第三十四話
朝起きた時には、頭がスッキリしていた。
つまり私は、またも前世と現世をごっちゃにしていたのだ。春史くんはアルフォンスの生まれ変わりで、だから彼が思い人ではないと否定することはアルフォンスを否定することに繋がっていて。
ついうっかり、アルフォンスと引き離された時のことを思い出してしまっていたのだ。
トラウマのようにあの時の気持ちが蘇り、私を縛り付けた。だから、昨夜はあんなに苦しかったのだ。
真実が判明し、私は胸を撫でおろした。
幽霊の正体見たり、枯れ尾花。
まったく、春史くんと出会ってから誤認することが多くて困りものだ。一度、前世と今世の境界をしっかりはっきり自分の中で作る必要があるかもしれない。
そんな風に考えて、何もかもを誤魔化した。
自分でも笑えるくらいのくだらない言い訳を信じた。
そういうのは、得意だったから。
「いいね、昼子ちゃん! じゃ、こっち目線ちょうだい!」
真っ白い背景のセットに、大仰なカメラと巨大なレフ版。
種々様々な機材とそれらに繋がるケーブルが床をのたうち回るスタジオで、私は仕事をこなしていた。
今日の衣装はマーメイドドレス。胸元から裾にかけて、淡い青から白へとグラデーションしていく美しい色合いのドレスだ。
マーメイドドレスとは、その名の通り人魚のようなシルエットを持つドレスである。腰、または膝まではタイトなドレスで、そこから下はふわりと広がっていく形をしている。
本来は多少裾を引きずるくらいの長さをしているものだが、今回のドレスは裾が短く、歩けば足元が見えるくらいに調整されていた。
珍しい、と思う。
ここから先は私の予想だが、これはデザイナーさんが特定の人を想像しながら作ったからだと思っている。
この短めグラデのマーメイドドレスを作ったデザイナーさんは、大変な愛妻家という話だった。娘さんが一人いて、この子も大変可愛がっているらしい。
奥さんも娘さんもアウトドア派で、海も大好きらしい。泳ぐのもそうだけど、何より砂浜で遊ぶのが好きなんだとか。
波打ち際に足を浸し、打ち寄せる波に揺られながら親子そろってはしゃぐのだとか。
デザイナーさんは、そんな家族を眺めるのが趣味だと公言していたそうだ。
だから、このマーメイドドレスはそんな奥さんと娘さんからできたものなのだと思う。
淡い青から白へのグラデーションはまさに波が寄せる白い砂浜で、足元が見えるのはきっと遊ぶときに少しスカートをたくし上げていたからだろう。
素足が波にさらわれ、砂浜に跡をつける。その姿が人魚のように見えたからこそ、裾の短いマーメイドドレスが生まれたのだと思う。
この服を着るときは普通のマーメイドドレスと違って活発な印象が似合う。静かに泳ぐのではなく、大声を上げて太陽の下ではしゃぐのだ。
そう意識してポーズをとれば、他のマーメイドドレスとは違ったものになる。私には、それがこのドレスには正しいと思えた。
カメラのフラッシュが何度も何度も焚かれる。
白い背景に活発な人魚の影絵が写し取られる。
深い海を泳ぐ神秘ではなく、浅瀬を跳ねる乙女のように。
同じ人魚でも、その在り方は色々あっていいだろう。
「オッケーです! お疲れ様でしたー!」
ADさんの声かけと共に、全員の『お疲れ様でしたー』が重なってスタジオに響く。
私もちゃんと声を出して頭を下げた。
この前護堂さんに『花梨以外と話さない』みたいなこと言われたけど、しっかりスタッフさんとは挨拶するし打ち合わせもするんですよ。そんな高飛車じゃないからね。
撮影も終わったし、着替えよう。マーメイドドレスは着慣れてるけど、今世じゃ普段着にするもんじゃないし。
