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第三十二話

 小さくなるバイクと車を見送って、鉄扉が静かに締まるのを眺める。

 この巨大な門は一応車などの通用門であり、人間が通る用の出入り口はちゃんと横に併設されているのだ。

 なおそっちは簡単に出入りできる為か生体認証システムが入っている。かがくのちからってスゲー……いや正しい使い方なんだけどね。全体的に前世みたいな雰囲気だから違和感はある。


 中に入れば、お屋敷まですっと伸びる大きな一本の道路。その枝葉として刈り込まれた芝生や咲き誇る花々を分離帯代わりにいくつもの細い道があちこちに伸びている。

 言ってしまえば、門から内側は烏丸邸の巨大な庭……ということになるのだが。


 初見だと、これを庭と言っていいものかは本当に憚られる。ハウステンボスとかオランダ村とか、ああいう娯楽施設の類だと言われた方が納得するだろう。

 複数の道を分けるように一定のエリアごとに配置された芝生や花壇。いやもう大きさ的には花壇っていうか花畑なんだが。

 それらの先には保育園や温室やプールなどがあり、お屋敷から繋がる車も通れる大きな一本道と合流したりする。


 人の家という認識が薄れていくレベルだが、烏丸家に常識を求めてはいけない。ラルフからして常識外れの奴なんだから。

 ふと横を見れば、春史くんが引きつった笑みでラルフの説明を聞いていた。


「んで、あっちにサッカー場があって、向こうにはプールがあるだろ」

「……広いんですねぇ」


 春史くんの精一杯のコメントにニコニコしながらラルフが話を続ける。

 そうだよね、最初はそうなるよね。ラルフも驚く暇くらい与えてあげたらいいのに。


「保育園の方行く?」


 首を傾げて聞いてくる花梨の頭を撫で、そう言えば護堂さんとの合流地点はどうするんだろうと思う。

 ラルフの奴は何か聞いてないかな。


「ラルフ、護堂さんとはどこで合流するの?」

「え? あぁ、保育園の方でいいだろ。喬に伝えとく」


 喬さんにチャットを送り、こっちだと胸を張って先導するラルフ。

 なんか妙に張り切ってる気がしないでもないけど……まぁ、男友達と七夕やるのって初めてだしね。それでちょっと気分が盛り上がってるのかもしれない。

 去年までは同年代の男って夕太だけだったし、その夕太はラルフを警戒してるしで寂しかったんだろう。


 今年は春史くんがいる。そのことを今更になって私も少し意識してしまう。

 もうほとんど気にしなくなっていたけど、今までの日常の中に春史くんが新しく入ってくるのだ。

 改めてそう感じると、なんだかむず痒いような気がしてきた。


「ひーちゃん?」

「行きましょうか」


 見上げてくる花梨の手を取って、ラルフの後について歩き出す。

 張り切ってるのか少し足早なラルフを叱りつつ、今日のイベント会場である烏丸保育園へと向かった。




 保育園に着くと同時に、私達の前を一台のバイクが風のように過ぎていく。

 Uターンして戻ってきたそのバイクのライダーは、メイド服にヘルメットという異常な格好をしていた。


「おい喬、あんまり飛ばすなよ!」

「申し訳ありません、つい風を感じてしまいまして」


 ヘルメットを脱ぐと同時に黒髪がぶわっと広がり、ドラマのワンシーンでも見ているような気分にさせられる。

 少々キツめだけど整った顔立ちにバイクはやたらと似合っていたけど、メイド服があらゆる全てをミスマッチにしていた。


「……私有地だから、法で縛れないのが怖いね」


 彼女の腰から手を離し、ヘルメットを脱いだ同乗者――護堂さんは少し顔色が悪かった。

 さもありなんと納得してしまう。喬さんは必要がある場合を除いて安全運転をしない。スピードこそバイクの魂と言ってしまうような人なのだ。

 そのうち公道でも走り出しそうで怖い。頭文字がDの人は漫画だから許される。

 それでもため息一つで不調を振り払うあたり、護堂さんは流石だ。芸能人はそのくらい切り替えが早くないとやってられないのだろう。


「七夕なんて番組以外でやるのは子供の頃以来だよ」


 ヘルメットを喬さんに返し、私に笑いかけてくる。

 曖昧に笑い返すと、すっと隣に春史くんが並んできた。


「初めまして。護堂 衛士さんですね。ご活躍はテレビや雑誌などで拝見させていただいています」

