第三十一話
朝起きてベッドの上で無理やり体を起こして、スマホの通知音を聞きながら思う。
どうしよう。
昨日からずっとそれしか考えてない。
通知音はやっぱり護堂さんからのチャットで、いつものような朝の挨拶と試験に対する励ましのお言葉。
正直目の前に居たらビンタの一発くらいかましてた。
悪役令嬢気質が何も変わってないことに項垂れつつ、既読スルーして顔を洗いに行く。
護堂さんの説得は失敗した。
どうせだし友達も紹介してほしい、とかふざけたことを抜かしてきた時は断固拒否してやろうと思ったが、『俺達トモダチでしょう?』なんて先手を打たれて言葉に詰まった。
ほんっっっとイヤらしい。
どこでそんな手練手管を覚えたんだか。芸能界か。芸能界があの無口で実直なエッジを変えてしまったのか。
そもそも別人だというツッコミはなしで頼みます。
なんとか「私一人で判断できないので友人に尋ねてみる」と言って答えを先延ばしにしたのはいいが、状況は何も変わっていない。
ラルフや花梨にどう切り出そう。
春史くんにどう思われるんだろう。
案外皆平気な顔して「いいよー」って言うかもしれない。その可能性は結構高い。でもそれだと私がダメージを受ける。
だって、護堂さんを友達として紹介した日には「やっぱりあの噂は真実だったのか」ってなるに決まってんじゃん。
いや別にラルフや花梨はそう思わないかもしんないけど。私との付き合い長いし。
でも、春史くんとの付き合いはまだ半年にすら満たないのだ。
話せばわかってくれる……とは思うし、別に誰かに言いふらしたりもしないと思うけど。
なんだか、胸の奥がドロドロになって嫌な気分になる。
……これは、あれだ。まだアルフォンスの面影を見てるってことだよね。初恋の人に誤解されたくないっていう乙女心が胸の柔らかい部分をつつくのだ。
アルフォンスと春史くんは別人だって、何度も言ってるのに。
諦めも往生際も悪くて執着だけは人一倍な自分が嫌になる。そんなんだからヒルダの末路はああなったのだ。そのことをまだ反省していないと見える。
ため息をついて部屋に戻り、身支度を済ませる。
ダイニングに行くと、今日は我が弟は大人しく食卓についてくれていた。
「おはよう」
「……おはよ」
決して顔を合わせようとしない弟に、苦笑がこぼれる。
昨日からのこの態度の原因は、間違いなくあのネットニュースだ。
少し前に二股疑惑を賭けられた弟は、私の方こそやらかしてるだろうと言いたくても言えなくて不機嫌なのだろう。
違うんだよ、と説明したいけど私も何が違うのは説明しきれない。護堂さんに関しても説明しきれていない今、新たな火種について適当な言い訳を並べるのは難しい。
なので、早急に護堂さんと話をしたいのだが。
お父さんとお母さんとも挨拶をかわし、ご飯を食べる。お味噌汁が美味しい。私もできればこの味を出せるようになりたいなぁ。
料理はできて損はない。おば様のお手伝い然り、いずれ来る一人暮らし然り。
まぁ、そんな将来よりもまずは目先の問題なのだが。
ほんと、どうしよう。
お母さんには申し訳ないが、半分上の空で食事を終え、花梨を迎えに行く。
花梨と一緒に登校している時も上の空だったらしく、花梨に心配されてしまった。
「どうしたの? ひーちゃんねむい?」
「……ううん、大丈夫」
気づかわしげに見上げてくる花梨が超可愛い。
いっそ相談しようかと思ったが、言ったが最後だ。名前を伏せたところで、『その呼びたい人って誰?』と聞かれたらどうにもならない。
できるだけギリギリまで引き伸ばして、護堂さんにはその間に諦めてもらいたい。
……できるかどうかは別として。
そうして校門が見えたところで、ここ最近見慣れた人影が見えた。
門に背を預けて友達と喋っていたのを切り上げ、その人影は私に飛びついてくる。
「パイセーーーーーン!!!!」
ぼふっ、と私の胸に顔を埋めて頭をぐりぐりとこすり付けてくる。
まるで大型犬が甘えるような仕草だ。昨日の榎本さんとの違いに想いを馳せ、遠い目をしてしまう。
どうして私はああいうマトモな子からは怖がられ、こんな変な子には好かれるのだろう。
「……真希、どうしたの?」
「あーしら、社長にハメられたんすよーー!!」
天下の往来でアブない言動をするんじゃありません。
泣きの入った声で訴えられ、どうしたものかと思う。軽く周囲を見回せば、好奇の視線が思いっきり注がれてしまっていた。
そして隣の花梨は少し不機嫌そうに唇を尖らせている。そんな仕草も可愛いのがヒロインの特権なのだろうか。
「事情は聞くから、ここではやめなさい」
「人が来ないとこ、あーし知ってるっす!」
ぱっと胸から顔を上げて、ニカッと笑って見せる。
……元気そうね?
