表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/50

第二十七話


「好きですよ」


 胸を突き破りそうなくらいに心臓がバクバクと音を立てる。

 前を見ているはずなのに何も目に映らない。

 手足が自分のものではないような感覚。神経が全部切り離されて、勝手に動いて勝手に握る。


 口が滑った、で許してもらえるだろうか。

 肝心な時はいつも、考えなしの言葉が出てくる。


「友達として」


 頭に集まった血が一気に引いて、冷静さが戻ってくる。ふわふわしていた意識が落ちてきて、ようやく自分の意思で手足を動かせるようになった。


 あっぶなーーーー!! 何口走ってんだ私ぃ!?


 まだ前世との錯覚が残っていたのだろう。リリィにアルフォンスについて聞かれたみたいな気分になったのだ。

 前世では口に出したくても決して出せなかったことが、ついうっかり漏れ出たのだと思われる。所謂、未練というやつだ。

 前世と今世は別だと口では言ったものの、頭ではまだ納得しきれていなかったらしい。我ながらひどいザマだ。

 まぁ、なんとかギリギリセーフ。ちゃんとフォローできた私グッジョブ。


 小百合さんは何も気にせず一つ頷いて、


「昼子は、小町好き?」


 どういう意味か理解するのに数歩進む分の時間がかかった。

 小町。花梨の苗字。なんでいきなりそんなこと聞かれるのか分からない。

 答え辛い質問を連続で投げてくるのは勘弁してほしい。


「好きですけど……どうしてです?」


 聞き返してみると、小百合さんは少し黙ってから、


「小町文吾(ぶんご)直木賞返上事件」


 この世で二番目に聞きたくない言葉を投げかけてきた。


 いやぁぁぁぁ!! やめてぇぇぇ!!! もう三年も前のことなのに!! ゆっくり忘れられるはずのことなのにぃ!!!


 絶望に満ちた胸中を悟られまいと努めて平静な態度を心がける。

 本当なら叫び散らかして地面をごろごろ転がりたいくらいだが、全力で我慢する。

 人として恥ずかしいのもそうだが、何でもない顔をしないとこういうダメージは長続きするのだ。ほとぼりを冷まして何もなかったことにするのが一番。


「……よくご存じですね」


 小百合さんはこくりと頷く。


「調べた。『白蛇姫』は昼子のこと?」


 抵抗するのももはやバカバカしく、力なく頷いた。


 小町文吾直木賞返上事件。長ったらしい上にそのまんまのネーミングだが、一時期は新聞の一面を染め上げたほどの事件だ。

 要約すると、直木賞選考委員の一人にセクハラスケベ親父がいて、直木・芥川賞の授賞式で花梨に痴漢を働こうとしたのだ。テレビ中継されてるその場で。


 そのことに激怒した花梨のお父さん――小町 文吾(ぶんご)氏がその場で直木賞受賞を返上し、家族全員で会場を辞した。

 まさにお昼のワイドショー垂涎の事件で、当時はあちこちでニュースになったものだ。ちなみに、そのスケベ親父は他にもセクハラや枕営業じみたことの強要などをしており、見事に文壇から追放されお縄になった。


 で、まぁ……この事件には私も関わっている。ていうか、ある意味主犯だ。

 このクソ親父、花梨の前に私に痴漢をかましやがったのだ。

 めでたい席ということもあってなんとかその場は怒りを堪えたが、花梨にまで手を出そうとしているのを見て限界突破。

 前世でエッジに教わった護身術を体が――というより魂が、というべきか――覚えていたらしく、エロ親父を軽く地面に叩き伏せた。


 ……そこまでならカッコイイ大捕り物ということもできなくはないが、そこから先が全然ダメ。思い出したくない。

 あろうことか前世のノリで喋ってしまったのだ。名前を名乗らなかったのが唯一の救いだった。

 おかげで私もワイドショーデビューをしてしまい、ちょうど白い蛇のチョーカーをつけていたから『白蛇姫』というあだ名までついてしまった。


 忘れたい。本当に忘れたい。でも忘れたいことほど何故か忘れられないんだよねぇ!