「ご丁寧に、どうも。昼子ちゃん、こちらの方は?」


 目をすっと細めて、護堂さんが促してくる。

 そういえば、まだ紹介してしなかった。保育園に入る前にやっとくべきだろう。


「暮石 春史くん。私の友人です。で、花梨は知ってますよね。彼女の隣にいるのが烏丸 ラルフ。この家のバカ息子です」

「いらん説明つけたすな!」


 ラルフの怒声を聞き流して、二人……いや、春史くんに向かって護堂さんを紹介する。


「こちら、護堂 衛士さん。モデルで俳優の、私達の先輩にあたる方です。事務所は違いますけど」

「どうも。マルタオフィスの護堂です」


 丁寧に頭を下げる護堂さんに私達もつい頭を下げ返してしまう。前世がどうであれ、今世は日本人なんだなぁと実感する場面。

 紹介が終わった所で、喬さんが眉を軽く上げた。


「マルタオフィスですか。確か、烏丸グループが筆頭株主でしたね」

「えぇ。正確には総帥の真二郎氏が3割ほどで、グループが2割です」


 ……5割も株持たれてたら実質的に烏丸グループの下部組織なのではないだろうか。いやまぁ、烏丸があちこちの株持ってるのは驚くべきことじゃないけど。

 株の世界のことは良く分からないけど、多分他にもそういう企業あるんだろうなぁと察することはできた。前世でも似たようなことはあったし。


「マルタの株なら俺も持ってる。あとイエローエンジェルのも」

「……ただでさえ株主かつ大スポンサーのお宅にきて緊張してたんですけど、そうあっさり言われるともう感覚麻痺しますね」


 何の気なしに言うラルフに、護堂さんが乾いた笑いを返す。

 烏丸邸ではショックを受ける方が悪いのだ。もう何を言われても気にしないくらいのスルー精神が重要。

 実際に花梨は最初に来た時から単純に凄い凄いとはしゃいでいた。そういう純真な精神が烏丸邸では求められる。

 私や護堂さんにはもう無理だけども。


「ところで、保育園の七夕ってどういうことをやるんですか?」


 春史くんに聞かれ、意識を切り替える。

 そうだ、七夕をやりにきたんだった。うっかりするところだった。


「普通かな。短冊や飾りを作って笹に飾るくらい。あとはメイドさん達が作ってくれた笹餅や笹の木を割って作った台で流しそうめんを食べたり」

「流しそうめん、やったことないです」


 春史くんが思わぬところにくいついてきた。

 いつもと違って興味深そうに揺れる瞳が可愛くて頬が緩んでしまう。


「材料を執事さんが持ってきて、組み立ては皆でやるの。ちゃんと図面もあるから安心して」

「いいね。こう見えてDIYは得意なんだ、少しは力になれると思う」


 ひょっこり顔を出した護堂さんにビックリする。

 さっきまで喬さんやラルフと話してなかったっけ? と思ってみれば花梨を含めた三人でなにやら楽しそうに談笑していた。

 喬さん……この家初めての二人を私に押し付けて何してんの……?


「それにしても驚いたよ。烏丸グループの御曹司が友達にいたなんて」

「来ない方がよかったんじゃないですか?」

「とんでもない。久しぶりに童心に返って楽しめそうだよ」


 私の嫌味にも軽く微笑んで返してくる。

 こういうところ、護堂さんは大人だと思う。そのせいでこんなことになってるわけだけれども。


「護堂さんは、どういった経緯で白峰さんとご友人に?」


 いつもと少し違う声色。

 こっそり見上げた春史くんは、いつもと同じように微笑んでいたけれど何かが違って見えた。


「……君は、暮石くんだったね。大した事じゃないよ、何度か一緒に仕事をすることがあって。その時に俺の方から話しかけて、仲良くしてもらってるだけ」


 にっこり笑う護堂さんもいつものよそ行きの笑み……なんだけど。

 どこか普段と違うように見えるのは、私の錯覚なんだろうか。


「そうなんですか。あんまり白峰さんのお仕事のことは知らないんですが、同僚の方とはよく話されるんですか?」

「いや、花梨ちゃん以外とは全然。俺も最初の方はろくに話してもらえなかったよ」

「へぇ、学校にいる時とは少し違うんですね」


 にこやかに話しているはずなのに、なんか妙な空気を感じる。

 ていうか、私そんなに無愛想だったっけ!? 一応スタッフさんには挨拶してるし、共演する人にも礼儀正しく接していると思ってたんだけど……あれぇ?