更衣室兼衣裳部屋に行こうとすると、カメラマンさんに声をかけられた。
「あ、昼子ちゃん! ちょっといい?」
「はい、大丈夫です」
足を止めてカメラマンさんの方へ向かう。本当は着替えてからがいいけど、まぁいいや。
どこか苦笑交じりの笑顔で迎えてくれるカメラマンさんは、井ノ瀬さんという。独身の35歳男性で、紫藤さんの古い知り合いらしい。
ぼさぼさのアフロに樽のような体型、笑顔の似合う顔。どこかのマスコットキャラクターにでも就任したら大人気になりそうだと思う。
見た目通り穏やかな性格で、この人が紫藤さんの友人であるというのが一年経った今でも信じられない。明らかに友達選びを間違えている。あんな性格破綻者に付き合うことないよ、井ノ瀬さん。
でも、この人のおかげでスタジオ撮影は随分と楽になった。初めてモデル撮影に挑んだ時からあれこれと気を使ってくれて、苦手意識を持つこともなくやってこれたの井ノ瀬さんのおかげだ。
そんなわけで、密かに尊敬している人でもあるのだ。
人当たりも良くて、紫藤さんに限らず友人が多く、業界内外の様々な事柄に通じている。
大人というのはこういう人なんだろうと思うくらいには、凄い人だと思っている。
「今日もお疲れ様。着こなすの難しい服だったと思うんだけど、すごく良かったよ」
「ありがとうございます。井ノ瀬さんから聞いたお話のおかげです」
そう言うと、井ノ瀬さんは笑みを深めて喜んでくれた。
さっきのデザイナーさんの話は、井ノ瀬さんから打ち合わせの時に聞いたものだ。撮影時のイメージが膨らむかと思って、と毎回衣装にまつわる話をしてくれるんだけど、これがどれもこれも有用で本当に助かっている。
衣装というのは、ちゃんと作る人にもイメージがある。
昔だったら一針縫うごとにそういう想像を膨らませて、最終的に着た状態を考えながら作り上げていくものだ。
今世も、方法や使う機材は変わっても人の心まではそう変わらないと思う。
だから、どんなイメージを持って作られた服なのか、というのが分かるのはモデルとしては大変に助かるのだ。
「いいや、僕の話なんてただの世間話さ。それを役立てるのは昼子ちゃんの力だよ。君を撮る時は僕も緊張するくらいなんだから」
「そうなんですか?」
意外だ。歴で言えば圧倒的な開きがあるし、踏んだ場数も比べ物にならない。
ま、お世辞だろうけど。
「そうだよぉ。だって、昼子ちゃんにはしっかりしたイメージがあるもの。それが衣装とばっちり合うものだから、こっちも間違えられないって身が締まるんだ。打ち合わせはして分かってるつもりだけど、やっぱりカメラを通すと全然違うよね」
「私も、いつも緊張してますよ」
私が苦笑しながら返すと、井ノ瀬さんは少し驚いた顔をした。
「そうなの?」
「そうですよ」
「あんなに堂々としてるのに?」
「引け腰でモデルなんかしたら衣装に申し訳ないじゃないですか」
素直な気持ちを告げると、井ノ瀬さんは少し目を見開いた後に優しい笑顔を浮かべてくれた。
そう、正直いつも自分の考えが正しいか迷いながらモデルをしている。
自分なりにこういうイメージだろうと思ってやってはいるが、それが絶対的なものだとは思っていない。
そりゃ撮影するときは頭からつま先まで信じるし、そうじゃなきゃいけないとは思ってるけど。でも、誰からも指摘がないと割と不安になってしまうのだ。
これでいいのか、いけないのか。良いから黙ってるのか、スルーされてるのか。
でも、だからって迷いながら引きながらモデルなんかしたら、せっかく私に頼んでくれた人たちや一生懸命作られた衣装に申し訳ない。