 ていうか前世と同じ蔑称ってなんだよ!? いや今世では別に蔑称じゃないんだけど! いつまで私の心の傷をえぐったら気が済むんですか!?


「すごい。かっこいい」


 真顔で褒めてくる小百合さんにどんな顔をすればいいのかわからない。

 とりあえず春史くんと同じ困った笑顔をしておいた。


「できれば周りに言わないでもらえると助かります……」

「なんで?」


 可愛く首を傾げる小百合さん。

 春史くんのあの苦笑は、こんな生活で染みついたものかもしれないなと思う。


「恥ずかしいので」


 回りくどく言ってもダメなことはもう十分理解できた。

 率直に言うと、小百合さんは頷いてくれた。


「分かった」


 素直なんだよね。うん、ホントに。

 彼女との付き合い方を覚えてしまえば、だいぶ楽に接していける。その独特のリズムに惑わされなければ、だけど。

 そういうところもリリィと似ていて、なんだか複雑な気分になってくる。


「昼子は、学校好き?」


 うん、止まらないんだね小百合さん。

 他にも「モデル好き?」とか色々聞かれたが、全部無難に答えた。ていうか、「嫌いじゃない」以外の答えが出てこないのでそれ一本で。


 いやだって、ねぇ? 聞かれても困るでしょ? そんなに好きー! って言うほど好きじゃないし、かといって別に嫌いでもないし。

 毎日色々あって良いこともあれば悪いこともあるから、「嫌いじゃない」ってあらゆる全てにおいてベストな解答だと思うんだけど。


 あともう一つ角を曲がれば暮石家というところで、最後の質問が飛んできた。


「昼子は、私好き?」


 驚いて振り向いてしまった。

 小百合さんが真顔で私を見つめている。

 真っ直ぐに、少しも逸らさずに。


 会って二日目の人間に聞くことではないと思う。


「好きですよ」


 それ以外の答えはなかった。

 リリィと小百合さんは違う。でも、その魂は同じ色をしている。

 そこに勝手に親近感を覚える分にはいいだろう。私が勝手に好きなのだ。

 勝手に気に入って、勝手に良く思われたいのだ。


 私の答えに、小百合さんは嬉しそうに笑ってくれた。

 余りにも綺麗な笑顔に、ドキリとしてしまう。


 雪解けの後の春の日差しのような、柔らかくて暖かい笑顔。

 あぁ、この人はやっぱり春史くんのお姉さんなんだなと思う。

 その笑顔に触れたくて手を伸ばそうとして、荷物を持ったままだったことに気づいた。


「私も好き」


 一瞬で顔が真っ赤になり、心臓がバクバクと音を立てた。

 れ、冷静に! 冷静になるんだ私!! 私は全く持って完全無欠のノーマルだ!!!

 ちょっと、あまりにも綺麗すぎて倒錯しそうになっただけだ! 大丈夫! 変な趣味に目覚めてはいない!!