なんかもう捨ておきたい気分になったけど、話を聞かないわけにはいかないだろう。社長にハメられてるのは私も感じてるし。
軽くため息をついて、真希の頭をぽんぽんと叩く。
「案内なさい」
「りょっす!」
体を離し、真希は元気よく先導する。
その後ろをついて歩きながら、花梨に小声で話しかけた。
「ごめんね、先に教室行っててくれる?」
「……わたしも、ついていっちゃダメ?」
潤んだ瞳で見つめられ、うぐっと言葉に詰まる。
真希の話は何の事か具体的には分からないが、こないだの撮影で動画を撮っていた件に関係することだろう。
別に隠すようなことでもないし、花梨が来ても平気……だと思う。
「いいけど、面白い話じゃないよ」
「いいの、わたしだけ仲間はずれはイヤだもん」
ほっぺをぷくっと膨らませる。
愛らしさに満ち満ちたその仕草にうっかり微笑んでしまい、緩んだ顔を引き締める。
いけない、つい花梨に甘くなってしまう。前世の事もあって甘やかしてやりたいとは思うが、今は期末テストの最中だ。
余計な話でせっかく覚えた単語や公式を忘れられても困る。
「じゃ、今日の勉強会もしっかり頑張ること。それならいいわ」
「……ひーちゃんのおに~……」
鬼と言われても譲れないものはあるのだ。
渋々頷いた花梨の頭を撫で、ずんずん歩く真希に遅れないよう少しだけ足を速めた。
昇降口を横目に通り過ぎ、非常階段の脇を回るようにしてたどり着いたのは鬱蒼と茂る落葉樹によって光が遮られた校舎裏だった。
梅雨が明け夏がやってくるこの季節にあっても、葉と葉の隙間から木漏れ日が差しこむくらいでそれなりに薄暗い。
その薄暗さを利用して栽培されている植物が並べられたプランターが片隅にあって、立て札に『園芸部員以外立ち入り禁止』などと書かれている。
ここは確かに、青春真っ盛りの高校生が好んでくる場所ではなさそうだ。
真希の足がぴたりと止まる。同時に私達も足を止めた。
くるりと振り返った後輩は、申し訳なさそうな、悪戯が見つかった子供のような顔をしていた。
……ような、っていうか子供なんだけど。でも、この子がこんな殊勝な顔をするなんて珍しい。
「それで、社長がどうしたの?」
「……パイセン、怒らないっすか?」
くっと顎を引いて上目遣いに尋ねてくる。
まさに悪戯を告白して許してもらおうとする子供そのもので、そういえばこの子の前世もそんな顔をたまにしていたなぁと思う。
私が死ぬ頃には、一切しなくなっていたけど。
「内容によるわ」
「きびしっすー!」
泣きそうな顔で抗議されても、軽々しく不問にするなんて言うわけないでしょ。大体あんた前科アリなんだし。
でもまぁ、今回ばかりはこの子の責任は軽いだろう。しょうがない、温情を与えよう。
「怒るとしたら社長にだから、話しなさい」
「りょっす! 実はっすね――」
そう言って真希が話したのは、頭が痛くなるような内容だった。
