第四話
HRの予鈴のおかげで、私は命からがら自分の席に辿り着けた。
やる気になった花梨はすさまじく、ラルフとチャットしながら春史くんにめっちゃ話しかけていた。
おかげで前の学校のこととかご両親のこととか、色んな情報をゲットしてしまった。
この時期に転入してきたのは、ご両親のお仕事の都合らしい。家にはお姉さんがいて、動物を沢山飼っている。家の場所まで分かってしまった。
……そういえばあそこ、ずいぶん大きなお屋敷が出来ていたなぁ。お金持ちか。
花梨もラルフも家がお金持ちだから、今更驚かないけど。
庶民が私だけっていうのは考えないことにする。
それより辛かったのは、周囲の反応だ。私達が何か話す度にいちいちどよめいて、一体何が楽しいんだか。
分かるけどね! 学校一可愛い花梨がいきなり転入生と親しく話しだしたら、そりゃ私だって何事かって思うからね!
春史くんにアプローチする幼馴染とクラスメイトの好奇の視線で、私の精神はもうボロボロだ。
ため息を噛み殺して教科書やノートを机に詰め込む。隣を見れば、なんだか張り切っている花梨が微笑みかけてきた。
……これはもう、アレだよねぇ。そういうことなんだよねぇ。
いやいいけど! 春史くんは春史くん、アルフォンスはアルフォンス! そこの区別くらいついてますとも!
頬杖をついて窓の外を見る。
嫌になるくらい澄んだ青空で、あの子と初めて会った日を思い出してしまう。
そう、あの子――
――キャスリン・マーチルと。
――前世、私がヒルダだった頃。
城下町では、一つの商会が話題を席巻していた。
いいものを仕入れるのにお金に糸目をつけず、出来る限り安く物を流通させる……現代でもちょっと珍しいことをやっていたからだ。
その名もマーチル商会。店主はお人好しで有名で、『商売のコツは人に好かれること』を地で行くような人物だった。
何せ、従業員の給料を確保する為に清貧生活をするほどだ。マーチル商会が大商会となっても、その辺の平民より貧しい暮らしをしていたと聞いている。
泥棒達の間では、『家より店の方が盗むものがある』と噂されていたらしい。
さて、このマーチル商会。有名なのは店主だけじゃない。
その娘もまた、店の看板娘として話題になっていた。
父に似てお人好しで、働き者で、彼女が笑えばどんな悪党でも釣られて笑顔になってしまう――それがキャスリン・マーチルだ。
正直、あまりに話が盛られすぎていて私は半信半疑だった……というより、興味がなかった。
当時はほら、侯爵令嬢だったから! 色々あって、ちょぉっとやさぐれてたところもあったから!
まぁ、はい。悪役令嬢にはありがちなアレで、平民のことなんか気にしてませんでした。
じゃあなんでこんなに知っているかというと、私とキャスリンに関係性が生まれてしまったからだ。
マーチル商会が城下町の名物になってからしばらくして。
国の発展と経済活動に大いに貢献した、という理由でマーチル家は王様から直々に叙爵された。
王様は人格者……と言えば聞こえはいいが、優しすぎる人だった。善王なのは間違いないんだけど、厳しい判断を中々下せない。そのせいで貴族議会が結構な力を持っちゃってた。
もちろん、我がシャミーニ侯爵家もその一角でした、はい。
だけど、その時ばかりは王様が強く推すものだから表立って反対できる貴族もおらず、マーチル家は平民から男爵となった。
そうなると、どういうことが起こるか。
そりゃーね、嫉妬と侮蔑ですよ。あんな成金と私達を一緒にするな、ってね。
歴史と伝統ある貴族としては、王の気まぐれで貴族になったマーチル家なんて異物でしかない。現代のいじめも真っ青の村八分と誹謗中傷の嵐ですとも。
それだけなら、ヒルダの私は気にしなかったんだけど。
マーチル家の後援に、カーマイン公爵家がついたことで話が変わった。
カーマイン公爵家はシャミーニ侯爵家を含むグループとは少し距離を置いていて、だからこそ結びつきを強くしようと政略結婚をすることになっていた。
私――ヒルダ・シャミーニと、ジェラルド・カーマイン。正義感が強くお忍びで城下町を歩くことが趣味のイケメンは、私の婚約者だった。
その先は、誰もが予想する通りだ。
性格の良い者同士、ジェラルドとキャスリンは惹かれあった。
身分差、周囲の無理解と嫉妬。障害があればあるほど恋は燃え上がるというもので。
私という婚約者の存在も、二人の絆を確かなものにするのに一役買っていた。
初恋を思い出に閉じ込めて現実と向き合おうとしていた私は出鼻を叩き潰されたわけで。
ジェラルドのこともちゃんと好きになっていたわけで。
……腹が立つ、どころではなかったのをどうかご理解頂きたい。
口では言えないド汚い手すら使って二人を引き離そうとしたものの、この世に悪が栄えた試しなし。
恋にも権力闘争にも敗れ、私は両親ともども処刑された。
あの子と初めて会ったのは、カーマイン公爵家が主催するパーティーでのこと。
ジェラルドに見立ててもらい、マーチル家がなけなしの財産を振り絞って購入した純白のドレスを着た彼女は、私の婚約者にエスコートされて陽の光が降り注ぐ庭に現れた。
太陽より眩しい笑顔を引き連れて。
あの時、その表情に思わず見惚れてしまった瞬間に、私の運命は決まっていたのかもしれない――
人生は諦めが肝心だ、と言ったのは誰だったか。
十六の身空でその言葉を体で思い知る羽目になるとは思わなかった。
休み時間になる度に花梨は春史くんの席へ突撃し、放っておくわけにもいかず私も後からついていく。
他愛ない話とか、移動教室の案内とか。クラスの注目を浴びながら、春史くんと一緒の時間を過ごした。
それは、まぁ、悪くないんだけど。
私の中の疑惑が、ゆっくりと確信に変わっていく。
いや! まだそうと決まったわけじゃないけど! 私の勘違いの可能性はまだまだ全然残ってる!!
