所有の土地でありながら、烏丸家特有のノブレス・オブリージュによって一般開放されている海岸はそれなりに有名な観光地であるらしい。
ただし、併設されているホテルの宿泊費が高い上に関東からなら他に軽く日帰りできるビーチがある関係でそこまで人でごった返してはいない。
「じゃ、着替えたら一旦集合して準備運動、それから自由行動だ。目立つようにパラソルを幾つか立てておくから目印にしろ」
引率役の監督に部員達は元気よく返事し、更衣室に向かっていく。
私と花梨もマネージャーの子達と一緒に女子更衣室に向かい――覚悟を決めて昨日買った水着を着用した。
勿論更衣室を出る前にホットパンツとパーカーを着る。大きめのパーカーを買っておいたおかげで膝まですっぽり隠すことが出来て安堵した。
更衣室を出て皆と合流する。暑い。
流石真夏日だけあって、日光がきつい。一応更衣室で軽くサンオイルを塗ったが、背中の方とかはあんまりできてない。後で花梨に塗ってもらわなくては。
かんかんに照り付ける太陽に、パーカーを着ていることが恨めしくなってくる。脱ぎたい。でも脱ぐとマズイ。
「パイセン! みんなと合流したら脱がなきゃっすよ!」
何故かここまでついてきた真希が目を吊り上げて言う。
何故そんなに言われねばならないのか。私が何をしたのか。いや、調子に乗ってこんな水着買ったのは私だけれども。
そんな真希の水着は、オフショルダーのフリルがついたトップスのビキニ。パレオを巻いているおかげで露出度は高いのにそう見えず、可愛さとスタイルの良さが見えて真希にとてもよく似合っている。
ふと隣に目をやれば、ワンピースタイプの水着を着た花梨がマネージャーの子達と楽しそうに話している。
ふわりと舞うスカートが愛らしく、それでも子供っぽくはないギリギリのライン。花梨以外には着こなせないだろうなと思えるその水着は、腰の括れをよく見せていた。
他の子を見回しても、それなりに攻めている水着ばかりだ。
……中学の頃は、もうちょっと大人しかったと思うんだけどなぁ。
「パイセン、高2の青春はもう二度とないんすよ! 怖気づいてたらあっという間に過ぎていくっす!」
「……なんでそんなにやる気満々なの?」
この前から気になっていたことがつい口から零れ落ちる。
真希はにっこりと笑顔を浮かべて、
「だってこの前からパイセンが元気ないってゆう――友達から聞いたんす! 思いっきりはしゃげばきっと気分もアガるっすよ!」
そんなに傍から見て分かるほど元気がなかったのだろうか。
何か言いなおしたのが気にかかるが、心配してくれたことには違いない。後輩の気遣いを無駄にするのは、先輩としてどうかと思う。
「そう、ありがとう……パラソルに着いたら脱ぐわ」
「りょっす!」
頷く真希に笑いかけ、監督やメイドさん達がいるであろうパラソルを探す。
と、すぐに見つかった。複数のパラソルを組み合わせているのは私達の場所だけだった。
まぁ、それもそうか。四十人近くの大人数でこのビーチを訪れる人はそういないだろう。
軽く見回せば、ラルフは楽しそうに部員達とどつきあっている。春史くんはといえば、如才なく歓談していた。
でも、どことなく元気がなさそうだ。気づいた人は、私以外にいなさそうだけど。
呼吸を整える。
恥ずかしい気持ちを押し殺し、ファスナーを開けてパーカーを脱いだ。
昨日買ったのは、赤のビキニだ。
マイクロというほど小さくはないが、ワンサイズ小さいのではないかと思えるくらいの布面積しかない。
胸はまぁある方なので、少しばかり締め付けられているようで窮屈だ。そうでもないとズレるから仕方ないのだけれど。
下もそうとうエグい角度をしているが、ここだけは超ミニのホットパンツでフォローしている。ただ、小さすぎてファスナーを上げきれないのが地味に傷つくけれど。
総じて、露出度がバカ高い。
グラビアアイドルかっていうくらい高い。下手したらそれより高い。少なくとも今いる女子全員よりも間違いなく高い。
流石にあまりに恥ずかしくて胸を隠すような位置に腕を持っていく。
それは、真希も見逃してくれたようだ。
脱いだパーカーを真希に預けると、周囲からどよめきが聞こえた。
「マジか……!!」