 学校にいる時もそこまで違う気はしなかったんだけど。やっぱり他人から見ると違うのだろうか。


「昼子ちゃんは学校では友達が多いのかな?」

「いえ、ラルフや小町さん以外とはあんまり」

「へぇ、じゃあ君も苦労したのかな?」


 君も、って……まぁ確かに護堂さんは苦労させた記憶があるけれども。それは、花梨を狙ってるって思ってたからであって。

 春史くんも春史くんで、私が友達少ないって暴露しなくてもいいじゃん!?

 ていうか、私の頭の上でやり取りしないでもらえますかねぇ!?


「そういう苦労は、したことないですね」


 さらりと笑顔で言ってのける春史くんに、護堂さんの眉がぴくりと動いた。

 ……まぁ、そうだね。春史くんが転校してきた頃は花梨が率先して動いたり色々あって護堂さんの時みたいに近寄るなオーラ出してたわけじゃないし。

 だからといってすぐに仲良くなれたかといったらそんなことはないんだけど……いやでも、一か月かからなかったのはすぐと言えるのか。


「興味深いな。少し話を聞いても?」

「大した事じゃないですよ。ちょっとしたキッカケがあって、白峰さんに保健室で手当てしてもらって……それからですね」


 にっこり笑顔で詳細を話さない春史くんに、護堂さんが小さく笑い声を漏らす。

 でもなんかそれが悪代官のそれっぽく聞こえて、頭の上に疑問符が並びまくっていた。

 今何が起きているのか分からない。

 いや、護堂さんと春史くんが親睦を深めているのは分かるんだけど。

 でもこれ、親睦を深めているのか? なんか違うもの深めてない?

 じゃあそれが何かって言われると分かんないんですけど……お願いですから私のいないところでやってくれませんかね?


「そうなんだ。随分昼子ちゃんに気に入られてるんだね」

「そんなことありませんよ。護堂さんこそ、だいぶ仲が良いように見えます」


 ちがいますー! って叫びたかったんだけど、雰囲気に圧倒されて声がでない。

 お願いですから神様早くこの時間を過ぎ去らせてください。

 ラルフー、ラルフー! 今こそ空気を読まないあんたの出番よー!


「まぁ、デートした仲だからねぇ」


 そう言って護堂さんが私の肩に手を置いた。

 春史くんの笑みが深まった気がした。

 神様、私何か悪いことしましたか? しましたね、前世で。


「昼子ちゃんは私服も可愛いよね。見た目と違って派手なのが好きじゃなくて、清楚系なのがぐっとくるっていうか」

「そうですね。露出が少なめの服を好まれるんですよね。色合いも原色系じゃなくて淡色系や暗色系で。この前家に遊びにきてもらったんですが、名家のお嬢様みたいでした」


 ぴくりと護堂さんが頬を引きつらせる。

 春史くぅーーーーーん!? なんでそういうことさらっとバラすの!?

 いや、言っちゃダメってことはないんだけどさ! ないんだけど!! なんか今日の君は空気を読まなくないかい!?


「……本当に、随分親しいんだね?」

「護堂さんこそ」


 男二人が笑顔で見つめあってる。

 変な想像が捗りそうな現場だけど、私の胃はストレスでマッハです。


「おーい、何やってんだー? 準備するぞー」


 まるで緊張感のないラルフの声に、二人とも振り向いて返事をする。

 やったー! ラルフー! 信じてたぞー!!

 この微妙な空気をものともしないお前のバカさ加減を愛してるー!!