花梨のことだし、ただ単に仲良くなりたいだけとか。そういう可能性だって十分ある。
……いつになく積極的なのが気になるけど。男の子相手に花梨がここまで積極的に話しかけるのって、ラルフ以来じゃないかなぁ。
割り切れない気持ちを抱えたまま四時間目の授業をやりすごし、お昼のチャイムが鳴る。
あっという間に教室は喧騒に包まれ、担当教師が教室を出るより先に購買に向かって走り出す男子がいた。
「ひーちゃん、ご飯食べよ~」
いつもの笑顔を向けてくる花梨に笑い返す。
「今日はどこで食べる?」
「中庭! シート持ってきたんだよ~!」
にこにこと嬉しそうに鞄から大きいシートを取り出す。遠足か。
花梨のこういうところにはほんとに勝てないと思う。
ラルフに場所を教えようとスマホを取り出すと、
「暮石く~ん! 一緒にご飯食べよ~!」
春史くんの方を向いて、花梨がぶんぶんと手を振っていた。
そうなるだろうとは思ってた! 思ってたよ!! 気が休まらねぇぇぇぇぇ!!!
「あ、はい。でも僕、お弁当じゃないのでお待たせするかと……」
春史くんが申し訳なさそうに気弱な笑みを浮かべる。
こういうところはアルフォンスと少し違うんだよなぁ。
「購買?」
売店でパンを買うんですか、という意味の花梨の質問に、
「はい」
と春史くんが頷く。
うちの売店はお昼になると増設される。近所のパン屋さんがやってきて、露店みたいにして大量のパンを販売するのだ。
焼きそばパンなどの惣菜パンはもちろん、生チョコパンなんかの菓子パンもある。昼休み初めに男子が群がり、終わり際に女子が壁を作るという二つの波が特徴だ。
春史くんじゃ第一波の流れには乗れないだろうし、多少波が引いてから買うつもりなんだろう。ちょっと時間がかかる。
「じゃ、一緒に行こ~。久しぶりに購買でジュース買お~、ひーちゃん」
「そうね」
笑顔の花梨に成す術もなく、私は頷いた。無駄な抵抗をする気力はもうない。
春史くんが驚いた顔で身を引く。
「え? あの、でも、悪いですから」
「いいよ~行こ行こ~!」
「待ってるより楽だしね」
何か言いたそうな彼を黙らせて、三人で連れ立って売店に向かう。
組み合わせが珍しいからか、廊下を歩いているだけでちらちらと視線を向けられる。気にしてもしょうがないのだが、春史くんは肩を縮こまらせていた。
購買は久しぶりだとか、適当な話をしながら歩く。人の視線に慣れていないところはアルフォンスにない春史くんらしいところだ。
そのうち耐性つくと思うけど。それはそれでちょっと寂しいかも。
それにしても、こうして一緒に歩くとやっぱり彼は結構背が高い。ラルフとそう変わらなくて、私より頭半分くらい高い。花梨と比べると頭一つ分とちょっと。
私が見上げる形になるのは珍しくて、女子! って気分を味わえてちょっと嬉しい。
そんなことを考えていたら、売店についてしまった。
「おばちゃんこっちー!」
「たまごサンドと焼きそばパンとコロッケドッグね!」
「チョリソーパン売り切れ! 売り切れだよー!」
「いてぇ! 押すなよ!」
「バカ、それ俺が取ったんだぞ!」
「おばちゃんお釣り!」
……相変わらずの激戦区だ。
熱気と食い気が渦巻く戦場は、春史くんみたいな気の優しい人が割って入れる場所ではなかった。
バーゲンに押し寄せる女子並の迫力に、私達はどうすることもできず傍観するしかない。
「いつ見てもすごいね~」
感心したように花梨が言う。
……いやまぁ、そうだけど。反応としてズレてないかな、我が幼馴染よ。
「……聞いてはいましたけど……あの、学食とかは……?」
おそるおそる、という感じに聞いてくる春史くんに首を横に振る。
「あったら、もう少し皆大人しくなってると思う」
「……そう、ですか……」
残酷な事実を前に、春史くんは背中を丸めてうなだれる。
お金は持ってるだろうし、学食があったらこんな戦場は避けてそっちに行くのかな。
そういえば、お弁当を持ってきてないのは今日だけなんだろうか? それとも、基本的になし?