「うわ、姫様すげぇ……!」
「噂には聞いてたけど、これヤベぇだろ!」
「ちょ、拝め拝め!」
「なんだよあれ、グラビアかよ……!」
「げ、芸能人は流石だな」
「うわぁ……姫様……」
「ちょ、トイレいてくる」
「まて俺が先だ!」
なんだかドン引きされている気がする。
恥ずかしさに顔が赤くなってくるが、そんなところをこんな大勢に見られたら間違いなく死ねる。明日には天に召されている。
深呼吸をこっそりと繰り返し、決して動揺を悟られないように平常心を保つ。
「あー、その、白峰……一応その、節度を守った服装をだな……」
「何か?」
横目でちらりと監督を見やると、「いやなんでもない」と引っ込んでくれた。
良かった。これで風紀違反だとか言われたら間違いなく騒いでしまっていたと思う。なんとか平常心のままで居られてほっとする。
気になって春史くんを視線で探せば、私をじっと見つめていた。
驚きなのか軽蔑なのか良く分からない目つきで、瞬き一つすることなく。
途端に顔に血が上ってくるのが分かり、なんとか逃げ出すべく監督に振り向いた。
「準備運動、しませんか?」
「あ、あぁ、そうだな。全員、適当な範囲に広がれー」
監督の号令の下、準備運動を始める。
その間もずっと視線が突き刺さっていて、居心地は最高に悪かった。
文句を言おうと真希を睨みつければ、ものすごくうれしそうな顔で親指を立ててくるものだから毒気が抜けてしまう。
とりあえず気にしないことにして、準備運動を真面目にこなす。
なんだか妙に肩が重い気がした。
我々女マネチームは、ビーチバレー大会にて男子どもをばったばったとなぎ倒していた。
妙に隙だらけの男子チームの顔面にボールをぶつけ、最高にいい気分でハイタッチを交わす。
何故かそれでも嬉しそうな人が多いから、暑さに脳までやられてるのかと思う。
決勝戦は春史くんとラルフのいるチームだったが、花梨にぶつけまいとするラルフと何故か調子のよくない春史くんでは勝てるはずもない。
見事女マネチームが優勝し、景品のお昼ごはんなんでも奢り権を手に入れた。
海の家の焼きそばとカレーという定番をお腹に収め、お昼は遠泳にチャレンジしてみる。
体力がつきかけた頃には、夕日が水平線に触れていた。
「それじゃ、バーベキューするぞー」
一般開放時間が終わり、人のいなくなった海岸に男子高校生の歓声が響き渡る。
メイドさん達によって手早く準備されたバーベキューセットを用い、めいめい好き勝手にお肉と野菜を焼いていく。
「姫様! 肉を焼きました、どうぞ!」
「姫様! お野菜はいかがですか!?」
「お飲み物は何が宜しいですか、姫様!!」
バーベキューの間中、何故か私は普段ろくに話もしない部員達から世話を焼かれていた。
ぎらぎらした瞳は欲望にまみれていて、視線が五秒に一回胸に向いていることは分かっていたが、何故こんなに普段と違うのだろうか。
水着だし、海だからだろうか。
胸の大きさは別に変わっていないんだけれど。
「白峰さん、大丈夫? 男子嫌じゃない?」
杉本さんが苦笑しつつ気を使ってくれる。
その隣では一年生と三年生のマネージャーが「男子ってほんといやぁね」「ですよねー」なんて会話をかわしていた。
「別に。慣れてるから平気よ」
率直に言うと、杉本さんは苦笑を更に深くした。
前世からそういう視線にはそれなりに慣れているし、今世でも中学から浴びせられれば流石に動じなくなる。
最初こそ水着の派手さに気後れしたが、慣れてしまえばなんてことはない。露出度の高さはどうかと思うが、ホットパンツも履いてるしギリギリセーフだろう。
前世ではこんな露出した服を着ることはなかった。
だから、これもまたいい経験だと思うことにしたのだ。
「凄いよね、白峰さんは。流石って感じ」
「何が?」
言われた意味が分からず、首を傾げる。
「堂々としてるし、ビーチバレーじゃ鼻の下を伸ばした男子に容赦ないし。私もそのくらい強ければ、何か違うのかなぁ」
そう言ってどこかを見る彼女の視線を辿れば、軽薄そうな男子がいた。
去年、花梨にちょっかいをかけにきたサッカー部員。中学ではエースストライカーだったという子だ。