「それじゃ、行こうか昼子ちゃん」

「色々教えてくださいね、白峰さん」

「……はい」


 二人に引きずられるようにして、私はラルフ達がいる方へと向かった。

 七夕の準備を始める前から異様に疲れてしまい、できれば今日は楽をしたいと思いました……本当に。




 男手と女手に分け、私達は準備を始めた。

 男手は近くの倉庫から七夕用のプランターと土袋を運び出し、女手は笹と折り紙などの用具の用意だ。


 今までと違って春史くんと護堂さんという男手が二人も増えたおかげで、準備はあっさりと終わった。

 飾り作り用の台などを設置し終わったところで、園庭に繋がる掃き出し窓が開いて園児達が飛び出してきた。


「ラルフにーちゃんだーー!!」

「かりんねーちゃん!!」

「ひるこおねーさんもいるー!」

「みたことないやつがいるぞ!! はんざいしゃだ!!」


 置いてあった靴に足を突っ込み、我先にと飛び出してくる子供たち。

 毎年の光景ではあるが、本当に幼児というのはパワフルだ。加減を知らない。


「みんなー、お兄さんお姉さんの言うことをちゃんと聞いてねー?」


 保育士さんの注意に元気よく返事する園児達。その半分以上がただの反射であることを知らない内は子守りのプロにはなれないという。

 私達の中で毎年一番人気なのはラルフだ。元気が有り余っていて園児と同じ視点で遊べるからだろう。


 高校生にもなって園児と同レベルなのはどうかと思うが、花梨曰く子供心を忘れない素敵さがあるそうなのでもうそれでいいや。

 そして、恐るべき園児たちの中でも更にひときわ厄介なのが、誰よりも真っ先にラルフに突進し首元に縋り付いている女の子だ。


「ラルにぃ、今日もあたしにあいにきてくれたのね~!」

「おー、茜も少し大きくなったか?」

「もちろん! りっぱなれでぃよ!」


 久しぶりに会った親戚同士の挨拶みたいなのをしているのは、日村(ひむら) (あかね)。保育園児ながらかなりマセた少女であり、ラルフに恋をしている。

 それだけならまぁ、無害なのだが。

 精神的に早熟なのかなんなのか、花梨とラルフの関係に気づいているようなのだ。


「あいしてるわ、ラルにぃ!」

「そうだなー」


 他の子の相手をしていて空返事のラルフにも負けず、ほっぺにキスをする。

 そして、挑発的な視線で近くにいる花梨を見下すのだ。


 う~ん、前世でよく見た光景。まぁ、流石に保育園児くらいの年じゃなかったけれども。令嬢達の良物件探しにおいて、たまにある状況だ。

 まさに「ふふん」と鼻を鳴らしそうな茜ちゃんに対し、花梨は満面の笑みを浮かべた。


「相変わらず茜ちゃんはラルフくんが好きだね~」

「あったりまえでしょ!」

「ラルフくん、かっこいいもんね~」


 まるで同好の士を相手にするようなニコニコ笑顔の花梨を前に、茜が怯む。

 毎年のように繰り広げられる光景だ。

 ラルフラブが高まりすぎている茜ちゃんは毎回ラルフに突撃するんだが、当然ラルフには子供扱いしかされない。花梨に喧嘩を売るも、花梨にさえそう認識してもらえないのだ。


 私はいつもこの光景を見てこっそり心で涙を流している。だって、あまりにも悲しい。

 うっかり前世の傷も突かれている気分になる時もあって、切なさが止まらないのだ。


 茜ちゃん、頑張れ。

 そして早く現実を見つめて諦めるんだ。


 相反する思いを抱きながら見つめていると、茜ちゃんが私の方を向いた。

 一瞬視線が交わり、鼻でも鳴らしそうな勢いで顔を背けられてしまった。

 頑張って真っ当になって欲しい。七夕の切なる願いは届くというが、私のこの願いもどうか届いてほしいと思う。


「藍ちゃん、ご本はもうやめましょうね~?」


 ふと耳に入る保育士さんの声。

 そちらを見れば、本を手に持った幼女をなんとかして連れてくる姿が見えた。

 毎年の事だが、大変そうだと思う。


 本を小脇に抱えたその幼女は、日村(ひむら) (あい)。茜ちゃんの双子の姉で、本を読むことが何より好きという変わった幼女だ。

 その頭の良さは下手したらラルフや花梨よりも上で、相当に大人びている。七夕飾りにも一応参加するが、その理由が「保育士さんが可哀想だから」というヤバい園児である。