 ヤバい、この人ほんとに春史くんの姉だ。同じ気配を感じる。

 何でもない顔をして人を誑かして振り回す、魔性の気配だ。


 学生時代はそれはもう周囲を振り回したことだろう。簡単に想像がついてがっくりと力が吸い取られていく。人付き合いが苦手なのって、そのせいじゃないのか。

 まったく、これだから美人は困る。花梨といい小百合さんといい、無邪気に人を右往左往させすぎだ。


「ありがとうございます」


 とりあえず無難に返して、頭を切り替える。

 昼食の献立はスーパーで考えた通りとして、作り置きできるやつもそれなりに作るつもりではある。そうじゃなきゃ袋二つ分も買わない。

 料理本や介助なしでの調理は初めてだが、まぁなんとかなるだろう。


 暮石家の玄関までたどり着き、小百合さんに門を開けてもらって、


「もう一回! もう一回だこの野郎!!」


 我が弟の叫び声と同時に、何かを蹴る音がした。


 何が起こっているか分からず声のした家の奥の方に目を向ける私を置いて、小百合さんがばっと駆け出していく。

 慌てて後を追えば、小百合さんは玄関にサンダルを脱ぎ捨てて家の奥へと走って行った。


「ちょ、ま、待って!」


 ブーツなんか履いてくるんじゃなかった。

 急いで紐を解いて脱ぎ、どうしようか迷った挙句にリビングに買い物袋を置きに行く。

 冷蔵庫に入れる暇はなく、廊下に飛び出て小百合さんが去った方向に小走りに向かう。


 そこは裏庭に繋がる縁側で、ゾフィーをはじめとした暮石家ペット衆が四匹並んで同じ方向を向いていた。その隣に小百合さんも並んでいる。

 釣られて同じ方を向けば、そこにはサッカーボールを蹴り合う夕太と春史くんがいた。


「クッソ! しつけぇんだよてめぇ!!」

「ディフェンスはしつこいのが大事だからね」


 一応ボールをキープしているのは夕太だが、ほとんど動けていない。背中で春史くんを押しとどめながらなんとか抜こうとしているものの、全く功を奏していないようだ。


「くそったれ!」


 強引に抜こうとボールを蹴った所で、


「よっ、と」


 見事にカットされ、攻守が逆転した。


「うがぁぁぁ! 待ちやがれぇぇぇ!!」


 ドリブルが速い。流石に追いつかれているけど、夕太に何もさせていない。

 下手したらファールくらうぐらい強引に足を出す夕太をかわし、ゴールネットまであっという間に運んでいく。


「ふっ」


 小さく息を吐いて、彼の右足が蹴ったボールがネットを揺らした。

 シャツで軽く汗を拭いて、春史くんがボールを拾う。


「もう終わりにしない?」

「もう一回! もう一回だ!!」


 諦めの悪い弟が食い下がる。

 春史くんは苦笑して、二人で取り決めたのであろう位置にボールを持っていく。


「くっそぉ! てめぇそんなナリしといてなんでサッカー上手いんだよ!」

「えー……褒められてるのかな?」

「褒めてねぇ!!!」


 我が弟はわめき散らしながらボールに足を置き、次の戦いを始めだした。

 何があったかと思っていたが、夕太が春史くんに突っかかっていただけか。いや、それも問題なんだけどこの二日で見慣れてしまった感がある。


 それにしても、サッカーボールなんてどこにあったんだろう。それに球技大会の時も思ったけど、春史くんってやたらサッカー上手いよね。

 芝の生えた裏庭もサッカーするのにちょうど良さそうだし。まぁ、スポーツが好きで悪いことはないけど。


 しばらく苦戦する弟といなす春史くんを眺め、もうそろそろご飯を作ろうかと裏庭に背を向ける。


「――良かった」


 それがあまりに安堵に満ちていたため、誰の声か分からずに思わず振り向いてしまう。

 それは間違いなく、裏庭でサッカーをする二人を見つめる小百合さんから放たれたものだった。


 ――良かった、ってどういうことですか?


 そんな突っ込んだことを聞けるはずもなく、喉に小骨が刺さった感覚のまま台所に戻る。

 誰にだって秘密はあるものだ。私にも幾つかあるように。

 それをつつきまわすのは、あまりいいことじゃないだろう。


 いつか、自然に教えてくれるようになるまで。

 それがいつになるかは、良く分からないけれど。


 軽く浮ついた手つきで、私は買ってきた材料を冷蔵庫に入れ始めた。

 そのまま少しぼーっとしたまま調理したのがまずかったのかもしれない。




「いただきます」


 全員で手を合わせて、箸をとる。

 食卓に並ぶのは豚の生姜焼きと筑前煮、ほうれん草のおひたしと卵焼きにきんぴらごぼうだ。

 ゾフィー達もドッグフードで一緒にお食事している。タロウが一番食べ方が汚くて、レオに叩かれている。


 全員が箸を口に運んだところで、微妙な沈黙が下りる。

 やめて、そういうの。私そんなに心臓強くないんだから、泣くよ?