先日のCM撮影現場に来ていたのは宣伝企画の為だが、編集にも社長から直々に注文があったという。
1.市松さんは絶対に映さない。ただし声のみはOK。
2.昼子が褒められているところを必ず動画に入れる。
3.月曜日までに必ず投稿する。
これら三つを厳守するよう、真希は言い含められていた。
三つともなんとなく事情を察せる内容だった為、真希は疑いもせずにそれらを実行したらしい。
そうしたら昨日の朝、例のネットニュースが出回った。
真希の動画の視聴者層は中高生が中心で、うちの学校の生徒もよく見ている。そして市松さんは幅広い女性層に人気で、熱狂的なファンも多い。
当然、この二つの層は被ることもあった。
そうなると、どうなるか。
ネットニュースの写真だけでは誰か判別できずとも、真希の動画を合わせればうっすらとその正体が見えてくる。
それで、昨日の騒ぎというわけだ。
……これ、どー考えても社長の策略だよねぇ!?
あのおっさん、何考えてんの!? 護堂さんとの噂だって断ち切れてないのに、どうしてそんな新たな火種っていうか爆竹放り込んでんの!?
ダメだ、あの人格破綻者の考えが全く読めない。
なんか私を玩具にして楽しんでるようにしか見えない。あー、頭痛くなってきた……。
流石にそれなりの規模の芸能事務所の社長がそんな暇人だとは思わない。思わないけど、あの社長ならあり得るかもしれないという疑惑が拭えない。
それについては、真希も同意見のようだ。
「なんか、理由があるとは思うんすけどー……あの社長っすから」
「そうね……社長だものね……」
二人して顔を見合わせ、ため息をつく。
人見知りをしない真希だがあの社長は苦手らしく、珍しく渋い顔をしていた。
まぁ、初対面の印象最悪だもんね。そりゃそーなるわ。
「大丈夫だよ、ひーちゃん」
予想外の言葉をかけられて、真希と一緒に思わず振り向く。
優しい笑顔をした花梨が、自信満々に言ってのけた。
「紫藤さんは、きっとひーちゃんの為にやったんだよ~」
「……そう?」
「うん!」
満面の笑みで頷く花梨に、私も真希も何も言えなかった。
花梨が言うんなら、きっとそうなんだろう。この子はそういうところ私よりもずっと聡いから。
でもそうなると、ますます理由が気になってくる。
これはもう、護堂さんに話を聞かないという選択肢がなくなった。
私の為だって言うなら、私をのけ者にするのはどうかと思うのよね。前世からそうだけど、知らないところでこそこそ動かれるのって嫌いだから。
そりゃあ事情があるんでしょうが、ならその事情を聞かせてもらわないと。
腹をくくった。どうにもならなかったら明日の昼頃皆に尋ねようと思ったけど、もう今日にしよう。
そう思った時、ふと閃くものがあった。
護堂さんだけを追加しようとするからアレなんであって、真希も一緒に連れて行けば薄まるんじゃないか?
