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第三十三話

 全長10m超の流しそうめんを堪能し、メイドさんお手製の笹餅を頬張る園児達の口元を拭い終わったころには暗幕の下りた空が広がっていた。

 こういう時はだだっ広い烏丸家の敷地が役に立つ。周囲に強い光源がないから星の光がひときわ綺麗に見えるのだ。この辺り一帯にマンションみたいな背の高い建物がないのも理由の一つだろう。


 見上げた空に輝く星々。

 雨が降ることもなく、綺麗に浮かび上がる天の川に園児達がはしゃぎまわる。

 東の空から南に向けて流れる星々の川は、織姫のベガと彦星のアルタイルを確かに分断していた。

 あそこに、今日だけはカササギが橋をかけるのだ。


 一年に一度だけの逢瀬。各々の役割があるとはいえ、仕事すら忘れるほど恋しあう人とそんなふうに引き裂かれたら私なら狂ってしまうかもしれない。

 英語では確かミルキーウェイというのだったか。確かに段々と白い色合いが増していくように見える。牛乳を垂らしたような道とは、詩的なのか写実的なのか。


「ひるこおねーさん! あまのがわってどこ!?」

「顔をあげなさい。あそこ」


 膝裏にぶつかるようにして抱き着いてきた園児の頭を撫で、顔を上げさせる。

 それでも「どこ!? どこ!?」と探し回っていたので、顔を挟んで少し無理やり天の川の方向に向けさせた。

 天の川を見つけた園児はただでさえ大きな目をまんまるにして食い入るように見つめていた。


「すごい!! そらにかわがある!!」

「今日だけはあそこに橋がかかるの。川の両側にある大きな星、分かる?」

「わかる!!」


 大きな声を張り上げ、挟まれているのに激しく顔を上下に動かす。

 そんなことをして頭が痛くならないんだろうか。

 私もこんな頃があったのかな、と妙な疑問が浮かんでくる。


「上の方が織姫で、下の方が彦星。分かる?」

「わかる!!」


 嬉しそうに叫ぶ園児に釣られるように、他の子達も集まってきて全員で空を見上げ始めた。

 指をさして喜ぶ声が耳を圧迫する。近くに民家がなくて良かった、と本気で思う。こんなに楽しくはしゃぐ子達に水を差さずに済むから。

 私が位置を教えた園児は、誇らしげに胸を張って他の園児達に教えている。自慢したくて仕方がないのだろう。


 平和で、暖かな光景。前世でどれだけ望んでも得られなかったものがここにある。

 いや、私はそんなのを望むような人間じゃなかったか。過去を少し美化しすぎているかもしれない。

 でも、この穏やかな時間に身にしみ込んだ毒が抜けていく感覚は嫌いじゃない。

 他の子に教え終わった園児が、無邪気さをそのまま形にしたような笑みで振り向いた。


「おねーさん、おひるなのによるもしってるのすごいね!!」


 あ、今ちょっと毒が戻ってきた。


 引きつる頬をなんとか隠して軽く手を振る。園児は嬉しそうに手を振り返して再び友達と空を見上げる遊びに戻った。

 子供の戯言なんだから気にしない方が良い――とは分かっているんだけど。実はそれが図星でもあるからダメージを受けてしまうのだ。


 『昼子』という名前は本当にそのまま昼に生まれたから名付けられた。当然、弟の『夕太』も夕方に生まれたから、だ。

 我が両親のネーミングセンスには思春期少女として思うところが盛大にあったりはするわけだが、別に仲が悪いわけではない。

 名付け以外はちゃんと育ててくれたし、愛情もしっかり感じている。致命的に名前をつけるのが下手くそなだけなのだ。祖父母なんかは割と同情してくれるが、代わりにどんな名前がいいか聞いたところ血のつながりを深く感じてしまったことがある。