そっと横目で春史くんを見る。困り顔で笑っていた。
聞ける? 聞けそう? いける、いけるはずだ。今日はさんざん花梨が質問攻勢してたんだし、私がちょっとくらい聞いても変じゃないはずだ。
いけ、私!
「そういえばさ~暮石くんって基本お弁当? それともパン?」
かりぃぃぃぃぃぃぃぃぃんんんんん!!!!!
私がもたもたしている間に花梨に先を越されてしまった。これは私が悪い、うん。
でも覚悟を決めた瞬間に言わなくってもいいじゃんかぁ!
「パンですね。前の学校だと学食があったので、ほとんど毎日そこで食べてました」
「そうなんだ~」
「父も母も基本家にいませんから。姉は……ペットの世話で手一杯で。自分で作るのも難しいですし」
お姉さんのことを話すとき、一瞬だけ彼が口ごもった。何かあるのだろうか?
……そんなつもりはないのに、聞き耳を立ててる感じになっちゃってる。会話に混ざればいいんだろうけど、自然な混ざり方が分からない。
タイミングの問題だと思うんですけどね! こう、あの、うまくいきません!
それはそうと、春史くんは基本的にお弁当はなしだと分かった。
で、パンを買おうにもこの激戦区。食べ応えのあるものは残らないだろう。
一般的な高校生男子が毎日その有様では厳しいのではないだろうか。
つまり、
誰かが春史くんのお弁当を作るとして、それは食生活改善の為であり、よこしまな気持ちなど一切ない相手を思いやる行為と言えるのでは?
友人の食生活を心配するのは当然であり、なんらかのサポートを行えるのであれば推奨されるものだろう。
料理……は、別に苦手じゃない。お母さんの手伝いをしたことぐらいならあるし、調理実習で豚汁とか煮物とか作ったことがある。
前世では侯爵令嬢だったけど、今世では庶民だからね! 庶民万歳!!
最初から一人で作るのはハードルが高くても、お母さんと一緒に作れば自然に料理を覚えることもできるはずだ。
完璧な計画だ。我ながら賢い。
あとはさりげなく彼に提案するだけだ。
タイミングは今しかない。お弁当の話題が途切れる前に、それとなく話を振る。
今度こそ行くぞ! 3、2、1、
「あれ? 珍しいな、小町さんじゃ――」
気安く声をかけてきたそいつを、じろりと睨みつけた。
「――白峰さんも、あの、お元気そうで」
パンを詰めた紙袋を持って引きつり笑いをしてるのは――名前忘れた。
去年クラスメイトだったヤツだ。花梨にちょっかいをかけてきたので顔は覚えている。
ラルフと同じサッカー部。花梨に手を出してきたのには、一年で早々にレギュラーになったラルフへのあてつけもあったらしい。
本気かどうか知りたくて素行調査みたいなことをしたらすぐに大人しくなった。……こいつも多分、中学時代の噂を知ってるんだろう。
私達の名前を出したせいで、戦争をしていた男子達の何割かがこちらを向く。
「お久しぶり」
「久しぶり~」
挨拶を返すと、そいつは引きつりながらも笑みを浮かべる。
「あぁ、うん。どうしたの? 二人とも弁当でしょ?」
「彼の分のパンと、私達の飲み物を買いに」
目線で示すと、初めて気づいたというようにサッカー部は春史くんを見やる。
ふと気づけば、パンに群がっていた男子のほとんどが争うのを止めて振り向いていた。
「誰?」
「転入生。暮石春史くん」
短い私の紹介に、サッカー部は合点がいった顔をした。
「あぁ、あんたが! しろ――峰さんに保健室に連れ込まれたっていう」
……私の苗字はし『ら』みねであって、し『ろ』みねではない。
ていうか、どこまで噂になってんの!? クラス止まりじゃなかったんかい!