私じゃない方がよかったのに、って自分で思いたくない。
だから、頑張って胸を張っているのだ。
「昼子ちゃん、何か困ったことがあったら言ってね。僕で良かったらいつでも力になるから」
「頼りにしてます。でも、急にどうしたんですか?」
優しく心配げに言ってくれた井ノ瀬さんに頷き返すも、首を傾げてしまう。
この人はいつもこういうたまに会う親戚のおじさんみたいなことを言う人ではあるけど、なんだか声のトーンがいつもより低かった気がする。
井ノ瀬さんはちょっと困った顔になって、少し声を潜めて私に顔を近づけた。
「『Gift』の人達が……というより、正確にはマルタの社長が君を狙ってるって話があるんだ」
驚いて見やる私と、井ノ瀬さんの目が合った。
井ノ瀬さんは痛ましい表情で小さく頷いて見せる。
「市松くんと護堂くんの話は僕も知ってる。『Gift』の話題作りってことも。でも、マルタオフィスの社長はもう少し『Gift』と君のつながりを深めたいみたいなんだ」
「……どうしてですか?」
「君が、竜一の秘蔵っ子だから」
二の句が継げなかった。
井ノ瀬さんは社長の事を下の名前で呼ぶ。勿論プライベートで、だけど。そして、そう呼ぶ時はこの人は絶対に嘘はつかない。
社長の秘蔵っ子……私が? 花梨でなく?
「花梨ちゃんもそうだけど、あの子は他に色々持ってるからね……業界的にはちょっと扱いづらいんだ」
「あぁ……そうですね」
あの子は両親からして著名作家と超人気漫画家だし、烏丸の跡取りであるラルフもいる。
私は、すくなくとも実家は大したことない。その点、扱いやすいと思われたのだろう。
「君の将来を、業界は注視してる。唾をつけたいところも多いけど、竜一がそれを許してこなかった。今回の事を、マルタは大きなチャンスととらえてるみたい」
「……なんといえばいいのか……」
私が困惑していると、井ノ瀬さんはいつもの柔らかな笑みを浮かべてくれた。
「今のところは気にしなくて大丈夫だよ。精々、『Gift』の誰かと付き合ってくれないかなってマルタが思ってるくらいだろうから」
「つきっ!?」
引きつった声を上げる私に、井ノ瀬さんは大らかに笑って見せる。
おのれぇ、若い反応だと思ってるな!?
そうじゃなくて、ただでさえ護堂さんから告白された身としては洒落じゃすまないって話なんですよ!!
くそう、護堂さんがなんか自信満々だったのはこのせいか。普通にこれからアイドルになるって人達と女を近づけるかって話だよね、よく考えると。
でも、事務所側がデキちゃってもいいと思ってたらそりゃ安心か。少なくともそっちには隠し立てする必要ないんだもんね。
っていうか、私そんなに利用価値ある!? ただの一般女子高生ですよ、少なくとも今世では。
売り出し中のアイドル達とデキちゃってもいいとか、覚悟決まりすぎてませんかね。
「まぁ、だから、マルタがもし強硬手段をとるようだったら教えてね。事前に僕も気を付けてはおくけど」
「はぁ……じゃあ、その、困ったらよろしくお願いします」
そう言うしかなかった。
実際向こうが何をするか分からないし、別に何もしないだろうとは思うんだけど。この前の市松さんの件もあるから油断は禁物だ。
井ノ瀬さんは大きく頷いてくれて、なんだか私も安心して頬が緩む。井ノ瀬さんにはそういう不思議な力がある。見る人を和ませるような、そんな力が。
正直、かなり羨ましい。私は前世も今世も人を緊張させるような人間だから、こんな柔らかな雰囲気に憧れてしまう。
なんで未だにこの人は独身なんだろう。そりゃ、その、体型的には樽なんだけど。でも、それを含めて安心感あると思うんだけどな。
