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第三十話

 いつの間に家に帰ってきたのか、本当に記憶にない。



 気が付いた時にはもう朝で、体がダルくて重いし頭も痛い。お酒の匂いだけで二日酔いになったのかなと思う。そういうことにしたい。

 思わずため息が漏れた。


 昨夜のことは可及的速やかに忘れたい。全て何もなかったことにして人生やり直したい。

 そう思ってるくせに、頭の中はずっとあのことを考え続けている。


 市松さんはなんであんなことをしたんだろう。

 変だ、とは思う。どう考えても私と彼の間にはそんな甘い空気なんてなかったはずだし、実際すんでのところで防いだのに残念そうな顔すらしなかった。


 アレは危なかった、マジで。

 あともう少し遅かったら本当にキスしてしまっていた。そりゃあ市松さんはドラマの撮影とかで慣れてるだろうけど、こっちはファーストキスなんですよ! あんなとこで不意打ちでもってかれてたまるか!!


 考え出すとなんか腹が立ってきた。ほんと、市松さんは私をムカつかせる天才だ。

 市松さんが私に気があるとは思わない。多分、いや絶対にそう。

 彼との関係性は先輩と後輩というか、友達のお兄さんというか、そういう微妙なやつのはずだ。私の勘違いでなければ。

 いきなりキスされるような間柄では、決してない。


 だというのに、何故あんなことをしたのか。

 なんとなくだけど、うちの社長が関わってる気がする。真希が来ることを知ってたあたり、あのバカ親父は市松さんと連絡を取ってるみたいだし。


 だったら何が狙いなのかと考えるけど、段々頭が痛くなってくる。頭の中を空っぽにしてごろんと寝返りを打てば、痛みは治まった。

 この頭痛は半分くらい精神的なものだと分かってはいる。


 市松さんに迫られて、不覚にもドキドキしてしまった。

 真剣に褒められて、心臓が跳ねた。綺麗な顔と艶やかな唇が近づいて、その先を想像してしまった。

 それが恥ずかしいやら悔しいやらで、もうどうにもならない。


「くぁwせdrftgyふじこlp!!!」


 でたらめに手足を動かして、ベッドのスプリングを軋ませる。

 すぐに自分は何をしているのかと恥ずかしくなって、ぼすんと枕に頭を沈めた。


 ため息が出る。

 心が忘れたがっているのだ。それを無理にあれこれ考えるから頭が痛くなるのだ。

 分かってはいても、うっかり考えてしまうのが私の悪い癖だ。


 今日はもう一日家にいよう。

 勉強会には行きたいが、皆の顔をマトモに見れる気がしない。特に春史くんと目が合ってしまったら心臓が止まるかもしれない。

 何もそこまで気にする必要はないんじゃない、と冷静な私は呟くのだが、そんな割り切れていたら前世で悪役令嬢になどなっていないのである。


 感情がどうにも静まらない。あんなの芸能二世のお遊びだと切り捨てればいいものを、それができないでいる。

 だって、あの時褒めてくれたのは本気に聞こえたから。


「あぁぁううぅぅいぃぃぃぃぇぇ……」


 自分でも良く分からないうめき声をあげて、ベッドから起き上がる。

 とりあえず、顔ぐらい洗おう。シャワーも浴びたい。そして何も考えずに寝たい。

 明日は学校で期末試験なのだ。せめて精神状態くらい整えないと花梨じゃなくて私に悲惨な結果が待っている。


 ゾンビみたいにのろのろと部屋の扉を開け、ダルい体を引きずって洗面所に向かった。

 その日、私は初めて護堂さんからのチャットを完全に無視してしまった。




 夜中に目が覚めた。流石に寝すぎたらしい。

 もう一度目を閉じても眠れず、ごろりと寝返りを打った。

 なんとなくスマホを手に取って画面を付けると、チャットの通知が怒涛の勢いで表示された。


 護堂さんに花梨にラルフに春史くん。全員が私を心配する内容のチャットを送ってくれていた。