話を聞いてはいさよならってわけはないだろうから、その後の相手を真希に任せれば変に邪推されることもないのでは。
我ながら名案だ。
「ねぇ真希、明日のテスト後って暇?」
「友達と七夕動画作る予定っす!」
嬉しそうに言う真希にがっくりと肩を落とす。
世の中そうそううまくはいかないか……仕方がない。
「そう。頑張ってね」
「りょっす!」
へんてこな敬礼をする真希に苦笑し、三人連れ立って校舎に入る。
だいぶ時間を使ってしまったので、早足で教室に入るのと同時にHRのチャイムが鳴った。
素知らぬ顔で花梨と一緒に席に着く。
今日のテストは、昨日よりはマシな精神状態で受けられそうだった。
「で、誰連れてくんの?」
小町家の自由部屋にて。
私と花梨で作った具沢山の焼きそばを頬張りながら、ラルフが何の気なしに言ってきた。
テスト期間中は午前だけで終わるから、こうして勉強会の前にお昼を食べるのだ。
丁度いいのでその時に七夕に一人知り合いを連れてきてもいいか、と聞くと三人とも普通にOKしてくれた。
肩の荷が下りた気分で食べ始めたところに、さっきの発言である。むせそうになったのを堪えた私を褒めたい。
周りを見れば、花梨も春史くんも興味深そうにこちらを見ている。
我が身の敗北を悟り、それでも最後の抵抗で小声で呟く。
「……護堂さん」
「誰だ?」
決死の思いで口にしたのに、ラルフのバカは首を傾げて不思議そうに言いやがった。
苛立ちの余り近くにあった消しゴムを掴んで投げる。
すぱこん、と小気味よい音を立ててバカの額に命中した。
「いってぇ! なんで!? 俺なんかした!?」
「……えっと、確かモデルの方でしたよね?」
「そうだよ~、たまにお仕事で一緒になることがあるの~」
ね~? と同意を求めてくる花梨に頷く。
ぶちぶちと文句を言うラルフを春史くんが宥め、「今人気のモデル兼俳優さんですよ」と説明してくれる。
そういえば、護堂さんが役者やってるとこって見たことないな。市松さんと仲良いぐらいだし上手いんだろうけど。
「で、その護堂ってのがどうして七夕に来んの?」
「……久しぶりにそういうのやってみたいって。あと、私の友達も見てみたいんだってさ」
適当に嘘をついて誤魔化す。
本当の事は言いにくいし、昨日の様子だと満更嘘ってわけでもないし。
それに結局、私が気になってるだけだしね。何も気にせずいてもなんとかなるんだろうけど、そういうの気持ち悪いってだけだから。
ていうか、一時期私と護堂さんって騒ぎになったのにラルフ知らないの?
こいつ本当にサッカー以外に興味ないんだな。あ、訂正、サッカーと花梨以外。
「ふーん。お前、俺達以外に友達いたんだな」
手近にあった消しゴムを掴み、アンダースローでぶん投げた。
がす、と小気味いい音を立ててバカの額に命中する。
「ってぇ!! なんで二回も!? なんもしてねぇだろ!?」
「いいから消しゴム取って。二個しか持ってないんだから」
「人に物投げつけといて言うことがそれかよ!?」
「早くして。勉強できない」
額を押さえながら渋々消しゴムを拾うラルフ。
差し出された二個の消しゴムを奪うように取って、食事を再開した。
「くそう、俺が何したって言うんだ……」
「いつまでもぐちぐち言わない。ほら、お肉あげるから黙って食べて」
大きめの豚バラ肉を幾つかラルフの皿にのせてやると、すぐに機嫌を戻して勢いよく食べ始めた。
ほんと、こいつは中学から――いや、下手したら前世から変わってない。食べ物で釣れば大体機嫌を直すあたりがそう。
ジェラルドもなんか嫌なことがあっても美味しい食べ物で釣れば機嫌を良くしていた。鶏肉とか、豚肉とか、牛肉とか。
なんでそれで太らないのかは前世からの不思議だ。
「ひーちゃんとラルフくんってほんと仲良いよね~」
「羨ましいくらいですね」
ほのぼのと花梨と春史くんが顔を見合わせて微笑み合う。
そんなんじゃないって。ラルフとは前世含めて付き合い長いから気楽なだけで。
今更花梨は誤解しないだろうけど、春史くんは……どうだろう。ちらりと見た顔は柔らかな笑顔で、どう思っているのかいまいちよく分からない。
さっきの羨ましいってのも社交辞令的なものだと思うけど……そうじゃなかったらちょっと嫌だな。
「私と花梨ほどじゃないわ」