「美味しいですね」


 春史くんがいつもの微笑を浮かべて言ってくれる。

 ありがとう、優しいね。でもその優しさがちょっと辛いかな。


「……まぁ、美味いな」


 夕太、少し正直だね。お姉ちゃんは弟のそういうところが好きだよ。

 いや、私もちゃんと味見したけど別に不味くはないよ? 不味くはないんだけど……こう、なんかちょっと違うというか。想像した味と少しズレがあるというか。

 筑前煮は味が濃かったかなぁと思わなくもないし、生姜焼きは薄いかなぁと思わなくもない。かといってみりん減らしたり生姜増やしたりしたらそれはそれで味が変わりそうというか。


 結果、「不味くはないけど美味しくはない」という微妙なものになってしまった。

 くっそぉぉ! 次はちゃんと料理本持ってくる!!


「美味しい」

「……そうですか?」


 もぐもぐと咀嚼しながら端的に言う小百合さんに尋ねる。

 この中だと一番忖度なしで言ってくれそうだから聞いてみたんだけど。


「昼子のご飯、美味しい。好き」


 心臓が貫かれる音がした。

 あぁぁぁいっぱいに頬張る姿もリスみたいで可愛いなぁ!

 花梨並に可愛い人初めて見たわ!


「おかわりありますし、冷蔵庫に作り置きありますから後で食べて下さいね」

「うん。いっぱい食べる」


 もっきゅもっきゅと食べる姿可愛すぎて永遠に見ていられる。

 蛇の頃は丸のみだから可愛いとか思えなかったもんなぁ。人間に生まれ変わって良かった点の一つだわ。


「姉ちゃん! おかわり!」

「はいはい」


 弟よ、人の家なのに堂々と差し出すのはどうかと思うぞ。

 しょうがないのでご飯をよそっておかずも追加してやる。タロウ達と遊んだ上に春史くんとサッカー対決もしたのだ、お腹もすきまくってることだろう。


「作り置きもあるんですか?」

「えぇ、温めるだけでいいから」


 少し驚いて聞いてくる春史くんに返す。

 本当はそこまでするつもりはなかったけど、買い物してるときにほぼ毎日コンビニ弁当かお惣菜と聞いて黙っていられなかった。

 小百合さんは喜んでくれたし、春史くんも悪く思わない……はず。


「すみません、ありがとうございます」


 嬉しそうにはにかむ春史くんに、胸がドキドキする。

 あぁもうこの姉弟はもう! 人がガード下げてるとすぐ打ち込んでくる!