 胸の奥がじんわり温かくなる。こんなに心配してもらえるのは、前世じゃ考えられないことだった。


 強くありなさいと言われ続け、体調を崩すのは管理ができていない証拠だと怒られることもあったから。

 改めて恵まれている今世に感動しながら、返信していく。本当のことは絶対に言えないので、『撮影の疲れが出た』とかのなるべく当たり障りなく納得してもらえる内容で。


 夜中だから誰からも返事はこないだろう、と思っていたら。

 打ち込んですぐに、春史くんと護堂さんから返事があった。

 春史くんは『良かったです。明日は試験ですしゆっくり休んでください』という普通のものだったけど。


『直哉の件は気にしないで』


 護堂さんから送られてきたのは、そんな意味ありげなものだった。

 まるで私が何に悩んでいるのか知っているような。

 そういえば、市松さんについて詳しく教えてくれなかったことを問い詰めてやろうと思っていたんだった。


 なんだか胃のあたりがムカムカしてくる。

 この感覚は覚えがある。前世で、私の婚約者がジェラルドになった時。

 両親が勝手に決めて、勝手に話を進めていた。貴族の結婚なんてそんなものだと分かってはいたけれど、私に一言もない清々しい姿勢に実は腹が立っていたのだ。


 この苛立ちを全部ぶつけてやろうと思って、でも上手い言葉が思い浮かばなくて、


『無理です』


 と一言だけ送った。


 前世じゃ人を煽る言葉も罵倒も湧き出る泉のごとくすらすら出てきたものだけど。

 今世はあんまり人と関わらなかったからか、才能が枯れてしまったようだ。持っててもしょーがないものだから、別にいいけど。

 ため息をついてスマホを放り投げ、寝返りを打って、


 電話が鳴った。


 慌ててスマホを掴んで、取りこぼして、また掴む。

 発信者のところには、『護堂さん』の表示。

 どうしようかと迷って、結局は無視することもできずに通話ボタンを押した。


「……もしもし?」

『少しいい? 話がしたいんだけど』


 少し焦っているように聞こえるのは気のせいだろうか。

 どんな顔をしているのか想像しようとして、うまくいかなかった。


「いいですよ」

『直哉に何されたの?』


 被せ気味に聞かれて、電話越しなのに軽く身を引いてしまう。

 語気が強いというか、詰問されてるみたいでちょっと言葉に詰まる。

 私が黙ったのを何の意味に受け取ったのか、スマホの向こうでじっと息を殺して待つ気配がした。


 ……悪戯してやろうか。この前からなんか振り回されっぱなしだし、少しストレスも溜まってる。

 護堂さんが何か知りながら黙ってたのは明白だし、このくらい許されるだろう。


「キスされました」


 息を呑む気配が伝わってくる。

 こっちまで緊張するくらいピリピリしてきて、やめた方がいいのに続けてしまった。


「初めてだったんです」

『……ちょっとごめん』


 電話を切られそうな気配がして、慌てて止めた。


「え、あの、何するつもりですか!?」

『直哉のところに行ってくる』


 声の感じが一片の冗談も見受けられないほど本気で、まさか喧嘩でもしにいくつもりじゃないだろうなと思ってしまう。

 いやまぁ市松さんは是非一発くらい殴られて欲しいけど私の悪戯が原因ってのはちょっとやってしまった感がするので止めて欲しい!


「じょ、冗談です! されてません! 未遂です!」

『てことは、されそうになったんだ?』


 的確な指摘に言葉が詰まる。

 なんで頭にきてそうなのにそんな冷静なの!? また私からかわれてる? しかもなんか私が悪いみたいな詰め寄り方じゃない!?


 護堂さんの声は不機嫌そうで、責められている気分になる。

 私は被害者ではなかろーか……何故そんなふうに言われなきゃならないのだ。


「そうですけど?」


 だから何か? と言わんばかりに返すと、今度は護堂さんが言葉に詰まった。

 私のこのイライラした気持ちが伝わってくれましたかね?