 まぁ、別に悪気があって言われたわけじゃないし。ダメージを受けるのは私が自分の名前を受け入れ切れてないからというのもあるわけで。

 だって、『ヒルダ』と『ひるこ』で一字違いなんだよ? 記憶が戻った時は割とショック受けたよ。あぁ、名前からしても逃げられないんだなって。

 まして、『白蛇姫』なんてあだ名まで同じになるなんて……前世を忘れるなという神様の思し召しですよね、きっと。

 名前にコンプレックスを感じるなんて馬鹿らしいし無駄だと思うけど。しょーがないと割り切れるほど大人にもなれないわけで。


 ため息をついて何もかも忘れようと空を見上げる。

 綺麗な天の川の両側にある織姫と彦星。今頃、一年に一度の逢瀬を楽しんでいるのだろうか。太陽が昇る前には別れを惜しんでいるのだろうか。

 押し寄せる太陽を、恨みに思ったりするのだろうか。

 経験のない私には、分からないことだらけだ。


「綺麗ですね、天の川」


 不意にかけられた声に肩が震えてしまう。

 思いっきり油断してしまっていた。反射的に振り向けば、春史くんがいつもの微笑を浮かべていた。


「そろそろお焚き上げに行くそうですよ。それに合わせて迎えの親御さんもいらっしゃるんですよね?」

「そう。皆で笹を持ち寄るついでに、時間も丁度いいから」

「はしゃぎつかれたのか船を漕ぐ子も出てきてますからね」


 そういう春史くんの左腕には、その通りウトウトと頭を揺らす藍ちゃんがしがみついていた。

 元々インドア派だから体力はないだろうに、それでも腕を離さない姿勢にはある種感動してしまう。私はそこまでできない。


 ……そこまでできれば、前世でももう少しはマシだったかな。いやまぁ、性格的な問題だから言っても仕方ないんだけど。

 そこまで好きって言葉を表現できたなら、何か変わってたのかもしれない。


「きれーよ、ラルにぃ! あたしたちもおりひめとひこぼしみたいね!!」

「あー、でも年一よりは会ってるだろ?」

「すごいよね~、織姫と彦星って。一年に一回でガマンしてるんだもん」

「ちょっとぉ!? かってにはなしにはいってこないで!」


 遠くにいても聞こえるやり取りに、春史くんと顔を見合わせて苦笑しあう。

 茜ちゃんはアウトドア派なだけに、まだまだ頑張れるみたいだ。

 あの頑張りがどこまで続くかはわからないけど、無粋に否定することだけはしたくない。自分にないものを持っている人は輝いて見えるものだ。


 私は多分、もうあそこまで誰かを好きになることはないだろうから。

 心の中だけでずっと、アルフォンスを思っていられればそれでいい。


 そういう気持ちを思い出させてくれた春史くんには感謝している。

 だから、織姫と彦星よりは幸せになって欲しいと思う。だけど、藍ちゃんはちょっと……年齢的に問題が大きいと思うのだ。

 できれば、もう少し安心して応援できる人を好きになって欲しい。


「こーら、暮石くん。こんなとこでサボってたのか」


 にゅっと伸びてきた手が私と春史くんの肩にかかり、ぐいっと引き離される。

 思わず目だけで辿った手の先には、護堂さんの顔があった。


「ごめんね、昼子ちゃん。暮石くんを借りるよ」

「え、えぇ……どうぞ」

「ほら、暮石くん。笹持って移動だよ。藍ちゃんは保育士さんにお任せして」

「……はい」


 二人して妙な笑顔で見つめあい、連れだって行ってしまった。

 取り残された私はぼんやりと空を眺め、疲れ切った吐息を漏らす。なんだって今日はあの二人は不穏な空気を醸し出すのか。

 会ったばかりで仲の良し悪しもないだろうから、ウマが合わないのだろうか。喧嘩してるって風でもないから、そういうのとも違うかな。


 二人ともあんまり人と衝突するタイプじゃないのに。

 逆に同じタイプだから気に食わないっていうのもあるのかな。

 考えるほどに良く分からなくなってきた。


「ひーちゃーん! お焚き上げに行こ~!」


 ブンブンと手を振る花梨に手を振り返し、合流してやぐらのある方へと向かう。

 ラルフの周りにいる子達は普段から遊びまわっているからか、まだそれなりに元気があった。ラルフに肩車されながらあちこち指さして適当な星座の名前を叫ぶ。


「あっちこぐまざ! むこうがへびつかい!」

「じゃあかに! かには!?」

「かにはあっち!!」

「あれ! あれあんどろめだ!!」


 あらゆる全てが間違っているが、特に指摘せず歩いていく。

 花梨なんか手を叩いてすごいすごいと褒めている。彼女なりの接し方だろうが……まさか本気でそう思ってないよね? こぐま座は北極星を含むから反対側だよ?