 できるだけ顔に出さないようにして、口にものを詰め込んだ。


 あまり話さない静かな食事の時間が過ぎていく。この中で口数が多いのなんて夕太くらいだが、その夕太が何故かさっきから一心不乱に食べている。

 てっきり春史くんにちょっかいかけると思ったのに。不思議に思っていると、食べ終わったのか夕太が箸を置く。


「ごちそうさま! 暮石、再戦だ!」


 食べ終わってすぐに言うことがそれか。

 どうやらよっぽど春史くんにサッカーで負けたのが悔しかったらしい。


「夕太、食器を流しにもっていく」

「分かってるよ! おい暮石、食い終わったか!?」


 食器を持っていく夕太の後ろを同じく食べ終わったタロウとアストラがエサ入れを咥えて歩いている。

 何をするつもりだろうと思っていると、流しの下に置いて出てきた。賢い。


「もうちょっとかな」

「早くしろ! “裏庭(フィールド)”で待ってるからな!」

「夕太、人のご飯を急かさない」


 私の声が聞こえているのかいないのか、我が弟はタロウとアストラを伴ってリビングから出て行った。

 もう完全に馴染みきっている。いいのかそれで。


「ごめんなさい、春史くん。面倒なら相手しなくてもいいから。私から言っておく」


 申し訳なくてそう言うと、春史くんは首を横に振った。


「いえ、大丈夫です。その……結構、楽しいので」


 初めて見る彼の照れ笑いに、一瞬言葉に詰まってしまった。

 どこかで薄皮一枚隔てたような表情だった春史くんの、素の笑顔。案外子供っぽい表情に、胸が詰まって何も呑み込めなくなる。


「そう、ならいいけど」


 平静を装って、いつも通りに返せた自分を褒めたい。

 夕太を気に入ってくれたのか、それともサッカーが好きなのか。

 聞いてみたいことは沢山あるけれど、踏み込む一歩が遠くて難しい。


「ごちそうさまでした」


 行儀よく両手を合わせて、春史くんが流しで食器を水につける。

 スポンジに洗剤を含ませたところで、ストップをかけた。


「やっておくから。夕太の相手をしてあげて」

「そうですか? すみません、お願いします」


 渋るかと思ったけど、あっさり受け入れてリビングから出ていく。

 ……もしかして、夕太とサッカーするの楽しみだったのかな。なんだか、春史くんが別人みたいに見えてきた。

 人にはいろんな側面があるっていうけれど、これがそうなのかな。


「昼子」


 頬いっぱいに詰めたおかずを飲み込んだ小百合さんが話しかけてくる。


「ご飯終わったら、見に行こう」

「……そうですね」


 特に断る理由もないので頷く。

 夕太と春史くんの1on1を眺めるのも悪くはない。やることもないし。

 微妙な出来の料理を食べきって、小百合さんと一緒に洗い物をして、約束通り裏庭の観戦に向かった。


 二人の対決は日が落ちるまで続けられ、夕太の惨敗で終わった。

 今日で一生分の「もう一回」を聞いた気がする。

 春史くんもよく付き合うよなと思うし、小百合さんも飽きもせずよく眺めていられるものだと思う。

 そういう私も、なんだか面白くてずっと見ちゃったんだけど。

 飽きてたのはタロウとアストラくらいで、二人が使っていない部分で走り回って遊んでいた。


 帰り道は、ひたすら夕太が愚痴っていた。

 なんであいつがあんな動けるんだ、詐欺だ、とぶつくさ文句を言う弟は実に情けなかったけど、可愛らしくもある。

 でも、私も驚いた。ラルフと張り合っていたから上手いのは分かってたんだけど。

 まさかあんなに楽しそうに遊ぶだなんて思わなかった。


 サッカー、やっていたんだろうか。でも、そうだったら、どうしてやめてしまったんだろうか。

 聞けそうにもないなぁと小さくため息をついて、夜の帳が下りた道を弟と歩く。

 途中から愚痴は聞き流していた。




 日曜日。全く持って気が進まないCM撮影の日。

 朝から若干憂鬱になりながら顔を洗って適当な服を着てすっぴんのままで家を出る。どうせ向こうに着いたらメイクされるんだし何もしない方が良いだろう。

 夕太は昨日張り切りすぎたのか爆睡中。朝から面倒がなくて何より。


 今日は少し変なことがあって、いつもの護堂さんのおはようチャットに不審なことが書かれていた。

 『今日の共演者には十分気を付けて下さい』だって。

 なんで私のスケジュール知ってるのとか色々聞きたいけど、まぁどうせ社長が流したんだろう。


 それにしても、共演者に気を付けろって。誰が来るんだろう?