『……ごめん、直哉には俺からも言っておく。まさかそんなことするとは思わなかった』

「そうですね、私も驚きました」


 基本他人に興味なしって感じだったのに。

 護堂さんにとっても、驚くべきことだったらしい。


『何回も言うけど、気にしなくていいよ。もう直哉は何もしないと思うから』


 その言い方でほぼ確信してしまった。

 市松さんのアレは、やっぱり何か理由があってのことなのだ。


「……前から言いたかったんですけど。護堂さん、何か知ってますよね?」


 ぎくりとする気配が伝わってくる。

 護堂さんにしては珍しい反応だけど、市松さんがキス未遂やらかしたって聞いて隙ができていたんだろう。

 親しい仲だっていうのは本当みたいだし。一応、その……私は告白した相手であるわけで。その私に市松さんがやらかしたのが結構効いてるんだと思う。


「市松さんのことも、昨夜のことも本当は知ってたんじゃないですか?」

『いや! ……直哉がしたことは、本当に知らなかったんだ。嘘じゃない』


 真剣な声音で話されると、私の疑念も揺らいでくる。

 疑ってばかりもなんだし、ここは護堂さんの言い分を信じよう。


「じゃあ、何も知らなかったんですね?」


 そう言うと、護堂さんはしばらく何か考えるような間を置いた後で、


『……期末テストが終わった後に、会って話せないかな?』


 真剣な声で尋ねてきた。


 いいのかな、と思う。真希の件以降、ほとぼりが冷めるまで二人で話したりするのは止めようということになったのに。

 けど、護堂さんがこういうってことは何か考えがあるってことだろう。ラルフと違って考えなしじゃないし。


 前世の頃から、エッジのそういう慎重なところは変わらない。

 その上で、私に話してくれることがあるのなら聞きたかった。


「分かりました」

『うん、ありがとう。それじゃ、また連絡する』


 通話が切れて、一つ息を吐いてスマホを置く。

 壁にかかったカレンダーを眺める。


 期末テストは三日間。七月四日から七日まで。

 七月七日。期末テスト最終日は七夕だった。




 朝の目覚めは、昨日よりはマシだった。

 この調子ならテストも普通に受けられそうなのはいいんだけど。昨日よりも悪くなったことが一つだけある。

 それは、周囲の視線だ。


 父も母も私に話しかけたいような、気遣うような視線を向けてくる。弟に至っては何をそんなに怒っているのか、私の顔を見るなり食事を切り上げて学校に行く始末だ。

 これには私もショックを受けた。

 慌てて後をつけて、


「もう学校行くの?」


 と尋ねれば、


「あぁ」


 とぶっきらぼうに答えられてしまった。

 ショックが大きい。


 何かそんなに夕太に嫌われるようなことをしたのだろうか。

 昨日一日部屋に籠って相手しなかったから?