 放っておくと一日中部屋に籠って本を読み続けるらしく、七夕の夜に酒を飲んだ保育士さんに愚痴られることもたまにある。


 烏丸保育園における二大問題児、日村姉妹。

 ただの幼女でないことだけは一年に一度しか会わない私でも理解できた。


 まぁ、でも茜ちゃんと違って藍ちゃんに実害はない。少なくとも私達にとって。

 準備の邪魔もしないし、大人しく飾りは作ってくれるし。傍で見ている分にはいい子である。

 ラルフにまとわりついて遊びたがる子達に比べれば、可愛いものだ。


「ラルフにーちゃん、ボールあそびしようぜ!」

「ラルフにーちゃん、てつぼーやっててつぼー!」

「おうまさん! にーちゃんおうまさん!!」

「おぅ、任せろ!!」


 幼児たちに群がられ、調子に乗ったラルフが遊びまわる。

 あ、喬さんに頭を叩かれた。

 最強園児達も喬さんには逆らえないらしく、説教されながら飾り作りの台に連れてこられていた。


 保育園の七夕では、用意された笹に園児たちが作った飾りをつけてから短冊を書く。飾り作りを手伝わなかった子は短冊を書く権利がもらえないのだ。

 それが分かっているので、大体の子はすぐに台に来て飾りを作ってくれる。単純に色々道具を使うのが楽しい子も多いのだろう。

 そうじゃない子は、ああしてラルフにまとわりつくのだ。


「さて、皆さまは随分体力が有り余っていらっしゃるご様子。お一人二十個、飾りを作って頂きます」


 喬さんの残酷な宣告に、暴れたい盛りの園児たちはブーイングを浴びせる。


「えー!? なんでー!?」

「おれしってる! おーぼーっていうんだぞ!」

「つまんなーい!!」

「そうだそうだ! 二十個は多すぎるだろ!?」


 園児に混ざってラルフまでもブーイングに参加している。お前に高校生としてのプライドはないのか。

 是非彼を『フィールドのプリンス』などと名付けた人にこの光景を見てもらいたいものである。


「三十個がよろしいですか? ご安心下さい、飾る笹はまだまだご用意できますので」


 喬さんの冷たい視線に晒され、園児たちが黙り込む。

 渋々と言った具合に飾り作りに手を出せば、喬さんも丁寧に教えに回っていた。


「……いいんですか?」


 その光景を見ていた春史くんがこっそりと耳打ちしてくる。

 確かにあまり教育上よろしくない光景に見えたことだろう。


「大丈夫。毎年ああだから。そのうち飾りを作るのが楽しくなって、変にアレンジしたのを作るのよ。去年なんか、『有鱗戦隊オーダイジャー』のロボを作ってたわ」

「成程……」


 私の説明に苦笑して頷く春史くん。

 まぁ分かるけど、大体やらせたら楽しくなるのもあの年齢の特徴だ。喬さんの教え方は上手いし、変なものを作ろうとしても決して止めたりせず一緒になって作ってくれる。

 だから、園児達も本当に反発したりはしないのだろう。

 さっきのあれは、甘えみたいなものだ。


「さ、私達も手伝いましょう。子供たちに飾りの作り方を教えないと」

「それなんですが、僕は作ったことがなくて……」

「大丈夫」


 私はそのあたりにいたメイドさんを呼んで、マニュアルを持ってきてもらった。

 一通りの飾りの作り方や道具の使い方が載っているものだ。


「これを見ながらやればいいから。護堂さんもやってるし」


 そういって視線を向ければ、さっさとマニュアルをもらった護堂さんが園児達に作り方を教えていた。

 こちらの視線に気づいて軽く手を振られ、返さないわけにもいかず手を振る。


「……分かりました」


 少しだけ硬い声でそう言って、春史くんが作業中の台に向かう。

 今日はなんだか様子が変だ。

 やっぱり、こういう七夕行事は初めてだから緊張してるんだろうか。


 気になって園児達に教えながらも横目に見ていると、藍ちゃんが作業している席でなにやら教えていた。

 藍ちゃんは頭がいいし既に幾つも作っているから説明はいらないと思うんだけど、誰にでも丁寧なのが春史くんらしい。


 その時、何故か嫌な予感がした。

 藍ちゃんが春史くんを見上げる。

 その瞳が、潤んで揺れていた。

 俗にいう、『恋する乙女の目』というやつだ。


 ――マジで?