ちょっとその辺聞いてみようかな、と思っていると、
「いてっ!」
入口の方で、そんな声と共に痛そうな音が響いてきた。
ふと見れば、男の子がケーブルに足をひっかけてすっころんでいた。
高慢でもタカビーでもない私は近寄って腰をかがめる。
「あの、大丈夫ですか?」
「あー……ねみぃ……」
なんだこいつ。
ぼさぼさの長髪を適当に結んだ少年は、半目で床に寝転がっている。だいぶ痛そうに頭をぶつけたはずだが、特に気にしている様子はない。
むしろ、冷たい床に顔を押し付けて寝ようとしているようだ。こんなところで寝られても困るので、軽く腕を引く。
「あの、早く立ってください。スタッフが出るに出られません」
「えー……?」
ぐるりと目だけを動かして、少年は私とその後ろを見やる。
撮影を終えたスタッフが機材と荷物を抱えて次の現場に移動しようとしているのが見えたのか、のっそりと億劫そうに体を持ち上げた。
「……ねっむ」
「邪魔ですから、こっちに」
優しい言葉が通じない奴だと判断し、腕を引っ張って壁際に寄せる。
スタッフさん達がこちらに目礼して足早にスタジオを出ていく。
こちらも軽く目礼を返して、壁に頭をくっつけてぼんやりしている少年に視線を移した。
よく見れば結構な美少年で、どちらかと言えば可愛い系だと思う。タレ目気味の一重は庇護欲をそそるし、体格も華奢な方で背も低めだ。
座敷犬タイプ、と言えるだろうか。マイペースな雰囲気を持ち、周囲の事など気にも止めていない。
大きなあくびをかまして、襟足を掻きながら周囲を見回す。
「えー……ここどこー……?」
「四宮ビルの第二スタジオです」
「あー……第一じゃないの……?」
「第一は上の階です」
そう言うと、うへぇと嫌そうな顔をして壁に身を預けた。
「やだー、一階昇るとかつかれるー」
「……ところで、どちら様ですか?」
まるで小学生みたいな言い分を無視し、誰何する。
こいつ誰やねん、というのがさっきからずっと消えない疑問で、放置していいものかどうかさっぱり分からない。
何なら第一スタジオの人に話をしにいかなきゃならないが、名前も知らないのでは通報のしようがない。
尋ねると、半目を少しだけ開けて私の顔を見てきた。
「オレ、不破 遼輔。アンタは?」
不躾に名前を尋ね返され、頬がひくつく。
さっきから無礼極まりない奴だが、こっちまで無礼者になる必要もないだろう。
「白峰 昼子です。第一スタジオに御用ですか?」
そう聞くと、不破くんが眠たげだった瞳を見開いて私を見た。
じろじろと遠慮ない視線が浴びせられ、あまりの失礼さに頭を叩くところだった。
「へぇ……アンタが白峰か。護堂や市松が気にしてるっていう」
「……お知り合いですか?」
ふと、不破という名前に引っかかりを覚えた。
どこかで聞いたことがあるような……?
「オレ、『Gift』の一人だから。アンタの名前は知ってるよ」
言われて、電流が走ったように思い出した。
そうだ! こいつ、『Gift』のfじゃん! 不破!!
それに、遼輔という名前も聞き覚えがある。不破遼輔。確か、ネットの動画サイトにDTMで作った曲を上げて一躍人気になったっていうアーティストだ。
電子音楽と民族音楽を融合させたような今までにないリズムの曲を作るのが特徴で、総再生数は1000億にとどくかという大人気作曲家。
ただし、歌詞は曲に合わせて意味が分からない音の並びにすることが多くて、本人も奇矯な人物でテレビとかにはめったに出ないって話だ。
お返しとばかりにこちらも上から下まで不破少年をじっくり見やる。どう見ても私より年下だ。この子が本当にそんな有名アーティストなのだろうか?