 いやでもそれは勘弁してほしい。私だって毎日元気に生きるのは難しいのだ。

 あんなことがあった後だし、一人になる時間くらい欲しい。


 でも、そのくらいであんなに怒るだろうか? なんだかいつもと様子も違う感じもする。

 首を捻りながら花梨を迎えに行けば、この子はいつも通りだった。


 ほっと一安心……してはいけないかもしれない。

 前世からそうだが、花梨はどうにも世間の事に疎いのだ。おば様も花梨の母親らしくそういうことに興味がないので、あんまりバロメーターにはならない。


 内心の疑念を押し込めつつ花梨と一緒に登校する。

 すると、学校が近づいてウチの学校の生徒が増えるにつれ、周囲の視線が私に集まっていることに気づいた。


 疑惑と困惑の混ざった視線。時折前世に戻ったのかと勘違いするような敵意満載の視線を感じることもあって、そういう視線の元は大体女子だった。

 何がなんだか分からない。でも、嫌な予感はすごくする。


「なんだかみんな感じ悪いね~?」


 眉をひそめて花梨が呟く。

 私に向けられる視線の意味に気づいているのだろうか。それとも、ただ私が不快な思いをしているから庇ってくれているのか。

 どちらにしても、嬉しいことに違いはない。


「たまにあることよ」


 そう言って微笑むと、花梨は唇を尖らせつつも頷いてくれた。

 そう、この程度はたまにあるのだ。中学生の頃から、何度か味わったことがある。


 特にラルフと仲良くなったあたりには毎日のように浴びせられたものだ。それを思えば、このぐらいなんてことはない。

 ……原因が分からないのが、不安要素ではあるけど。


 周囲の視線を無視しながら花梨と連れ立って教室に入ると、全員の視線が一斉にこちらを向いた。

 ちらりと春史くんを窺えば、こちらに背を向けて勉強をしていた。


 あー……なんか覚えがあるなー、この状況ぉ……。

 ぼやく暇もあればこそ、視界の片隅で榎本さんと友人二人がこそこそと話しているのが見えた。


「ほら、あやか、早く!」

「えぇっ!? ちょっと、いくらなんでも今回はっ!」

「お願いっ! あやかぐらいしか姫様に話聞けないの!」


 声を潜めているつもりでも、案外耳に入ってくるものなんだよね。前世でそれは良く知っている。

 ていうか、姫様って。『白蛇姫』からの略称なんだろうけど、私には似合わないんじゃない? 花梨の方が百倍似合うと思う。


 そんなことをぼんやり考えていると、榎本さんと目が合ってしまった。

 冷や汗を流しながら引きつった笑みを浮かべ、スマホを胸に抱きしめている。

 その隙に友人二人に背中を押され、たたらを踏みながら私の方に寄ってくる。


 転んでも可哀想だと思って受け止めてあげた。

 榎本さんの可愛いお団子頭が、ぼふっと私の胸に埋まる。


「ごっ、ごごごごごごめんなさいいぃぃぃっ!!」


 脱兎の如き速さでがばっと身を離し、ぺこぺこと頭を下げてくる。

 ……いや、女同士だし、知らない仲じゃないし別に怒ってないんだけど。

 半泣き状態の榎本さんは本人の苦労性な気配と相まって庇護欲を刺激される。こんな子に怒れる人はいるのだろうか。いるとしたらヤのつく自由業の人くらいだと思う。


「別にいいわ。それで?」


 話を促してみると、半泣き状態でヤケクソの笑みを浮かべ、榎本さんはスマホを差し出してきた。

 びしっと腰を90度に曲げて捧げ持つように見せられたスマホに表示されていたのは、



 昨夜のキス未遂の写真だった。



 余りの事に硬直し、怒りなのか困惑なのか悲しみなのか殺意なのか良く分からない感情が全身を支配する。

 まるでヒルダみたいな氷の空気を発していることは分かっているが、制御できなかった。


 正確に言うと、その写真は市松さんの姿ははっきりわかるけど、相手の姿は髪先くらいが映っているだけで良く分からない。

 随分と構図に注意して撮られたのだろうそれは、タクシーさえろくに映っておらず、市松さんが誰かとキスしているということだけが分かる写真だった。


 一応その『誰か』もなんとなくの髪型と髪色くらいは分かる。そのぐらいでは何も知らない人が個人を特定するのは不可能だろう。

 だが逆に、私を知る人ならばその『誰か』の正体を類推することはできる。

 証拠不十分で誰だとはっきり言うことは憚られても、友達同士で噂しあうくらいはできるだろう。

 今朝からの視線の原因が、ようやくわかった。


 よく見れば、それはネットニュースに掲載された写真のようだった。文明の発展がもたらすものは光明だけじゃないなぁ、と混乱する頭の片隅で変なことを考える。

 これが前世だったら、写真なんて証拠は残らないし新聞もなかったから口コミでしか広がらないしいくらで誤魔化せたんだけどなぁ。

 情報の伝達速度が上がることはいいのか悪いのか、なんて政治的な話を考えるのは紛れもなく現実逃避であって。

 この写真を撮ったパパラッチはSA☆TU☆GA☆Iしても許されるだろうと思うんだけど、何故か嫌な予感が止まらない。


 これ、市松さんが変な様子だったのと繋がったりしないよね? 護堂さんが何か知ってるみたいだったのと関係してたりしない?