 心の中でだけ呟き、作業を教えながら観察を続ける。

 間違いない。熱く潤んだ瞳で春史くんを見上げるその顔は、恋を知った女の子のものだ。

 日村姉妹は揃って早熟だったのだろう。

 ていうかどんな教育したらこんな姉妹が育つのよ。ちょっと親出て来なさいよ親。


 いやそりゃ子供の時分は年上に憧れるものだけれども。春史くんの落ち着いた仕草なんかは大人って感じがしてグッとくるのも分かるけど。

 よりによって、どうして!?

 ある程度教え終わってから、それとなく偶然を装って藍ちゃんの席に向かう。


「春史くん、大丈夫そう?」

「えぇ、なんとか。日村さんは呑み込みが早くて驚かされます」


 薄く微笑む春史くんに、藍ちゃんが軽く首を振る。


「いえ、暮石さんの教え方が上手だからです」

「そんなことないよ、僕もこういう飾りを作ったのは今日が初めてなんだ」

「じゃあ、器用なんですね。すごいです」


 藍ちゃんと春史くんがにっこりと微笑み合う。

 ……いやちょっと待て、ほんとに園児かおまえぇ!?

 茜ちゃんや他の子と同い年とはとても思えない話しぶり。明らかに知能指数が違う言葉の選び方。

 ヤバい……何かわからないけどすごくヤバい!


「ところで、白峰さんは何をしに?」


 小首を傾げて聞いてくる藍ちゃん。

 なんだろう……なんとなく心臓がドキドキするんですけども。


「様子が気になって。春史くんは初めてだし」

「心配いりませんよ。白峰さんは他の子に教えにいってあげてください」


 にっこり微笑まれてるけど、これ絶対意味違うよね?

 前世的に考えるなら『邪魔だからどっか行け』だよね、これ!?

 いや……園児相手にそう考えるのもどうなんだ。ただ親切心で言ってるだけかもしれないし、そんな邪推するような真似は良くない。


「じゃ、僕もそうしようかな」

「あ、ちょっと待ってください。ここのところ、少し折りづらくて。教えてもらっていいですか?」


 腰を浮かせて離れようとした春史くんを藍ちゃんが引き止める。

 うん、これ確実にそうだよね? 間違いないよねこれ?


 ……いやいや、同じ文学の匂いがするもの同士、気があったのかもしれない。藍ちゃんの周りにはあまりいなかったタイプだろうし、懐くのも無理はないのでは。

 いくら前世と似た流れだとしても、園児に疑いをかけるのは以ての外だ。

 冷静になれ、私。


「それじゃ、ここは宜しくね」

「はい、白峰さんも頑張ってください」


 軽く手を振りあってその場から離れる。

 うん、これがベストだ。園児相手に何をムキになろうとしてたんだろう。全く、私も子供心が捨てきれていないな。


 ふと視線を感じた。

 振り向くと、藍ちゃんと目が合った。

 どう考えても好意的ではない、敵にでも向けるような目つきで私を睨んでいた。


 ――マジか?


 なんかもう、これはもう、アレか。

 姉妹だからね、中身は実はそっくりだったってオチかこれ!?