 知ってるなら教えてくれてもよさそうなもんだけど、護堂さんからはそれだけ。誰か聞き返すのも面倒で適当に流した。


 とまぁ朝からがっくりと項垂れる日なんだけど、いいこともあった。おば様の仕事がひと段落着いたらしい。

 花梨から連絡がきて、ようやく試験に集中できると嬉しそうだった。……赤点だけは回避させないと。


 あーでも、CM録りって今週いっぱいかかるって話らしいし、試験勉強の面倒を見てあげられないかも。ほんっとこういう仕事は拘束時間長くて嫌いだ。

 一週間足らずで終わるのは早い方って社長は言うけど、短い青春の一週間は永遠にも等しい時間であると理解してほしい。


 足取り重く駅へと向かい、事務所最寄りの駅で降りる。徒歩で10分も歩けば、堂々と聳え立つ第二本社ビルにたどり着く。

 ロビーに入ると、待ち構えていた峯野さんと目が合った。


「おはようございます、白峰さん。試験前にすみません」

「おはようございます。大丈夫です、割り切ってますから」


 挨拶を交わして、申し訳なさそうな峯野さんの車に乗り込む。

 ロケ地は海岸で、ストーリー仕立ての清涼飲料水のCMだということだ。スポンサーはかなりの大手で、こんな大役をほぼ無名の私がやっていいものかと思う。

 社長の力もあるんだろうが、これが真希の件の手打ちというのが気にかかる。


 なんだか少し嫌な予感がしながらも車に揺られること二時間弱。

 到着したロケ地はなんだか少し田舎の風情がする人気のない場所だった。

 穴場、と言うのがぴったりくる。


 スタッフさん達は既に準備を始めていて、見慣れた機材と見知らぬ機材があちこちに置かれて標的が訪れるのを待っている。

 峯野さんに連れられて監督や演出家さんに挨拶周りをし、いよいよ共演者への挨拶かと思ったらまだ到着していないらしい。

 随分な大物なのかと思っていると、


「白峰さん、あの……くれぐれも気を付けてください」


 峯野さんが言いにくそうに忠告してくれた。

 だからどういうことなんだよ! 誰なんだよ共演者ァ!?


「そんなに変な人なんですか?」


 尋ねる私に、峯野さんがサングラス越しに眉根を寄せる。


「いえ、そういうわけではなく……会えば分かると思います」


 スタッフさん達との打ち合わせが入り、それ以上は聞けなかった。

 今日のロケで大体の撮影は終えるつもりらしい。なんでも八月にはオンエアしたいとか。

 猶予が一か月しかないとは、随分と急な話だ。聞いたところでは、大体は撮影から三か月~半年くらいはかかるものらしいのに。


 まぁ、何か事情があるんだろう。業界ではよくある話だ。

 おかげで夜までずっと撮影。途中休憩があるとはいえ、だいぶハードな日になりそうだ。

 そう思いながら渡された台本を読んでいると、スタッフさんの声が聞こえた。


「市松さん、入りまーす!」


 周りのスタッフさんと一緒に思わずそっちを見れば、共演者と思しき男性がいた。


 とんでもないイケメンだった。


 ラルフと並んでも多分そんなに見劣りしない。ボリュームのある無造作ヘアーが気だるげな雰囲気に似合っていて、目を引き付けられる存在感がある。

 空気感も合わせると、サッカーバカのラルフよりもカッコイイかもしれない。格好良さっていうのは見た目だけじゃないんだと妙に納得した。


 なんだか、春史くんに似ている気もする。

 いや、春史くんよりもイケメンだけども。髪型とか体格とか、なんか春史くんが芸能人になりました! って印象を受ける。

 年は私よりも上で、多分二十代前半。護堂さんより少し下かな?


 どこかで見たことある顔だけど、うまく思い出せない。

 どこだっけ、と考えていると峯野さんに腕をつつかれた。

 挨拶に行くのだと理解して大人しく後ろについていく。


「今日はよろしくお願いします、市松(いちまつ) 直哉(なおや)さん。410プロの峯野と申します。こちらはウチのモデルで本日共演させていただく白峰 昼子です」


 峯野さんと一緒に頭を下げながら、名前を聞いてようやく思い出した。

 市松直哉。ドラマや映画で今人気急上昇中の俳優だ。

 父親が俳優で母親が歌手という漫画にでも出て来そうな両親から生まれた芸能人のサラブレッド。

 おまけに本人も超絶イケメンで芝居も上手いと評判で、まさに無敵の芸能二世だ。


 そりゃ大物だ。護堂さんも峯野さんも気を付けろって言うわ。

 何せ、こいつは業界内で結構な噂がある奴だもの。


 性格は表向きは真面目で天然みたいに見せているけど本性は選民主義バリッバリのクソ野郎らしい。

 自分が認めた相手以外はどう扱っても構わない、という考えの持ち主で、彼の気に障って干された役者は数知れず。

 共演者でさえその場で罵倒しキャストを変えさせたという噂さえある。


 更に悪いのは、女癖がめちゃくちゃ悪いこと。

 こんだけカッコ良けりゃそりゃモテるんだけど、もうとっかえひっかえ。一晩遊んで飽きたらポイ、という芸能人の鑑みたいな真似をするという話だ。

 ただ、私は大丈夫だろう。


 彼はそんな噂の持ち主だが、自分から手を出したという話は聞かない。黙っていても向こうから来るんだからある意味当然か。

 それなら、自分から行かなきゃいいだけだ。残念ながら超絶イケメンはラルフで見慣れているし、業界人も私にはステータスにならない。


 大体そんな噂があるのに自分から餌食になろうという奴がいるのだろうか。……いるんだろうな、だから話が出るんだし。

 その恐怖の大王市松直哉二世は峯野さんに頷き返しながら私を上から見下ろし、


「おい、素人」


 と雑な口調でのたまってくれた。


 は?