今でもレギュラーに残っていて、右翼として頑張っている。
「人を羨んでも、仕方ないんじゃない」
ふと、言うつもりのなかった言葉が口をついてでた。
こちらを見上げる杉本さんの視線に、もうなかったことにできないことを悟る。
ならばと、出るに任せて言葉を続けた。
「杉本さんには杉本さんの魅力があるんだから、それを使っていかないとそのままよ」
「……私の魅力って、なんだと思います?」
ぽつりと呟かれた言葉への返答に惑う。
「……こうして私に相談する胆力かしら」
「なに、それ」
苦笑する彼女の横顔に、得も言われぬ色気を感じてしまった。
誰かに恋をしているその顔は、とても素敵だった。目もくらみそうなほど眩しく、綺麗。
そういう彼女の魅力に気づかない男は全員バカだと思う。
「貴女って、顔に出やすいのよね」
「そうかな?」
顔をぺたぺたと触る彼女に笑いかけ、そっと頬を撫でる。
「だから、下手に気取らない方がきっと伝わると思う」
想いが伝わりさえすれば、あんな奴はイチコロだ。
そんな気持ちを込めて、指先に力を込める。
見上げてくる杉本さんに笑いかけ、貢物の野菜とお肉を口に突っ込んだ。
「おいひい」
「戦いの前には食べないとね」
杉本さんは頬をうっすらと赤くして、もぐもぐと口の中の物を咀嚼した。
その姿が凄く可愛くて、きっと全て上手くいくと根拠もないのに思った。
バーベキューも終わり、メイドさん達がバーベキューセットを片付けてホテルへと持っていく。
多少手伝えているのは私を含めた女マネとラルフ、春史くんなどの一部男子だけで、ほとんどの部員達はお腹を丸くして砂浜に寝転がっていた。
パラソルも荷物も持っていかれ、後は私達が移動すればいいだけになった時、待ってましたと言わんばかりに真希が籠を持って現れた。
「ふっふっふ、皆さん腹ごなしにゲームをするっすよー!」
えぇ~、と不満の声が部員達から飛ぶ。
それはそうだ、もう遊ぶ気力も体力も残っていないだろう。
しかし真希は一切動じず腰に手を添えたまま彼らを睥睨した。
「文句は受け付けないっす! これは監督公認なんすから!」
監督公認、と言う言葉に私も視線をそちらに向ける。
真希が手に持った籠には、テニスボールが詰め込まれていた。
「題して『リフティング大会! 勝った人からデートにゴー!』大会っす!!」
デート、という単語に男子高校生たちがピクリと反応する。
……なんだかすごく嫌な予感がするのは気のせいだろうか。
「皆さんにはこのテニスボールでリフティングしてもらうっす! 一位と二位の人はうちの二大高嶺の花、パイセンと小町センパイからホテルに行くまでの時間にデートする人を一人選べるっす! 三位からは他のマネージャーさんから選んでいってもらうっすよ~!」
――うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!
大地が揺れるほどの声を上げて、さっきまで寝転んでいた人達が起き上がって拳を天につき上げていた。
「はい、じゃあボールを配るっす! しっかり見張ってるっすから、ズルは即失格っすよ!」
目をギラギラさせた部員達にボールを配っていき、全員にわたり切ったのを見計らって真希が笛を吹く。
誰も彼もが妙に真剣な目でリフティングを始めた。
いや、真希、私それ聞いてないんだけど。
他のマネージャー達を見やると、同じように聞いていないのか戸惑っている子が多い。
だが、ここまできた以上断ることも難しいだろう。
せっかくの海だ、水を差すこともしたくない。ホテルに行くまでということは時間も短いし、なんとかなるだろう。
後で真希はお説教だ。
アイコンタクトを交わし、女マネ全員が頷いたのを確認して大会を見届ける。
もう日は水平線に沈んでしまっていて、薄暗い。そんな中でしかも小さなテニスボールでは満足にリフティングできるわけもなく、次々と脱落者がでた。
大方の予想通り、最後は二人の決戦となった。
ニ十分近くに及ぶ死闘の末に勝ったのはやはりというべきかラルフで、当然の如く花梨を指名してどこかに出かけて行った。
そして、残る一人は必然的に私とデートすることになる。
ラルフと争った最後の一人は、
春史くんだった。