 キリキリ痛む胃を抱えて、なんとか他の子達に飾り作りを教えていく。

 ダメだ、私に花梨のような受け流し方はできない。あの子は天然だからアレができるんであって、私には無理だ。


 どうしよう。

 とりあえず今日をしのごう。

 何の解決にもならない先延ばしを心に決め、園児達と一緒に飾りを作っていった。





 立派な飾り付きの笹が出来た頃、私は無心になることに成功していた。

 変に考え込んでも仕方がない。今目の前のことを一生懸命やるしかないのだ。

 それっぽい言葉を並べただけの思考停止と変わらないが、とりあえず良しとした。


 日も落ちかけて、もう夕暮れ時だ。

 折り紙や道具を片付け、台を元の場所に戻す係と掃除をする係に分ける。

 すっかり園庭を元通りにした頃には、流しそうめんの材料が届いていた。


「ながしそーめーん!!」

「これながれる!? ながれるの!?」

「おっきくてながいやつ!」


 はしゃぐ園児達を抑えながら、一つ一つ組み立てていく。

 DIYが得意だと言っていた護堂さんは言葉通りに手際が良く、そのおかげもあってあっという間に流し台が組みあがっていった。


「護堂様は実に頼もしくていらっしゃいます。これから毎年来ていただきましょうか」

「……喬さん、それ本気で言ってます?」


 真顔で言ってのける喬さんに突っ込むと、「勿論です」と返されてしまった。

 仕事も忙しいし、そんな毎年来れる人でもないだろう。ていうか、毎年こられると私が持たない。なんか今日はすごく疲れた気がするし。


 出来上がるにつれて園児たちのテンションは上がっていき、組み立て終わって水を流す頃になるともう最高潮に達していた。

 試しに流した水に手を突っ込むわ水と一緒に駆け出すわもうどうしようもない。

 ただ、子供たちを止めようと思わないのも事実だ。


 少しだけ、羨ましい。こうしてはしゃぎまわって、楽しそうに過ごせるこの子達が。

 前世ではもちろん、今世でもこんなふうにはしゃいだ記憶は私にはない。だからだろうか、なんだかずっと眺めていたくなるのは。


 ガラにもなく感傷に浸っていると、隣に護堂さんが並んできた。

 なんだか気まずくて周りを見回す。


 ラルフは相変わらず茜ちゃんに縋り付かれ、他の子どもたちに絡まれている。その隣には花梨がいて、楽しそうに笑っていた。

 春史くんは水を流す役をやらせてもらっていて、その隣には藍ちゃんががっちりポジションを取っていた。


 頬が引きつる。


「面白いとこだね、ここ」

「……そうですね」


 笑いを含んだ護堂さんの声に、そちらの方を見ずに応える。


「この後は何やるんだっけ?」

「お焚き上げです。やぐらはもう組んでありますし、周辺の人達も笹を持ってきますから結構大規模になりますよ」

「……確か、そういうのって神社とかじゃないとできなかったはずだけど?」

「ここ、分社がありますから。神主さんも来ますよ」

「……ほんと、麻痺してくるね」


 しみじみ口にした護堂さんに頷き返して、短冊を幾つもぶら下げた笹を見る。

 飾り作りの最後に願い事を書いた短冊をつけるのだ。

 その中には、園児達のものだけじゃなく保育士さんのものも入っている。当然、私達のものも。

 願い事を見るのはルール違反な気がして、毎年私は見ないようにしていた。


「昼子ちゃんは、短冊に何を書いたの?」

「……普通ですよ。平凡なやつです」

「そっか」


 毎年、短冊に書くことは決まっている。

 『今年も無事に皆と過ごせますように』だ。

 それ以外に願うことなんて何もない。願っていいとも思わない。

 それ以上は、私には贅沢すぎる望みだ。


「俺は『もっと昼子ちゃんと仲良くなれますように』って書いたな」

「……やめてください」


 じろりと睨むと、護堂さんは楽しそうに笑った。

 短冊の願い事なんて他人に言うようなものじゃないだろう。

 しかも内容も酷い。他人に見られたらどうするのだ。

 こういうことがあるから、私は他人の短冊は見ないようにしている。見たら気まずくなるようなものだったらどうするのか。


「本心なのになぁ」

「余計困ります」


 間髪入れず返す私に護堂さんは笑みを深くする。

 私の反応を見て楽しむという点では、護堂さんはもう社長と同じ分類だ。

 私の事が好きだと言ったくせに、私に避けられたがるとはこれ如何に。


「じゃ、例の件はお焚き上げの時に話すとしようか」


 思わず隣を見上げると、護堂さんが私を見つめていた。

 妙に暖かな眼差しで、変に居心地が悪くなる。

 反射的にうつむいた私に、護堂さんは何も言わなかった。


 落ち着かない。護堂さんの視線が、胸のあたりをざわつかせてくる。

 なんだろう。嫌な気分ってわけじゃなくて、でも締め付けられるような。

 ごめんなさいって言葉が、喉元まで出かかった。


 何に対して謝ろうとしているのか、自分にも良く分からない。

 だから、なんとか飲み込むことができた。



 護堂さんが本当に短冊にそんなことを書いたのか、結局私は確認しなかった。

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