 口に出しそうになって何とか押しとどめる。

 初対面の相手にかける言葉じゃないでしょ、それ。素人だけどさ。


「余計なことはせずにスタッフの言うことを聞いて言われたことだけしろ。邪魔をして撮影を延ばすな。迷惑だ」


 ぶっころす。

 生まれて初めて初対面の相手に殺意が湧いた。


 いやまぁ、こちとら素人ですし? そもそもそのつもりですけど?

 だからってその言い方はなんだぁ!? こっちだって受けたくて受けた仕事じゃねーんですよこの野郎!!


「ったく、護堂絡みじゃなきゃこんな仕事受けてないぞ。素人と組むのはこれっきりだからな」


 隣にいたマネージャーに愚痴をこぼし、ぺこぺこと頭を下げるのを無視して監督のところへ行ってしまう。


 め・ちゃ・く・ちゃ・は・ら・た・つ!!!


 なんだよ素人素人ってよぉ!? 一緒に仕事するっていうのに、なに喧嘩売ってるんですかぁ!?

 業界が仲良しこよしの世界じゃないのは知ってるけど、こんなド正面から罵倒されていいような世界でもないだろこのスカポンタン!!


 市松直哉の後ろ姿を睨みつけながら、握りしめた拳がぷるぷると震える。

 あんのバカ二世芸能人め、顔面掴んでこの世の礼儀を教え込んでやろうか!?

 これはもうやるべきよね、今後の被害を出さない為にも今こそ夕太で鍛えたアイアンクロー捌きを見せる時でしょ!?

 余りの怒りに震える肩に、峯野さんの手がそっと置かれた。


「……気を付けて下さいね」


 その言葉の込められた意味に、ようやく気付いた。

 もしかしたら、護堂さんもそういう意味で言ってたのかな。なんかさっき護堂さんが云々とか市松直哉も言ってたし。


 だとしたら、護堂さんと知り合いってことか。

 休憩時間入ったらめちゃくちゃチャット送ってやる。そういう奴なら早いとこ教えろって。

 おかげで心の準備もできないまま腹の内が沸騰しまくりですよ。


「……分かりました」


 それでも、これは真希の不始末のツケで、410プロの仕事なのだ。

 私はただの十六歳ではない、もう既に十八年の人生を――しかも結構過酷なやつを――歩んできているのだ。

 ここは大人として耐えよう。


 所詮相手は20そこらの、しかも現代の若造なのだ。怒る方がバカらしい。

 呼吸を整え、なんとか怒りを抑え込んだ。


「おい素人、早く準備しろ。時間がないんだ」


 あんた何様のつもりよあぁん!?!?

 せっかくの決意を粉々に粉砕され、肩を震わせながら指示されるがまま所定の位置に着いた。


「台本はどうした?」


 クッソ腹立つ二世が蔑んだ視線を向けてくる。

 ほんっとムカツク奴!


「覚えました。貴方が来るまで時間があったので」


 言い返してやると、二の句が継げないのかクソ二世が黙り込んだ。

 ざまーみろ! 人を馬鹿にするからそういう目に遭うんだ!!


 本当に台本は覚えている。正直台詞も少ないし、大体は動きの指定とかそういうのだけなので割と簡単に覚えられた。テーマもしっかりしてるしね。

 ふっふっふ、前世じゃこれよりヤバい量をパーティー前には覚えろと朝に渡されたりしたからね。伊達に悪役令嬢やってないんですよこっちはぁ!


 撮影前のメイクと衣装の最終チェックを済ませて、頭の中で台本を思い返しながら合図を持つ。

 3、2、1、


 演じるのは、悪役令嬢の十八番と言っても過言ではないのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