「あっははは! お前らバカだなー! いいか? こぐま座はこぐまの形してるからあっちの空にあるアレで――」


 それ以上余計なことを言う前にバカの頭をひっ叩いて口を閉じさせた。


「ってぇ!? 何すんだ!?」

「バカは黙ってなさい」

「俺は正しい知識を教えようと!」

「なんでこいつに毎回試験で負けるのかしら」

「実際こぐま座は向こうだろ!!」


 そう言って指さす先は確かに北極星が見える方角だからタチが悪い。

 前世からそうだった。おかしいと思ってなんとか詰めようとするけど、毎回やり込められてしまうのだ。

 これだから天才って嫌いだ。


「……まえからおもってたけど、あんたラルにぃになれなれしすぎない?」


 茜ちゃんがラルフの服のすそを掴みながら睨みつけてくる。

 園児と思えないワードセンスは藍ちゃんの影響だろうか。

 興味ある事柄の学習は進むというから、そのせいかも。彼女の将来が少し心配になる。


「ただの友達よ」

「……うそじゃなさそうなのよね」


 じろじろと見つめられるが、気にせず適当に受け流す。

 ラルフとの関係を誤解するのは別に茜ちゃんが初めてじゃない。花梨だって何度も誤解してきたし、他の子からもよく誤解される。

 それどころか、前世じゃ自分まで誤魔化していた。いや、まぁ、恋愛なんて全部誤解と妄想と言われたら何も言えないんだけど。


 男女の友情は成立しない、なんて言葉もあるけれど。

 私としては、成立したっていいじゃないかと思ってる。ラルフは本当にバカだから、気負わず一緒にいられるのだ。

 サッカーバカで花梨バカでド直球バカ。それさえ分かってれば、大切な友達だって思える。過去の私も今の私も、そういうラルフが好きなのだ。


 好きって気持ちを、何が何でも恋愛に変換しなくたっていいだろう。

 だから、春史くんのことも護堂さんのことも好きだけど、恋愛に変換できるものじゃないのだ。


「でも、あんたとラルにぃがならぶときれいなのよね。くやしいけど」

「ひーちゃんはすっごくキレーだからね~! しかも可愛いんだよ~♪」


 腕を組んで頷く茜ちゃんの隣で花梨がぱちぱちと手を叩いて喜びを表現している。

 うん、その、嬉しいけどそれでいいのか花梨。


 この子はどうも、危機感というものが足りない気がする。

 それがラルフとの仲が進展しないもう一つの原因だろう。

 もう少し高校生活を普通に楽しみたいって花梨の気持ちも分かるけど、もう少しくらい発展してもいいと思うんだけどなぁ。


 そんなことを考えている内に、花梨の拍手とは違うパチパチという音が聞こえてきた。

 見ると、既にやぐらには火が入っていて、空に向かって揺らめく炎を伸ばしている。

 舞い上がる火の粉は音と共に空に舞い上がっていき、天の川に吸い込まれるように消えていった。


 毎年のように眺める光景なのに、思わず息を呑んでしまう。

 メイドさんや執事さんの手で細かく切られた笹が投げ込まれ、炎が勢いを増して空を侵食していく。

 さっきまで元気だった園児達も、炎に魅入られていた。

 低く響く炎の音。爆ぜては空に消える火の粉。投げ込まれた笹が飲み込まれ、炎が喜びに揺れて短冊の願いを火の粉に代えて吐き出していく。


 古の儀式には火が用いられることが多い。

 前世も何かの儀式には常に炎と祭壇が用いられてきた。

 その理由が、こうしてみると良く分かる。

 生ける炎が全てを浄化していく。そして天へと還すのだ。荒ぶる神が地上に落とした分身かのように。


 そうして見惚れていると、突如響いた車のエンジン音が現実に引き戻してくれた。

 乗っていたのは近所の方で、短冊の飾られた笹を荷台に載せていた。これからどんどん短冊の飾られた笹が持ち込まれ、お焚き上げされていくのだ。


 そういえば、護堂さんがお焚き上げの時に話すって言ってたっけ。

 ようやくそのことを思い出して周りを軽く見渡せば、手ごろな長さに切った笹を投げ入れる護堂さんの姿が見えた。

 なんだか楽しそうで、意外に思う。こういうのってバラエティ番組とかでよく見るけど、心から楽しんでる人はあんまりいないと思っていた。