……いや、嘘をついてる感じもしないし、理由もないだろうしなぁ。私の名前を知ってたところからも、多分本当だろう。
こんな子供に変な才能を与えて、神様は何をさせたいのだろう。せめてマトモな性格にしてあげればよかったのに。
「噂も聞いてる。あんた、小町 花梨の親友なんだろ? 今、小町はいるか?」
「は?」
花梨の名前を出した途端、少年は生き生きとした目になって周囲を見回す。
「なぁ、いるんだろ? アンタがいるところには小町ありって聞いてる」
「……いないわ。今日は私だけ」
そう返すと、不破少年は目に見えてがっくりと肩を落とした。
それはもう、見てる方が可哀想になるくらいに。
「なんだ……今日はアンタが第二にいるからってこの仕事受けたのに……」
「は?」
さっきから何ふざけたこと言ってるんだこの子は。
何が何やら分からなくて、ひとまず深呼吸をして話を整理する。
「第一スタジオでお仕事なの?」
「うん、そう。なんだっけ? なんかの写真とるやつ」
「それで、私がいるから受けたというのは?」
「マルタのおっさんから今日アンタがここにいるって聞いてさ。じゃあ小町もいるかなって思って受けたんだ。よくわかんねぇ写真撮られる仕事なんて嫌だったけど、まぁ小町に会うついでならいっかって」
頭が痛くなってきた。
さっきの井ノ瀬さんの言葉を思い出す。マルタの社長が私を狙っている、という話。
あれが間違いでもなんでもないことを、この少年が証明してくれた。
ていうか、私としてはそれより気になるのはこの子が花梨を知ってることだ。
まるで花梨のファンみたいな有様だが、一体どういうことだろうか。
この子が花梨が表紙を飾るようなファッション誌を見るタイプかと言われれば、絶対に否だ。この短い間だけでもそのことは良く分かる。
私は怪しんでいることを隠しもせずに少年に尋ねた。
「貴方、花梨の知り合い?」
「んー……多分そう」
首を傾げながら言われたのは、そんな曖昧な言葉だった。
訝し気な顔になる私に構わず、少年は腰を上げる。
「いないならいいや、アンタに用はないよ。じゃぁね」
軽く手を振って、少年はスタジオから出ていく。
余りにもあまりな言い分に私は呆気に取られていた。
これが、無礼千万なクソガキ不破 遼輔と私の出会いだった。
この日、私は本気で護堂さんに同情した。
こんな問題児のリーダーやらなきゃいけないとか、どうか胃薬が友達にならないよう気を付けて欲しいと思う。
七月の学校は、殆ど何事もなく無事過ぎていく。
プールが始まっていつもみたいに男子からのアレな視線に晒されたが、中学からずっとなのでもう慣れている。
どうせあいつらには何かする根性もないのだ。放っておくのが一番である。
それより問題なのは、サッカー部の方だ。
忙しい。本当に。
インターハイを目前に控え、練習にも熱が入るようになっていく。マネージャーの仕事は毎日のように膨らんでいき、用具の用意に片付け、軽食と飲料の準備、スコアつけに洗濯と目が回るような量だった。
連覇に向けて学校中からも期待がかかっている。それを知ってか知らずか、ラルフも張り切りまくっていた。
まぁ、それも無理はない。去年は殆どラルフの一人相撲だったのだ。
国内のありとあらゆる強豪校からの誘いを断ってこの学校に入ったラルフに対し、当初先輩方の反応は冷たかった。
「プリンス様は流石だな」
「もうあいつ一人で勝てるんじゃね?」
「勝手に頑張ってさぁ、俺達をバカにしてんのかな?」
等等、聞くに堪えない陰口を叩かれていたものだ。
そんな中、それでもラルフについてくれた人達がいた。
ラルフと同学年の新入生たちと、現キャプテンの下原 誠先輩である。