 ただの直感だったそれらがあながち間違ってもいないように思えてきて、頬が引きつった。


「し、白峰さんじゃ、ない……よね……?」


 腰を曲げたまま顔を上げた榎本さんは、多分私と同じ顔をしていた。

 皆はどういう答えを期待しているんだろうか。多分違うと言えば引き下がるだろうけど、どうせこそこそ噂話をするに違いない。

 そうだと言えば色めきだって大声で話し出すだろうし、私に向けられる敵意満載の視線も大増量セールになることだろう。


 どちらにしても、榎本さんは青ざめた顔をするんだろうけれど。

 引き金を引いた者の責任は重いのだ。例えそれが誰かから半分強要されたものであったとしても。

 私としてもどう答えていいものか分からず、とりあえず笑ってごまかした。


 否定するのは簡単だけど意味があると思えないし、後々打ち上げのこととかがバレたら余計面倒なことになりかねない。

 曖昧に微笑んで、花梨と一緒に自分の机に向かう。


 榎本さんはふらふらと友人たちの下に戻り、体力も気力も使い果たしたようにがっくりと項垂れていた。

 これから試験なのに大丈夫だろうかと思うが、自己責任の範疇だろう。もしも成績が悪くなったりしたら私でなく友人達の方に責任を取ってもらって欲しい。


「ひーちゃん、大丈夫?」


 気づかわしげに花梨が声をかけてくれる。

 例えさっきの答えがどっちだとしても、花梨は私の味方をしてくれるんだろうな。そう思うと、引きつっていた頬の筋肉が緩んでいく。

 ほんと、今世の私の癒しだわ。それだけに前世の罪が重い。


「大丈夫。よくあることよ」


 そう、こんなの芸能界じゃよくあることだ。

 ゴシップ雑誌にはその手の話題や写真が山ほど載っているし、フェイクニュースだってネットにはあちこちにバラまかれている。

 その中の一つに混ざっただけだ。大体、前世じゃ私のよからぬ噂なんてそれこそ二束三文レベルであったものだ。


 今世でも小学校中学校とそれなりに噂の的にはなっている。規模が違うと言えばそうだが、前世と比較すれば規模は同じくらいだろう。

 そう考えると、私って結構無敵だ。なんでも前世と比べればマシだと言い張れるんだから。

 ……多少、強がりが混ざっていることは否定しない。


「それより、試験に集中しなさい。赤点は許さないからね」

「ひーちゃんのおに~!」


 教科書とノートを見直すよう促すと、花梨は涙目になりながら鞄から取り出した。

 こればっかりは花梨に嫌われ……嫌われて……嫌われても! 優しくしてあげることはできない。将来に関わってくるのだ。


 どうせラルフと結婚するんだろうけど、烏丸グループは巨大多国籍企業(コングロマリット)。その若奥様の頭が高校赤点レベルなのは頂けない。

 まぁ、花梨は芸術系の才能とセンスが半端じゃないのでそれでどうにかはできるだろうけど……老婆心というやつだ。


 私も教科書とノートを取り出す。できれば頭の中をテストの事で染め上げて、他の事は全部追い出したい。

 大体なによあの写真。めちゃくちゃ狙ったようなタイミングで狙いすました構図でさぁ! あたかもそういう展開になることが分かり切ってたみたいな撮り方じゃん!?


 そこまで考えて気が付いた。

 もしかしたら、本当にそうなのかもしれないって。


 でも、だとしたら理由が分からない。

 私と市松さんのゴシップ写真を撮ってばらまいて、何の得があるのか?


 大体、そうなるとうちの社長と市松さんは確実にグルってことになるわけで。そこに護堂さんも入ってくる気が。

 ……あぁ、なんか頭の中が茹ってきた。一発ぶん殴りたい。三人全員一列に並べてビンタして回りたい。


 落ち着け、私。とにかくテストだ。

 それに、テストが終わったら護堂さんと話し合う予定なのだ。そこで聞けばいい。そうしたら今感じてる疑問のせめて半分くらいは解決するだろう。

 こっそり深呼吸して怒りを吐き出し、ノートを開く。


 チャットの通知音がした。

 グループチャットの方に春史くんから書き込みがあったらしい。


『今日は勉強会やりますか?』


 春史くんらしい端的だけどぶっきらぼうではない言葉選びに、少し笑みがこぼれる。

 なんだかここ最近別世界に連れ込まれたみたいだけど、私が生きる世界はこっちなのだ。それを思い出させてくれる。


 華やかな場は前世で十分堪能した。今度は普通の幸せというものを感じたい。

 記憶が戻ったあと、なんだかんだあって落ち着いてから私が出した結論がそれだった。

 ……スカウトに乗ったりとか、それに反する行動をしている自覚はあるけど。


 早速返事をする。


『やりたい』


 これは本心だ。ここ最近ろくに勉強時間が取れなかったし、一夜漬けとはいえやっておくに越したことはない。

 すぐに花梨とラルフからも返事が書き込まれて、勉強会をやることになった。今日は暮石家で、明日は小町家。

 顔を上げると花梨と目が合って、二人で微笑み合う。


 ふと視線を感じてそちらを向くと、春史くんがこちらを見ていた。

 その目がなんだかすごく優しくて、なんだか恥ずかしくなってくる。

 小さく手を振れば、軽く笑って手を振り返してくれた。


 ……さっきの騒ぎ、まさか気づいてないってことはないよね。常識的に考えてありえないか。

 てことは、春史くんもあの写真のことは知ってるんだろうか。多分知ってるだろうな。私に直接聞くほど噂になってるなら、誰かが彼にも話しただろうし。

 それでもこんな対応をしてくれるってことは、気にしてないんだろうか。


 まぁ、私が誰と付き合おうが春史くんには関係ないしね。だって大事な『友達』であってそれ以上でも以下でもないんだし。

 ……こんな時、アルフォンスだったら怒ってくれるかな。私を問い詰めてくれるかな。

 いや、普通に笑って『仲の良い人が出来たんだね』とか言ってくるかもしれない。その可能性がだいぶ高い。

 そういうところ、本当に春史くんはアルフォンスの生まれ変わりだと思う。


 あ、ダメだ。なんかすごくイライラしてきた。

 市松さんと会ってから妙に感情の抑制が利かないことが増えた気がする。あの人のあけすけっぷりに引きずられているんだろうか。

 あの人、嫌なことは嫌ってはっきり言うタイプだもんね。私は逆に何でも曖昧にしてしまう。前世の癖ってのもあるけど、今世もそうだってことは人格的にそうなのかもしれない。