「いえ、あの、傷の手当をしてもらっただけで……」
弱気な笑みを浮かべる春史くんに、
「手当てぇ!? マジ!?」
何故か大仰に驚きやがった。
そんなにおかしいか!? 私が人の手当てするの!?
「えぇ、本当ですよ」
「はぁ~……丸くなったのか、それともあんたが気に入られたのか」
微笑む春史くんを、そいつは興味深そうにしげしげと見やる。
私がいるの忘れてないか? なぁ?
「クラスメイトが怪我してたら手当てくらいするでしょう」
「えっ!? あっ、はい、そうですね!」
睨む私にあからさまな愛想笑いを浮かべる。
そいつは焦ったように話を変えてきた。
「そういや、今日の昼はミーティングなんで。ラルフをお借りします」
「え~そうなの?」
「マジマジ。Line来てね?」
三人でスマホを取り出してチャットを確認する。
確かに来ていた。既読にしてなかったからラルフが一人で三回くらい書き込んでる。
……あいつ、前世から寂しがりなの変わらないなぁ。
「ほんとだ~暮石くん紹介しようと思ったのにぃ」
眉をハの字にして落ち込む花梨。可愛い。
サッカー部も鼻の下を伸ばして見惚れていた。
「教えてくれてありがとう。早く行った方がいいんじゃない?」
「そうだな! じゃ、俺はこれで!」
親切心からの忠告を快く受け取り、サッカー部は立ち去る。
一つ息をついて目線を上げれば、パンの前の波は引いていた。
……人はいるんだけどね。道を空けてくれてありがとう!
その場に長居する気もなく、さっさとパンと飲み物を買って中庭に出る。
「お天気で気持ちいいね~」
太陽よりも眩しい笑みで花梨がシートを広げる。
上靴を重石代わりに使って、お弁当を広げた。
おかずを分け合ったりしながら、あれこれと他愛ない話を交し合う。担任がどうだとか、数学の先生は黒板を消すのが早いとか。体育の後の現国は眠くなるとか。
花梨は本当になんでも楽しそうに話すし、春史くんもつられて笑っている。
私の幼馴染はほんとにいい子だ。
遠慮しがちな春史くんもゆっくりとガードが下がってきている。表情を見ていれば分かる。
さっきのサッカー部みたいなヤツを近づけたくないのは、そんな彼女が好きだから――という単純な話でもない。
私がそんなことをするのには、それなりの理由がある。
どんなに振り回されても彼女を嫌いになれず、変な虫から守りたいと思う理由。
それは、
小町 花梨がキャスリン・マーチルの生まれ変わりだからだ。
かつて、私がいじめ抜いて殺しかけたヒロイン。マーチル商会の一人娘。前世の婚約者ジェラルド・カーマインの思い人。
彼女は、その生まれ変わりだ。
分かるだろうか。私にのしかかる罪悪感の重さが!!
花梨は私が前世の記憶に目覚める前から一緒にいる幼馴染だ。その性格の良さも、私を慕ってくれていることも知ってる。
前世もきっと、同じ性格だったのだろう。だって、私はキャスリンに恨まれた覚えがない。彼を奪ってごめんなさいと泣きながら謝られたことさえある。
その子に! 私は!! なんてことを!!!
私の性根は腐っている。泣きながら謝られた当時は逆上したものだ。ふざけている、人を馬鹿にしている、と。
人は自分を鏡にして他人を見るという。私がそういう人間だったから、キャスリンの謝罪もそういうふうに受け取ったのだろう。
今なら分かる。きっと和解の道だってあった。それを拒否したのは私自身だ。
今世では! 今世こそは!! そんな真似をしたくない!!! もう悪役令嬢は卒業したのだ! かつての人生と共に!!
花梨が素敵ないい子であればあるほど、誇らしい気持ちが湧き上がり、鋭い刃が心臓を突き刺す。
彼女には幸せになってもらいたい。なってもらわなきゃ困る。
そのためなら、私はなんだってできるし耐えられると思う。
少なくとも、もう二度とその邪魔だけはしたくない――
「よしっ! 今度の土曜日、みんなで勉強会しよ~!」
――んだけどぉ! いきなり何言ってるのこの子ぉ!?
いいことを思いついたと手を打つ花梨と、困り顔で笑う春史くん。
こうと決めた花梨はてこでも動かないし、必ずやり遂げる。私に成す術はない。
できることと言えば、すまし顔でおかずを口に運ぶことだけだった。
ねぇ!? 誰か、花梨が何考えてるか教えてくれませんかぁ!?