下原先輩は当時レギュラーだったこともあり、すごく微妙な立場だった。だって、他のレギュラーの先輩方はラルフを毛嫌いしていたからだ。
自分のポジションがとられるんじゃないか、という恐怖もあったと思う。それも含めて下原先輩は半ば孤立するようになっていった。
それでも、彼はラルフの側につき、他の先輩方との橋渡しを続けていた。
ラルフが部に馴染めるよう、皆で頑張れるよう。下原先輩は諦めずに努力を続けていた。
その甲斐あって、夏のインターハイが終わってからラルフは完全に部に受け入れられたのだ。
まぁ、そのインハイでも色々あったわけだが。
そのぶつかり合いがあってこそ、ラルフが受け入れられたところもあるのでよかったということにしよう。
冬の選手権大会ではラルフを中心にチームが出来上がり、インハイに比べて実にあっさりと優勝した。
そして、今年である。
ラルフも部の皆も、そりゃあ連覇に向けて気合が入るというものだ。
むしろ連覇して当然、でなきゃサッカーやめるぜ、ぐらいの軽口さえ叩く始末である。
増長は良くないと思うが、彼らの気持ちも理解できる。
今年は本当に最初から一丸となって挑むのだ。
ラルフを中心に据えたプレイの熟練度も去年とは比べ物にならない。
彼らが張り切るのも当然だった。
……まぁ、それだけ頑張るのでマネージャーの仕事も増えるのだが。
そうしてマネージャーの仕事に追われながら、私は事務所の仕事もこなしていた。
社長直々に頼まれた、真希と他の所属タレントとの顔合わせである。
なんでも所属タレントを使っての動画企画を進行しているらしい。週一か隔週くらいでバラエティ番組みたいに事務所のタレントを使った動画を出したいようだ。
その辺は真希と社長が話し合っているのだが、二人とも悪戯を思いついた子供みたいな顔をするから油断が出来ない。
正直、これに協力していいものやらと思うのだが……
「パイセンしか頼れないんすよ~!」
と半泣きで抱き着かれて請われれば、頷く以外の選択肢はない。
鬱陶しいし引っぺがしたいが、頷かなきゃ子泣き爺ばりにしがみつかれることは間違いない。
ため息を嚙み殺して手伝う以外の選択肢がなかった。
そうして諸先輩方と顔合わせをセッティングし、その何回目かのことだった。
第二事務所近くの喫茶店で真希を紹介し、今後の流れや展望を説明する。
そういう説明は本来私や真希の仕事ではないが、突然呼び出されて真希を紹介するだけじゃ意味が分からないだろう。そう思って、社長から聞き出した話を軽く説明した。
諸先輩方は流石に芸能界に何年もいるだけあって物分かりもよく頭の回転も早い。事情を理解すると「よろしくね」と笑顔で真希と握手するのだ。
そして、一通り挨拶が終われば私への尋問タイムである。
「で、護堂さんとはどうなの? それとも市松さんが本命!?」
「……どちらも尊敬する先輩であり、それ以上の感情はないです」
相変わらずつまんないわねぇ、と私を見やる先輩方の視線にももう慣れてしまった。
どうも私は見た目に似合わぬ堅物として話題になっているらしい。
それが立て続けに有名なイケメンと噂になったものだから、先輩方も気になるのだろう。
無難に挨拶を交わしたところで、仕事があるからと先輩は先に出て行った。
そして私達も帰ろうとしたところで入ってくる人達とうっかり目が合ってしまう。
短髪の眼鏡をかけた、どこか人懐こい雰囲気のある男性だった。
その人は私を見るなり目を丸くして、足早に近づいてきて声を潜めて尋ねてきた。
「あの、もしかして白峰 昼子さんですか?」
なんだこれ。私はいつそんな有名になった?