「えへへ~♪」
受け流すように言えば、花梨が嬉しそうに笑った。
「おい、ちょっと待て! それはなんか納得いかねぇぞ!?」
「早く食べて。勉強が遅れるでしょ」
「お前、それでよくその護堂ってのと友達になれたな!?」
「ちゃんとしてる人にはちゃんと接するのが主義なの」
「俺もちゃんとしてるだろ!!」
あまりのラルフのおバカ発言に、全員が黙り込んだ。
その場の空気を流石に察したラルフが縋るような視線を花梨に向けるも目を逸らされ、ショックを受けている。
がーん、と効果音が付きそうな顔のまま救いを求めて春史くんに視線を向けるも、やや目を逸らされ苦しい笑みで迎え撃たれていた。
「ラルフは、いい人だと思いますよ」
「なぁ、ちゃんと俺の目を見ろ!!」
肩を掴んで揺すられ、春史くんは苦し紛れの笑みを浮かべる。
そんな二人を無視して、私と花梨は焼きそばを食べた。
久しぶりの四人での、他愛もないバカな会話。
それにものすごく癒されている自分がいる。できれば、いつまでもこうして楽しくやっていきたい。
市松さんには悪いけれど、やっぱり高校卒業までは拘束期間が長い仕事は受けないようにしようと思う。
とりあえず護堂さんの件もなんとかなり、その後は夕方まで勉強に励んだのだった。
テスト最終日。
この三日間で一番調子よくテストを終え、待ち合わせ時間を決めて一度家に戻る。
お昼ご飯を食べて着替えを済ませ、玄関で靴を履いている時に弟が声をかけてきた。
「烏丸んとこ行くの?」
「そう、七夕だから」
ローファーにつま先を突っ込み、踵を入れる。
手提げバッグの中に筆記用具があるのを確認して、ドアノブに手をかけた。
「夕太も行く?」
「……今年はいい」
首を振る弟に、残念、とこぼす。
七夕まつりは中学からの恒例行事で、去年と一昨年は夕太も参加していた。まー、やたらとラルフに噛みついたり子供に群がられて嫌な顔していたりと、夕太にとってあんまり面白いイベントじゃなかったみたいだが。
「家にいるの?」
「……ガッコの連中に誘われてるから、そっち行く」
そう言われて、ピンと来てしまった。
多分、あのコンビニ前で会ってた子もそこにいるんだろう。
手伝ってくれたお礼か何かで、一緒に七夕をやることになったのだ。そうじゃなきゃ、今年もこっちに来てるはずだし。
もしかして、それなりのあの子を気に入ってたりするのだろうか。
じっと弟を見る。
我が弟は見た目はいいが中身は中二病の上に意外と人見知りする。見知らぬ他人に気を許すことはまずなく、クラスメイトってだけで仲良くしようとするタイプでもない。
でも、あの子とは親しく会話しているように見えた。
それがどうというわけではないが、弟が社会復帰の道を歩んでいるようで姉としては嬉しい。このままだと人と接するのが苦手なまま大人になりそうだもんね。
「楽しんできなさい」
「……ああ」
笑顔でそう言うと、弟は頭をばりばりと掻いて、
「なんかあったらすぐ話せよ! オレに不可能はねぇからな!」
叫ぶようにそう言って、どすどすと足音高く部屋に入っていった。
ドアを閉める音がやけに力強かったけど、何をそんなに怒っているのだろうか。
思春期の男の子は難しい。
ふぅ、と息を吐いて玄関のドアを開けた。
待ち合わせ場所はラルフの家の前。
私が花梨を連れて着いた時には、護堂さん以外は全員集まっていた。
「よー、例の護堂ってのはまだか?」
「そうみたい。もうすぐ着くって」
軽く手を振ってきたラルフにチャットを見ながら返す。
春史くんの顔がやや引きつって見えるのは錯覚ではないだろう。
「驚いた?」
「……えぇ、すごく。烏丸グループのことは知ってましたけど……」
そうして振り返って見やるのは、私の身長の倍はあるかという高さの鉄格子の門だ。
その向こう、遠くにかすんで見えるのはまさに中世のお城といった感じの建物で。あれが普段ラルフが暮らしている屋敷だというのを聞いた時は爵位は公爵かな? とか思った。
それ以前に驚くべきは、その敷地面積。
門前に到着するまでに歩いてきた道の半分くらいは高い塀に覆われた烏丸家の敷地で、外縁を一周するだけでもその辺のランニングコース以上の長さだ。
確かにここは都心ではないが、そんなに田舎というわけでもない。