 護堂さん、インドアな印象だったし。実は今日は無理に手伝わせて申し訳ないなって気持ちも多少はあったのだ。


 でもまぁ、楽しんでるならいっか。

 そう思ったのと同時に護堂さんと目が合い、軽く微笑まれる。

 さっきまで考えていたことがバレたような気分になって、思わず目を逸らしてしまった。


 こっそり護堂さんを視界に戻すと、ジェスチャーでこっちに来るようにと示された。

 多分、例の話のことだろう。

 どこか居心地の悪さを感じながら、護堂さんの後を追う。

 やぐらから少し離れた人気のない場所で、護堂さんは足を止めた。


「すごいね。本格的だ」


 やぐらの方を見ながら呟き、私も首肯する。

 七夕をこんなふうにやるところは烏丸家以外ないだろうと断言できる。


「僕もできれば毎年参加したいなぁ」

「……喬さんにこき使われますよ」

「それでもいいかな」


 楽しそうに笑う護堂さんに何も言えなくなる。

 今日だって随分こき使われたろうに、少しも苦にしたところはない。今人気急上昇中の俳優兼モデルにするには、あまりに雑な扱いだったと思うんだけど。


「昔に先輩方からされた扱いに比べれば、随分楽なもんだよ。昼子ちゃんもいるしね」

「……最後は聞かなかったことにします」


 つれないなぁ、と護堂さんが笑う。

 よく笑えるな、と思う。もし私が彼の立場だったらこうして朗らかに笑うことなんてできそうにもない。

 苦しくて、辛くて、それでも一緒にいたくて引きつった笑みを浮かべるだろう。


 また胸の奥がざわついてくる感覚。

 嬉しいと苦しいが一緒になってずどんと奥に堕ちてくる。

 それを何といえばいいか、今の私には分からなかった。


「直哉のことだけどさ」


 急に変わった話に少しついていけず、数秒の間と共に頭の中で線がつながる。

 そうだ、その話で護堂さんを呼んだんだった。

 最近すぐに忘れるようになって、自分の頭が不安になってくる。


「俺が知ってるのは、この騒動をうちの社長が利用しようとしてるってことだけ」

「利用、ですか?」


 どういうことか分からず聞き返す。

 利用するって、私と護堂さんのあの件を? どうやって?


 護堂さんは苦笑しつつ一つ一つ教えてくれた。


「俺が今度アイドルデビューするって知ってる?」

「前に聞いた気がします」

「うん。そのグループ、『Gift』って言うんだけどね。メンバーは四人で、全員のイニシャルの頭文字をとってつけられたの」


 頷く私に護堂さんが説明を続けてくれる。


「護堂の『G』、市松の『I』、不破の『F』、東山の『T』で『Gift』。G以外は小文字なんだけど、それは俺がリーダーってことを示す為だってさ」

「リーダー……なんですか」

「まぁ、この中で一番扱いやすいって思われたんだろうね。市松と不破は問題児だし、東山はこの二人を御しきれないだろうから。それで、俺と昼子ちゃんの件が知られてからうちの社長と紫藤さんが話し合って、プロモーションとして使おうって言いだしたのさ」

「プロモーション……?」


 私と護堂さんの件がどう宣伝に繋がるというのだろうか。むしろマイナスではなかろうか。

 全く分からず首を傾げる私に、護堂さんは眩しいものでも見るような顔で苦笑した。


「認知度を上げるのが最大の目的で、デビューを勢いのあるものにしたいらしいんだよ。だから、デビュー前の話題作りとして利用することにした。ただ、一応はアイドル系としてデビューするわけだから傷がつかないように悪い噂が多い直哉も巻き込むことにしたんだ」

「……何の意味が?」

「直哉は女癖が悪いって噂になってる。まぁ、直哉にフラれた子や嫉妬した連中が流した根も葉もない話なんだけど。それを逆に利用して、直哉と君の間に関係を持たせるようにしたんだ。そうしてデビューを迎えちゃえば、業界的には『そういうこと』だと納得してくれる。話題作りをしたかったんだ、ってね。それ以外はデビューの衝撃に流されるだろうし、そうでなくとも話題にはなる。こうしてネタを提供することで雑誌各社にも恩を売ることもできたから、悪い話題は事前に抑えることもできる。いいことづくめさ」