見た感じ、女性ファッション誌を読んでいてもおかしくはない感じはするが。
「はい、そうですが……」
「やっぱり! あ、すみません申し遅れました。私は東山 銀二。『Gift』のtです」
にっこりと人好きのする笑みを浮かべ、東山さんはぺこりと頭を下げる。
……なんていうか、実に普通だ。普通。
いや普通って言い方は失礼か。顔は整っているし、短髪に眼鏡っていう組み合わせも親しみやすい感じがする。
でも、なんかその辺のお兄ちゃんって感じが拭えない。
そういうところがいい、と言われれば何も言えないが。なんだか地方局のリポーターとかやってる人みたいだ。そういうとこだと多分凄く人気になると思う。
「あの、もしよろしければ相席いいですか?」
にっこり笑って聞かれ、思わずうなずいてしまう。
隣の真希が変な顔をしているが、気にしないことにしよう。出ようと思ってたけど、なんだか断りづらいし。
東山さんと一緒に座ったのは、彼のマネージャーだという話だ。無口な中年男性で、それ以上の挨拶も会話もなかった。
軽いランチをする間、東山さんとはあれこれ話した。正確には、東山さんが話しかけてきてくれたのだが。
その中で、自分が果たして『Gift』に相応しいのか悩んでいると打ち明けられた。
「私は市松さんや不破くんと違って特別な才能もありませんし、護堂さんのように将来性も何でもできる器用さもありません。四人の中で一番知名度が低いのも私です。正直、荷が重いのではないかと思うこともあります」
そう悲し気に微笑まれると、なんだか励まさないといけない気になってくる。
人をそういう気にさせる時点で、十分あのメンバーの一員になれると思うのだが。
だが、本人にとってはそうではないのだろう。私も覚えがある。
花梨やラルフと並んでいると、たまに自分が場違いではないかと思うことがある。春史くんがきてからも、たまに。
何せ、私以外の三人はお金持ちだし将来の目標みたいなものもある。なんというか、住む世界が違う感じがする時があるのだ。
彼も、もしかしたらそうなのかもしれない。
「……結局最後は、自分がそこに居たいかどうかだと思います。一緒にやってみて、無理だと思えばやめればいいし、そこに居たいと思えば頑張ればいい。私は……そう思います」
少し迷った末、嘘偽りのない自分の気持ちを言葉にした。
結局、私がラルフや花梨と友達でいたいかどうか、なのだ。
あの二人と並んでいたいのか、それとも離れたいのか。それ以外に理由なんてどこにもない。
私は一緒に居たいと思ったから、こうしてあれこれ頑張っているのだ。
東山さんは目を見開いて私を見つめ、茫然と呟く。
「……そんなこと、考えたこともなかったです」
東山さんの顔が見る見るうちに歪み、何とも言えない笑みを浮かべて口の端を釣り上げた。
「貴女はすごい人ですね」
「そっすよ~! パイセンはすごいんす!!」
東山さんの言葉に乗って、真希がニコニコ顔で強く頷く。
少し恥ずかしくなって真希にでこぴんをかまして黙らせ、さっさとランチを終わらせた。
「今日のお礼です」
と言われ、伝票を掴まれ会計を済まされてしまった。
私は何もしていないんだけど……と思いつつ、断るのも失礼かと思って東山さんの好意を受け入れた。
カフェから出る時、東山さんがどこか清々しい顔をしていたのが印象的だった。
そうして、私の七月は過ぎていった。
そして、一学期の終業式を迎えた日。
下原 誠キャプテンを含めた二名の怪我により、サッカー部に激震が走った。
それを収めたのはやはりというかラルフで。
キャプテン不在のサッカー部を立て直すべく彼が口にしたのは、春史くんの臨時入部だった。
何がなんでそうなるのか分からない。
いや、私も隣で話は聞いてたんだけど。でも、怒涛のような怒号が飛び交い、もう何がなんだか分からなくなってしまっていたのだ。
いつの間にか怒号は止み、ラルフが春史くんに頭を下げていた。
「僕でよければ」
春史くんのその言葉に衝撃を受けたのは、私だけではなかった。
ただ、私以外の人は違う意味だったと思うけど。
彼がサッカーをしないのには、何か理由があったはずなのに。
それなのに、いいのだろうか。臨時とはいえ部活に入って、インターハイを戦うなんて。
見上げた春史くんの顔は、決意に満ちていた。
その心の内を知ることは、私にはできなかった。
八月の、あの夜の海まで。