 自分のこういうところは、そこまで好きじゃない。

 だから、前世でも今世でも花梨の真っ直ぐで意外とはっきり言うところを羨んでいるのかもしれない。

 それが前世と今世で全く逆の対応になってるのが笑えるけど。


 嫉妬と憧憬は、実は表裏一体だったりして。

 バカなことを考えていると、またグループチャットの通知音がした。


『テストの最終日って七夕だろ? 終わったら俺んちで遊ぼうぜ!』


 ラルフからだった。

 これは毎年恒例のお誘いで、七夕はラルフの家で短冊を飾ったりすることになっているのだ。

 ちなみに、ただ七夕飾りを作るってだけじゃない。

 烏丸家の敷地内にある保育園の行事として一緒にやるのだ。


 うん、言いたいことは分かる。『敷地内にある保育園』って何語だよ、と思うかもしれない。残念ながら日本語です。

 超スーパーお金持ちである烏丸家は、敷地内にありとあらゆる施設があるテーマパークみたいな家なのだ。

 保育園、神社の分社、プールに植物園みたいな温室。運動公園やゴルフの練習場まであって、家で人生が完結するじゃんと突っ込んでしまったこともある。


 母屋となってるお屋敷はシンデレラ城かよと突っ込みたくなるし、離れ扱いの別棟もマンションかよと突っ込みたくなる。

 実際に離れの一つはお屋敷に務める人達の居住区でもあり、要するにこの現代において住み込みの使用人という中世みたいなことをやらかしているのだ。


 あぁでも、実際には使用人じゃないよ。『クロウ・ハウスキーピング』とかいう会社の従業員で、れっきとしたサラリーマンだ。

 ただ、色々あった結果の悪ノリというかなんというかで、女性はメイド服、男性は執事服で仕事してるんだけど……。


 それはともかく。その人たちの子供を保育する場所が必要だってことで作られたのが、『烏丸保育園』だ。

 烏丸家の敷地内にあるけど、周辺住民の方々も入園していたりする。これも地域貢献の一環らしい。ラルフからそんな話を聞いた。

 そんなわけで、七夕は毎年その保育園で一緒に七夕まつりをしているのだ。


 了承の返事を打ち込むと、花梨からもOKが出る。

 春史くんは『楽しみです』なんて返事していたけど、当日はびっくりすることだろう。うーん、これは言わないでおこうかな。だって。驚いた顔を見てみたい。


 ラルフが上機嫌で全員参加を確認し、『今日のテスト頑張ろうぜ!』と気合を入れる。

 文字だけなのに表情の想像がつくのは、付き合いが長いからなのかラルフが単純なだけなのか。

 後者だということにして、チャットを閉じた。


 よし、でもこれでやる気が出た。

 テストを頑張って勉強会をして、全部終わったら子供たちと七夕だ!


 張り切ってノートを見直していると、チャイムが鳴る。

 決戦の火ぶたは切って落とされた。




 テスト最終日に護堂さんと会う約束をしていたのを思い出したのは、花梨と一緒に帰る準備をしている時だった。

 どうしよう。

 七夕まつりの前にちょろっと会って話す?

 そんなにすぐ終わる話か分からないし、用事があるから早く話せって言うのも流石に失礼極まりない。


 どうしよう。

 ここは素直に話して別の日にしてほしいって言うべき? それしかないよね? 他にいい方法ある?

 勉強会の最中もずっと考え続けて、結局何も思いつかなかった。

 こんなことラルフにも花梨にも、勿論春史くんにも相談できるわけはなく。

 別れ際、ラルフが意味ありげに、


「何かあったら相談しろよ。俺も花梨もハルも力になるから」


 と良いこと言ってくれたけど曖昧に頷くことしかできなかった。

 どうしよう。

 とりあえずもう正直に言うしかない。

 そう思って、夜になって七日のことについて詳細を決めたいと言う護堂さんからの連絡が来た時、全てを話した。


「だから、別の日にしてもらえませんか?」


 そう頼んだ私に対して、護堂さんは思いもよらぬことを言った。


『その七夕まつり、俺も参加していいかな?』



 どうしよう。



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