 一息に言われたことを自分なりに咀嚼する。

 要は、情報工作だ。私が護堂さんに送ってもらった一件は、その中の一つということにして利用しようということだ。


 恋愛絡みのゴシップは世間の注目の話題ではあるが、それだけに簡単に流れたりもするし誰もが半信半疑で聞いている。

 そういうネタを提供する形にすることで、雑誌各社の『本当に都合の悪い話』を潰す交渉材料にもしよう、ということだろう。

 これでも前世はそういうやり方を実際にやってきた人間である。その効果や重要度のほどはよく理解しているつもりだ。


 まぁ……気分のいい話ではないが。

 ただ、それ以外に上手く誤魔化す方法がなかったのも事実だろう。

 ある意味において芸能界とは現代の貴族社会みたいなものだなと思う。特に民衆の監視が厳しいところは王家周りにすら似ているかもしれない。

 慣れていると言えば、慣れている世界だけど。


「まぁ、分かりました。急にCMの仕事入れてきたと思ったらそういうことだったんですね」


 ため息を一つついてぼやくと、護堂さんが顔を歪めた。


「俺としても、何も言うことができなくて……直哉ならうまくやってくれると思ったんだ。ごめん。まさか、そこまでするとは思わなかった」


 護堂さんに頭を下げられ、こっちが慌ててしまう。

 そんな責任を感じてもらうようなことじゃない。芸能界じゃよくあることだし、撮られた方が悪いのだ。ていうか、撮ったのうちの真希だし。


「いいです、大丈夫ですから。市松さんも本気でやる気はなかったみたいですし」

「……どうだか。あいつがそんなことするとは思わなかったよ」

「はい?」

「なんでもない」


 ぼそっと憎々し気に呟かれたが、内容は良く聞き取れなかった。

 何にしろ、護堂さんのせいじゃない。市松さんは真面目だし、万が一にでも失敗しないように確実な手段をとったのだろう。

 そう思えば、あんなことしたのにも納得できる。

 良かった。市松さんの気が狂ったわけじゃなくて。


「でもそれなら、もう安心ですよね? あとはデビューするだけですから」

「そのはずだけど……俺の予想だと、不破と東山にも顔合わせさせようとすると思う」

「残り二人のメンバーですか?」

「そう。しかも普通にじゃなくて、何か偶然を装って。あの人たち、そういう悪だくみ大好きだから。どう転ぶかも見て楽しんでるだろうね」


 言われて、マルタの社長とうちのバカ社長が結託している姿を思い浮かべる。

 二人とも悪党の笑みで楽しそうにしていた。

 ダメだ、芸能界は性格破綻者しかいない。社長ともなれば、そうじゃない方がおかしい。


「……護堂さんはなんでマルタにいるんですか?」

「マルタの社長と親父が親友でね。一応看板の一人だから、移籍ってのも不義理な気がしてそのまんま」

「業界人、向いてませんね」

「親父にも言われたし社長にも言われた」


 そういって苦笑する護堂さんを可哀想だって思うのに、何故だか笑みが浮かんでしまう。

 いい人だ、本当に。前世と全然違う職業について、違う性格なのに、義理堅くて優しいところはそのまま。

 胸の奥がちりちりと痛む。こんなに暖かな時間を作れる人なのに、どうして私なんかを好きになってしまったんだろう。


 どうか、もっとマトモで素敵な人と幸せになって欲しい。

 心の底から、そう思った。


「さて、そろそろ戻ろうか。あんまり離れてると君の友人達が心配するだろうし」

「そうですね」


 ラルフや春史くんはともかく、花梨は気にするだろう。

 子供の頃は、私が傍にいないと泣き出すくらいだったし。今もその名残が残っているのは嬉しいやら情けないやらだけど。


「そう言えば、聞いてみたかったんだけどいいかな?」

「はい?」


 首を傾げて振り向いた私に、真剣な顔をした護堂さんが映った。



「前に言ってた君の好きな人って、暮石くんのこと?」



 息が止まる。

 体がぴたりと固まって、呼吸すらできなくなる。

 揺れる炎に照らされて、護堂さんの姿が揺れる。その瞳に映る私は丸く目を見開いて、炎の動きに合わせて揺れていた。


 ぱちぱちと音が鳴る。

 爆ぜた火の粉が空に溶ける。

 天の川には橋がかかり、一生の恋人達が幸せを謳っている。

 私と護堂さんの間にあるのは、果たして天の川なのか。


「初めて見た時、もしかしてと思ったんだ。彼だけが、君を見る目が違ったから」


 この人は、何を言ってるんだろう。

 そりゃそうだろう。私とラルフや花梨との関係と、春史くんとの関係は違う。

 高校に入って仲良くなったばかりの人と、もっと幼い頃から関係を築いてきた人たちとは違うだろう。

 何を、当たり前のことを。

 唇が震えた。



「ちがいます」



 心臓が高鳴る。