電車一本で都会に出ることはできる。地価だってそこまで安くはないはずだ。
春史くんの家はあくまで『お金持ち』の範疇だが、ラルフの家はそれ以上。まさに『王者』といって過言ではない。
実際にラルフのお母さんは元お姫様だから、冗談にしても笑えないのが素敵だ。
この恐るべき敷地面積の中に、人生を丸ごと面倒見れるほどの施設が詰め込まれている。
「驚くよね~、わたしも最初はびっくりしたもん~」
「小町さんも?」
「そうだよ~! 七夕だって、保育園の子達と一緒にやるとは思わなかったもん!」
「へっ!?」
春史くんがらしくない間抜けな声を上げて、目を丸くした。
慌ててスマホのカメラを起動して、写真を撮る。
ばっちり春史くんの驚いた顔が収められ、保存ボタンを押した。
よっっしゃぁっ!! 計画通り!
ナイス花梨、想定外の一撃を与えることにかけては右に出る者なし!
音に気付いた春史くんが振り向き、バツの悪そうな顔をする。
「春史くんも、そういう顔するのね」
「……えぇ、まぁ。あの、消して――」
「――ダメ。面白かったし」
そそくさとスマホを鞄に入れると、春史くんが苦み走った笑みを浮かべた。
春史くんのことだし、こうすればもう強く言ってこないだろう。記念の一枚なのだ、絶対に消してなるものか。
なんだかここ最近のストレスがすっと溶けていくようで、晴れやかな気分だった。
その瞬間、パシャッと音がした。
驚いて音がした方を向けば、無表情のメイドさんがスマホを構えてじっと佇んでいた。
「……喬さん?」
「お久しぶりでございます、白峰様。是非どうぞ私のことは『キョウ』でも『きっちー』でもお好きにお呼びください。友人からはたまに『きっこ』と呼ばれます」
「いやそういうのいいんで」
無表情のまま声のトーンすら変えず話すこの人は、乙継 喬さん。年齢は多分二十代だと思う。
ラルフの専属お世話係で、小学校からずっとラルフの面倒を見てきたという。
無愛想無表情ながらかなりの美人で、系統としては私と似ている。普通こうくると『無口』という属性も追加してくると思うのだが、この人は違う。
一方的にまくしたてるような話をする上に、あんまり人の話を聞かない。しかも恐ろしいことに可愛い女の子が好きで、男にはあまり興味がないらしい。
仕事はできるしメイド服も似合ってるしで、『デキる女』という空気感がものすごいのに、口を開くとかなり残念だ。
ちなみに、ラルフの家で来ているメイド服は実にクラシカルでヴィクトリアンなものだ。ミニスカとか胸元が開いてたりとか、そういう現代のアレ的なものはない。
「申し訳ございません。是非に呼んで欲しいと思う気持ちが先走りました」
「それはいいんですけど、さっき撮ったの消してくださいね?」
「ご安心下さい、クラウドストレージと本体両方に保存いたしました。白峰様の悪戯そうなあどけない笑みは非常に貴重でございまして、私も生涯に一度でいいから拝見したいと」
「いやそういうのいいんで消してください」
「白峰様が暮石様のお写真を消されましたら、私も倣います」
卑怯極まる提案に、ぐぬぬと臍を嚙んでしまう。
どういう交換条件だ。大体春史くんは関係ないじゃないか。
そう思って睨みつけるも、喬さんはどこ吹く風で無表情を崩さない。
これ絶対私が頷かないと思って言ってるな。喬さんは本当に仕事もできて頭もいいから厄介だ。
ラルフくらい単純ならどうにかできるのに。
「キョウさん! わたしにも見せて~!」
「はい、小町様。こちらにございます」
「やめて!」
腰をかがめて花梨に向かって差し出されたスマホを奪い取ろうとして、スカッと空を掴む。
そこから目にもとまらぬ早業で拘束され、花梨は喬さんのスマホを手に顔を輝かせていた。
「うわ~、ひーちゃん可愛い~♪」
「やめて! やめなさい!! いっそ殺して!!」
「大丈夫でございます。素敵な笑顔でございました」
喬さんに羽交い絞めにされたまま、ばたばたと手足だけで暴れる。
が、微動だにしない。こう見えて喬さんは護衛役も兼ねているから、武道にも通じていて並の男よりも強いのだとか。
ていうか、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど!? 私、そんな笑ってた!?