 鼓動の音が激しく鳴り響き、火の粉の音が遠ざかっていく。

 護堂さんの口が動く。

 何を言っているのか分からない。

 心臓が煩すぎて、他の音が何一つ入ってこない。


 もう、何も聞こえない。

 護堂さんから目を逸らして、炎を見つめた。

 誘われるように近づいて、空に消えていく火花を見つめる。


 空には天の川が流れる。

 一生の恋人を引き裂く非道な川。

 でも、と思ってしまう。

 思い合ったままなら、分かつのが川であるのなら、それはなんて幸せなことなんだろうか、と。

 美しい川を眺めながら、恋人の事を思えるのなら。

 織姫になりたいと、思ってしまう。


 ちがう。

 私が好きなのは、アルフォンスだ。

 魂が同じでも、生まれ変わりだとしても。

 それは、全くの別人であって本人ではなくて。

 だから、私が好きになるはずはないのだ。


 一生、ただ一人を想い続けられる心の強さが得られるのなら。

 私は、織姫になりたかった。

 例え、恋人に一年に一度しか会えないとしても。

 ただ一人だけを、想い続けていたかった。




 お焚き上げが終わる頃には園児達も親御さんのお迎えがきていて、私達も片付けもそこそこに家路についていた。

 夜も遅いから、という理由で護堂さんの車に送ってもらい、距離の関係から私が最後に降りることになった。


 本当は花梨と一緒に降りたかったのだが、それじゃ送る意味がないと強硬に護堂さんに反対された上に花梨まで味方したので私が折れるしかなかった。

 護堂さんとの話の後、私の元気がないのを花梨も感じていたのだろう。


 またパパラッチに撮られたらどうするのかとは思ったが、どうせまた宣伝に利用するだけだろう。そういう手筈は整っているはずだ。

 業界は本当に貴族社会に似ていて、少し嫌になる。


 車が止まった。

 窓の外を見れば、私の住むアパートがすぐに見える。

 場所を教えたっけ、と考えて、そういえば言った気もすると思い出す。

 ダメだ、頭が上手く働いていない。


「ごめん。余計なことを聞いて」


 唐突に話しかけられ、何の事か分からず沈黙する。

 それをどういう意味に受け取ったのか、護堂さんが顔をしかめた。


「傷つけるつもりじゃなかったんだ。ただ、その……相手を知っておきたくて。あぁいや、それじゃ何の気休めにもならないな。違うんだ、その、あのことは忘れてくれていい」


 そこでようやく何の話をされているのか思い至って、口を動かす。

 唇は何故かやたらと重たくて、思ったように動いてくれなかった。


「いいんです」

「良くない! 良くないって、君がそんなふうになってるのに。追い詰めるはずじゃなかったんだ、本当に。あぁ……いやごめん、男の嫉妬は醜いな」


 拳で眉間を打ち、苦しそうに表情を歪める。

 何を言われてるのかいまいちわからないけど、ただ彼が悔やんでいるのは分かる。

 それを放ってもおけなくて、なんとか言葉を探した。


「……私は、大丈夫です。今日はちょっと疲れたみたいで。ゆっくり休みますね」

「……うん、そうだね。おやすみ、昼子ちゃん」

「おやすみなさい」


 後部座席のドアを開けて、会釈して車から降りる。

 護堂さんに手を振って背を向ける。

 早く家に帰りたかった。家に帰ってベッドで眠れば、きっと何もかも忘れられる。

 感情が手に負えなくなることなんて、前世の記憶が戻った中二の時には既に経験している。


 自分の心に、感情が追い付いてこない。その二つが喧嘩をして、何も思えないのにぐっと重たいものだけが胸を支配している。

 そういうのは、一晩寝れば治る。


 大体どういうことか寝てる間に整理がついて、翌朝には納得できる形になっているのだ。

 だから、早く家に帰りたかった。

 エレベーターに乗り三階につき、部屋を二つ通り越して三つ目の玄関を開ける。


「ご苦労だったな、『白蛇姫』! 『七夕(ラヴァーズ・エンド)』は――」


 夕太が何か言うのを聞き流して、靴を脱ぎ捨てて部屋に戻る。

 鞄を適当に放り出して、ベッドに突っ伏した。


 自分で自分が分からない。

 なんで「違う」って一言言うだけで、こんなふうになってしまうのか。

 きっと、理由がある。真っ当で当たり障りのない理由が。


 それは、きっと恋愛とは関係ないもので。

 例えば、友達との関係を誤解されたようで気分が悪いとか、そういうので。

 朝になれば、その理由だって分かってるはずなのだ。


 目を瞑ってシーツを握りしめる。

 早く朝になって欲しかった。



 翌朝、護堂さんからのチャットはこなかった。

 学校では、プール開きが始まった。

 夏が、急に押し寄せてきていた。

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