全然覚えがない自分の顔を写真に撮られた挙句他人に見られるのは拷問に近しい。いや撮られるのは慣れてるけど、あれは意識してるから!
「僕にも見せてもらえますか?」
「あ、俺も見てぇな!」
春史くんとラルフが花梨に近寄ってくる。
やめろ! ほんとにやめろ!! 死にたくなるだろ!?
と思った瞬間、体が自由になった。
慌ててバランスをとって花梨の方を見れば、喬さんがスマホを大事そうに抱えてポケットにしまっている。
「貴重な画像ですので、坊ちゃまの視線で汚される前にロックしておきます」
「汚れねぇよ!?」
「汚れます。無垢で純粋な笑顔を守るのが私の使命です」
「いつの間にそんな使命帯びたんだよ!」
「生まれた時からでございます」
ラルフに睨まれても一顧だにせず、喬さんはすまし顔で再び直立不動の体勢に戻る。
春史くんはさっきから苦笑しっぱなしだ。
まぁ、それ以外にどんな表情をしろと言われても困る状況なのは確かだけど。
「あー……かなり個性的な方なんですね」
「おほめにあずかり光栄でございます」
「褒めてねぇだろ!? ハル、お前ももっとはっきり言ってやれ!!」
「えぇ? いや、その、乙継さんとは会ったばかりだし……」
会ったばかりでなければ他の言いようはあったのだろうか。
多分ないだろうなぁ、と思いつつ三人のやり取りを見ていると、通知音が鳴った。
「やぁ、昼子ちゃん」
スマホを出すと同時に声をかけられ、振り向く。
以前私を送ってくれた車の窓から身を乗り出して、護堂さんが烏丸邸を見上げていた。
「時間は間に合ったよね?」
「はい、大丈夫です」
その場にいる全員の顔をぐるりと見て、一瞬護堂さんの動きがぴたっと止まる。
すぐに何事もなかったように私を見て、微笑んだ。
「それじゃ、車はどこに置けばいいのかな?」
「私が先導致します。ついてきてくださいませ」
答えに詰まる私の代わりに喬さんが進み出て、鉄格子の門を指し示す。
「分かりました、お願いします」
私に軽く手を振って、護堂さんがハンドルを握り直す。
喬さんが門のところにあるナンバープレートに暗証番号を入力すると、音を立てて観音開きの鉄格子が開く。
その内側にあったバイクに跨って、長い髪の上から喬さんはヘルメットを被った。
護堂さんに向けて手信号で合図して、喬さんがバイクのエンジンを付ける。
そう、喬さんは本当に何でもできる。バイクからトラックから果ては飛行機まで。何でも乗れると言っていた。
何もかもが半端じゃない烏丸邸は、従業員も半端じゃない。
そして、これから会う保育園児達も半端じゃないのだ。
今日が無事に終わるよう祈って、屋敷の方へ消えていく護堂さんの車を見送った。




